白豚令息「俺の身体が目当てなんでしょう?」
前作のハムさま視点です。
お付き合いいただけると嬉しいです。
☆☆☆
俺の名前はハムレット・ボンレス。
かの有名な戯曲と同じ名前であることよりも、残念すぎる名字を持って生まれてしまったことのほうが優ってしまう、辺境伯子息だ。
先祖代々、国家防衛の職務をこの丸々とした身体と共に継承してきた。
俺は、俺自身が、いわゆる『罰ゲーム枠』のモブ令息であると知っていた。
俺に、前世の記憶があったからだ。
前世の俺は大学生だった。
オタク趣味ではあったが、身体を動かすことも好きで、中高は柔道をしていたし、大学では空手サークルにも入っていた。
年齢イコール彼女いない歴の非モテチェリーボーイだったが、大学生になったら彼女が出来ると信じて入学し、三年経っても出会いがなかった、21歳。
そろそろ就活でも頑張るか、と腰を上げ始めた頃、交通事故に遭い、死んだ…のだと思われる。最後の記憶は、迫り来る4tトラックだ。
そんな俺はどんな奇跡か転生を果たした。それもこの前世の記憶というおまけつき。
そしてその前世にて、俺は『とあるゲーム』をやっていた。
『ときめきのドルチェ~初めての恋~』というベタベタの乙女ゲーム。略してときドル。
どうして男の俺がそんなものを、と言われても仕方がないが、その当時、かなりの話題性があり、サブカル系なら一度は通ったゲームと言っても過言ではなかったのだ。
タイトルのドルチェはヒロインが甘味で攻略対象の心を掴んでいくストーリーに掛かっている。
ヒロインはとある伯爵の隠し子。14歳まで市井で平民として生きてきたが、15歳の誕生日を迎えた日、父親の使いによって、自らが特権階級の貴族であることを知る。
そして付け焼き刃の令嬢教育を施されて、貴族の子供達が通う『王立スウィーティア学園』に入学するのだ。
そしてそこが、物語のスタートになる。
ヒロインは貴族社会に馴染めず、高飛車な公爵令嬢に虐められて辛い日々を送るが、得意なお菓子を作り、食べることで、自らを奮い立たせ、少しずつ友人関係を構築していく。
そして定番だが、その友人たちが、攻略対象となる男たちだ。
ゲームの内容は、複数人の男の中から、一人を選び、攻略していくというものだ。
最終的に結婚まで出来ればハッピーエンド。
途中で攻略に失敗して振られればバッドエンド。
攻略対象の家族を落としきれずに婚約者ではなく妾となるトゥルーエンド。
このトゥルーエンドは評判最悪だった。なんでそんなものを用意したとネット上で論争が起こり、その結果、俺のように興味本位で買ってしまうライトユーザーが続出した。
ある意味、商品戦略は成功していたと言えるだろう。
攻略対象たちは基本は六人で、全員攻略するとシークレットキャラクターが出てくる仕様。
王子(王道美形)、騎士団長の息子(真面目)、宰相子息、教師(腹黒)、辺境伯子息(男前)、侯爵子息(儚げ美人)等々、相当なバリエーションのイケメンが揃っており、彼らの攻略はかなり難しかった。
なにせ、うっかりするとトゥルーエンドに行く。
ちょっと仲良くしたら、こいつらはヒロインを妾にしようとしてくる。
そして、そんな物語のスパイスとも言えるのが、悪役令嬢『アヴェレッタ・スカーレット』だ。
アヴェレッタは平民出身のヒロインを「礼儀を落としてきたお猿さん」と呼び、ヒロインが失敗する度に嫌味を浴びせ、突き回してくる。
しかし、この悪役令嬢、言い方と演出に問題はあれど、そこまで悪い子でもない。
攻略中は最後までどのエンディングに入るかは分からないので、彼女の嫌味が実のところ『忠告』であり、「あなた程度の令嬢を夫人に望む人なんてそういないわ」という発言が、トゥルーエンドに入るとその通りとしか思えなくなるのである。
