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白狼  作者: ねこたば
1/5

ゆうなれば、大いなる和。

 高校最初のゴールデンウィーク。


 それは目の回るような高校の日々にもようやく慣れ始めた頃の、ひと時の安らぎとなるはずの時間だった。

 学校を離れ、中学の頃の友達と久し振りに会ったり、はたまた家で存分に自主勉強ができる貴重な時間のはずだった。


「なのに、なんでこんな山奥で……」


 晩春の穏やかな日差しに眠気を感じながら、少年は一人溜息をつく。

 芝生のベッドに、抜けるように青い空の天井。

 そんな自然に溢れた奥深い山中で、彼はその身体を横たえていた。


「まさか、今日一日勉強が一ミリもできないなんて……」


 少年はそう呟き、それが現実逃避であることにすぐ気がつく。


「いや、もう二度と出来ないか」


 変な方向に曲がっているのに痛みも感覚も全くなく、動かすことのできない四肢。

 ダクダクと止まる様子のない流血が、新緑の草花を真っ赤に染めていく。


「死ぬんだろうな……」


 そう呟いて彼は目を閉じる。

 じわじわと広がる真っ赤な池の中心で、少年が一人「ははっ」と小さく笑った。


「ほんと、なんでこんなことに……」


 ***************

 ***************


「ほんと、なんでこんな山奥に……」


 そう呟いて少年は閉じていた目を開いた。

 窓の外には相変わらず山奥の鬱蒼とした森が広がっている。


「はぁ」


 見飽きたその車窓に流れる景色に、少年――坂本(さかもと)大和(やまと)は一人溜息をつく。


「家で勉強か、せめて京都にでも遊びに行きたかった……」


 そんなことを呟き現実に目を背ける。

 彼は今、京都の雑踏でも問題集の並んだ机の前でもなく、奥深い山中を走る車の中にいた。


「これから3日間、勉強が一ミリもできないなんて……」


「また勉強の話か、この勉強中毒者。ちょっとは忘れろ。俺まで頭が痛くなる」


「父親のものとは思えない言葉だな……」


 運転席から飛ぶ声に再びため息をつく。

 彼はこの度四年に一度行われる親族会議に出るため、父親に連れられて島根県の山奥に来ている。

 二泊三日の滞在期間。

 ちょっとした小旅行だが、大和にとっては地獄のような長時間に感じられた。


「こんなに長い間勉強できないなんて……」


 彼は窓の外をぼんやりと眺めながらそうひとりごちる。


 そもそも山陰の山奥に行くこと自体が大和にとっては不本意であった。

 高校に入って迎えた最初のゴールデンウィーク。

 地元でしたいことは沢山あった。

 予習や復習、時々出かけてまた勉強。

 本来ならば今頃も自室で机に向かっていたことだろう。


 そんな夢のような時間を奪い去ったのは父親の鶴の一声。


『おい大和、親族会議に出かけるぞ』


 いつもは緩い父親だが、今回に限っては有無も言わさぬ態度で大和を引きずり出したのだった。


「何してんだろ……俺」


 大和は出かける前の父とのやりとりを思い出して思わずため息をつく。


「結局、こんなに長い時間、ただ車に揺られてるだけじゃねぇか……」


 彼が住む中堅都市から目的の山里までほぼ半日。

 勉強道具の持ち込みは禁止され、スマホも通じない山奥では出来ることがほとんどない。

 ただ、暇なのである。

 大和は持て余した道中の退屈に押しつぶされそうになっていた。


「はぁ……」


「随分とご機嫌じゃねーか」


 彼が再び零したため息に運転席から再び父親の声が響く。

 どこか楽しげなその声音に彼は少しムッとした。


「俺の生まれ育った山里の美しさに感激してくれてるのか?」


「四年ぶりに親父の故郷に来れて感激のあまり涙ちょちょぎれるよ。窓の外はさっきからずっと緑しか見えないし、スマホの電波も入らないし、ここは異世界かよ。何時代?」


「島根の山奥だからな。大和も始めてきたわけじゃないんだからそろそろ慣れるだろ」


 大和というのは少年の名前。

 ちなみに、世界最大の戦艦の名を戴いているからといって彼自身は怪力持ちというわけではない。

 むしろ貧弱な色白もやしっ子というのが、彼と会った人の大半が持つ印象である。

 そんなもやしっ子は運転席の父にため息をつく。


「随分前に一度来ただけなのに慣れるも何もないだろ……」


「えっと、何年前だっけ? 四年って言ったか? てことは前に来たのはお前が小学生の頃か! ついこないだだな!」


「俺にとっちゃ遠い昔だよ」


「子供にはな。けど、大人にとっちゃ一瞬だ。きっと、お前の爺さんもおじさんもお前を見たら驚くだろうぜ。たった四年でこんなに変わるのかぁって。ま、相変わらずひょろっとして色白なのはアレだけどな」


