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創作奇譚1:消滅した小学校

作者: 香月 融

「子供の世界」と「大人の世界」とが不条理に交錯融合する「奇妙で切ないパラレルワールド」です。

 私にもいよいよお迎えが来たようだ。家族に看取られながら、このまま静かにこの世を去るのだ。いい人生だった。でも、ひとつだけ心残りがあるんだ。


 朦朧とする意識の中で、当時の思い出が白昼夢となって現れた。



 私は、70歳前後のころ、ボランティアで小学生に書道を教えていたんだよ。生徒たちの小学校は自宅から500メールのところにあった。全校生350人ほどの小さな小学校だったな。彼らの話によると、2階の教室の窓から見える海はとてもきれいらしい。

 2年前に、小学校の校庭から原始人やナウマンゾウの骨が多数見つかったことから大騒ぎとなり、今年から大規模な発掘調査が行われることとなってね。それで、やむなく小学校は築50年を目前に事実上の廃校となり、在校生たちは3キロほど離れた神戸市内の小学校に転校することになったのさ。


 ところで、当時の私は早朝に海岸通りを往復4キロほど散歩することを日課にしていたんだ。冬は7時前に自宅を出て海浜公園に着き、ゆっくりと昇る日の出を眺めるのが楽しみだった。

 ある年の師走のあたりから、毎日ではないが、その公園で奇妙な男をときどき目撃するようになった。歳は50くらいだろうか。男はしばしば公園下の浜辺に腰をおろして、ぼんやり海を見つめていた。


 寒さが身に染みる冬の早朝6時ごろはまだ薄暗い。ある日のこと、たまたま私はいつもより1時間ほど早めに公園に着いたのだが、浜辺にポツンと黒いシルエットが目についた。あの男だとすぐにわかった。「でも、どうしてこんな時間に・・・」と不思議に思った私は男に声をかけた。

「こんな早くから一番乗りですね。散歩ですか?」 

「ええ、海が見たくてときどきここに来ているんですが、なぜか昨夜は眠れなくて・・・。」

男は穏やかな声で答えた。


 男は神出鬼没だった。多いときは1週間に2回以上見かけたが、3週間以上見ないこともあった。男は私と会って話すうちに、だんだんと私に打ち解けていった。公園で出会った書道教室の生徒たちが、私に向かって「先生」と呼びかけていたのを何度か見ていたのだろう。いつしか男は私を先生と呼ぶようになった。


 男はほとんど同じ黒コートと黒ズボンを着ていたが、不潔感はなかった。男の右手の人差し指の第二間接から先はなかった。男は自分のことをほとんど話さなそうとはしなかった。それでも、初めて会話してから2カ月ほどが経過したころ、男は少し照れながら自分の名前がワタナベだと明かしてくれた。

 一瞬、男の名に私の脊髄が反射したかのような感触を覚えたが、私は男にそれ以上訊かなかった。


 またあるとき、男は公園にやってきた私を見つけるや、待ち構えていたように自分から声をかけてきた。公園の向かいにある小学校を目で指しながら、「あの小学校はこれから取り壊されるのですか?」と。 

 「そうですよ」と私は答えた。小学校は4階建ての3棟から成っていた。敷地の周りにはすでに立ち入り禁止のロープが張り巡らされ、巨大な重機が棟を取り囲んでいた。私はこの小学校が廃校となったいきさつを彼に話してあげた。


 2月のある朝、粉雪が舞って身に染みるほどの寒さの中、背中をやや丸めた男はいつものように早朝の公園にいた。そのときは、どういうわけか、男は私の家族のことを妙に根掘り葉掘りと訊いてきた。

 私は、妻が趣味でヨガをやっていること、娘は化粧品の会社を経営していて子供が3人いることなど、いろいろと家族の近況を話してあげた。男は自分のことのようにうれしそうだった。