それ故に、この手のゲームにありがちな断罪イベントも存在しない。
それでもアヴェレッタが悪役令嬢と呼ばれるのは、トゥルーエンドとバッドエンドの場合、それぞれの攻略対象と結婚するのは彼女だからだ。
その出自や容姿、スペックを鑑みても、順当にいけば彼女はヒロインより魅力的で、第一夫人として相応しいと判断され、攻略対象は彼女を妻に選ぶのだ。
しかし唯一ハッピーエンドにて、アヴェレッタは攻略対象でも何でもないブサメンのお嫁さんになる。
そのブサメンこそが、この俺『ハムレット・ボンレス』というわけである。
この事実に気づいたとき、俺はあまりのことに気絶した。
意識を取り戻してから鏡を見つめ、現実を嫌という程認識した。
どうやら俺は、流行りの異世界転生をしてしまったらしい、と。
それからどうしていくべきか、俺は非常に悩んだ。
というのも、俺はもしこの世界がときドルの世界と同じルートを辿るなら、三分の一の確率で超絶美人のお嫁さんを娶る運命にあるのだ。
これはこれで嬉しいが…正直なところ、俺はヒロインは攻略に失敗したほうがいろんな人が幸せになれるのではないかと思っているから、微妙なところだ。
トゥルーエンドは論外だが、ハッピーエンドでは結婚後に慣れない貴族社会で更に慣れない貴族の奥方を務めることになるし、ルートによっては王太子妃だ。とんでもないことだろう。
侯爵以上の家柄なんて上手くやらないと邸の中だけで泥沼の人間関係が出来上がってしまう。
辺境伯はかなり逞しくないと生きていけない。そのくせ王都に呼ばれればそれなりの社交もこなさなくてはならないのだ。余計に旨味がない。
彼女の感性が正しく平民のままであるならば、もっと面倒のない相手を選んだ方が絶対に良い。
伯爵以下の家柄の子息と結婚する方が良い。
だから必然的に、アヴェレッタは攻略対象の誰かと一緒になるほうが、丸く収まる。
そう、思っていた。
思って…いたのだが。
「ハム様、ごきげんよう!」
「あの…何度も言うようだけど、ハム様って、やめてもらっても?」
「あら、どうして?」
「苗字がボンレスな上に、この体型では…本当にハムになってしまうじゃないですか」
「あら、気にしていたのね…大丈夫、ハムさまと私は出荷前にお会いできたのだし、貴方は私以外食べられることはないわ」
「食品なのを否定して欲しかった!」
「食品、無機物よりずっと素敵で良いですわよ」
「何と比較されているんだ……」
おほほほほ、と優雅に笑う。
このご令嬢こそが、ときドルの悪役令嬢、アヴェレッタ・スカーレットだ。
ヒロインをあらゆる面でボコボコにする、高潔で誇り高く、傲慢で、ある意味面倒見が良く、だからこそ多くのプレイヤーに愛された悪役令嬢。
俺も、ときドルをしている間、彼女のことはかなり好きだったけれど…今、あの頃の気持ちははるか彼方、遠くの方に飛んでいる。
「はあ…このふかふかのお腹…むちむちの腕…堪りませんわ……」
アヴェレッタが恍惚とした表情で見つめるのは、この丸く肥えた子豚…から大人になった豚ボディ。
婚約期間の男女であっても、過度な接触はよろしくない。それをきちんと骨の髄まで叩き込まれているから触れることはしないが、麗しの令嬢とは程遠い、緩みまくった顔をしている。
この醜く肥えた体にうっとりとしている、色気たっぷりの美少女令嬢。
どんなバグが起こったのか、ときドルのサブヒロインとでも言うべき麗しの悪役令嬢アヴェレッタ・スカーレットは、この世界でデブ専となっていたのである。
八才のとき、俺は王太子殿下の誕生祝いの茶会の席で、アヴェレッタと出会い───かなり強引に迫られて、婚約者となった。
普通、逆じゃないかって?俺もそう思う。
俺、自分でいうのもアレだけど、かなり豚だよ?
しかも遺伝子によるものだからってダイエットをまるっと諦めてきた、生粋の豚だよ?
