たけちん
おれがいつものように台所に入ると、珍しく猫埼たけーたけちんが一人で椅子に座っていた。
珍しいな。一人か。AKO47《こいつら》って二人以上になると破壊力が相乗されるよな。まあ一人ならおれもなんとか対応できるか。
「今一人だけならいい、って考えたやろ」たけちんはさっと周囲に視線をめぐらせ、出口が開いていることを確認してから用心深くおれを見た。
こいつ。超能力者か。
「一人だけならこちらは男、泣こうがわめこうが、こっちのもの、って考えたんちゃう」
「いやいやいや」
「強女○女魔がいます」
「いやいやいやいや」
「あーれー」
「お前いつの時代の人間?」悲鳴であーれーとかあり得ねえし。
ふざけていたたけちんは突然テーブルに突っ伏した。
「おい。今度は仮病か」
話しかけたが返事がない。
「おい。本当に気分でも悪いのか」
「本当に、は余計や」
真っ青な顔をきっと上げ、たけちんはおれをにらんだが、すぐに青い顔をしてうつむいた。肩で息をしている。
「大丈夫か」
「持病の癪が……」
「お前、いつの時代の人間だ」
「気にせえへんといて。ちょっとめまいがしてん。いつものことやから」
「いつものこと」
「うち、調子が悪い方が普通やから。頭痛、めまい、胃痛、はらいた、腹痛……」
同じものが複数あるようだが。
「ふーん。でもそんななのになんで芸能界になんか入ったんだ。大変な世界だろ」
「うち、子供んとき、お医者に言われてん。「この子は二十歳まで生きられまへん」って。そしたら親とか、親戚がなんでも好きなことをやらしてあげ、とか言い出して、命を輝かせるとか、生きる力とかわけわからんこと言い出して芸能界デビューさせられてん」
「なんか……すごい親だな」
「あっ、今共感してる、いう顔したやろ。やめてや、同情すんの」
「いや。おれの両親や親戚も勝手におれの将来を決めて流していくところがあるから共感できるぜ」
「そうなん?」
「そうだ。親も親戚もおれに大学なんて絶対無理って邪魔するからこっちに出てきたんだ」
「ふーん。あんたも大変やね」
「ま、受験生だからな」
顔を上げた猫崎の瞳の黒さにちょっとどきっとした。こいつは純日本風美人だからな。おかっぱに切りそろえ、さらさらと肩をこぼれる黒髪が美しい。
「いま、やらしいこと考えたやろ」
「考えてない、考えてない」
「あんた顔に出んねん」
「いや、お前が敏感すぎるだけだと思うぞ」
なにを思ったか、突然猫崎は顔をそむけた。黒髪からはみ出た耳が赤くなっている。
(なんで知ってんねん、やらし)なにかぼそぼそ言っている。
おれはふと思いついたことを言ってみた。
「そういえば、おれ指圧とか得意なんだ。頭痛がするならちょっと手をもんでやろうか」
猫崎はおれを猜疑心のつまった細目で見た。
「本当やろうね。手だけ?」
「おう。手だけだ」
「頭痛やったら頭をもむんとちがう?」
「いや、経絡っていって、全身の器官が手とつながってるから手だけもめば大丈夫」
「ふーん」猫崎はそのまま左手を差し出した。「じゃあちょっとやってみて」
おれは両手をつかって猫崎の手を揉み始めた。
「わお。上手やね。どんな駄目な人間にも意外な才能ってあるもんやね」
「「駄目な」は余計だ」
「どんな痴漢やのぞき魔にも意外な才能ってあるもんやねぇ」
おれは沈黙した。風呂場事件以来の信用はまだ回復していないらしい。
「あら、傷ついた?」猫崎は平然と問う。「あんまり気にせえへんでもええよ」
「そ、そうか?」
「そうやん。高校生男子なんてけだものと相場が決まっとるし」
「おれはもう高校生じゃねえ! ていうか、そういう認識だったのか!」
「そうや……あっ、あんた上手やね。どこで習ろたん? こんなこと」
「ばあちゃんが医者嫌いで、薬嫌いだったから、看病しているうちに本で読んで覚えたんだ。左手の薬指は心臓と関係がある。この手のひらのここは……」おれは猫崎の手のひらの真ん中を指で押した。
「痛っ。強すぎや」
「そんなに強く押してないぞ。ここが痛いということは胃が荒れてる証拠だ」
「うち、ストレス多いもん」
「言いたい放題でストレスなさそうに見えるけどな」
「いや、アイドルなんてストレスの塊や」
「そうか。それでSKO108を続けられなくなったのか」
「いや、それとこれとは別や」
「ふーん。なんでAKO47に来たんだ?」
「なんでそんなこと、あんたに言わんとあかんの? あっ」
猫崎は顔を桃色に染めて身をよじった。
「こっち来たらシャケがおまえは関西弁キャラやから元気スポーツ少女でないとあかん、とか言い出して……ああ、そこええわあ。もうちょっと、そこやそこそこ……」
「それで」
「それで言い合いになったんや。関西弁やからみんな元気少女のわけあれへんやん。うちは病弱なんやから無理にキャラ作られへんし、運動神経かて鈍いし、でも作ったキャラに合わせられへんとSKO108は続けられへんと言われて……うっ、くうっ」
「ほんとに東京人の頭固いわ。青森県の人間がみんなりんご農園で仕事してるわけないやん。関西弁やったら元気とかありえへんやろ」
「それであほちゃうか、いうたら次の日AKO47に送られてん」
「そっか」
「あっ、そこ。ああっ、やめないで。いい」
声だけ聞けば、絶対おれ変なことしてると疑われるよな。
「ほんまにお金とれるくらい上手やね」
「そうか」おれは少し場所を変えて上の部分をもみ始めた。猫崎は身をよじりたそうにしているが顔をしかめて我慢している。
「痛いか。やめるか」
「やめんといて」
「けっこうつらそうに見えるけど」
「そんなことあれへんよ。ところでさっきの場所が胃やったら」
「だったら?」
「今もんでんのは胸?」