目覚め
「この子は従姉妹の音羽台ゆうな。お前の従姉妹だ」
「よ……よろしく」
「で、こっちが息子の坂本大和。ゆうなちゃん、こいつは君と同い年だ」
「よろしくお願いします」
親族一同が揃っての晩御飯。
数十人が揃う賑やかな食卓の片隅で、父に紹介されて少年––––坂本大和は目の前に座る少女に頭を下げる。
「さてさて、まあまあ、あとはお若いので!」
紹介だけを済ませると、大和の父はそそくさと大人たちの輪に戻っていく。
どうやら酒の誘惑に耐えられなかったらしい。
中央の机で早速酒をかっ喰らう父に呆れつつ、改めて目の前の少女に向き直る。
「……」
「……」
(きまずっ!)
二人だけになると途端に気まずくなる。
思わず逸らした顔のまま、チラリと目だけを動かすと向かいには真っ赤に染まった顔があった。
(音羽台ゆうな、か)
大和の従姉妹で、彼と同じ高校一年生の少女だ。
夕方に崖の下で目を覚ました大和が出会い、女神と見間違った少女であるが、明るい屋内で改めて見ると、やはり「超」がつくほどの可愛い少女だった。
そしてそんな美少女という、ただでさえ話しかけるのに気後れしてしまうような要素に加えて夕方に見た涙を流す姿が頭をよぎってしまって、彼はいよいよ口を開くことが出来なくなっている。
(何話していいかわかんねぇ……)
決してコミュ障というわけではなく女友達も少なくはない大和でも、改めて向き合うと身構えてしまう。
「あのっ!」
「は、はい!」
緊張と気まずさ、そしてちょっぴりのドキドキが入り混じる心に大和が惑わされていると、こちらも相変わらず赤い顔のままの少女が口を開いた。
「はじめ……まして? かな?」
「え?」
「あ、いえ……もしかしたら前にお会いしたことがあるのではと思って」
「どうだろう……」
問われた大和はまじまじと少女の顔を見つめる。
軽く茶色っけのあるメディアムボブの髪。
小さい輪郭の顎にくっきりとした目鼻立ちが美しい。
控えめに言って、大和の好みの直球ど真ん中である。
だから、答えはひとつ。
「多分、会っていたら忘れないと思う……」
「……っ! ……そう、ですか」
何も考えずに答えた言葉に彼女は驚いたように身を揺すり、何かをこらえるように唇を噛んだ。
(えっ……?)
何か地雷を踏んだのだろうか。
一瞬大和の脳裏に浮かんだそんな心配をかき消すように、次の瞬間には笑顔に戻った少女が手を差し出す。
「じゃあ、気のせいかもしれないですね。これから改めてよろしくです!」
「う、うん」
「私は音羽台ゆうな」
「俺は、坂本大和」
「じゃ、大和くんって呼ばせていただきますね!」
「じゃあ……音羽台さん?」
「いとこで苗字はなんか変じゃないですか?」
ケラケラと明るく笑うゆうな。
その心地の良い声に癒されながら、彼の中にあった不安は薄れていく。
「じゃあ、ゆうなさんって呼ばせてもらうよ」
「さん付けかぁ……まあ、うん、いいですよ!」
「あ、それと俺からもひとつ。同い年なのに敬語って変じゃない?」
「そうですか? では、タメ口で。ん、こほん。じゃあ、まずはお友達記念ってことで……乾杯!」
「かんぱいーっ」
ジュースの入ったグラスを、ゆうなの音頭に合わせて軽くぶつけて一気に飲み干す。
「ぷはぁ! 美味しいね!」
「だね。 お寿司とかもあるから食べよう」
「よーしたべるよぉ!」
はしゃぐゆうな。
その姿を見ながら大和は胸をなで下ろす。
(さっきのは……俺の気のせいみたいだな)
知らないと言った時に彼女が一瞬見せたあの顔。
そして、初対面かという質問。
極め付けは、初対面の崖の下で大和の名前を呼んだこと。
(確証はない。どれも俺を知っているという以外の理由づけができるものだし……)
そうは思いつつ、一方でひょっとすると自分の失った記憶の中にゆうなとの思い出があるのかも知れないという疑念を大和は抱えていた。
けれど、それを今問いただすこともないと思い直す。
その理由はただ一つ。
(可愛い女の子との楽しい時間を頭使いながら過ごしたくない!)
