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3.首狩り魔人と線路上の死体たち

グロ注意です。

午後11時、俺は辻切センター駅の前に立つ。

辻切センター駅は5階建ての駅ビルを備えたターミナル駅で、地上路線2本と地下鉄が1本乗り入れている。

地下鉄神津線は、神津(こうづ)市の中心である神津駅と、神津市の南方向にある隣市の南石燕(みなみしえん)駅を南北で結ぶ通勤路線だ。


東矢との電話の後、俺は急いでネットで調べたところ、航空地図が見つかった。東矢の話で出た貨物路線は少し離れており、一般人が通行できない駅の北西部分に敷設されているようだ。地図から見ても、貨物路線と地下鉄が交わる地点は、おそらく駅の北西部。

侵入経路は、地下鉄神津線ホームの神津駅方面の線路に確定される。たまたま見つけた横断面図でも、ここの奥は車両基地にもつながっているようだ。


時刻は午後11時10分。

真っ黒な上下で改札口を通る。

夏に全身真っ黒というものの、思ったほどは目立たない、と思い直す。

夏だというのに薄手の黒の長袖Tに黒めのジーンズ、最近はやりの黒マスク。でもまあ、少しこじれた中高生設定なら余裕、だと思う。おどおどしながら入ると駅員に怪しまれると思い堂々と通ったが、かえって不審な目で見られた気がしなくもない。


ただし、この格好は俺の計画に不可欠だ。

俺の計画は、終電まで待つのではなく、人通りが少ないタイミングを見計らって終電前に線路内に侵入するというものだ。真っ暗な線路に潜むには黒い服が都合がいい。

アンリみたいに終電間際を待つというのも考えたが、俺の不運では点検中の駅員に補導される未来しか見えない。

俺は最後にアンリに電話をかけ、相変わらず電源が入っていないことを確認する。やはり、安全に帰宅したという可能性は低い。

俺は携帯の電源を切った。俺の不運では、いざという時に電話が鳴って駅員に補導される可能性があるからな。


11時過ぎという時刻も、最もリスクの低いものと思われた。

今日は日曜の夜で、多くの社会人にとって明日は仕事だ。駅は少しざわついてはいるけれども、多くの人が帰宅を急ぎ、周囲には注意を払っていないように思われる。加えて終電に備えて駅員が見回るにはやや早い時間帯だ。



階段を下りた先、目的の神津駅方面ホームでは電車を待っている人が何人かいた。思った通り、こちらに目をくれるような者はいない。

俺は神津駅方面の1番車両側に進む途中、アンリのLIMEにあったベンチを見つける。雑誌はないが背板の傷の位置が同じだ。さらにアンリの足取りを追い、ホームの端に目を寄せる。LIMEの写真通り、ホームには30センチ程度の染みがあった。

アンリがここから線路に入ったのは間違いないだろう。


ここが一番の難関だ。

ホームの端に監視カメラはあるが、何かない限り、リアルタイムで注視されていることは少ないと聞いたことがある。

ごくりと唾を飲み込み、俺の不運が働かないことを祈る。誰もこちらを見ていないことを確認し、ホームの端から線路に飛び込み、素早く暗がりに身をひそめる。周囲を見渡し線路内の設備の陰に隠れ、あとは暗がりで終電が通り過ぎるまで待つ。

俺はしばらく身を潜め、追ってきたり声をかける者がいないことを確認して、ほっと息をついた。


ここからは未知の領域だ。

変電設備のようなものの陰に隠れ、俺は暗い線路内から注意深くホームをのぞいた。

ホームから姿が見えないよう、ギリギリでホームの明かりが届かない場所で待機する。

真夏のためか、エアコンが効くホームより線路内のほうが随分と蒸し暑く感じられたが、真っ暗な線路内から見ると、心なしかホームは少し暖かく見えた。

光に集まる蛾ってこんな気分なのかな、と少し思う。






自分の目線より少し高いホームの上では、電車に乗り込む人々、降りて改札に向かう人々の靴が忙しなく動き、行きかう足音が聞こえる。日常だ。

一方俺の背後は真っ暗闇だ。時折、正面からやってくる電車のライトは音を立てて闇の中に消える。背後からライトとともに現れる電車は、ホームで人を乗せると遠くに走り去ってしまう。光は俺を照らさないし、近くで留まりもしない。見えるのは、光に照らされる灰色の無機質なコンクリート壁だけだった。


