りょー
「あれ、来るんだって」
「マジ!? ぜったい嘘だと思ってた」
「なんで奈落荘に?」
「それでいつなん?」
「マンジュウが今日って言ってた」
AKO47の面々が台所でひそひそと話をしていた。おれが買い出しから帰ってきて両手にいくつも袋を下げたまま台所の戸を足でけって開けると、まおりん、やおい、たけちん、はなちゃん、四つの白い顔がさっとこちらを見て沈黙した。
おれはつとめてにこやかに袋を下げたまま立っていたが、だれも荷物運びを手伝ってくれそうにはなかったので話しかけた。
「えーと。誰かお客さんが来るのか」
「なに。立ち聞き? 趣味わるーい」
「あんたには関係のないことよ」
おれの質問はまおりんとやおいに秒殺で封じ込められた。
「いや。関係あるよ。ここで飯を食うのなら、おれが料理するだろ」
おれの指摘が正しかったのか、反論はなく、ただ無視された。
「来た」いつのまにやら、くのいちが現れて告げる。こいつ、いつ入ってきたんだ。
AKO47たちはどたどたと玄関先へ飛び出していった。玄関先では立てたショッキングピンクのスーツケースで身体を支え、ほぼゴスファッションに身を固めた少女がサンダルのホックをはずしているところだった。縦ロールのソバージュが流れ落ちて顔がよく見えない。
皆が沈黙している中、その少女はホックを外し終えてゆっくりと顔を上げた。はっとするほど目立つ顔立ちだった。美少女、という点ではAKO47の誰一人劣っているとは思わないが、この少女はなにか「別格」の印象を与えた。背はそれほど高いわけじゃないし、身体もほっそりしている。しかしおれたち五、六人に見つめられて悠然と見返す様子には王者のような意志の強さが感じられた。
「なに。歓迎してくれないの?」こちらをにらんだまま赤い唇から甘い声が発せられた。
「聞いていますわ」いつのまにか階下へ降りてきたリーダーがクリップボードを手にして言った。「ついさっき荒巻さんからAKO47のあたらしいメンバーが来るって聞きました。よろしくね。あたくしはAKO47のリーダー猫目雅子」
「あんたがリーダー。ふうん」少女はAKO47メンバーを見回した。「センターは誰なの?」
「わ、わたし」クールビューティー―はなちゃんが答える。
「名前は?」
「あんたの方が先に自己紹介したらええやん」たけちんがさえぎったが、少女はまったく無視した。
「猫橋はな。はなでいいよ」はなちゃんが外見と異なる甘えたような声で言った。
「へえ。あんた背が高いのね。椰子の木みたい。これから「ココナッツさん」って呼んでもいいかしら」
「い、いや。「はな」でいい」
(おい。はな。さりげなくバカにされとるで)たけちんがはなをひじでつついた。
玄関のたたきから廊下に登った少女はきちんと両足を揃え、おれたちを見回すと言い放った。
「猫ヶ谷遼です。今日からAKO47に加わります。みなさんよろしく」ぺこり、と頭を下げる。
よろしく、と言われ、あわてて数人が礼をしたが、猫ヶ谷は胸を張ってそれを受ける。なんだか社長の社員に対する態度みたいだ。
「あら」突っ立ったままでいるおれに猫ヶ谷が目を留めた。「あんたは?」
そこにいる全員の注目がおれに集まり、おれはちょっと固くなった。
「あ、おれ、南部といいます。南部里巳。ここに住み込みです」
猫ヶ谷はおれの正面まで来ておれのことをじろじろと上から下までながめた。おれ、なんか緊張する。猫ヶ谷はそれから真っ赤な口紅を塗った唇のあいだからぺろっと舌を出して唇をなめた。
「あなたハンサムね。ちょっと好みかも」
(えええええ!)静かに騒がしい反応が周囲で起きた。
それにかまわず猫ヶ谷はすっと右手をのばすと手の甲でおれのほおをなぞった。ぞくっとする。おれはかっと顔が熱くなるのを感じた。
猫ヶ谷は小首をかしげてにっこりとした。
「南部くんね。あたしのことは「りょー」って呼んで」必殺の殺し文句だ。
