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八猫士

 八猫士の印。

 それは猫の肉球型の痣だという。

 妖界と人間界を行き来したことで記憶を失っているかもしれないが、とにかくその痣が身体のどこかにあれば八猫士であることは間違いないという。

「でもさ、人間は服を来て生活しているし、どうやって調べんの? この町内だけでも数百人はいるぜ」

「心配ござらん。近場からしらみ潰しにさがせばよろしい」

「しらみ潰しって、このアパート、男はおれだけだし、おれにはそんな痣、ないし。蒙古斑は中学生で消えたし」

 後足二本で立ち上がり、前足を腕のように後ろに回してゆっくりと歩いていたヒデマルはロイドメガネをきらりとさせて言った。「だれが八猫士は男性に限る、と申しましたかな」

「なっ、すると!」

「そのとおり。この館には生きのいい少女たち七名と南部殿の家族二名、合わせて九名の女性たちがいるでござる。彼女たちの身体に肉球型のあざがあるかどうかをまず詮議するのが筋、でござろう」

「そんな捕物帳の同心みたいにかっこつけて言ってるけど、ようは肌を見なくちゃならないんだろ。どうやってやんの?」

「そこでござる」ヒデマルは急に声をひそめて顔をおれの顔に近づけた。顔が悪代官と結託している商人みたいな表情になる。

(ふっふっふっ。越後屋、お前もなかなかの悪だのう)

(いやいや。お代官様にはかないませぬ)

 いやいや。

「今まで猫の姿に身をやつし、彼女たちの部屋を覗こうと試みていたのでござるが」

 そんなことしてたのかよっ! だから時々いなくなったんだな。

「さすがに女性だけあって、シャワー室に入るときにはきちんとドアを閉めてしまうのでござる。それがし、猫の姿であるので、さすがにドアを開けるわけには参らぬ。そこで……」

「……南部殿にはそのドアをさりげなく開けていただいて、そこをそれがしが中に侵入し……」

「却下」おれは電撃の早さで言った。

「それっておれだけリスクを負えってことじゃん。おれもう前回のお風呂事件でイエローカードくらってるし、二階へ用もないのに行ったらただちに見つかるし、今度見つかったら本当に前科一犯になっちゃう。大学受験どころじゃなくなっちまうよ」

「そこでござる……それがしに策がござる」

 ヒデマルはさらに声をひそめて顔を近づけた。おれも釣られて顔を近づける。

 ところでヒデマルの真剣さに気を取られて今まで気づかなかったが、これって明らかにのぞきの相談だよね。軽犯罪。前科一犯。

「これが二階の図面でござる。ここがシャワー室の入り口。この後ろに水道管やダクトが通っている小さな部屋があり、モップやバケツが置いてござる」

 こいつ、いつの間にこんな図面を用意していたんだ。

 おれたちがさらにヒソヒソ声で話していたところ、図面の上にぱらぱらと細かい木くずがこぼれてきた。ヒデマルははっとしたように上を見上げ、突然勉強机の上に置いてあった空き瓶に並べて指していたはさみを一本取り上げると天井に向けた投げた。

「曲者っ!」

 はさみは天井板に突き刺さって一瞬震えて止まった。

 ズズッ、ズズッ。なにかが高速で天井裏を移動する音が聞こえ、それから押入れの天井がかぱっとはずれるとジャージを履いた足がにょっきり二本、出てきた。この奈落荘では、人が足から出てくるのには慣れてきた。やばいな。おれも社会常識がなくなってゆく。

 渋いオレンジのジャージを着て出てきたのはくのいっちゃんだった。ほこりよけかスポーツタオルを頭と口に巻きつけている姿はまさに忍者だ。

「話は聞いた」くのいっちゃんはそのまますたすたと部屋を横切り、ドアを開けて出てゆこうとする。おれとヒデマルはその腕を両側から押さえた。

「まってー(泣)。人に言わないでー」

 こんな話をみなに明かされたらそれこそ即レッドカードだ。

 くのいっちゃんは無表情にじろっとおれたちを一瞥すると一言言った。

「ない」

「へっ?」

「言わない」

「あ、ありがとう。ありがとう」おれは本気で安堵した。

「いや。このまま返すわけにはいかぬでござる」重々しくヒデマルが言った。「われらが秘密を知られたからには、このまま帰すことはまかりならん」

 こいつ、さっきから「憂国の士として国王によってただ一人派遣されてきた使節」というよりは「陰謀を計画しているザコ悪党」のキャラじゃね?