それなのに…妖精の女王さまみたいな女の子は、俺のことが好きだと言った。
「そのまるっとしたお身体、可愛らしいふわふわのお顔!本当に大好きです!」と。
俺が出会ったアヴェレッタ嬢は、かなりの特殊性癖の持ち主だったのだ。
「羨ましい」
「どこが」
「こんな美人にスリスリされてさあ…」
幼馴染のマークは俺と同い年の、東方の辺境子息だ。十四にして男前という形容詞がぴったり似合うワイルド系イケメン。剣の腕もかなりのもので、幼馴染でなければ俺とは一生関わり合いにならないだろう男だ。
そのマークを全く視界に入れることなく、美人の公爵令嬢は、婚約者の俺を突いて遊んでいる。
ちなみにここはボンレス家のタウンハウスの庭園。もうすぐ王都にある王立学園に入学するので、一足先にやってきたところだった。
そしてそれをどこからか聞きつけてきたアヴェレッタとマークが、アポ無しで遊びにきたのである。
「はあ…ハムさまはどこを見ても素敵ですわね…」
「羨ましい通り越して殺意湧いてきたわ」
「ぶ、物騒なことを言うな…」
マークの言葉に、こちらとしてはそんなに良いものではないと主張したい。
アヴェレッタには聞こえないように、ひそひそと返す。
「マーク…俺はこの体型が崩れたら、お払い箱なんだぞ」
「いいじゃねえかそのままのお前を受け入れてもらえて。この上こんな美少女に中身まで好きになってもらおうだなんて、贅沢すぎるだろ」
「それはそうだけど………いや、でもやっぱり、駄目だと思う」
この世界ではそこまで言われていないが、肥満は万病の元だと、俺は知っている。
このままでは早死にしてしまう。
曽祖父も祖父も五十半ばで倒れたのだ。父はまだ三十代と若いが、油断はできない。
ましてや彼女は、俺にここぞとばかりに美味しい食べ物を餌付けしてくるのである。
もっと肥えろ、と言わんばかりに。
いくら美人の婚約者が笑顔で「あーん」をしてくれるとは言え、若くして死にたくはない。
前世のこともあるし、辺境伯子息として、国土を守っていく仕事もある。
それに、自分が早死にしてしまったらアヴェレッタは…。
「ほら、ハムさま」
「いや、もうお腹いっぱいで…」
「じゃあ、これだけ…」
彼女が白い指先が摘んだのは、砂糖を加工した塊だ。いくら見た目が宝石のように美しくても、その指先に触れただけで極上の味わいが付加されるとしても、もう、これ以上は…。
「はい、お口を開けてくださいな?」
ぴとり、と唇に押し当てられては、どうしようもなかった。
「俺のこと、無視してるよな?ここ二人きりじゃないからな?!!」
ごめん、マーク。
それから飴玉を食べ終わるまで、俺はアヴェレッタに気持ち膨らんだほっぺを突かれ続けた。
一通り気が済んだのか、ご満悦のアヴェレッタ嬢。
「ハミーは俺より強い上にアヴェレッタ嬢に溺愛されてるのか」
「それは体術込みだからだ」
この体は貴族令息の必須科目である剣術はあまり得意ではないが、前世で嗜んでいた柔道や空手に人並み以上の才能を発揮した。
要するに、こんなワガママボディであっても、俺は動けるデブなのである。
まあ、アヴェレッタ嬢は俺が運動できても出来なくても良いようだが。
「いいじゃん、素直になれよ。お前だってベタ惚れじゃん」
「それは…」
……アヴェレッタ嬢のことは、嫌いではない。
そもそも、前世でゲームをプレイしていた時から、可愛い子だと思っていたのだ。今世では絶対に言えないし手にも入らないが薄い本を買ったこともあるし。
その性格がゲームと多少違っていても、こんな俺にデレデレしてくれる女の子を、可愛いと思わないはずがないし、ましてや俺みたいな前世童貞野郎が好きにならないわけがない。
それに。
初めて会った、あのお茶会の日。
俺が逃げたせいで、一緒に走りだしてしまったアヴェレッタ嬢。
そんな彼女に罪悪感から手を伸ばしてしまって、俺は、失敗した、と思ったのだ。
『…どうして、来てくれたの?』
だって、あんな純真で真っ直ぐな目を、俺は知らなかった。
彼女は、俺に助けてもらえるなんて思っていなかった。
同年代の子供達のように、手を差し出してもらうのが当たり前だなんて、思っていなかった。