彼もまた、男子高校生である。
気がつけば当然のように、「考えるべきだ」という理性の声より「好みの美少女と話したい」という自分の欲を優先していた。
それからは飛ぶように時間が過ぎていった。
好きな歌手、好きな俳優、好きな趣味。
同い年ということもあって話が合う。
ゆうなの独特な会話テンポも相まって、二人の間に笑いが絶えることはない。
そのことに大和は居心地の良さを感じながら、それ以上にどこか安心感を覚えていた。
それはまるで家族かパートナーのように同じ空間にいてしっくりくるような存在としての安心感。
そして、この心地良さをもっと感じていたいという欲求もまた、胸の中で大きくなり始めていた。
それは、二人でもっと話したいという胸の内から溢れるような想い。
(我ながら惚れっぽいな)
心の中で苦笑いを浮かべながら、そう独白する。
大和は、自分がゆうなを意識し始めていることに気づいていた。
(まあ、可愛いから仕方ない)
「ねぇ、大和くん」
「ん?」
独白に意識を取られていた大和がゆうなを振り返ると、少し困ったような顔がそこにあった。
「ちょっと外行こうよ」
「え?」
「ほら、煙が、ね?」
気がつけば部屋の中が煙で充満していた。
火事かと身構えるが、そうではない。
「おじいちゃん達、みんなタバコ吸うから……」
「あー……。そうだね、外行こうか」
少し苦笑いを浮かべるゆうなに笑いかけ、大和は立ち上がる。
タバコの煙から逃げるように外に出ると、ゆうなは大きく深呼吸をした。
「ぷっはぁ! 生き返る!」
「大丈夫かい?」
「うん、ありがと! 私、感覚過敏でね、ちょっとキツかった」
「それはなんともしんどそうだね」
「そうなんだよぉ。みんなもせっかくの田舎なんだから普段は吸えないような綺麗な空気を楽しめばいいのに」
そう言ってゆうなは家に背を向け歩き出す。
その横に並んで歩きながら大和は質問を投げかける。
「ここはかなり田舎だけど……いつもは都会にでも住んでる?」
「あ、言ってなかった? 実は都会っ子なんだぁ。だから、せっかくの綺麗な空気を楽しみたい!」
彼らがいるのは島根の山奥である。
過疎化の一途を辿るその村の周囲には、多くの町ではついぞ見られることのなくなった昔ながらの緑が広がっている。
「ほうほう。で、都会ってどこどこ?」
「滋賀だよ」
「都会……?」
「あー! 今馬鹿にしたでしょ!」
「いやいや、してないよ。えーっとあれだろ、琵琶湖! 3分の2が湖ってやつ!」
「ちっがーう! そんな大きくない! 6分の1だよ! やっぱりバカにしてんじゃん!」
「バレたか」
「ばれたか、じゃないよ! もー……で、君は?」
「俺? 俺はゆうなさんと違ってちゃんと都会だぞ」
「へぇ! どこどこ?」
「滋賀」
「おんなじじゃん! なんでとぼけたの!」
ペシペシと叩いてくるゆうなに少し頬が緩む。
それを誤魔化すように咳払いをし、大和は向き直る。
「まあまあ、それでどこ高?」
「ふっふーん! 結構賢いところなんだよ!聞いて驚くなかれ!」
そう言ってゆうなが口にした高校名。
それはまさに大和が通っている高校の名前でもあり、思わず固まる。
思いもしないその名前にどう答えていいか分からなくなった。
「マジか……スッゴーイ」
「反応、驚くほどにうっすいなぁ」
むーっと頬を膨らますゆうなに慌てて手を振る。
「いや、びっくりしたよ。びっくりしすぎて反応できなかった。まさか同じ学校だったっなんて」
「うわ! すごい! 同じなの、偶然だねっ!」