「へへへ、この部屋にはお前と男二人だけ。泣こうがわめこうが誰も助けには来ないぜ」 ヒデマルは調子に乗って言う。

 くのいっちゃんは黙って30センチの竹定規を逆手に構えた。無言の威圧感がある。

「へい。親分。参りやした。あっしを子分にしてくだせえ」

「弱っ。お前弱っ」

「ここまで知られてはもはや隠し立てすることもござらん。ぜひお力を貸してはくださらんか」

「お願いでござる。武士は相身互い。このヒデマル、お願い申し上げる」

「いい」くのいっちゃんは無表情で返事した。

「へっ? いいのでござるか」

「いい」

「どうしていいんだ」おれも不思議で聞いてみた。「お前に関係ないじゃないか」

「関係ないから」くのいっちゃんは言った。「追っ手じゃないと……わかったから」

 こいつも背景は複雑だな。

 ヒデマルは満面笑顔になって言った。「そうでござるか。ありがたい。では早速、この館にいる方々にこのような肉球型のあざがあるかどうかを確認したいのでござるが、なにか良い手立ては……いや、それより手始めに御身にそのような痣はござらんか」

「ある」あっさり返事。

「あるのでござるか! それはどこに?」

 無言。

「その痣を確認したいのでござる。それはどこにあるのでござるか」

 無言のままくのいっちゃんの顔は真っ赤になった。

「重要なことなのでござる。お願いでござる。その痣はどこに」

「お腹」蚊の泣くような小さい声でくのいっちゃんは言った。

「お腹でござるか。ちょっと見せてくださらんか」

「いや」

「そう言わずにお願いでござる。お腹をちょこっと見せるだけでござる」

「……下」

「えっ?」

「お腹の……下の方」くのいっちゃんはますます赤くなり、うつむいて小さな声で話す。

「へそのあたりでござるか」

「もう……ちょっと」

「もうちょっとと申されると下腹のあたりでござるか」

「もう……ちょっと」

「もうちょっとと申されると……ぐわっ!」おれが踏んずけたのでヒデマルは叫び声を上げた。

「お前なー、察しろよ。相手は女の子だぜ」おれは言った。「それ以上追求したら完全にセクハラじゃねーか」

 このヒデマルという妖猫。職務に忠実で真面目なのは間違いないが、空気を読んだり察したりすることは全く駄目だ。

「いーじゃねーか。本人が痣があるって言ってんだから。じゃ、これで八猫士の一人目は見つかったわけだな」

「そのようでござる」

 おれはしゃがみこんでヒデマルと一緒にハイタッチした。


 それから振り返ると、くのいっちゃんはいなかった。開いたドアのみが彼女の行方を示している。

「「え?」」

 おれとヒデマルは同時に唖然とした。

「ちょ、ちょっと!」

 おれとヒデマルは廊下に走り出たが、くのいっちゃんの影は見当たらなかった。

「本当に……忍者みたいだ」

「ううむ。これはますます八猫士であることが確定でござる」

 ヒデマルは腕組みをしながら言った。


     *


 で、結局おれはいやいやながらヒデマルの策を実行するはめになってしまった。

 まず、AKO47の入浴時間におれが庭に出て水道の元栓を止める。おばさんは機械は全く無知だから水道の故障だ、と騒ぎ立てるだろう。でももう水道修理の工事店は営業を終えた時間だから、おれがちょっと見てやるという口実で二階に上がってシャワー室を調べる。その時にさりげなくシャワー室Aは故障ですと言ってドアに封印をし、全員が使うようにするシャワー室Bのドアの上にさりげなくひもをひっかけ、それを天井裏から回して水道管やダクトの通っている部屋から一階へと伸ばす。一階の物置でひもを引けばシャワー室のドアがちょっと開くように細工する。