「ひ弱で悪かったな。それよりも、俺は相変わらずのど田舎具合に現在進行形で驚いてるよ。ここだけ時間軸狂ってるだろ」


 大和は、朧げな四年前の記憶をかき集めてそう呟く。

 記憶にあるのは青々とした山と、茅葺の家々だけ。

 そこから予想される不便な3日間に、また一つ心に重りがのしかかった。

 そんな息子の気持ちなど知る由もなく、大和の父親はガッハッハと豪快に笑い声をあげる。


「そこでのんびりと過ごすのが良いんじゃねぇか。まだまだ分かってねぇなぁ。それとも、努力中毒のお前は机に噛り付いていたいか?」


「……」


「ま、一週間もこっちにいるんだ。たまには勉強を忘れてのんびりしてもいいだろう。そうすりゃその線の細い身体もちょっとは男らしくなるさ」


「……」


 彼は何も答えない。


(分かってるさ)


 父にとってのこの旅の目的は親族会議だけではないらしいことはなんとなく彼にも分かっていた。


(勉強ばっかせずにたまにはそれを忘れて遊べってことだろう)


 少年はそう踏んで「はぁ」と息を吐く。

 余計なお世話である。


(たしかに高校入ってから自分でもやりすぎだとは思ってたけど……)


 それでも勉強をやめられない。

 寝る時間を惜しんででも勉強をしていたい。


 それは楽しいからでは決してない。

 常に努力をしていなければ不安だからだ。

 『自分には秀でたものなど何もなく、自分の代替になる人などごまんといる』

 『そんな世界でせめて誰かの邪魔にならないように、誰かに迷惑をかけないように自分ができる事は「頑張る」事だけ』

 そう思っているからだ。


(きっと、志望校に入ることが出来れば「大和(おれ)」が「意味のある人間(おれ)」であると胸を張れる)


 中学生の時、大和はそう考えて死ぬほど努力をした。

 やがて、努力が実り志望していた高校に入ると、今度はもっと凄い人達がもっとたくさんいた。

 それこそ大和の必死の努力など、才能だけで軽々と乗り越えていく凄い人達が。

 そうした人達がさらに努力を重ねるのだから、並みの努力では勝負にならない。

 大和は今度こそ本当に、代替の効く「ニンゲン」になってしまったような気がした。

 だからこそ彼はさらに努力をする。

 努力を重ねて、いつかそうした人達に並ぶことができたならこんな自分でも意味がある存在になれるような気がしたから。

 そうしなければ、自分の存在価値など取るに足らないような気がして不安だから。


 だから、そんな彼にとって父の配慮は拷問に近いものだった。


 とはいえ、休みの日も家に篭ったまま机から離れることのない彼を父が心配する気持ちも多少はわかる。

 だからこそ、彼は何も言えなかった。

 彼が何も言わないことから何を感じたのか、それきり父も口を閉ざす。


「……」


 静かな車内。

 見飽きた風景だけがただ流れる窓の外から大和は目を離す。

 そのまま瞼を閉じると、やがて朧げな四年前の光景が少しずつ蘇ってくる。


 青々とした山。

 茅葺の屋根。

 静かに差し込むオレンジの夕陽。

 そこに静かに立つ、長い髪の女の子。


(あれ……?)


 女の子の記憶に思わず引っかかる。


(こんな女の子、会ったっけ……?)


 記憶の中だということも忘れて、大和は思わず少女に声をかけようとする。


(おい! おい!)


 必死に口を動かす大和。

 けれど、全く声が出ない。


(くっ……)


 どうしたものかと唇を噛んでいると、少女が振り返った。


(あっ……)


 とても可愛い少女が笑顔でそこにいた。


「〜〜〜〜!!」


(え?)


「〜〜〜〜」


(なんて言って……)


 彼女の声が聞こえない。

 こちらの声も届かない。

 そのうち、夕陽の中に立っていた少女は気がつけば闇に呑まれていた。

 禍々しい闇。


(おい!)


