Episode:05
「あれ、お客さんかな? どちら様ですかー?」
私がこの世界に来てから一週間が経っていた。
その間に外に出たのは買い物に行ったくらいで、知り合いもいないのでここに訪ねてくるような人もいない。
それなのに玄関のチャイムがなったものだから反射的に返事をしたけど、渋い顔をしているテオを見てから「お前の国より遥かに治安が悪いんだから気をつけろよ」と言われていたのを思い出して後悔した。
「居留守する……?」
ドアをゴンゴン叩く来訪者。
玄関扉を指差しながら情けない顔でそう言えば、テオはひとつため息をついてついてきてくれた。
「……今更無理だろう。行くぞ」
「ありがとう……い、今出ますー……!」
恐る恐る扉を開ければ、そこに立っていたのは色気爆発の長身の男だった。
長髪の赤毛にアンバーの瞳。眉と目は釣り上がり、口はキュッと結ばれている。耳が長いから、この人も妖精だろうか?
軍服を着ておりガタイは良いが、外を走り回るような軍人というよりは内勤の人のようだ。そしてその予想は外れていなかったようで……
「朝から申し訳ありません。私は奴隷管理課から派遣されましたノヴァと申します。こちらはミヤノ様のお住まいでよろしいですか?」
「はい、そうですが」
国の機関から来た人かと安心していくらか開けた扉をさらに開ける。
「こちらに管理外の奴隷がいるようだと通報があり、確認に参りました。最近引越して来られたようですが、申請書は出しておられるでしょうか?」
「えっ」
そう言われると自信がない。
奴隷と生活するのには何か届け出が必要だったのかな? あの男の子から貰った書類だけでは駄目だったのだろうか。
そういった面倒なことは全部やっておいてほしかったんだけど……
「カン……じゃなくてご主人様、これを」
後ろから伸びてきた手はヨシュルダのもので、手にはこの家の権利書。
ああ、そうかこれを見せれば良いのかと思い、その書類をそのままノヴァと名乗った男の人に渡した。
「これ、権利書の写しです。一応提出はしたのですが……知人に家を格安で譲っていただいて、使用人もつけるからと言われています」
受け取った書類を一通り眺めた後、ノヴァさんはひとつ頷くと私に書類を返してくれた。
「確かに、届け出は出ているようですね。恐らくは通報者の勘違いでしょう。お騒がせしました」
「いえいえ、とんでもないです。ちゃんと届け出が出ていたようで良かったです」
「ですが」
まだなにかあるのか。
「届け出が出ているのは、そちらの獣人の方だけのようですね」
「え!?」
「そこの妖精は犯罪奴隷のようですが、届け出は出しておられますか?」
まずい、それはわからないぞ。
どう返答したものかと迷っていると、ヨシュルダは一歩前に進み出て薄っすら笑顔を浮かべた。
「奴隷が口をきくことをお許しください。私の届け出に関しましては、以前の主が出しているはずです。私は当初この家のオプションではなく、ついででつけられたものなので。犯罪奴隷は書類審査に時間がかかると聞いていますので、現在は処理中ではないでしょうか?」
そう言うと、ノヴァさんは片眉を器用にあげた。
「なるほど、確認いたします。しかし確認には一度戻らないといけませんので、ここで簡易審査を行ってもよろしいでしょうか?」
「簡易審査?」
「ええ、疑っているようで恐縮ですが、こちらも逃げられては困りますから」
簡易審査――初めて聞く言葉に首を傾げると、ノヴァさんはひとつ頷いて腰につけたバラ鞭を私に手渡した。
思わず受け取ってしまったが、これはどうしたらいいんだ。
「これで、この奴隷を五十回ほど打ってください。今すぐ」
この人、何を言い出したんだろう。
「ヨシュ――」
心配になってヨシュルダの方を見れば、今にも涎を垂らさんばかりに興奮した表情を浮かべる妖精がいた。
思わず私の顔がゆがむ。
「…………」
「さあ、どうぞご主人様。僕のことぶってくれるんでしょう? いいよ」
嬉々として壁に手をついて尻をあげる男を前にして目眩がした。
「待って待って。おかしいでしょう。それに五十回って。せめて一回じゃ駄目なんですか」
「一回では耐えきってしまいますので。ああ、それから下履きは全て脱いでください。直接鞭があたるようにしないと意味がありませんから。本当の奴隷であれば喜んで打たれることでしょう」
待って待って。
「はい、もちろん!」
いやいやいや、展開が大人すぎる。無理だ。
「え、いや、あの……いやいや脱ぐな脱ぐな!!」
なんのためらいもなくポンポンと服を脱ぎだしたヨシュルダの手をつむと、手をつかまれた当の本人は凄く不満そうな表情を浮かべた。
「やめてその顔」
「ええ~! 僕はいつでも準備ができているのに」
パンツ一枚で何を言っているんだろう。
そもそも上は別に脱げとは言われていない。
「申し訳ないが私も仕事中なので、早めに終わらせていただきたい」
「いや、他に方法ないんですか」
「ありません」
にべもなく。
「でも人前でこんな事……」
そう言った瞬間のことだった。
ノヴァさんはゴミを見るような目で私を見ると、わざとらしく大きいため息をついた。
「全く。たかだか奴隷を五十回打つだけのことに何時間かけるつもりなんだ」
それを聞いて、私の眉間にシワが寄る。
たかだか奴隷を? 五十回打つだけのこと?
