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りょーの卒業

 AKO47に参加して以来、りょーはその実力と熱意をいかんなく発揮した。センターの座を勝ち取るのも時間の問題かと思われた。今やりょー抜きのAKO47は考えられないほど、その影響は強かった。一人だけ超然とした態度も黙認された。まあもともとAKO47の連中は個人主義というか、ばらばらだ。まおりんとやおい、リーダーとたけちんのように個人的な友人はいるものの、基本的に互いに無関心だ。その中でりょー一人が浮いていても違和感はなかった。

「みなさん。お疲れ様です」

 しのぶが冷たい麦茶をいれたコップを持ってきてテーブルに置いた。

「休憩!」どことなくリーダーも気合の入った号令を出す。

 りょーはすっとしのぶに近づくとささやいた。

「いつもありがとう。本当に助かるわ」

「ええっ! あのっ、そのっ、はい! そんなことおばさん以外に言われたの初めてです」

 しのぶの声が上ずる。そんなしのぶをこの上ない優しい目でりょーは見た。

(人たらしやね)

(でもツボを押さえてる。帝王学を学ぶ者としては見習うべきですわ)

 ひそひそとささやく声が聞こえるがりょーは知らんぷりだ。


     *


 おれはちょっとたずねてみた。

「宙二さん。りょーって、他の子にも優しいし、やる気あるし、歌も踊りもうまいし、どこから見ても完璧アイドルって感じなんですけど、どうしてSKO108から落とされたんですか」

 荒巻宙二はおれを見て一瞬目をそらした後、考え直したようにまたおれを向いた。

(こいつ、マネージャーみたいなところあるしな)

 なにかつぶやいている。

 荒巻宙二はマイルドセブンを一本出し、唇の端にくわえた。かちかちと火のつかないライターを数回鳴らしてからおれを見た。

「来な」

 休憩が終わり練習を続けるAKO47を残して荒巻宙二はおれを伴って廊下へ出た。別に食堂が禁煙と言うわけではないが、この男はおばさんにだけはずいぶん遠慮している。宙二さんはふーと紫煙を吐いてから続けた。

「これさ、おれからの頼みでもあるんだけど」

「はあ」

「りょーから目を離さないでいてくれないか」

「え、と。なんでですか」

「あいつ、実力もあるし努力もあるけど、なんか焦ってる感じでな……実は、SKO108でセンターの子に薬を盛ろうとした所を見つかったんだ」

「薬?」

「下剤かなにかだ。センターを蹴落として自分が早くステージに立ちたかったようだ。でもそんなことする必要なかった。実力は十分で、次期センターは確実と見込まれていたんだ。なぜあんなことしたんだと問い詰めても「あたしには時間がない」というだけで絶対に口を割らない。本来ならクビだが、あいつの才能を惜しんでおやじがAKO47で再教育という形にしたんだ」

「時間がない」

「あいつの気合の入り方は尋常じゃねーよ。でも、なんか思い詰めてまたAKO47でも変なことしないか気になってな」

「はあ」

「きみ、りょーと親しそうだから、なんかあったらおれに教えてくれないか」

「え、と」

「あいつのためだ。あいつが暴走する前に止めないと」

 おれは黙って考え込んでしまった。時間がない。りょーの謎。

「たのんだぜ」

 そう言って荒巻宙二は台所へ戻ってしまった。


     *


 おれはそれから荒巻宙二の言うことをきいたわけではないが、りょーのことが気になって、ときどきさりげなく見ていた。りょーはAKO47の練習は真剣に行い、夕方にはキャバクラのバイトに出撃していった。いったいいつ寝ているのか分からなかった。


 おれは深夜の勉強を終えて台所へ入った。まだ2時だ。いつもはまだ戻っていないりょーのハンドバッグの赤が椅子の上にちらりと見えておれは通り過ぎようとした台所を覗き込んだ。

 りょーが台所の食器棚を開け、なにかしている。手にしているのは大きな魚の絵がプリントされたマグカップ……はなちゃん専用のコーヒーカップだった。りょーはそれになにかを塗っている。

「おい」おれが声をかけるとりょーは見つかった泥棒猫のような表情でこちらを向いた。

「なにしてる」

 りょーはおれと認めると平然とした表情になった。

「ちょっと、陶器の趣味があってね」

 おれは台所に踏み込むとマグカップを持っているのと反対側の手をつかんだ。なにかのクリームが落ちた。おれはそれを拾い上げた。ラベルにはなにかの薬品名が書いてある。日焼け止めじゃなさそうだ。

「これなんだ」

 りょーはそれを取り返そうとしたが、おれが予想していたので失敗した。

「これは預かっとくぜ」

 無言。

「朝になったら、警察へ行って調べてもらうから」

 りょーの表情が変わった。御しやすい使用人を見る目から危険な敵を見るような目つきになった。

「なによ。あんたになんの関係があるの。他人のことに首を突っ込むのはやめなさいよ」

「はなを病気にして、自分がセンターになんのか」

 りょーの沈黙はおれの指摘が図星であることを物語っていた。

 おれはりょーの腕をつかんで言った。

「なにをそんなに焦ってんだ」

「あんたには関係ない」

「そんなことない。おれも関係者だ」

「どういう関係よ」

「おれは……舎監ドメトリィ・コーディネーターだ!」

「住み込み雑用係」

「うるせえ!」

「あたしのすることに首を突っ込まないでよ」

「だから何をそんなに焦ってんだ。お前なら黙っていてもセンター確実だろ」

「あたしには……あたしには時間がないの!」


     *


「あたしには大事な大事な妹がいる。気が合って、世界で一番大切な妹。でも怖ろしい敵がいるの。その敵はあたしの叔父。あたしの家族を支配し、食い物にしようとしている」

「妹があと三ヶ月で18歳になる。そうしたら、あの男に連れ去られてAV業界に出演させられてしまう」

「ご両親は反対しないのか。そんなこと」

「うちの親はだめ。あの男に全部握られている。あたしの父は以前事業で失敗して大きな借金を作ったの。あたしが中学生のときだった。一家心中寸前のところをあの男の金で救われて、そのときからあの男の奴隷よ」