 一目で尋常ではないとわかるその闇に、大和は声を上げる。


(逃げろ!)


 しかしその声も少女には届かず、ただ彼女は笑顔のまま。


(おい! おい!)


 伸ばした手は届かない。

 やがて少女は少しずつ闇に呑み込まれていく。

 その様をただ何もできないまま見つめるだけの大和。

 やがて最後に残った彼女の目からは涙が零れた。


「……まと、大和! やーまーとー!」


 声が聞こえる。

 ハッとして顔を上げるとそこは相変わらず車の中。


「ん……ゆう……な?」


「お、大和! 起きたか?」


「あ、父さん……ここは?」


 退屈さも相まって大和は気づけばウトウトとしていたらしい。

 父親の声にぼんやりとしていた大和の意識は一気に覚醒へと促される。


「着いたぞ! 早く降りろ」


「ん、あ、うん……」


 静かな車内。

 すでに車は停まっていて、エンジン音も聞こえない。

 車を降りる父親に続いて、大和もドアを開ける。


「大丈夫か? だいぶうなされていたみたいだけど」


「いや、うん……あれ?」


 しょぼしょぼと眠り眼をこすりながら車を降りた彼に父親が問いかける。

 それに答えようとして大和はハッとした。


「あれ? 俺、どんな夢見てたっけ?」


「知らねーよ。おおかた勉強地獄にでも落ちてたんじゃないか?」


「楽しそう」


「けっ」


 恍惚とした表情になる大和に、父は心底気持ち悪そうな顔を向けた。


 そんな父から目を離し、これから三日間泊まる家へと目を向ける。


「でかい……」


 青々とした新緑の山々の中に、立派な日本家屋が建っていた。

 どうやら他の親族達はまだ着いていないらしい。

 荷物を降ろし、ここに住む曽祖父と祖父母に挨拶をすると途端にすることが無くなった。


「暇だ」


 ここに至る道中から暇に苛まれていたからだろうか。

 大和は一瞬も暇を持て余すことが出来なくなっていた。


「ちょっと出かけてくる」


「うい。そんなに遠くには行くなよ」


「ういうい」


 父の声を適当に受け流し、大和は玄関で靴を履く。


「よし、探検してみるか」


 退屈しのぎに、滅多に来ることのない山奥の探索をしようと大和は家を出た。

 探索といってもその実はなんのことはない、少しの散歩だ。

 電波回線が不調らしくネットに繋がらないスマホなども家に置き、大和はその身一つで森へと繰り出した。

 ただ、退屈と好奇心だけを持ち合わせて。


 ***************

 ***************


「それだけだったのに、まさか崖から落ちるなんて……」


 数分前までのことを思い出して大和はポツリと呟く。


 ただの探索のつもりだった。

 しかし、いつのまにか森の中で方向を見失い、あちこち駆けずりまわった。

 そして気がつけば崖から足を踏み外し、転がり落ちていた。


「ははは……」


 小さく笑い声を立てて目を開ける。

 飛び込んでくるのは切り立った崖。

 相当な高さのそこから落ちたにも関わらず、まだ息があるのは奇跡と言っても過言ではないだろう。

 もっとも地面に叩きつけられた身体はピクリとも動かないし、感覚の失われた身体からは流れ出る血と共に生気まで零れ落ちていくようだが。

 まさに風前の灯火と言っても過言ではない、と大和はまるで他人事のように笑う。


「……?」


 突然、青かった空が真っ赤に染まりはじめた。

 一瞬不思議に思い、目に鋭く走る痛みが彼に理解を促す。


「血が……目に入ったか……」


 ジンジンと痛む眼球。

 目をこすりたいところだが、今の彼にはどうすることも出来ない。


「これは……折れ……てる……な」


 腕を動かそうにも、四肢の感覚が無いのだ。

 ただ目を擦るという簡単な動作すら出来ない事に、「はは……」と小さく笑い目を閉じる。


「このまま……死ぬのか」


 ずっと、通いたいと夢に見ていた高校に受かってまだ二ヶ月。

 クラスに少しずつ馴染み、新しい場所での新しい生活にも慣れてきたばかりだというのにもう死ぬのだろうか。


「そんなの……嫌……だけど……」


 再び目を開けると、真っ赤な視界の片隅にそびえ立つ崖。


(あそこから落ちたらタダじゃ済まないよな)