同じ県に住み、同じ学校に通っている従姉妹の美少女。
(これは運命ではなかろうか)
信じられない偶然に頭の中でドンドンと激しい音が鳴り響く。
動機がして、顔が熱くなるのが分かって、頭が回らない。
意識するなという方が無理である。
それでもそんな様子を悟られまいと、必死でなんともないような顔を繕い口を開く。
「で、どう? 高校での生活は」
「もう必死だよぉ〜。だって中学校の時は二年生まで落ちこぼれだったんだよ! 死ぬほど努力してやっと高校に入ったのに、そこでもこんなに勉強が大変だとは……。大和くんは?」
「俺は中学の時は成績良かったからそんなに苦労しなかったよ。今も、まぁ、中学ほどではないけどそこそこかな?」
嘘である。
大和もゆうなと同じく、中学の時に死ぬほど努力して成績を底辺から引き上げた。
可愛い女の子に良いところを見せたい、でも大きな嘘をつけるほど器用でもない大和は、中途半端な嘘をつく。
大和は父がドン引きするほどの努力中毒である。
だが、それは高校に入ってからの話であり、中学校までの彼は努力すればなんとかなると思っていた。
そんな彼に叩きつけられた、完膚なきまでの成績不良。
授業に追いつけず、小テストでも決して良いとは言えない点数が並ぶ日々。
それはただの努力だけでは変えることのできない壁だった。
世の中には己が才能だけでは勝てぬ相手もいる。
その事を知り、そしてそうした同級生達に勝つためには才能か、もしくは更なる身を削る程の努力が必要。
そして、自分には才能などないと思い込んでいる彼にとって取れる選択肢は後者ただ一つだった。
そんな彼にとって自分が勉強をできないことを自分の口で言うことは、自分自身の存在の否定に他ならない。
努力を中断することは、自分を追い込むことでしかない。
「まあこの旅の間は勉強禁止令が出されているから勉強は出来ないんだけどね」
「勉強禁止令ってなに……?」
そんな事情を知らないゆうなに、若干引かれているのを感じつつ夜道を進む。
「お! 雲が晴れてきたね!」
突然、ゆうなが足を止めて天を仰いだ。
その視線の先には明るく輝くお月様。
「今日は満月か」
「みたいだね。綺麗……」
少しドキッとしてゆうなを振り返る。
けれどもその横顔は少し微笑んで天を望むだけで、頬が染まっているということはない。
(そんなわけ、ないよな)
大和は明治の文豪のあまりにも有名な愛の台詞を思い出していた。
けれども、ただ美しい満月を愉しんでいるだけに見えるゆうなを見ると、そんなことを考えた自分が無粋に思える。
「一気に雲が晴れていくね」
「ああ」
「すごい……満天の星だ……」
満天。
雲が流れていつしか遮るもののなくなった空には、文字通り天を満たすほどの無数の星々が輝いていた。
「……こんなに綺麗に見えるんだね」
「昔の人たちが宇宙に憧れた理由が分かる気がするなぁ」
気がつけば、二人は初めて会った崖の下に来ていた。
どちらともなく足を止め緑の上に仰向けに転がる。
「わぁ……」
星の降る夜というのはまさにこんな夜のことを指す言葉なのだろう。
緑に横たわっていると、まさに全天が身体に降り注ぐような感覚に包まれる。
それはまるで自分も星々に包まれているような感覚。
星々の一部となっていくような感覚。
宇宙の一部として、全てと調和するような感覚。
『言うなれば、それは大いなる和』
「えっ……?」
また、あの声が聞こえた。
ハッと顔を上げると、その目に月が妖しく輝く。
『目覚めよ』
