やおい
台所に入ると珍しく猫海葵ーやおいが一人でいた。AKOのメンバーの中では最も知性を感じる顔立ちをしており、医者です、と言われても信じてしまいそうだ。黙っていれば道行く男がみな振り返る正統派美人だ。ロングの黒髪はきちんと手入れされており、つやつやしている。なんというかきりっとした印象の清楚なお姉さんだ。
こいつは一人でいるといいんだが、まおりんと二人そろうと最凶コンビになる。一人だけならいい。おれはつい声をかけた。
「めずらしいな。一人か?」
「ち○ぽ」
「はあっ!?」
「ち○ぽを肛○に差し込むときってどれくらいの硬度が必要なの。ああ、いやあんたは受けだから差し込まれるとき、か」
「差し込まれたことねえよ!」
もういや。一人だけならいい、とか考えたやつ、制裁ものだな。
「まおりんはコスプレーヤーのオフがあるってアキバへ行っちゃった」
「え、お前も一緒に行かないのか?」
「コスプレーヤーという種族が世間一般の常識から見てノーマルかどうかはともかく、まおりんのコスプレ仲間はみんなノーマルだから、わたしが一緒に行くと引かれるの。わたしの聖地は池袋だから」
なるほど。オタクはみな同じではないのだな。ちゃんと住み分けがあるんだ。
「お茶でも飲むか? ちょうどおれも飲もうと思っていたんだ。ええと菓子は……あったかな。なにが好きなんだ。和菓子? 洋菓子?」
「黒キラ×アスとか」
「おれはお茶うけに食べる菓子の話をしたんだが」
「わたしもよ。カップリングのネタがあれば何杯でもいけるわ」
おれはしばらく無言でいた。こめかみのあたりが痛くなってきた。
「お前と話してるとすごいギャップを感じる」
「みんなそう言うわね」
おれたちはしばらく無言でお茶をすすった。無言だと時間の進みが遅い気がする。
おれは読んだことのある腐女子関連の本を思い出した。腐女子を判別するには簡単なゲームでできるそうだ。やおい《こいつ》の趣味は最初からわかっているが、その判別法が正確かどうか試してみたくなった。
「なあ」
「なに」
「ひまそうだな」
「ひまよ」
「ちょっとゲームしてみないか」
「わたしは野球拳ならプロ級よ。丸裸にしてあげるわ」
「お前、絶対にオヤジたちとつきあいがあるだろ」
「さあね」
「おれもじゃんけんなら強いぜ」
「あら、やってみましょうか」
おれは想像してみた。
ケース1:おれがボロ負けし、下着姿になる。
ケース2:おれが勝ち進み、やおいが下着姿になる。
ケース3:互角の戦いが進み、ふたりとも台所で下着姿になる。
すべてのケース:そこに誰かが入ってくる。
おれはぶるぶると頭を振った。どう考えてもおれが致命的に不利な状況ばかりだ。
「いや(汗)、やめとくぜ。それよりこういうゲームはどうだ。おれがなにか単語を言ったら、それと対照的な単語を三秒以内に答えるんだ。例えば「山」と言ったら「川」。「海」でもいいぜ」
「対照的ならいいのね。いいわ、やりましょう」
「じゃあ始めるぞ。「山!」」
「坂!」
「それのどこが対照的なんだ」
「真波山岳くんと小野田坂道くんでしょう」
う、こんなゲームにまでカップリングが入るとは。しかも即答だし。どんだけカップルが脳内にインプットされてるんだよ。こいつ筋金入りだ。
「わ、わかった。じゃあ次。「月!」」
「L!」
「分からない。解説してくれ。なぜ星とか太陽じゃないんだ」
「夜神月とLに決まってるじゃない」
こいつはもうおれに腐女子と知られているから、まったく隠そうともしないな。本来このゲームは集団の中にいる腐女子をあぶりだすためのゲームなのだが、もういいや、じゃあ本命のやつを振ってみよう。
「攻め!」
「受け!」
来たよ。やはりというか、一般人なら「攻め」と言われて答えるのは「守り」のはずなのに、とっさに「受け」と答えるのが腐女子の証、というのは本当だったのだな。おれは調子に乗って続けた。
「タチ!」
「ネコ!」
反射的に答えてからやおいは電気に触れたように数センチ飛び上がった。
「ねこ!」自分の言った言葉を繰り返し、くちごもる。みるみるうちに顔が赤くなった。ぴんと立てた手のひらを顔の前で振る。「むりむりむり無理だから」
「いや、おれなにも言ってねえし」
「だめなの。あたし。その……男同士なら脳内でいくらでもカップリングできるんだけど、女同士だなんて、いやっ! なんていやらしい……」
「納得いかねえ! なんで女だといやらしいんだ」
さっきまで「○門」とか「ちん○」とか平気で口にしていたくせに、女同士だとはずかしいだとぉ?