 そんな希望が通るような状況ではない。


 視界にそびえる崖を見る限り相当な高さから落ちたらしく、このままでは遅かれ早かれ御陀仏だろう。


(即死は免れたけど……こんな山奥じゃなぁ)


 父の実家のある村が近いとはいえ、大和がいるのは崖の下。

 携帯も何も持っていない上に、体は動かない。

 声を出すことすら出来ない彼が、生きている間に救い出される可能性は相当に低いだろう。

 緑地にじわじわと広がり続ける真っ赤な血だまりの中で、しかし大和は微笑む。


(唯一の救いは……感覚が麻痺して痛みを感じずに逝けることかな)


「か……ひゅう……」


 呼吸が苦しい。

 肺に穴でも開いているのだろう。

 霞む視界の中で、ただ太陽の温かさだけが心地よい。


(死ぬって……気持ちいいんだな……)


 穏やかに逝けることに何処か安堵を覚えた。


「グルゥ……」


 薄れゆく意識の片隅で獣の唸り声が聞こえた気がした。


「はっ……」


 その声を聞いた途端、沈みゆかんとする意識が無理やり引き揚げられる。

 ぼんやりとした頭のまま目を開けると、そこには一頭の犬。


(いや……)


 犬と言っても、よく見る種類の犬ではない。

 今まで見た犬の中でも、どこか特異で獣の風合いが強く、それはまるで……


「狼……?」


 毛並みはボロボロで足取りも拙い。

 輝く目の中もよく見れば白く濁り、相当な高齢であることが伺える。

 そんなヨボヨボ狼は動かない大和の周りをぐるりと回り、彼の身体から流れ続ける血をペロペロとなめ始めた。


「はっ……ははは」


 大和の口の端から思わず笑いが零れた。

 必死にピチャピチャと自分の血を舐め続けるヨボヨボ狼に、心の底から愛着に似た温かい気持ちが溢れ出す。


(そうだよな。お前も、大変だよな)


 目の端から涙が流れるのを感じながら、大和は心の中で狼に語りかける。


(お前も、ヨボヨボだもんな。その身体じゃ、ろくな飯にもありつけてないだろう)


 ガリガリの身体はきっと何日も食べていないのだろう。

 そう考えると、必死に自分の血を舐めるのも理解ができる。

 そう考えると、大和は全身の力を抜きリラックスする。


「良い……ぞ」


 恐らく自分はもう助からない。

 ただ死ぬのを待つくらいなら、最期に他者の役に立ってもいいだろう。


(俺を食って、良いぞ)


 狼と目があった。

 微笑む少年の目を見て何を感じたのか。


 やがて、狼は彼の右腕に食らいついた。


「……?」


 二の腕に深く牙を突き立て、そして離す。

 それっきり、狼は大和に何もしない。

 食われる事を覚悟していただけに、その不可解な行動にただ唖然とする少年。

 その脳裏に突然声が響いた。


『継ぐのは君だ』


「え?」


 思わず問い返す大和。

 その耳に、心に声が響く。


『遥か時の彼方。この地球ほしの片隅に生まれた小さな国、大和やまと。神と大地と人の全てが調和する国、大和。それは言うなれば、〈大いなる和〉の国。それを護る役割を継ぐのは君だ』


(何を言っているんだ?)