「なっ!」
謎の声による言葉を引き金に、突然身体が月の光に包まれた。
次の瞬間、自分の身体の奥底から何かが溢れ出す感覚に襲われる。
思い出したのは昼間の苦痛。
思わず身構えた彼だが予想したような身体の痛みはなく、ただ心地よい何かの流れを感じるだけである。
(なんだこれ)
心地よく温かいその未知の感覚に、思わず大和は目を閉じた。
次第に大きく強くなるその流れ。
初めは受け入れていた彼も、やがてその渦に飲み込まれそうになる。
「……大和くん?」
「はっ!」
心配するような声が耳元で囁かれ、大和は目を開ける。
すぐそばにはゆうなの顔。
気がつけば大和の呼吸は大きく荒れていた。
「はぁ……はぁ……」
「ど、どうしたの? すごい汗だよ?」
「いや……」
何かに飲み込まれそうになっていた。
そのことに気づいた途端に襲いかかってきた恐怖を必死で飲み込み、笑顔を見せる。
「大丈夫」
なんとかそれだけを言うと、大和は座り込み首を垂れる。
そんな大和の様子をみたゆうなは、彼の言葉に納得をしない。
「帰ろっか。体調悪そうなのに無理に連れ出してごめんね」
「いや、うん。……ごめん」
何も言うことが出来ない。
大人しく彼女の言葉に従い、大和は立ち上がろうとした。
「あ……れ?」
口から変な声が出た。
その声に先を歩くゆうなが足を止める。
「ん? どうし……え!?」
振り返ったゆうなが固まった。
漫画かと思うくらい口をあわあわとする彼女の様子は可笑しくて、しかし大和には頬を緩める余裕がない。
「身体が……」
「髪の毛が……」
同時に零した。
「え?」とお互いに見つめ合う。
大和は自身の身に起きた変化に引っかかるものがあったが、ゆうなは髪の毛に注目したらしい。
「か、髪の毛!? ど、どうなってる? 化け物みたいになってない?」
「いや、そんなことはないよ。でも……ところどころ髪の毛が銀色になってる」
「え?」
「ちょ、ちょっとまって!」
慌ててスマホを取り出して、ゆうなはカメラを構えた。
その写真を大和に見せながら、心配そうに口を開く。
「ほら……さっきまで全体が真っ黒だったのに、メッシュを入れたみたいに所々銀髪になってる」
「うわ、まじだ……全体的に白っぽくなってる……ダサいかな、これ?」
「ううん、すっごくカッコいいと思う……いや、そうじゃなくて!」
ゆうなは目を輝かせながらそう言ってから、「違う違う」と首を振る。
「いきなりこんな風になるからびっくりした……」
「俺もだよ」
大和も、ゆうなの伝える外見の変化に戸惑いを覚えていた。
しかし、一番の驚きはそこではない。
「なんか、身体も変なんだよ……」
「身体?」
「うん」
謎の声が聞こえて月の光に包まれた瞬間、体の奥底から無尽蔵に湧き出てきた「力」。
怪力に加えて夜目と嗅覚が鋭敏に、そしてそんな自分の異変に一瞬で気がつくような第六感、言うなれば「鼻が利く」ようになっていた。
(ゆうなさんにそれをどう伝えるか)
一瞬悩んで、おもむろに足元の石を取り上げる。
「見てて」
「?」
不可解そうな顔をする少女に、彼方を指差しながら言葉を続ける。
「向こうに森が見えるでしょ? その森の崖に一番近い木。そこに今からこの石を当てるよ」
「え、どこ? 何を言ってるの……」
どうやら視力も格段に上がっているらしい。
ゆうなが視認できない程遠くのものまで大和にははっきりと見えていた。
「とにかく、やってみせるよ」
そう言って大和は振りかぶる。
(イメージは……虎の球団の背番号22!)