「おい。男同士だとどういやらしくないんだ」
「だって男同士ならファンタジーだけど、女同士なんて、いやっ! やめてやめて!」
「ほら、二人はフリピュア」
「いやー!」
どうやらこいつは対の単語を聴くと無条件でカップリングを妄想してしまうらしい。それが男同士ならごちそうさまだが、女同士だと拒否反応を起こすようだ。
おれは面白くなって続けた。
「相方不在」
「やめてー!」
「ハリセンボン」
「ひいー!」
「姦しい」
「女で3P! 漢字ってビジュアルでなんていやらしいの! それだけは許して」
「じゃあ「嬲る」
「あ、まあ、それならいいかな」
「いいのかよっ!」
「わたしが見物する方で」
騒いでいると突然、リーダーとたけちんが台所に入ってきた。
「なにしてるんですの」「なにされたん」
「南部くんが……わたしに……卑猥な言葉で……言葉責めを」
泣きじゃくりながら助けを求めるやおい。
おい。お前、その口で言うか。
*
「ひっく、ぐすっ。いいの、ううっ、わたしが悪いの……」
嗚咽を漏らしながらもやおいが弁護してくれたおかげで、おれはリーダーとたけちんに限りなく深い猜疑の目を向けられながらもそれ以上追及されることはなかった。
二人は後ろ髪惹かれる様子だったが、なにか用事があるらしく、やおいの安全を確認すると台所を出ていった。
ふう
おれは努めてやおいを見ないように家事を進めた。もうこりごりだ。
突然おれの背中に声をかけた。
「女が泣いてるのに、慰めてくれないの?」
やっりずれぇ! そもそもこいつのせいだろ。ことがややこしくなったのは。
「南部くんが最初に話しかけたでしょ」
やおいはおれの心を見透かしたように言った。そういやそうだ。おれが先に話しかけたな。
おれはため息をついて振り返った。やおいは足を組んだまま椅子に腰かけ髪を撫でつけているところだった。目じりに涙の跡が残っているのがセクシー。
「悪かった」
「普通、謝罪には等価交換が必要よ」
「錬金術か! いや、おれ金ないし」奈落荘の家事が忙しく、バイトする暇はほとんどない。
「金とは言ってないわ」
こいつを喜ばせるにはどうすりゃいいんだ。
「でもよ。お前の喜びそうなもの、おれはぜってー持ってない自信あるし……」
BL本とかあるわけねーし。
「あなた、眼鏡とかかけないの?」
「あ、いや。おれ視力はいい方」
(ちっ。眼鏡男子じゃないのか)やおいはつぶやいた。なにやら変な世界へ巻き込まれそうな予感がする。
しばらく考えていたやおいはぽん、と手を打った。嫌な予感がする。
「じゃあ、今日一日、バトラー用語で話しかけること」
目が輝いている。かわいい。いやしかし、なんですかその過酷な要求は。
「あんた、かなりのオタクだから、『黒執事』くらい知ってるでしょう」
当然、という顔をしてやおいは言った。
「黒ひつじ」
「なっ! わたしたち全国BLファンに挑戦する気!」
いや、そんなに怒らなくても。それに確か『黒執事』はBL作品ではなかった気がするが。
おれはあきらめてほうじ茶を淹れると、急須と湯飲みを盆の上にのせて持ってゆくと台所のテーブルにできるだけ優雅な仕草で置き、お茶を湯飲みに注いで言った。
「お嬢様。今日のお茶は東洋の果て、日本産のホウジ・ティーでございます」
やおいはぱっと顔を輝かせておれの動作に見入っている。心なしか頬が紅潮している。
「お茶うけにはこれまたジパングのスイーツ。数々の支配者の宮廷にささげられたと言われるモ・ナーカでございます」
おれは最中をありあわせの皿にのせ、フォークを添えてやおいの前に出した。
やおいは背筋を伸ばして椅子に掛けなおすと、上品な仕草で最中を切り、フォークに突き刺して食べた。様になっている。目をほとんど閉じて陶然とした表情。すごい没入力だ。空想への入り込み方が半端じゃない。怖ろしい子。
「あ、ちょっとティッシュ取って」
お茶をスカートにこぼしたやおいがおれを手招く。おれはここぞとばかりに言った。
「お嬢様。おねだりの仕方は教えたでしょう」
(おおおおおー!)やおいの顔が赤くなった。喜んでる喜んでる。
「セバスチャン。ティッシュを取れ!」
「かしこまりました。お嬢様」
おれたちはそのまま夕飯まで(黒)執事&令嬢ごっこをして過ごした。
おれはふと訊いてみた。
「な、お前、なんでAKO47、いやそもそも芸能界へ入ったの?」
「芸能界ならイケメンカップルに会えると思ったからよ」
そういう答えだった。