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4.首狩り魔人の過去の悲劇

グロ注意、斜め上展開注意です。

主人公のSAN値はもう限界です。

俺が生き残るためには、アンリに会う必要がある。このまま『首狩り魔人』に殺されるなら、最後のチャンスをアンリとの出会いに賭けたい。何よりあいつは、もうすぐ近くにいる気がする。


ぐちゃっという嫌な音とともに、俺は積み重なった死体に飛び込んだ。途端、俺は後悔した。

死体の現実感が薄れたとか、何を馬鹿なことを思っていたのか。『死体』という圧倒的な物理的存在が、俺の頭を現実に引き戻す。

この死体は現実のものだ。重力によって、俺の顔は、ぬめり、ひやりとした腐肉にめり込む。

今にも叫び出しそうな口をなんとか堅く引き結んでいたが、何がなんだかわからない肉の破片が飛び散り、一部が鼻や耳に飛び込む。肉に付着した蛆が俺の頭や顔をゆっくりと這いまわる気配に戦慄する。グぅゔ。思わず変な音が喉から漏れる。


都市伝説に飲み込まれれば『首狩り魔人』に殺されるしかない。逆に言えば、都市伝説に飲み込まれなければ『首狩り魔人』に殺されることはない。異なる対象への恐怖で頭を塗りつぶせば、都市伝説への恐怖は一時的にも頭から消えてなくなる。死体への恐怖が都市伝説の恐怖を上回れば、おそらく、『都市伝説』に殺されることはない、と俺の立てたか細い仮説がささやく。


自分でも頭がおかしいと思うが、死体への恐怖が都市伝説を上回り、かつ正気を保てれば、少なくとも計算では、都市伝説に飲み込まれて殺されることはない。最終的に、制御可能な範囲に恐怖を抑え込めれば万々歳だ。


正気を失いかけた俺だって、根源的に死体は怖い。『首狩り魔人』も怖いが、将来の俺の姿を思わせる『死体』だって十分に、かつ生理的にも恐ろしい。

実際、頬に張り付きうごめく肉と鼻腔を突き抜ける強烈な腐臭は、吐き気とともに『首狩り魔人』を吹き飛ばすほどの圧倒的恐怖と忌避感を俺にもたらした。

俺は『死体』への恐怖と『首狩り魔人』への恐怖を天秤にかけ、失いかけた正気を調節する。


これは! 死体ではなく! マネキン!

死体だとしても! ただの死体! 動かない! 俺じゃない!


俺は頭の中で大声で唱える。胃液が逆流する。口から妙な音が漏れる。

これまでも火事の最中に火に飛び込むとか、似たようなシチュエーションは何回かあったじゃないか。

目を固く閉じてギリギリと奥歯をかみしめ、頭を空っぽにして素数を数える。時々アンリの顔を思い出す。不幸まみれの俺は、メンタルだけは強いはずだ。




どのくらい時間が経過したのか。

『首狩り魔神』の足音は聞こえなくなっていた。

賭けに……勝ったのか?

俺はからっぽの頭とドクドクと脈打つ鼓動が落ち着くのを待って、恐る恐る目を開けた。


そして俺は、2メートルほど先に静か横たわる頭蓋骨と、合うはずのない目が合った。

そう、目が合うはずはなかった。そちらの方向にはライトは向けられていないのだから。

本来であれば暗闇で何も見えないはずだが、その白骨死体の存在は薄ぼんやりと感じられ、目玉のない眼窩で、何かを期待するようにこちらを見ているように感じられた。


その瞬間、俺はこれがこの都市伝説のコアだと確信した。

存在感がどこか希薄で古ぼけていてリアリティがない。ライトも当たらない闇で、見えるはずがないのにうっすら見える。俺の下に積み重なる死体のような存在感は全くない。

彼が、この都市伝説のコア、基本事件の被害者だ。


骨だからはっきりとはわからないが、アンリより小柄にみえる。その小柄な体に大きな瓦礫が覆いかぶさり、そのすき間から頭と手足の骨が哀れにはみ出していた。


見ているうちに、こいつも不幸に好かれている、と直感した。

こいつは間違いなく、不運で不幸に負けて死んでしまった。回避する方法はなかったのか、と彼の上の瓦礫を見たが、少なくとも数トンはあるだろう。地盤が弱いことを知らずにこれが降ってきたのならば、逃れられなかったのかもしれない。


