Episode:06
「うあっ……」
鞭を振るう音が響く。
壁に手をついて尻を高くあげたノヴァがくぐもった声で呻き、顔を真っ赤にしている。
たまに顔を覗き込めば、真っ赤な顔を隠すように視線をそらすのだ。
その顔はまるで――
「……え、これ本当に大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。喜んでるじゃん」
アハハと笑うヨシュルダと、気持ち悪いと言わんばかりの表情を浮かべるテオ。お前だってさっきこんなだったんだぞと思いながら睨みつければ、その視線の意図に気づいたのだろう。黙って目をそらした。
しかし――このまま続けても良いものか悩むが、当の本人は全く否定の言葉を吐かないのでいいのかもしれない。
……いや、いいのか?
「……あの、もうやめますか?」
「……も、もう少し……」
あ、いいんだ。いいのか。
いやいや駄目だ。私が駄目だ。
「もう、やめますね……」
ボソっとそう言うと、ノヴァさんはものすごい勢いでこちらを向いた。
「あなたはっ……私を弄ぶつもりですか……!! 自分が満足したらそれでいいのか! まさかこんな鬼畜が……えっ、もしや奴隷にも同じことをやっているのではないでしょうね……!?」
何を言っているんだこいつ。
「すみません、ちょっとよくわからないのですが」
「あなたの奴隷にも、あなたが満足すればそれでいいような態度をとっているのではないかと言っているのです!」
驚いた。
この国は奴隷は奴隷としてしか扱われていないような印象があったのに、この男は違うらしい。
それにこの人は否定も肯定もしなかったが貴族のはず。
それがまるで、これでは奴隷を気にかけているようじゃないか。
「…………」
「……あ、いや、なんでもありません。この奴隷はあなたのでしたね。あなたの奴隷の扱い方は一般的だ」
やや気まずげに顔をそらす。
恐らく納得はいっていない。しかし自分の考え方がこの国では異端であることは自覚している。
そんな表情だろうか。
「……うん、いいね、凄くいい!!」
「は?」
「ノヴァさん凄く奴隷思いでいいですよ! いや~、そんなノヴァさんを見込んでご相談があるのですが」
「ば、ばっ、馬鹿を言うな! どどど、どれ、奴隷になんか優しくする必要なんかないだろうが……!!」
「いやいや、いいですよそんな取り繕わなくて。ここにいる人達はみんなあなたの味方なんですもの」
そういった瞬間、ノヴァさんが目を見開く。
「みか、た……?」
「そう。何を隠そうこの私、この国の獣人の扱いに不満があって奴隷解放を目指しているんです」
息を呑むノヴァさんを見て、いけると思った。
「しかし……そんなことは……」
「そう、そんなことはできない。普通であればね」
「普通であれば……? どういうことですか」
「私にはお金があるんです。でもしがらみはない。何せ最近引っ越してきましたからね」
まあ、世界から世界というとんでもない引っ越しをしてしまったのだけど、そこは言わなくていいだろう。
「だから今、市場にいる奴隷を私が全部買い取って、既に買われた人たちも交渉して買い取って、全員を元の場所に戻すんです。そうしたらたとえ白い目で見られたとしても、また引っ越せばいいんだもの」
「いや、それでは根本的な解決にならない。獣人は――その、言い方は悪いが頭が悪い」
チラッとテオの反応を伺うような視線を向ける。
テオはニッと口角を上げ、ゆるく首を振った。
「かまわねぇよ。事実だ」
「……つまり、また全員いろいろと言いくるめられて捕まるかもしれないのです」
「そう、そこは私も気になっていました。そこでこのテオです」
「俺……?」
自分を指さして目を見開くテオ。
全員の視線が集中し、やや気まずげに耳と尾と眉を下げた。
「テオはこう見えて近衛騎士長。彼を足がかりに王族へ働きかけ、獣人を教育します」
「はあ!? 俺がかよ! 近衛騎士長だがそんな簡単に――」
「上手に行ったらご褒美をあげるわ」
ぷらぷらと揺らすバラ鞭。
それを見て顔を赤くし、喉の奥で唸った。
「……絶対だぞ」
「任せておいて!」
嬉しそうに笑うと、テオは自分に苛立ったような声を上げて頭をかき混ぜる。
「くそっ……呪いのやつ……」
まあ、奴隷を開放したらこのドM基質とかいう呪いもすぐに消えるんだろうな。
