水09 百聞は一見にしかず、百見は一触にしかず
聖水を回復ポーションとして売る。その値決めのために、市場調査をする。
冒険者3人組に案内してもらって、街へ行こう。ポーションを売る店を冷やかして値段を確認すれば、聖水の値決めの参考になるだろう。
というわけで、冒険者3人組に案内してもらって、片道1週間かけて街へ行くことにした。飛んでいけば早いが、歩いて行くことにも意味があるかもしれない。海岸を目指したときもそうだった。道中で彼らの話を聞くだけでも収穫になるだろう。今の俺は、それほどこの世界に疎い。
街の場所が分からないのもそうだし、国の名前も、近隣国との関係も知らない。ひょっとすると戦国時代みたいな状況で、近々戦争が始まるなんて事になっているかもしれない。それに人々の生活はどうなっているのか。毎日定時に祈るような習慣があるのか、あるいは日本人みたいに無宗教的なのか。サムズアップはどういう意味になるのか。
知らずにタブーを犯すことになりかねない。そこが一番怖いところだ。意図せず無駄にトラブルを起こしてしまう。サムズアップも、日本や英語圏では肯定的な意味を持つが、中東などでは「侮蔑の表現」になるし、アジアの一部の国などではわいせつな表現になる。
「なるほど……そう考えると怖いですね。」
「私たちの当たり前が、シュースイさんには当たり前じゃないんだね。」
「我々も国を出たことはありませんからね。文化の違いというのは理解できないものがあります。」
冒険者3人組も、俺に何を教えればいいのか分からない様子だ。
こうなると困ってしまう。彼らが十分に教えたつもりになっても、十分に網羅できているとは限らない。いざ俺1人で動いたら教わっていないことでトラブルが起きるかもしれない。
「あの……不躾なお願いですが、しばらく一緒に行動してもいいでしょうか?」
結局の所、ある程度の期間、実際に体験してみるしかない。説明を受けずに体験するというのは、遠回りをするようだが、実際には効率的だ。まして説明を受けながら体験するなら、それが一番早い。聞いただけでは忘れてしまうという事もあるだろうが、体験したことは忘れにくい。百聞は一見にしかず、百見は一触にしかず、というわけだ。
「僕らと一緒に、ですか?」
「いいかも! シュースイさん、強いし!」
「ですが冒険者をやる、という事になりますよ? 街中での生活よりも、外に出て活動するのがメインになりますが。」
兄ジェフと幼馴染ヨハンは戸惑い、妹リラは賛成した。リラだけ俺の魔法を見ているからなぁ。しかしジェフとヨハンの反応は「俺の望みを優先するのが難しい」という誠実なものだ。嬉しい気遣いである。彼らの爪の垢を煎じて、赤木や風間に飲ませてやりたい。
そういう視点で言えば、リラの反応は「俺を利用しようとしている」と言える。だが不快ではない。リラのそれは「利用しよう」ではなく「頼りになる」という反応だからだ。正当な報酬を受け取って労働を提供するのなら、俺は何の問題もないと思う。恐喝や所持品の破壊……あいつらとは全然違う。
「構いませんよ。
こういう場合に一番重要なことは、情報の密度や正確さではなく『相手を信用できるか』という事です。
俺は、あなたたちなら信用できると思いました。あまり街に居ないとか、もしかしたら間違っているかもしれないとか、そんなのはどうでもいいんです。『あなたたちから受け取った情報は信用できる』と俺が決めましたから。間違っていても、それは『俺の責任』です。その間違いには『納得』できる。そこに『理不尽』がない。それが一番重要なのです。」
納得して手に入れた情報だからこそ、役に立つ経験として蓄積する。理不尽に晒されて得た情報は、腹立たしい記憶として、あまり関わらないように行動してしまう。思い出したくないからだ。つまり役に立たないように生活してしまうのだ。それではせっかく情報を得てももったいない。
「では、冒険者ギルドへ登録しに行きましょう。」
「登録すれば仕事を受けられるし、そしたらお金も貰えるからね。」
「そういえば、ベッドを買うお金を稼ぐのも目的でしたね。」
聖水を売る以外に収入源を得られるなら、素晴らしいことだ。1つがダメになっても他がある。特に投資の世界でよく言われることだが、リスクマネジメントの基本だ。1つの銘柄が下落しても、他の銘柄が上がっていればトントンになる。
介護士の両親いわく、多趣味のほうがボケにくい。仕事ばかりで無趣味の人は、定年退職すると急に老け込むという。1つのスポーツだけに打ち込んでいた人は、体が不自由になると急にボケるらしい。スポーツで体も使い、ゲームで頭も使い、ペットで心を使う、そういう多趣味な人は、1つがダメになっても他の支えが残っているからボケにくいそうだ。
高齢者ばかりではない。若者だって、何らかの事情で自宅から出られなくなったら、室内でできる趣味を持っていないとストレスがたまるだろう。逆にネットサーフィンやゲームしか趣味がないという人は、それらの機器が故障したとたんに強いストレスを感じる。狭いところへ閉じ込められて手足の1本も自由に動かせないような猛烈なストレスだ。そのストレスの強さたるや、「発狂しそう」という表現がピッタリくる。だが、もし両方の趣味を持っていたら、片方がダメならもう片方をやればいい。ほとんどストレスを感じない。
すべては教訓である。人間万事、リスクは分散したほうがいい。
翻って、俺も冒険者3人組と一緒に行動することで、常識外れの行動をしてしまった時の保険が利く。世情に疎い奴だから、と彼らが庇ってくれるだろう。単独行動では守ってくれる人もいなくなる。これもリスクの分散だ。同時に、やらかした時にはどうすればいいか、という学びにもなる。おそらく1年ぐらいだろう。これからの体験は、まさに黄金の体験になるはずだ。