背後にある暗闇を意識した途端、俺は急に恐ろしくなった。

電車のこない地下鉄の線路は闇だ。黄泉平坂とはこんなところだろうか。ぽっかり空いた暗闇を見ないようにしていても、足元から震えが上がってくる。音もせず何も見えないが、何かの気配に満ちている。

あと少しだけ足を動かせばホームからの明かりに届く。しかし、誰かが暗闇から俺の足首をつかんでいるかのように一歩も動ける気がしなかった。

そのうち電車の間隔は徐々に空いていき、ホームを横切る人影は減って、そして誰もいなくなった。


……それから数分経っただろうか、突然、ジジジという音がして、非常灯を残してホームの明かりが落とされる。


一瞬の静寂。

ふいに、ザリザリとしたテレビの砂嵐のような不協和音が響き、世界が暗く塗り換えられた。足元からシャボン玉の薄い膜のようなものがふわりと浮かび上がってとっぷりと頭の上まで浸かったような、怪異に飲み込まれる感覚。何度も体験した、不幸の呼び声。


その途端、俺は理解した。全身から血の気が失せる。

ここまで、あまりにとんとん拍子に進んでいると感じていたが、それがそもそもの勘違いだった。俺の不運は十分に仕事をしている。

ここはもう、都市伝説という呪いの真っただ中だ。

今まで気にならなかったメッセージが浮かび上がる。

アンリのLIMEで見たホームの染みは血だ。あれほど赤黒くくっきり残っていたのに、なぜ気づかなかった。そして、見落としていたが、染みはホームの端からこちら側、線路の闇にぽつりぽつりと続いていた。


……ああ、こちら側のほうが、より不幸だ。ろくな未来が見えない。そんな直感が頭をよぎる。

俺の不幸は仕事をしたから、誰も線路に入る俺を見つけなかったし、誰にも止められることはなかった。ホームより、こちら側の方が圧倒的に危険で不幸。そんなごてごてとした後付けの考えが俺を雁字搦めにしていく。


思考はどんどんと悪い方向に転がる。

ここはやばい。口元に手を当て、無意識にのどから出るヒューヒューという呼吸を必死に抑える。首筋や背中の毛が逆立ち、冷やして汗が止まらない。膝が笑う。

今は真っ暗で何も見えないが、ベンチの赤黒いものは明らかに血痕で、こちらに近づくほど瑞々しかった。

すると、蒸し暑い空気の中、背後のいろいろな方向から生ものが腐ったような特徴的な臭いがただよってきた。何度か嗅いだことのある、人が死んだ臭いだ。しかも臭いの方向からも、質からも、一人や二人じゃない。

そして、背後の闇からはおぞましい多数の生き物が、ざわざわとはい出てくるような気がする。

嫌な想像と恐怖が頭の中で膨れ上がる。心臓が早鐘のように鳴っている。ここはやばい、ヤバイ、やばい。このままでは『首狩り魔人』に――



「あ、やべ」



恐怖に震える俺の背後の闇から、本当に唐突に、遠くからかすかに間抜けな声がした。

緊張感のかけらもない声で、間違いなくアンリの声に思われた。

その声に、俺は少しだけ正気を取り戻すことができた。そうすると、少しだけ臭いや嫌な感じが薄れた。


俺は突然の暗闇とその恐怖で、都市伝説に飲み込まれそうになっていたことに気づく。都市伝説の恐ろしさは、小さなきっかけから畳み掛けるように正気を奪いに来ることだ。都市伝説に飲み込まれて正気を失うと、都市伝説以外のものが認識できなくなる。正気を保たねば日常に帰れない。


ふぅ、と正気を確かめるように息をつく。一応、気をつけるようにはしてたつもりだったんだけどな。

俺はさらに気持ちを落ち着けるよう、2度3度と頭を振り、声のしたほうを見た。案の定真っ暗なままで、何も見えやしなかったが、アンナが俺に残した微かなラックが呼んでいるような気がした。