「そんな」

「やつはたびたびうちにやってきて優しげに話したけど、あたしはどうしてもあいつが好きになれなかった。父があいつにぺこぺこするのを見るのも嫌だった。でも私たち家族が大きな借りを負っているのを知ってたから」

「それである日十八歳のあたしにいやらしいことをしようとして……あたし思いっきり引っ掻いてやった。顔を張り飛ばされて、上にのしかかられて、それで近くにあったはさみで刺した。無我夢中だった。そうしたら案外軟弱なやつであきらめて立ち上がった。ぺっとつばを畳の上に吐いて苦々しく「山猫め」って言った」

「でもそれで終わりじゃなかった。帰るとき父に言っていた。「上の娘じゃ商品にならないから下の方を連れにくる。十八になるのはいつだ」

「最初なにを言ってるのかわからなかった。父が「二年後です」と答えたのがなんだか悪い夢の中みたいであたしはトイレに駆け込んで吐いた」

「襲われたことよりも、あの出来事が父の合意のもとでのことだったとわかってあたしは目の前が真っ暗になった。もう両親も信用できない」

「その晩、あたしは両親に説教された。あの人に逆らってはだめだと。あの人を満足させなければ自分たちは終わりだと。でも自分の誇りも失って、汚されて、ただ生きているだけの自分ってなに? あたしには絶対納得いかなかった。あたしがそう言うと父はあの男に一億円の借金があるからと言った。それであたしはキレて叫んだ。「あんたの誇りと娘の値段が一億なら、あたしが稼いでやる! 二年以内に、とらが十八になるまでに一億耳を揃えて持ってきたらあたしたちはあんたたちから自由になる!」

「そう叫んであたしは家を飛び出した。背中の刺青は決意の表れ。あたしは蝶のように舞い、蜂のように刺す女になってやる」

「それでRYOZAN PARKに入団して夜は生活のためにキャバクラでバイトしてた。年齢としは偽って。キャバクラのバイトでは人間心理……特に男の心をどう操るかの勉強をした。それで首尾よくSKOえすけーおーの中に入って。あたしは早くトップアイドルにならなければいけなかった。だからセンターのに薬を盛って……後は知ってるね。

 でもそれがばれて奈落に落とされた。ゲームリセット。もう一度レベル上げからやり直し。AKOはいいと思うよ。みんな素質はある。でもあたしには時間がない。来月からAKOは夜の部になるからキャバクラにも行けなくなるし、キャバクラでトップになるか、金持ちのおじさんがパトロンにつけば一億くらい稼げそうな気もするけどそれじゃ穴から出てもまた別の穴に落ちるみたいで意味ないし。あたしどうすればいいの」

「おれもどうしたらいいかわからない。でもそのやり方じゃいけない気がする」

「いけないって、じゃあどうすんのよ」

「なんとかする。おれができることならなんとかする」

「あんたになにができるの。ただの貧乏浪人生じゃない」

「おれを信じてくれ」

 おれは確証もなく、言うしかなかった。


     *


 次の週、最初の頃りょーはおれに口をきいてくれなかったが、三日目に様子が変わった。

 りょーがなんだかうきうきした様子だった。

「楽しそうだな」おれが声をかけると、りょーはあら、という感じで振り向いた。

「あたしはいつだって楽しそうよ」

「それはないだろ」

おれは買い物袋をテーブルの上に置いてりょーを見つめた。

「やっぱりなんか変だ」

「そう。でももう南部君には迷惑かけないから」

「もうってどういう意味だよ」

「言葉通りの意味よ」

 りょーは台所をぐるりと見回した。

「ここもまあ、楽しかったわ」


     *


 二階で怒鳴り声が聞こえた。

「どういうことや! 出ていくって」

「卒業するの」

「聞いてません。聞いてませんわ!」

 AKO47のみんなをふりきるようにショッキングピンクのスーツケースを引きずって、りょーが階段を下りてきた。

「おい。どこへ行くんだ」おれは聞いてみた。

「いいじゃない」

「大事なことなのか」

「ええ。大事な用事なの」

 後を追ってきたAKO47のメンバーたちが叫ぶ。

「ここまで一緒にやってきて、ようやく息が合い始めたのに……」

「あたしには時間がないの。あなたたちとちんたらやっていたら間に合わなくなる」

 おれにだけその意味がわかったがAKO47たちにはわからなかった。やおいとまおりんがりょーの服をつかんだが、りょーはそれを払いのけた。

「ふざけないで。自分の都合ばかり」

「あら。みんな自分の都合でここにいるんじゃない」りょーはますます妖艶に笑い、それがいかにも憎々し気だった。

「裏切り者!」

 りょーはふん、と鼻を鳴らし、言った。

「離して」

 その気迫と態度にやおいも手を離した。

 りょーはスーツケースを取り直すとサンダルを履き、さっそうと奈落荘を去って行った。


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