マンジュウ
おれが掃除をするため玄関へ出てゆくと、ちょうどおばさんとやせて背の高い男が立ち話をしているところだった。
その男は、火のついていないタバコを唇の端にひっかけ、コットンのワイシャツと背広をだらしなく着ていた。無精髭がほおをおおっていて、昨夜飲み過ぎて今起きたばかり、という顔をしている。
おばさんが振り向いておれににこやかに笑いかけた。
「おはよーさとみちゃん! 元気ー?」
やせた男はくちをだらしなく開けて「へっ」という顔つきをした。
「物干し台がぐらついてるの直しておいてくれた? ああそうそう。こちらはAKO47のマネージャーの荒巻宙二さん。ちゅうじさん。こちらがこの間話してた、親戚の子で南部里巳ちゃん。予備校通いのためにここに住み込んでるのよ」
やせてだらしない男は今度こそ本当にずっこけた。
「ええー!? 聞いてない、聞いてないっすよ北川さん」
「あら。こないだちゃんと話したでしょ。しんせきのさとみちゃんが住み込みの先約ですって」
「さとみちゃんって、おれ女の子だとばっかり思ってましたよ。まずい、まずいっすよ、男は」
「あらなぜ?」おばさんは無邪気ににこにこしている。この浮世の常識とは無縁の性格は相変わらず必殺だ。
「梁山泊プロは恋愛ご法度っすから。こんな同年代の男が一緒に住んでたら、どんな間違いが起きるかも。きみ、年はいくつ?」おれに向かって問う。
「十九です」
「わあ、ほぼタメじゃん。なにかあったらおれ責任を問われるし……」
「大丈夫よ。AKOのみんなは二階だし、お風呂も別よ」
「食堂は……一緒っすよね」
「ええ」おばさんは力強く言う。「料理も手伝ってもらってるもの」
「あああー、どうすっかな。いや待てよ」宙二さんは頭をかきむしる手を突然止めた。
(これは願ったりかなったりかも。どうせ奈落組の連中だし)
なにかぼそぼそと言っている。
考えをまとめた宙二さんはおれを横目で見るとおばさんに向き直った。口が(ま、いっか)と動くのが見えた。
「ほんとはダメなんっすけど、まあ目をつぶります」
宙二さんはおれを横目で見ながらおばさんにぺこっと礼をした。
「じゃあ、落ち着いたら練習を始めますのでよろしくお願いします」
おばさんは丁寧にお辞儀して言った。
「こちらこそ、よろしくお願いします。あ、さとみちゃん。おばさんはこれからショッピングに行ってくるから、なにかあったら荒巻さんを手伝って」
「はあ」釈然としない気持ちでおれは答えた。
*
荒巻宙二はホワイトボードを奈落荘の台所に持ち込んでAKO47ミーティングを始めた。
「最初はRYOZAN PARK PRODUCTIONの概要について説明する」
なんだか大学の講義みたいだな。
「RYOZAN PARK PRODUCTION。略して梁山泊プロは代表取締役社長、荒巻桂の設立した芸能プロダクションだ。梁山泊プロは現在越ヶ谷ポンドタウンをはじめ、アエオン系列のモールを主な活動拠点としてアイドルグループをプロデュースしている」
「梁山泊プロの擁するアイドルグループの最大はSKO108《えすけーおーワンハンドレッドエイト》だ。SKOは完全なヒエラルキー制度で上位三六名をTNK36《てぃーえぬけーサーティーシックス》、下位七二名をCST72《しーえすてぃーセブンティーツー》という」
「多いですね」
「社長のコンセプトは「数を束ねれば誰でもアイドルにできる」だ。どうせ大衆は音楽なんかわからない。歌が下手くそでも可愛けりゃそれで売れる。人並みかちょっと可愛い程度でも、数を束ねりゃその中に自分の好みの女の子が一人くらいはいるわな。それでプロデュース力さえあれば売れるのさ」
「全国のアイドルファンにけんかを売ってるね」
「見ろ」
荒巻宙二がテレビにビデオを再生するとSKO108の少女たちが歌っていた。さすがに108人もの少女が並んで踊っているところは圧巻だ。
「ほれ。数が多すぎて一人ひとりの顔なんかわからねえだろ。個性なんかいいんだ。束ねてスポット広告をばんばん打ちゃどうにでもなるってこと」
AKO47の少女たちは黙ったまま思い思いの姿勢で座っていた。リーダーが手を上げた。
「質問」
「なんだ」
「わたくしたちはいつデビューできるんですの」
「それは……なんとも言えんな」荒巻宙二はペンで背中をかきながら答えた。「お前たちはそれぞれ基準に満たない部分があってSKO108の二軍になった。一応AKO47というチームを組まされたが、まだデビューさせるか決めていない。これからの働き次第だ」
「具体的には?」
「まずCST72を見習え。やつらはTNK36がステージに立つときには着替えを手伝ったりしてるだろ。お前たちも最初はCST72の付き人みたいなことをやって、その合間に練習するんだ」
「どこで」
「まあ、ここしかないだろうな。事務所はもうSKO108メンバーたちで一杯だし」
「この」リーダーはちょっと広めの台所に手のひらを振って言った。「この場所でダンスを練習しろとおっしゃるんですの」
荒巻宙二はぽーんとペンを投げ捨てて捨て台詞を吐いた。「それが嫌なら公園でも行くんだな。奈落から這い上がるにはそれしかない」
「ふざけないでくださいな。話が違いますわ」
「スカウトの甘言をうのみにしたお前らが悪い」
台所はちょっと重苦しい空気に満たされた。
「自己アピール。考えてきたか。まずそれからやってみろ」
「アラマンチュー」まおりんが歌うように言う。
まずたけちんが立ち上がり出ていった。それに続いてハーフー猫埼はな、リーダーー猫目雅子が出ていった。
「国はーせまいが……」自己アピールを始めまおりんはあおいに手を引かれて出て言った。くのいちー猫波ケイはいつの間にかいなくなっていた。
「ふー」
荒巻宙二はようやくマイルドセブンに火をつけると深く吸ってから煙を吐き出した。
「まーったく。世間知らずの子娘どもが」
荒巻宙二は一人立ち尽くすおれをちら、と見ると問わず語りに話した。
「芸能人に一番必要なものってなんだか知ってるか。それは「輝き」だ。不細工でも多少歌や踊りが下手でも輝きのあるやつにはみんな引き付けられる。輝きがあれば後はそれを引き立てるのはおれたち裏方の仕事だ。ステージの照明や音響で実力以上の効果を与えることができるものさ。でも最初からあれじゃな」
「輝き、ですか」
「そっ。やる気があれば輝きが備わるもんさ」
おれは何も言わなかったが、なにか違和感があった。AKO47に足りないもの。それはなんだろう。
おれは自分のことのように考え込んでしまった。