プロ野球選手の球筋を思い浮かべて腕を振る。
鋭敏な感覚が、石をリリースするその瞬間まで下半身から指先までの全ての動きを完璧に制御する。
「ふっ!」
闇を切り裂き唸りを上げながら石が飛んだ。
「ガッ!」という鈍い音と、遅れて何かが折れて倒れる音が周囲に響き渡る。
「え、うそ……何の音?」
その距離約70メートル。
普通に投げたら山なりの軌道を描くであろうその距離を、まさに閃光一閃、投じられた石は地を這うような軌道を描き激しい音を立てた。
その先に立っていたはずの木は、気がつけば倒れている。
「……これ、何かのマジック?」
折れた木のたもとに走り寄り、信じられないという面持ちでそう呟くゆうな。
大和はその顔を見ることが出来ない。
(なんだ……これ)
自分の力が大幅に伸びていたことはわかっていた。
それを制御することも造作ではない。
しかし、その力の大きさが思っていたものの遥か上をいっていたことに彼はただ呆然とする。
(想定が甘かった……)
「ただ、石を投げただけでこんな……しかもこの威力でこんなにコントロール良く……」
「……俺もびっくりしてる」
「もしかして、さっきの異変が起きてから?」
色々な感情の渦巻きながらも大和を振り返るその目に思わずたじろぐ。
「……うん。本当に数分前、いきなりこんな力が手に入った。俺も驚いている」
「そう……なんだ」
「あんまり……驚いてない……よね?」
「うーん。なんというか実感が湧いてないだけかも」
そう言って少女はあはは、と笑う。
そんな笑顔がどうしてだか見ていられなくなって目を伏せる。
「……っ!」
伏せた目線の先の少女の手が震えていた。
(やっぱり……怖いのか)
考えればすぐに分かることだ。
出会って数時間の人が、突然人外の怪力を見せてきたのだから、怖くないはずがない。
申し訳なさと、距離を置かれるのではないかという恐怖が湧き上がる大和に、少女は言葉を続けた。
「それに、いきなりそんな力を持っちゃった大和くんの方が大変かなって」
思わず大和は顔を上げた。
そこには心から心配するような表情。
(なんて……)
なんて良い子なのだろうか。
一番恐怖を感じているのは彼女に間違いない。
それにもかかわらず大和を気遣い言葉を選び、あまつさえ心配する言葉までかけてくれた。
(それに比べて俺は……)
申し訳なさと不甲斐なさで胸が潰れそうになる。
時間が巻き返せるならネジを巻き、彼女の記憶が消せるならその消しゴムを握りたい。
(なんで何も考えずに力を見せたのだろうか……)
自責の念が湧き出し大和は俯き唇を噛む。
同時に湧き出す孤独感。
(この力は誰にも見せてはいけない)
見せたら間違いなく人は去る。
いや、去られる前に自分から去って行かねばならないだろう。
人の身体も、そして心も傷つけかねないこんな力を持ってしまったのだから。
自分への怒りと恐怖、そして孤独になることを受け入れろという脅迫めいた思考に手が震える。
そんな彼の右手を温かい手が包み込んだ。
「大丈夫。大丈夫だよ」
少女が微笑んでいた。
「ゆうなさん……」
「大丈夫、怖がらないで。私が隣にいるから、大丈夫」
「隣に……?」
「例えどんな力を得たとしても、大和くんは大和くん。一人になる必要なんてないし、私が一人になんかさせない」
心を見透かしたかのようなその言葉。
その言葉に大和は顔を上げる。
そこには笑顔の少女。
「どうして……」
どうしてこの子はそんな言葉をかけてくれるのだろうか。
どうして彼女は笑顔なのだろうか。
大和が取り乱すことを防ぐため、感情に任せて力を暴発させないためのその場かぎりの嘘なのかもしれない。
ひょっとすると彼女自身が安心するための笑顔なのかもしれない。
それでも何故かその言葉を、笑顔を大和は信じようと思った。
「さあ、帰ろ。とにかく今日はゆっくり寝て、また明日考えようよ」
ゆうなが手を差し出す。
それに手を伸ばそうとして、やはり怪我をさせるかもしれないという思いが頭をよぎる。
「……っ!」
手を引っ込めようとする大和。
しかし、その手をゆうなが掴んだ。
「私も一緒にいるから」
ゆうなの手に引かれて、大和は立ち上がる。
その瞬間、頭を占めていた恐怖や不安が全て霧散した。
ただ、目の前の少女だけを見つめる。
光を取り戻し始めた少年の目を見て、ゆうながまた微笑んだ。
「今日はもう、帰ろ」
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