折れたヒールで立ち上がろうとする姿は、ゲームの中の彼女とも、俺が今まで出会ってきた誰とも違っていて。
『もう、あんなこと、しないでくださいね』
『……じゃあ、もう、逃げないでいてくださる?』
自信の無い、か細い声と腕が、ぎゅっと俺に抱きついていた。
本来ならば、公爵令嬢の問いかけに走って逃げるなんて暴挙、許されるはずもなかった。
それなのに、アヴェレッタはまるで、自分が悪かったかのように、不安そうに俺の耳元で言ったのだ。
『私のこと…嫌いにならないでくださる…?』
この時きっと、俺は彼女に捕まってしまった。
……だから、婚約が決まった翌日に彼女の父兄に襲われても返り討ちにしてしまったし、学園入学を控えた14歳の今に至るまで、婚約を続けてしまっている。
複雑な気持ちではあるけれど。
彼女は俺の体目当てだと分かっているけれど。
本当のところは、マークになんと言っていたって、俺も、このままアヴェレッタと結婚したいと思っている。
でも、そうなると、どうなるのか、という心配はあるには…ある。
「…これ、誰ルートになってもイージーだけど、絶対幸せにはなれないよな…」
ときドルのヒロインは、アヴェレッタに厳しくしごかれたこともあって、攻略対象とも出会えたし、自らを磨いていくことができた。
でも、今俺の横でニコニコしているアヴェレッタ嬢は、社交の場で適当に繕うことはしても、日常で誰かを気にかける、ということを基本的にしない。
多分、わざわざヒロインに忠告という名の嫌味を言うこともないだろうし、攻略対象達に近づくこともない。
強いて言うなら俺より丸くて太った男には心惹かれるかもしれないが。
「は?何言ってんだ、お前」
俺の独り言を拾ってしまったマークが怪訝に眉を顰めた。
貴族として壊滅的なまでに腹芸が出来ない奴だが、悪い奴ではないのだ。
だからこそ、俺は…。
「…いや、何でもない」
アヴェレッタと婚約する前は、男前枠の攻略対象のマークを、悪役令嬢アヴェレッタが支えてくれたら、なんて思っていたのだけれど…どうも、できそうにない。
こんな豚みたいな見た目で、彼女にろくろく好意を返したこともないのに、独占欲だけは持っているのだから、どうしようもない。
「…ところでハムさま、結婚式はいつ挙げますか?」
「んんん?!」
「ぶほっ」
唐突なアヴェレッタの発言に俺は奇声を発し、マークは紅茶を吹く。
「いや…いやそんな、まだ気が早いっていうか…」
「学園に入学したら、一年生には成人を迎えますでしょう?私としてはハムさまのお誕生日を迎えたらすぐにでも嫁ぎたいのですが…」
金髪紅眼の美少女が、ぷるりとした赤い唇を蠱惑的に持ち上げて、俺の体にしな垂れかかる。
ふにゅ、と柔らかい何かが当たる。
何か…その何かを認識してはいけない。
十四の少年にはまだ早い領域だ。
意識を外せ。
前世の二十一年分の経験を思い出せ。素数を数えるんだ。
1、2…あれ、1って素数だっけか。
「いやーでも、それは気が早いんじゃないか?」
動揺しきった俺に気づいたマークが、間を埋めるように言った。
俺もそう思う、と意思を示すようにこくこく頷けば、アヴェレッタは拗ねたように唇を尖らせた。
「だって…早くしないと、ハムさまを他の方にとられてしまうわ」
「「いや、それは無い」」
身体目当ての婚約と分かっているけれど、俺はアヴェレッタのことが好きだ。
俺が先に死んだら、きっとアヴェレッタは他の男にとられてしまうだろうから、デブでもなるべく長生きできるように、頑張らなければ。
その前に、学園生活………頑張ろう。
学園入学後、王太子殿下に執拗に絡まれたり、ヒロインらしき女の子が色んな男にちょっかいだして(ハーレムルート狙いで)学園を出禁になったりしましたが、アヴェレッタはその裏事情をしりません。
結婚後に、意外と身体以外も求められていたことを知ってようやく、ハムさまはダイエットを解禁し、アヴェレッタをアビーと呼べるようになりました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。