ここに留まるのはよくない。

しかし、この先は都市伝説の中心だ。闇雲に向かうのもよくないことは、先ほどのパニックで十分認識した。目を強く閉じ、震える歯を押さえつけ、極力冷静になろうと試みる。

頭を切り替えろ。これは、まだ、経験のある範囲の恐怖だ。


前提を確認する。

先ほど嗅いだのは死臭だ。しかもひどく生々しかった。都市伝説のコアではなく、その尾ひれで人が死んでいる。これは確定だ。


都市伝説のコアとなる話は、たいていの場合は極めてシンプルな過去の不幸な出来事である。過去の記録はあるが、現在の時間軸には存在しない事象だ。

だから、臭いがする気がする、とか、何か見えた気がする、ということはあっても、よほどのことがない限り、実際に生々しい臭いを嗅いだり何かをはっきり見たりはしない。

一方、都市伝説から派生する尾ひれは、都市伝説をコアとして口伝で広がった悪意のある罠だ。都市伝説のコアの実体が何であろうと、ついた恐ろし気な尾ひれは、犠牲者に起こりうる恐怖を想像させ、災厄を拡散する。


具体的な例とすれば、口裂け女。基本となる出来事は、病気や他傷などのなんらかの理由で口が裂けた女の存在。だが、ハサミを持って人を殺して回ったり、人を家に連れ帰って何かの儀式の犠牲者にしているのは、尾ひれとなった都市伝説上の口裂け女だ。救済としてのポマードも、口伝によって生じたバリエーションだろう。


俺も先ほど、家であらかじめ想定していたろくでもない死に方が次々と頭に飛来した。そういった恐怖と都市伝説が混ざり合い、有りうる存在として生成された『首狩り魔人』によって、現在進行形で人が殺されている。展開された都市伝説が終了するまで、尾ひれの被害は終わらない。


この場合の犠牲者は都市伝説に囚われて現実に殺されるわけだから、辻斬りに会えば血は出るし、落盤事故でも死体は発生する。俺の感じた生々しい死臭は都市伝説によるこれら現実の犠牲者によるものだ。そして、先ほどの臭いからも、『首狩り魔人』の尾ひれの被害者数は恐らく一人や二人のレベルじゃない。これは、俺が思っていたよりずいぶん大規模な尾ひれがついている。

『首狩り魔人』と呼ばれる都市伝説上の何かが、終電後に人を殺して回っているのは確定だ。つまり、ここにいる以上、俺も『首狩り魔神』に殺されうる。


なお、全て俺の幻覚という可能性はある。この場合は、俺は既に都市伝説に飲み込まれ、現実が認識できないということだ。自分で言うのも何だが、正気ではない以上、このパターンは考えても仕方がないな。


次に、何をするべきかの確認だ。

先ほどの間抜けな声はアンリの肉声だった。

なさけないことに俺はアンリの幸運にすがって生きているので、おそらく聞き間違えることはない。

アンリが正気であるならば強ラックも健在で、俺が生き延びるには何よりもアンリとの合流を優先する必要がある。


アンリの本質は狂戦士なので、狂った状態も正常に含まれる。アンリは都市伝説という狂った状況であっても、それを正常なものと認識できる強さを持っている。

何を言っているのかわからないとも思うが、どれだけ状況が狂っていても、アンリが日常であると認識する限り、アンリの機能は正常であり続け、都市伝説によって容易に正気(?)を失うこともない。アンリが正常に作動している限り、幸運も正常に作動している、と思う。