「えと。いいのか」おれはどぎまぎして視線を合わせられない。
「いいわよ。これからよろしくね」
「お、おう」
「それでね。一つお願いがあるの」猫ヶ谷は下唇を突き出して目を細める。なんだ。なんだこの展開は。
「お願い?」
「そう。聞いてくれるかしら?」
「お、おう」
猫ヶ谷は特級の流し目をくれると言った。
「あたしの荷物、部屋まで運んでね」
*
次の日、荒巻宙二から正式な紹介があった。
「こいつは今日からAKO47のメンバーになった、猫ヶ谷遼だ。よろしくな。ちなみに猫ヶ谷はSKO108ではセンターの控えだった」宙二さんはそう言いながら猫ヶ谷の方を意味ありげにちら、と見た。
おれの知識では、アイドルグループSKO108の最高峰に位置するのがセンターと呼ばれる少女で、ステージでは中心に立つ。そしてセンターの控えというからにはセンターが病気やけがをしたとき、ただちに代役を務められるだけの実力と練習をしていなければならない。そこからも彼女の実力は推し量れようというものだった。
「じゃあ、さっそく練習に参加」
荒巻宙二の言葉でTシャツにジャージを着た少女たちは並んで振り付けの練習をはじめた。りょーだけが突然肩に羽織っていたコートを脱いでソファーにかけた。
「!」
りょーがコートを脱ぐと、その下は身体にぴったりとしたレオタードだった。他のAKO47メンバーたちがジャージにTシャツというのとは明らかに差別化をしていた。服装だけでも主役級だ。他のメンバーたちの間に静かな電撃が走る。
そのままりょーは周囲からの冷たい視線を傲岸に受け止めながら、ぴんと背筋を伸ばして列の終端に立った。
それだけで、本当にそれだけでなんというか、りょーと他の少女たちの実力の差というか、見る者に訴える芸能人のオーラというのか、体から発する印象の違いが感じられた。
「はい、じゃあ、いつもの通り」ダンスの先生が両手を叩きながら指導する。
「イチ、ニッ、サン、シッ」
AKO47が踊る。この振り付けは今日が初めてのはずなのに、りょーの遅れはない。むしろテンポがずれているのはいつもの通りはなちゃんだ。
「サン、ニッ、サン、シッ、ゴー、ロク、シチ、ハチ」
振り付けが段々早くなる。しかしりょーは無言で、全身に汗をびっしょりとかきながら踊っている。気迫がすごい。
何周かの練習を終えてダンスの先生は本日の練習の終了を宣言した。
いつもは騒がしいAKO47たちがみなおしだまったままだ。
「わかったかお前ら」唇をゆがめて荒巻宙二が言う。「たらたらやってると全部もってかれっぞ」
たけちんがマンジュウをにらんだが、なにも言えなかった。
りょーはその冷え切った空気の中、タオルをつかむと「シャワーお先ね」と言い捨てると、さっさと二階へ上がろうとした。
「ちょっとお待ちなさい」かろうじてリーダーが押しとどめる。「シャワー室は二つしかありませんから順番が決まっていますわ。猫ヶ谷さんは今週は最後です」
「そう」りょーはただちに言うことを聞いた。が、振り向いておれの腕をつかむとすがるような眼をした。
「ねえ、南部くん、お願い」
「な、なんだ」
「あたし、夕方から用事があって急いでるの。一階のお風呂を使わせてくれない」
「お、おれはいいぜ。あとしんくんがオーケーしてくれれば」
おばさんは外出中でいない。
「ありがとう」りょーは軽く投げキッスするとそのまま一階のふろ場へ行った。AKO47の他のメンバーなど知らない風だった。おれはその後姿を見送った。
「南部っち、猫ヶ谷には優しいにゃ」まおりんがおれの腕をつねる。
「いや、そんなことないぜ」
「AKO47《あたしら》二階のシャワーだけ使うはずやのに、なんであの子だけ特例なん?」たけちんが上目遣いでおれを見る。
「いやその」
「ま、南部くんそのものが特例ですからね」
はなちゃんまで! どうしたんだ!