暗い眼窩が一瞬ぽぅと光った気がして、彼の感情が流れ込んできた。





地下鉄の歴史は案外古い。日本で一番古い地下鉄は浅草ー上野間のもので、開通は1927年だったはずだ。

それより時代は下るのだろうが、この駅に地下鉄ホームができた頃は、まだまだ労働者の労働環境は悪かったのだろう。命の価値も低かった。


地方から出てきたばかりの年若い彼は、流されるまま鉄道工事の仕事につく。

彼は小柄であったが、実家では農業を手伝っており、少しばかりは体力に自信があった。

しかし、農業と工事で使う筋肉は違う。荒くれだらけの職場に人間関係、慣れないつらい肉体労働。いつしか彼の食欲は細り、人並みだった彼の肉体も痩せ衰えていった。

そうなると、力が正義の現場では悲惨なビジョンしかうかばない。地位は最下層となり、同僚や上司に『かわいがられる』。ますます食は細り、悪循環に陥っていた。


落盤事故にあったのはそのころだった。

雑倉庫として使われていたこの部屋は、新しい貨物路線の直下にあった。

運悪くもその夜、彼は先輩たちにこの部屋に閉じ込められた。そして、さらに運が悪く、夜半に震度4程度の地震に見舞われた。

地震の瞬間、倉庫の天井にクラックが走り、大きな音とともにコンクリートの塊と土砂が彼の上に落下した。貨物路線の地盤は、ろくに造成工事がなされていなかった。


彼はその瞬間をよく理解していない。おそらく、一瞬のこと。重い何かが落下し、体が全く動かなくなった。なぜか痛みも感じなかった。

目だけをキョロキョロと動かすと、自分の動かない左手と、ひしゃげた倉庫の扉だけが見えた。


同僚がやってきて彼を見つけたのは翌朝だった。

同僚はひしゃげた扉に驚き、中をのぞいて彼と目が会った。


彼は助けてと叫ぼうとしたが、口は動かなかった。瞬きをするほどの時間彼と目を合わせていた同僚は、気まずそうに視線をそらし、扉から出ていき、間もなく5人ほどの男を連れて戻ってきた。



「こいつ生きてるの? 生きててももう無理だよな」


うんざりした顔で、まとめ役が彼の頬を棒でつつく。

彼は涙目で何かをまとめ役に訴えようとしたが、効果はない。


「どうですかね?」


『助けてください! お願い! 助けて!』


必死で叫ぼうとするが、声は出ないしピクリとも動けない。


「やめだ、やめだ、そんなことより支線もいかれてる。あっちが優先だ」


まとめ役は手を振って男たちを追い払い、こちらを振り向いた。確かに、目が合った。


「おまえさんも運が悪かったな。ま、成仏しろよ」


まとめ役は無慈悲にそう言い放ち、作業のように、淡々と薄汚れた布を彼にかけ、扉から歩き去った。

何ということだろう。ようするに、彼のことはなかったことにすると決められたのだ。

心の中で必死に助けを呼びながらも、彼の口は動くことなく、彼の目の前は絶望で真っ暗になった。


しかし、本当の恐怖が始まったのはそれからだった。


最初は気づかなかった。痛みはなかったし、おそらく熱で意識がもうろうとしていたから。

床に伸びた左手に、小さな生き物が群がっていた。ネズミだ。


ここは倉庫で、人の出入りは続いている。彼は布のすき間から出入りする靴の動きは見えるが、作業員からは布で覆われた彼の姿は見えない。見えなければ、たいていのことは忘れることができる。彼の事故も。そのためか、倉庫には意外と人の出入りがあった。

倉庫の入り口から人の足音がして、ネズミが逃げ散る。そして、彼は見てしまった。ネズミに食いあらされた左手を。

小さな黒い血だまりができ、左手の甲から先は皮ふがはがれ、まばらに薄い赤と黄色の肉が白い骨にからまっていた。手首から肘にかけては、所々食い破られ、白い蛆がうぞうぞと動いている。ざくろのように食い破られた傷を中心に、皮ふ全体は紫色に腫れ上がり、ぶんぶんとハエが集っていた。


自分が生きながらネズミに喰われていく、虫の寝床になっていく。

その恐怖は彼から正気を奪うのに十分だった。


そのうち、ネズミは彼の顔の近くにやってきた。声にならない悲鳴をあげる。ネズミは彼の頬にかみ付いた。痛みや感覚はないが、ゴリゴリと骨をこそげる咀嚼音が鼻骨に響く。皮ふの下をぞりぞりと何かが動く。