テオは馬鹿だから気づいていないかもしれないけど。上手く乗せれば動いてくれるんだから良いか。
テオの奴隷解放はやることをやってからにしよう。
「実に素晴らしい」
ノヴァの方を見れば、目に涙をためてキラキラした目を私に向けている。
「ぜひそれを私にも手伝わせていただけないでしょうか、ご主人様」
「なんて?」
「確かに私は貴族です。貴族の奴隷を買い取るならば、私もそのお手伝いができるはず。むしろ私がいた方がやりやすいでしょう。ですから、ぜひ私にもその素晴らしい活動を手伝わせて――」
「いやいや、そっちじゃなくて」
あれ、私、呪いをかけただろうか。
いや特に何もこの人からは取っていない。それにそもそもこの人は奴隷ではないので、何かを取ったとて奴隷になることはないだろう。
「良かったじゃん、カンナ女王様」
「やめて」
どこのヤンキーだと言いたいくらい嫌な笑みを浮かべるヨシュルダ。
「で、ですから……その、上手くできた暁には……」
「暁には……?」
「ぜひ、私にもご褒美をください」
期待した目でチラチラと鞭を見るな。
「取り敢えず……パンツ履いてもらえますかね……」
「かしこまりました」
いや、まあ、確かに貴族へのつてがないので、これはとても助かる。
しかし私の本能がこいつを仲間に引き入れてもいいのかと言っている。
「では私のことはノヴァと呼び捨てにしてください」
「ええ~、流石にそういうわけにはいかないんじゃ」
「その方が興奮するんだよ、カンナ女王様」
「ぐっ……」
そうなんだ。
本当にレベルが高いなこの男。
「あ~、つまりなんだ。この四人で“獣人奴隷解放軍”結成ってことでいいのか?」
今まで空気みたいになっていたテオがまとめると、ノヴァは一つ頷いて腕を組む。
ベルトはまだ外れたままだし、上着を脱いだ下にあるワイシャツもだらしなくボタンが開けられているが、それでも仕事モードのようなキリッとした顔をしているのだから凄い。
こいつ、さっきまで私に尻を鞭で打たれて顔を真っ赤にしていたというのに。
「カンナ女王様、先程奴隷をまとめて買い上げるようなお話をされていましたが、若い娘が大金を動かすには目立ちすぎます。そこで提案なのですが――」
もう私の呼び名はカンナ女王様で決定なんだ。
そっちの方が気になって真面目な話が全く頭に入ってこないが仕方がない。
「もしお金に余裕があるようでしたら、奴隷商を装ってはいかがでしょうか?」
「奴隷商を装う?」
「はい。とある高貴なお方に奴隷をたくさん届けるために旅をしていたが、旅の途中で強盗に襲われて奴隷を全員死なせてしまったことにするのです」
なるほど。
そこでこの国に立ち寄り奴隷を補充したいということか。
「でも、私が奴隷商って無理がないかな?」
「そこでこの妖精族を使います」
「は? 僕?」
ノヴァは止めていた着替えの手を進めながら、私の方をチラッと見る。
流し目がとんでもない色気を放っているが気にしないようにしよう。本当に顔がいいやつはこれだから困る。
「妖精族は悪戯好きが多い。それ故に、貴族とつながりがある者も多いのです」
「僕はずっと一人でいたからつながりなんてないけど」
「ですが多くの妖精族はそうであることが多い。つまりその常識を利用するのですよ。貴族とつながりがあるあなたが奴隷商をやっているのは、全くおかしい話ではないですから」
「なるほどね、獣人の奴隷がほしいっていうのに一芝居うつなら、確かにヨシュルダが適当かも。お願いできる?」
ヨシュルダの方を見てそう言えば、口の中でモゴモゴと何かを言ったあとに頭をかき混ぜた。
「ったく……ご褒美ちゃんと頂戴よね」
「うんうん、わかってる!」
良かった。これでなんとかうまくいきそうだ。
みんなが言うご褒美ってやっぱりあのことだよねとか細かいことはあとで考えるとして、一歩前進といったところだろうか。
やはり現地の貴族の助けが得られるのはでかいし、私にはないつてがあるというのは強い。
「ノヴァ、あなた本当に良いときに来たわね。頼りにしてる」
笑いかけながらポンと二の腕を叩いた。
「ぐっ……!!」
すると途端に胸を抑えてよろけるノヴァ。
「えっ、何、大丈夫?」
「やめろ褒めながら……笑いかけて触るな! 顔を覗き込むな……!!」
顔を両手で覆ったノヴァは、消え入るような声で「惚れるだろうが」とつぶやいたのだった。