(宙二×里己。いや里己×宙二か)
やおいはなにかぶつぶつ言っている。
「まあ、大家側の人間が許可したのだから、仕方ありませんわ。みんな二階へあがりましょう」リーダーの声に珍しくみんなが不貞腐れた表情のまま二階へぞろぞろと上がっていった。
(ふん。これはいい方に転ぶかもしれねえな)
荒巻宙二はなにかつぶやくと、マイルドセブンに火をつけながら部屋を出ていった。
*
「南部くん。南部くーん」遠慮して風呂場へ近づかなかったおれにりょーの声がかかった。
「なんだ?」
「ちょっと来て」りょーの声は風呂場の脱衣所兼洗面所から聞こえる。おれがしのぶのブラジャー事件を起こしたところだ。正直、そこで少女と二人きりになるのは避けたい。またどんな問題が起きるか分かったもんじゃない。
「早く! はやくー」
おれは根負けして洗面所のドアを開けた。「入るぜ」
おれが入るとりょーは身体にぴったりとし、ミニスカートのワンピースを着ているところだった。さすがにタオル一枚ではないが、背中のファスナーが大きく開き、ブラジャーのホックが見える。
「うわっ!」おれは洗面所を飛び出て、後ろを向いた。この状態で叫び声を出されたら、おれは間違いなく有罪になる。しかしりょーはむしろのんびりした声で言った。
「だいじょーぶよ。中に入って」
「ほ、本当にいいのか?」
「いいって言ってるじゃない」
「そ、そうか」
おれが中に入ってもじもじしていると、りょーはこともなげに言った。
「こっち来て、背中のファスナーを閉めて欲しいの」
うわっ!
「無理無理無理」
「無理じゃないわよ。南部くんはなにもしないでしょ」
「え?」
「顔見ればわかるわ。南部くんは女性の弱みに付け込むような人じゃない」
りょーはおれに背を向け、鏡の前でリップスティックを塗りながら言った。
「そ、そうか。じゃあ」
おれはこわごわとりょーの背後に近づくと視線を下げたまま、ファスナーを引っ張った。女性のファスナーを閉めてあげたのは生まれて初めてだ。とちゅうでファスナーが引っ掛かった。なかなか引っ掛かりが取れない。おれはうつむたまま視線を上げた。
上げたおれの視線にはばたくアゲハチョウが映った。りょーの背中の左側に大きなアゲハチョウのタトゥーが描かれている。白い肌に青いアゲハチョウが目に染みた。不思議なことにそのアゲハチョウの尻には蜂のような針が描かれていた。おれは手早くファスナーを一番上まで引き上げた。
「こっちを見て」うつむいたおれにりょーが言う。
おれはようやく顔を上げて鏡の中のりょーの姿をのぞいた。完全に化粧を済ませ、ものすごくセクシーだ。りょーがゆっくりとまばたきした。まぶたにアイシャドーで「LOVE YOU」と書いてあった。
おれは鼻血が出そうだった。
「あのさ。聞きたいんだけど」
「な、なんだ」
「AKO47てさ、あたし以外のメンバーのことだけど」
「うん」
「なんでやる気ないの」
ああ、こいつは頭いい、というか感が鋭い。
「あんたけっこうみんなと親しそうだから、知ってるかと思って。なんでみんなやる気ないのか」
「うーん」ま、それぞれ色々とあるんだよね。複雑に。
「あたし、AKO47はAKO47で新しいチャンスかな、と思ってたんだけど」
りょーは振り返ると、真面目な顔でおれを見た。
「このままじゃ駄目ね」
「だめって言うと?」
「レベルが低すぎる。やる気がなさすぎる。本当にアイドル予備軍なのか疑っちゃう」