 次にAKO47のメンバーが入浴中にヒデマルがシャワー室の前まで行き、さりげなく「にゃー」と鳴く。これを合図に一階のおれがひもを引くとシャワー室のドアがちょっとだけ開いてヒデマルが中を確認できる。

 とまあこういう手はずだった。のぞくのはヒデマルだけだし、猫はのぞいても人間の法律では裁けないし、おれはひもを引っ張るだけだし、まあ大丈夫かな。


 早速その晩、おれたちは計画を実行に移した。

 おれが水道の元栓を閉めると、二階で「シャワーが出ない」という叫び声が上がり、あばさんが確認しに行った後で一階に降りてきた。

「里己ちゃん、里己ちゃん」

 待ってました。

「断水かしら、シャワーがでないのよ」

「工務店に電話しますか?」

 おれはわざとらしく工務店に電話するふりをした。

「もう営業時間は終わり、のアナウンスが流れています」

「そう。困ったわね」

「おれでよければちょっと見てみましょうか」

「そうお。助かるわ。じゃあ二階に報せてくる」

 おばさんは素直に信じて二階へ上がって言った。AKO47の入浴時間におれが二階へ上がるのを許されたことはない。これが初めてだった。

 おれはもっともらしく工具箱を下げて二階へ行った。

 あわててジャージを着なおしたらしきはなちゃんとリーダーが濡れ髪でおれの方を見た後、任せたとばかりに部屋へ入ってドアを閉めた。たけちんはおれをしばらく見張っていたが、何をしているかはわからないようだ。

 おれはまずシャワー室Aの水道栓をドライバーで閉め、「故障」の張り紙をドアに貼った。

 それからシャワー室Bのドアに細工し、ひもをはわせてダクト室から一階に下した。

 最後に庭の元栓を開けておばさんに作業完了を伝えた。

「とりあえず一つは使えるみたいです」

「まあ、里己ちゃん、ありがとう。あなたがいて助かったわ」

 おばさんは手放しで喜んでいる。純粋な人をだましておれは良心がちくちくと痛んだ。

 AKO47たちはぶつくさ言いながらシャワーを浴び始めたようだ。

 おれはヒデマルの合図を待って一階のダクト室に潜んだ。待つほどのこともなく、合図の声が聞こえた。

 にゃー

 おれはひもをちょっとだけ引っ張った。そのまま待つこと二十分。

 にゃー

 再び合図だ。おれはひもを引っ張った。

 にゃにゃー

 これはひもの引っ張り方が足りないからもう少し引っ張ってくれ、という合図だ。おれはもうちょっと強くひもを引っ張った。

 にゃー。待機。

 にゃー

 にゃー

 にゃー

 にゃー

 七回ひもを引っ張った後、突然大きな声が聞こえた。

 にゃにゃにゃー!

 にゃにゃにゃー? そんな合図は決めていないぞ。どうしたんだろう。

 おれはしばらく待っていたが、それ以後はなんの声も聞こえて来なかった。せまいダクト室で待っているとだんだん不安になってきた。もう終わりかな。

 おれはとうとうしびれを切らしてダクト室の外へ出た。廊下でおれを待っていたのはパジャマを着て腕組みをしたAKO47たち六名だった。全員きついまなざしをしている。

「あ、あの」

 おれが作り笑いをすると、たけちんが持っているものをかかげた。体を縛られたヒデマルだった。

「すまないでござる。露見したでござる」

「いいかげん何回も同じことが起きればおかしいと気づきますわよね」

「いや、こいつ最初から後ろめたそうな顔つきしとってん。バレバレや」

 そういえば、たけちんはヒデマルの秘密を知っていた。

 悪事露見。


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