怪異が発生している以上、この地下鉄神津線が都市伝説の展開地であることに疑いはない。

ここだ。そしてここにこそ、この都市伝説から抜け出す方法がある。

『首狩り魔人』を退治して願いをかなえることが、今唯一考えられる脱出の方法だ。『首狩り魔人』が目の前に現れたとき、アンリであれば打ち倒せる可能性がある。

アンリに会うまで『首狩り魔人』に遭遇しないことを祈るが、これは俺の不運が働かないことを祈るしかない。




考えをまとめ、小さく息をつく。

ゆっくりと目を開けて、広がる暗闇を見つめる。よかった、多分、俺はまだ死んでない。


アンリに会った後で、また情報を整理し、『首狩り魔人』を倒して脱出する方法を考えよう。


『首狩り魔人』に遭遇せず、正気を失わないままアンリに会い、アンリが『首狩り魔人』を打倒して日常に帰ることが勝利条件だ。

はぁ、改めて、他力本願過ぎる……。俺は意図的に少しだけ肩の力を抜いた。

状況は好転していないが、筋道はすっきりした。

となれば、俺の行動は注意深くアンリを探すことだ。恐怖で暗闇に駆け出すなんて論外だ。

声の方向からも考えて、おそらくアンリはこの先の落盤事故があったとされる方角にいる。



未だ死臭は漂っているが、再び小さく息を吸って気持ちを落ち着かせる。今のところ、真っ暗闇で、音は何も聞こえず静まり返っているが、その奥からは多くの何かの存在が感じられた。

用意していたペンライトを取り出し、明かりをつける。指向性のライトは細くうっすらと俺の前方の床を照らした。


……やはりか。

指向性のライトを持ってきてよかったと心底思う。光で『首狩り魔人』に見つからないようにという選択だが、光が拡散しない分、光が当たる面積が少ない。

俺の目の前には柱にもたれた死体が浮かび上がった。尾ひれの犠牲者だ。

色合いもはやよくわからないが、所々どす黒く濁っているボロボロのワンピースと思しき布に包まれた白骨死体が細い明かりにボゥっと浮かび上がる。灰色の柱は血の跡と思われる黒い染みが付着している。『首狩り』に符合させたのか、ご丁寧に首がない。

その隣、枕木のほうに光を向けると、線路の上でバラバラに砕けた骨片や肉片が散らばり、濃い血の匂いが漂っている。


ここは死体ばかりだ。油断すると俺もこうなる。

ずしりと重い肩を動かし、さらに前方をライトで照らす。慎重に周囲を警戒しながら、鉛のような足を引きずり、北西方向、落盤事故が起こったと思しき方向に足を向ける。目につくものは闇、死体、死体、闇。向かえば向かうほど、死体は折り重なり、ひどい臭いを放っていた。死体をライトで照らすたび、都市伝説が俺の体に浸透するような感触がして、一歩が重くなる。


そして、どれほどの時間を要したか、終着点と思われる、古いひしゃげた鉄の扉の前にたどり着いた。ここが落盤事故の現場かもしれない。


赤い錆の浮いた扉の前とその先の4メートル四方の小さな部屋の中では、十数体を超える死体が折り重なっていた。古く白骨化した死体、まだ生々しく血が未だ流れ出しているように見える死体、いろいろだがどちらを向いても死体ばかり、凝固した血と腐った肉と乾いた骨にまみれている。幸いというか、多くはうつぶせで、生々しい死体にはこれまで見た多くの死体と同じく、陥没したりつぶれている部位が多いようだった。

ここまでくると、まるでマネキンのようでひどく現実感がなくなってきた。俺の鼻や感覚は麻痺してきたし、正気を失いかけているのかもしれない。


そう思った時、ホームのほうからジャリ、ジャリ、という足音が聞こえてきた。とうとう『首狩り魔人』に追いつかれた。俺は恐怖に身をすくむ。ゆっくりと、一歩ずつ重いものを担いで足を踏みしめるような音。音の重さからは、ある程度の体格を想起させた。女性であるアンリではありえないその重い足音は、俺よりはるかに強靭な体躯を思い起こさせた。これまでアンリの勝利を疑っていなかったが、小柄なアンリが勝てるだろうか。そんな不安が初めてよぎる。俺の意識の中で都市伝説の存在感が増している。額の傷がズキズキと痛む。順調に正気を失いかけている合図だ。


急いで扉の内側に逃げ込み、その影に隠れる。アンリと会うまでに正気を失うわけにはいかないが、このままでは『首狩り魔人』に殺される。


一縷の望みをかけよう。俺は半分正気を失いながらも、意を決して『首狩り魔人』より大きい恐怖に飛び込んだ。

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