 その一方で、男は小学校の取り壊しの進捗が気になるようだった。小学校の方角に目を向けては、不満そうにブツブツとつぶやいていた。何を言っているのかは聞き取れなかった。


 工事開始から3カ月ほどが経過した春先ごろには、小学校は完全に取り壊され、跡形もなくなった。


 3週間ぶりに、私はいつもの浜辺で男を見かけた。ゆっくりと後ろから近づいていくと、男は振り向くこともなく、残念そうにこう言った。

「ついに、小学校は消えてしまいましたね。」


 少し間を入れて、振り向きざまに男は続けた。

「先生、お世話になりました。いろいろなお話を聞かせていただき、ありがとうございました。とても懐かしかったです。先生とお会いできるのも今日が最後なんです。実は、明日には外国に旅立つんです。今度は本当に、これっきり、先生とは、もう、会えないと思います。」


私は怪訝そうに、男に尋ねた。

「“懐かしかった” とか “今度は本当に” とかって、妙なことを言いますね。以前にワタナベさんとはどこかでお会いしましたかね?」


 男は何も答えかったが、少し微笑んだように見えた。もしかすると、私の気のせいだったかもしれない。続いて、私は男に外国の行先を訊いたが、いつものように笑ってごまかされてしまった。最後の最後まで終始一貫して、男は自分の素性をほとんど話そうとはしなかった。


 男は私に深々と頭を下げてから顔を上げる間もなく、足早に去っていった。その後、男が再び浜辺に現れることはなかった。


 その年の暮れ、我が家の大掃除の最中、妻がうれしそうに二階から降りてきて、こう言った。

「娘が小学生のころのアルバムが出てきたわよ。見て見て、とても懐かしい。40年も前の写真よ。」

 妻はアルバムのページをパラパラとめくりながら、ふと何かを見つけたかのように手を止めた。そのページの下段の写真をしばらく見つめ、幼稚園児だった娘の彩子の隣に写っている男の子を指さして、妻は神妙にこう言った。


「アキラくん、今はどうしているかな?」 

「えっ、」と怪訝な顔で写真を見つめる私を見て、妻は続けた。

「あなた、憶えていないの? 渡辺君よ、渡辺昭君。当時、小学3年生くらいだったかな、特別学級にいた子だよ。1カ月くらいの間、うちで預かっていたでしょう。母子家庭でさ、お母さんから虐待されているといううわさがあったよね。冬だというのにいつも裸足で、かわいそうだった。私がPTA役員をやっていたこともあって、”しばらくうちで面倒みてあげよう” ということになったじゃない。」


 間髪を入れずに、妻は続けた。

「ほら、こんなメモ書きも取ってあるよ。アキラくんがお母さんに連れられて夜逃げする直前に、我が家のポストに入れてくれた手紙だよ。あなたには言っていなかったかもしれないけど、実はあの日の深夜にパタッというポストの扉が閉まる音と玄関前の石段を小走りする足音が聞こえたんだよね。一人だったと思う。当時のことが鮮明に蘇ってきたわ。」


 広告チラシから無造作に破り取られた紙切れの裏に目をやると、丸みを帯びた歪な字でこう書かれていたのです。


 ”おじちゃん、おばちゃん いつもやさしくしてくれてありがとう。あやちゃん、てれびげえむであそんでくれてありがとう。おかあちゃんがあたらしいおとうちゃんのところにひっこしするとゆうから ぼくもついていきます がっこうにいけなくなるのがつらいです。おとなになったら、またあいたいです。さよなら   わたなべあきら”



 ああ、そうだったのか・・・、公園で出会った男・・・。 なぜ気付いてあげることができなかったのだろう。今となっては、悔やんでも悔やみきれない。


 俺は、俺は・・・、死んでも彼のことを忘れることがでない。


終わり

本創作ショートショートは、ブログ「発達障害者/家族のキャリア支援 "マメタ物語"」において2022年1月12日に発表した原作を改変したものです。

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