18話 唯一の答
領主グリムナント侯爵の馬車が門を出て行く。それを窓から見送り振り返れば、リメレ村のガナン村長がこちらに頭を下げていた
「公爵閣下、このたびのこと何から何までお世話になり申した」
気のせいだろうか、その両肩が少し老いを感じさせたのは。
「私は場所を貸しただけだ。礼ならそこの占い師に言ってやってくれ」
村長は顔を上げるとタクミ・カワヤに向き合った。
「おまえさんにも本当に世話になった。しかし驚いたな、これまで占い師を名乗る者は何人も見てきたが、ここまですべてを言い当てる者など見たことがない」
「たまたま調子が良かっただけですよ」
タクミ・カワヤはそう言いながらも笑顔で胸を張っている。謙遜する気があるなら態度に出さんか、まったく。だが村長は心底感心しているようだ。
「いやいや謙遜するな。領主が来る前におまえさんの説明を聞いておらんかったら、あやつの言葉に怒り狂っておったはずだ。そうなれば交渉などではなかったろう、感謝しておる」
そして再び私に向かって深々と頭を下げる。
「閣下のお気遣い、決して無駄には致しませぬ。御恩はリメレ村末代まで語り継がれましょう。この先何が起ころうともこのガナン、公爵閣下のためなら命投げうつ所存。いつでもお声をおかけください」
「縁起でもないことを言ってくれるな。村長にはリメレのためにまだ頑張ってもらわねばならんからな」
私の言葉に笑顔を返し、村長は「では失礼致します」と背を向けた。
村長の姿が扉の向こうに消えたのを確認して、一つ大きなため息をつく。占い師をにらみつければ相手は満面の笑顔。
「旦那様もお疲れ様でした」
「疲れたどころの騒ぎではない。寿命が縮んだぞ。陰謀の話など打ち合わせになかったではないか、あれはどこまで本当なのだ」
「僕の提案した作戦を全部無視した旦那様にそれを言われましても。陰謀の話は本当ですよ、残念ながらハッタリはなしです」
グリムナント侯爵家をめぐる陰謀。その正体はつかめないが、中央の大貴族の顔がいくつか思い浮かんでくる。さもありあんといったところか。
こういった面倒ごとに嫌気がさした祖父が王都を離れ、父は大半の領地を返上、私自身も公職を返上した経緯がある。権謀術数の渦巻く中に身を置かぬのはハースガルド家代々の家訓のようなもの、この件からもできるだけ距離を置きたい。
「そろそろいいかい」
そう言って部屋の奥から立ち上がったのは、タクミ・カワヤが連れてきたイエミールという女。書記が必要だとのことだったが、今回確かに覚書を交わしたものの、事前に用意された書面に名前を書いただけだ。交渉の記録を残す必要があるとはいえ、わざわざ外部から書記を連れてきた理由がよくわからない。
イエミールは何やら書き連ねられた紙の束を占い師に渡すと、疲れた様子で挨拶もせずに部屋を出て行った。
「ご苦労さん」
声をかけたタクミ・カワヤはその紙をしばらくパラパラとめくりながら読むと、「ハイ、旦那様」と私に渡す。
「これは旦那様が読むべきものです」
「私が読むべきもの?」
意味がわからず紙に目を落としてみれば。
――少々広めではあるが豪奢さや荘厳さのカケラもない物置のような部屋
――こんな小物どもを相手に時間を浪費しても無意味
――何を生意気な、そんな屁理屈が通るとでも思っているのか
――平民などに日和りおって、貴族の風上にも置けぬクズめ
「何だこれは」
いったい何の悪ふざけだと詰問しそうになる私に、占い師は平然とこう言った。
「さっきご領主様が心の中で考えていたことです。それを知って頭に入れた上で、今後のことを考えていただかないと」
領主の心の中? 何故そんなことがわかるのだ。と言うより何より。
「今後とはどういうことだ。領主との話はもう終わったではないか」
「何をおっしゃってるんですか、終わってませんよ。それどころか今日が始まりです。まあ旦那様にとっては大変残念なお知らせなんでしょうけど」
そう言って占い師は笑う。しかし私にとっては笑い事ではない。
「おまえ、何を隠している」
「いやだなあ、隠し事なんてありませんよ」
タクミ・カワヤは苦笑している。
「ただ僕だって世界の未来のすべてが見える訳じゃないんです。神様じゃないですからね。ある程度は見えても、それ以外は推測するしかない。その推測の部分をいちいち端から端まで旦那様に報告してたら、眠る時間がなくなってしまいます」
「……それで」
「はい?」
「とぼけるな、おまえはいまの時点でどこまでを見て、どこまでを推測しているのだ。全部を話せとは言わん。私はグリムナントをめぐる陰謀に巻き込まれるのか」
すると気のせいだろうか、タクミ・カワヤの顔が少し神妙になったように見えたのは。
「陰謀もそうなんですが、旦那様はもうちょっと深刻なところ、具体的には国王陛下に関わる問題に直面するはずです」
私は思わず両手で顔を押さえた。もし本当にそうなら、いったい何のためにすべてを国に返上し、ここに引きこもったのかわからなくなるではないか。
「それは決定された未来なのか」
ため息交じりの私の言葉に、占い師は首を振る。
「決定された未来なんてものはありません。未来は常に変化の可能性を秘めています。絶対の予言なんてないんです。ただし運命をすべて受け入れて、抗うことなく流されるままになれば、ほぼ間違いなくこの未来がやって来るでしょう」
「どうやって抗えばいいというのだ」
「それがわかれば、僕は神様になれますよ」
まったくこいつだけは無責任極まりない。そうは思ったものの、この場合の責任とは何だ。未来を正しく予知することか。巫呪占筮の類は一切否定していたはずのこの私が、占いに頼ろうというのか。何とも浅ましくみっともないことよ。
未来など何も決まっていない。仮に何かが起こるにせよ、人生とはその何かに立ち向かうことの繰り返しだ。それが領主に関わろうが、王家に関わろうが同じこと。到来する困難を全力で乗り越える以外に道はない。これこそが唯一の答なのだろう。
と、胸を張って言い切れれば簡単なのだが。