「えと、きみの意見では、AKO47のレベルはどれくらいなの」
「ま、はっきり言えば」
りょーは鼻に小じわを寄せて言い放った。
「まるで高校生の部活ね」
*
次の朝、おれが台所へ入ると、りょーが割烹着を着て立ち働いていた。
「なっ! どうした?」
「あら南部くん。ちょうどよかった」りょーは澄まして包丁を握る手を止めた。
「今日は予備校の日でしょ。お弁当作っておいたわ」
なんですと! おれは一歩前へ出た。夢ではなかろうか。いやいや、きっとなにか質の悪いいたずらだろう。
しかし、テーブルの上に乗っている弁当は普通の焼肉、焼き魚、漬物、プチトマトなどの家庭弁当。
「店の残り物、とかじゃないからね」りょーは念を押す。
「本当にこれ、もらっていいのか」
「ええ、昨日のお礼」
人の気配にはっと振り向くと、台所の入口でしのぶがむすっとした顔で腕組みをしていた。さらに振り返るとくのいっちゃんが音もなく立ち去るところだった。
うむむ。目撃されたが別に他人に知られて困ることをしてたわけじゃないし、痴漢でも犯罪でもないし、ま、大丈夫か。
*
次の日おれが台所へ入ると、AKO47のメンバーのほとんどが台所にいた。まおりん、やおい、たけちん、はなちゃん、リーダー。みな忙しそうに立ち働いている。くのいっちゃんだけが、部屋の隅に立っている。
「な、な、な、なんだ。お前ら!」
「受験生に栄養をつけてやるにゃ」まおりんが四次元ポケットから取り出したような仕草で弁当箱を掲げた。「キャラ弁当!」
見ると、アニメキャラがふりかけや佃煮で描かれている。
「栄養付けるには、やはりうなぎですわね」リーダーが用意したのはうな丼だ。
「日本食の基本は米ね。青沼産コシヒカリです」はなちゃんがおにぎりを握っている。
「受験生やったら、これしかないやろ。必勝弁当。カツ!」たけちんはとんかつ弁当を掲げた。
「弁当は技術じゃない、工夫だ」やおいがオムライスにでっかいスペードマークをケチャップで描いている。「ストライク弁当。ファイナル弁当」
なにごとだ。この世の終わりが近づいているのか。天変地異の前触れか。
「受験生は栄養つけなきゃ」はなちゃんキョラ変わってませんか。
「「「「さあどうぞ」」」」四人はおれにそれぞれの弁当を差し出した。しかしその視線にはおれがどれを受け入れるか、という厳しい判定が伴っている。
もしかしてこれハーレム状態? いやもしかして、これ、選択を間違えると即死のトラップ?
「え、えと。ありがとう。でもこれ全部食べるのはちょっと」
ぎろり。八つの眼でにらまれた。
正に八面六臂。いや四面楚歌。
「あ、はい。ありがとうございます」
おれはAKO47たちの見守る中、全部の弁当を平らげた。
「ぐええ。腹が苦しい」
AKO47たちが立ち去った後、おれは畳の上に座り込んでいた。お腹が重くて立ち上がれない。食べ過ぎで調子を崩し、今日は受験勉強どころではなかった。
「大丈夫ですか」しのぶが胃腸薬とコップの水を差しだす。
「なんでおれ、こんな目に遭うんだろう」
しのぶはちょっとむすっとした様子で言った。「半分は南部さんの責任ですよ」
「え? なんでおれの」
しのぶはそのまま立ち上がりながら言った。「南部さんは優しすぎますから。不用意に優しいって、冷たいよりひどいことですよ」
なに言ってんだろう。おれには意味が分からなかった。