 疑問に思う。

 何者が語りかけているのか、何を言っているのか。

 その疑問を自分でも消化出来ないうちに、大和の身体に異変が起きた。


「なん……だ……?」


 噛まれた右腕から、全身に何かが広まる感覚。

 次の瞬間、身体が爆発するような痛みに襲われる。


「ぐぁぁぁぁあああ!!」


 絶叫が辺りに響いた。

 悲痛な彼の絶叫に、木々からは鳥が飛び立ち森はざわめく。


「い、痛い……がぁあ!!」


 その瞬間まで忘れていた痛みが、彼を襲う。

 だが、それは崖から落ちた外傷によるものではない。

 それは内側から身体が爆発するような苦痛だった。


 全身の骨が砕けては繋がり、砕けては繋がる事を繰り返しているような痛み。

 破裂しそうなくらい心臓が早鐘を打ち、凄まじい血圧に血管が張り裂けそうになる。

 全身の肉は何度も千切れ、燃え上がるような激痛と熱を絶え間なく生み出し続ける。

 そして、全身のそうした一挙一動を全て余すことなく伝えるように発達する全身の神経と、それらの情報を全て誤魔化すことなく受け入れて処理する脳みそ。


 死にかけの少年をその今際の時にまで追い詰めようとするかのごとく、凄惨が責め立てていく。


「うっ……あぁ……」


 彼にできることは気絶と覚醒を繰り返しながらただ全てが早く終わることを願うのみ。


「ふうっ! ふうっ! ふうっ!」


 気が狂いそうになり、しかし脳がそれを許さない。

 舌を噛み切ろうにも、何かがそれを許さない。

 身悶えしても逃げることの叶わない苦痛が少年を苛んでいく。


「ぐふ……はぁ……はぁ…………はぁ……」


 寄せては返す苦痛の波に、いつしか少年は完全に意識を失った。


 ***************

 ***************


「う……」


 目を覚ますと、そこには少し橙味のかかった青空が広がっていた。

 静かに風がそよぎ、西に傾く太陽を眺めながら少年はただぼんやりとする。


「何が……」


 そう呟きながら、体を起こす。

 周りを見渡すと、そこは崖の下。


(崖の……下?)


 何かが引っかかる。

 それが何なのかを考え、そしてハッと思い出す。


「あ! 身体が!」


 身体が動いていた。

 崖から落ち、ピクリとも動かなかった身体が何事もなかったかのように動いている。


「これは……どういう……?」


 たしかに体は動かず、血が流れ続けていた。

 にも関わらず、体は動き血の一滴も見当たらないことに大和は混乱する。

 混乱と不安と恐怖と……震える右手で今にも叫び出しそうになる口を押さえる。


「ふーっ! ふーっ!」


 堪らずに発狂しそうになったその瞬間、大和の顔に夕陽が差し込み思わず彼は目を細める。


「わぁ……」


 少年の前に、橙に染まる美しい景色が広がった。


「綺麗……」


 緑や赤、黄、紫……。

 全ての色が夕陽を浴びて、より暖かく美しく映えていく。

 日本の山はこんなにも彩り豊かだったのかと少年は息を飲み、早鐘を打っていた心臓はいつのまにか穏やかになっていた。


「ふぅ〜」


 大きく息を吐くと、こんがらがっていた心がスッキリした。


(分からないことはあるけど、とにかく生きてる)


 今はそれだけでいい。

 もう一度こんなに綺麗な夕陽が見れたのだから。

 そう自分に言い聞かせて、改めて斜めに射し込む夕陽を眺める。


「ん?」


 目を細め、大和は首をひねる。

 夕陽の中に人影が見えたように感じたのだ。


「あ……」


 見間違いではない。

 確かに一人の少女がそこに立っていた。

 美しい夕陽の中に溶け込むように、彼方を見つめながら立つ一人の少女。

 白いワンピースの背中が夕陽の光に包まれて、まるでこの世の人とは思えぬ神々しさを感じさせる。


「綺麗……」


 ざぁと森の草木がその美しさにざわめき、木の葉が美しさを讃える天使のように少女の周りをひらりひらりと舞い踊る。

 風がミディアムボブのその髪をふんわりと膨らませ、その髪の一本一本がキラキラと夕陽に煌めいた。


「女神……か……」


 あまりにも幻想的なその一場面に少年はただぼぅとその背中を見つめている他ない。


 夕陽は山の波間に沈んでいく。

 その今際の時に一際美しく世界が染め上げられると、やがて空から夜が降りかかる。

 明度の下がりゆく世界の中で、やがて少年は我に帰った。

 彼の前には相変わらずに彼方を見つめるワンピースの少女。

 その背中はさっきまでとは違い、暗くなりゆく景色の中で妖艶な美しさを醸し出している。


「あ……あのっ!」


「……」


「……っ!」


 彼は思わず声をかけた。

 振り返る少女。

 今までに見たことのないほどの美少女だった。


「あのっ……っ!!」


 思わず何かを言おうとした彼の言葉は、しかし、その美しい少女の目に浮かぶものに堰き止められる。


「君……泣いて……」


「……」


 思いもしない少女の涙に彼は呆然とする。

 そんな少年の元に静かに近寄ると、少女は涙を零したまま笑みを浮かべた。


「大和くん」


「……!? どうして俺の名前を……?」


 見知らぬ少女から名を呼ばれ、少年は唖然とする。

 その様子を見ると少女は一瞬顔を曇らせ、けれども一層零れる涙を拭わぬままに改めて微笑みを浮かべた。


「こんばんは、大和くん」

ゴリゴリのヒーローものです。

のんびり他の作品を書きながら書いていきます。

よろしくお願いします。

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