ネズミは恐怖そのもので、彼はネズミを見るたびに意識を手放した。右目も喰われたのか、いつの間にか見えなくなった。耳ももう聞こえない。


何度目かの気絶の後、もうほとんど見えない左目の焦点があった。左目に映ったのは死体だった。

先ほど、誰かが倉庫に出入りして何かを投げ入れたような振動があった。

落盤事故がどうかはわからないが、何か事故があって死んで、一時的にここに安置されたのだろう。彼と同じように布がかけられる。

しかし、きちんと梱包されているわけではない。床と布とのすき間から、隣に横たわった死体がよく見えた。

見るともなく見ていると、チチチとネズミの鳴き声がした。反射的に意識を手放そうとしたが、なぜかネズミの声は遠ざかる。

恐る恐る目を開けると、ネズミは新しい死体の方へ群がっていったようだった。瞬間、彼はその理由を理解した。


砂が敷き詰められた静かな水底にそっと石を落とした時に砂ぼこりが舞うように、彼の中で昏い思いが湧き上がる。


――あの肉の方が、新しい


――もっと死体があれば、僕は食べられない


その時の彼は、すでに正気ではなかった。自分以外の死肉の存在、彼の望みが、都市伝説の始まりだ。





俺は彼の眼窩を見つめる。

彼の体験は、普通であれば十分に正気を失わせる精神攻撃だった。

だが、俺にとっては想定内だ。ここに来る前に落盤から想起したバッドエンドの一つ。俺の胃に穴を開けそうになった想像の上から3番目のパターンだ。追体験で胃に穴が空いてしまった気がするが、この過去は俺に起こったことじゃない。なら、耐えられる。


おそらく、彼は落盤で頸椎か背骨がやられたのだろう。体は動かなくなったが致命傷ではなかった。その後、彼は死んだものと扱われ、状況から死因は感染症のようにも思われるが、そのうち死んだ。

うっすらと、彼が生きてここを出たいと願っていることも感じられたが、直接彼が俺に望んでるのは、彼のための生贄であることだ。死体になれ、と言っている?



今見た情報をもとに、生き延びるために痛む頭を働かせる。俺は道が見える限りは諦めない。


俺は今、不幸に呼び寄せられて都市伝説の中心にいる。

結局は都市伝説『首狩り魔神』の根幹は彼だ。

いろいろな尾ひれはついても、もともとの素体は貧弱な彼だ。


都市伝説は基本的な事件をもとに、うわさによって様々なバリエーションが生まれる。

実際、今俺の中にある『首狩り魔神』のイメージと彼はかけ離れている。

俺は『首狩り魔人』を直視してはいないが、先ほどの足音から大柄な体格と思われた。かつ、これまでの道行きで見てきた凄惨な死体の数々から、鈍器か何かを使うパワー型だと考えていた。パワー型の『首狩り魔神』なら、体格差でアンリが負けるかもしれないとすら思い、より絶望を感じた。

けれども、彼なら俺でも勝てそうだ。


攻略方法が用意された都市伝説は、それに則れば生還できる。

今回の場合、『首狩り魔神』を倒すことだ。この『首狩り魔神』は、基礎事実である彼から尾ひれとして派生したリアルな怪異で、厳密には過去の記憶である彼自身とは異なる。

しかし、幸か不幸か目の前には彼がいる。それならば、彼ごと都市伝説自体を店仕舞いする方法があるのではないか。

人を殺すうわさであっても、うわさである限り所詮移ろうものだ。基礎となる事実がなくなれば、都市伝説は存在できない。火のないところに煙は立たない。

とすれば、俺が『首狩り魔神』の都市伝説をひっくるめて彼を倒せば、この都市伝説を終わらせることができるかもしれない。


よし、と俺は唾を飲み込む。体はなんとか動きそうだ。

俺は基本的にアンリに頼りがちだが、それは俺に襲いかかる不幸が俺に対処しえないものであることが多いからだ。頼りきりは良くないのはわかっているし、自分で対処できることは自分で何とかするよう心がけている。


どうやって倒すかは一考の余地があるが、彼が『首狩り魔神』そのものであるとラベリングした上で倒せれば、可能性はある。

そう決意し、体を起こそうとしたその瞬間――。


彼の頭骨は、無残にも花柄サンダルに踏み抜かれた。


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