鞭で打てば痛い。そんなことは考えなくてもわかる。
それを当たり前のように言えるのはこれが常識として浸透しているからだろうが、こちとらここに来て一ヶ月も経っていないのに、そんなことが軽くできてたまるか。
「これ、しないとどうなるんですか? 犯罪ですか?」
ムッとしたまま男を睨みあげれば、なぜか男の顔が赤くなった。
「べ、別に……犯罪ではありませんが……あなたは書類が受理されるまで国から要注意人物としてみられるでしょう。だから早く打ってください。鞭で」
「ふう~ん。それだけ?」
鞭を軽く降れば、男は怯えたように私と鞭を見比べる。
「ん?」
テオが間抜けな声を上げたのは、このままずっと膠着状態かと思われたその時のことだった。
「何?」
「あ……わかった、こいつエルフだ」
失礼なことに指を指しているテオを諌め、ノヴァさんを見る。
するとノヴァさんは露骨にオロオロし始めた。
「……え、どうしたんですか? ノヴァさん」
「えっ、いえ、私は別に……何も……」
何もないわけがないだろうが。
目は泳ぎまくっているし、汗はダラダラ垂れている。
「あ~、そういうこと?」
腕組みをして首をかしげるヨシュルダの口角がゆっくり上がる。
「ねえ、カンナ。こいつその鞭で思いっきり殴っていいよ」
「え!? それ犯罪では……それに初対面だしそんなわけには……」
「大丈夫だよ。エルフって長生きなせいで暇を持て余していてね。それに処女童貞信者のくせに引きこもりで番を見つけることができないから、既婚者が少ないんだよ。だからどうやってもこじらせて変態が増えるってわけ」
「わ、我が一族を馬鹿にするな!」
「だってそうだろ? “囚われたくなくばエルフの里には近づくな”有名な話だよ」
とんでもないことを聞いてしまい、思わず盛大に顔をしかめた。
それと同時に反射的にものすごい勢いでノヴァさんの方を向けば、本人は「くっ……」と言いながらさらに顔を赤くする。
……いや、否定してくれ、頼むから。
「大方、この簡易審査ってのも本当は必要ないものなんじゃないの? どう考えても世間に疎そうなカンナを騙しているんだよ。だってこんなにまともにエルフと会話する若い女はいないんだもん」
「そうなんですか……?」
「そ、そそ、そ、そんなことは……」
どうしてだろう。
この人、イケメンなのにすごく馬鹿なんだ。
さっきから漫画みたいに目が泳いでいるじゃないか。
「ほら、早く叩きなよカンナ。きっとそいつはドMなんだ。どーせ奴隷を叩くついでに自分も叩かせるつもりだったんじゃないの? 色々と理由をつけてさ」
「ええ……でも……」
「……カンナ」
意地の悪い笑顔を浮かべたヨシュルダは、私の肩を抱いて耳元でボソボソと話す。
「こいつ、身なりがいい。きっと貴族だよ。叩くのが上手だったら仲良くなれるかも。そうしたらカンナの夢を叶えるのも楽になるよ。助けるんでしょ? 獣人奴隷を。こいつ、良い駒になるよ」
「よっしゃ!!」
私は何のためらいもなく鞭を振るうと、力いっぱいノヴァさんに向かって振り下ろしたのだった。