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はな

 おれが予備校から帰ってきたのは夕方だった。

 代々々ゼミナールは普段はオンラインで授業を受けるが、一週間に一度、対面授業で自由に質問したり相談に乗ったりしてくれるのだ。

 陽が傾いた通りには買い物自転車や帰宅路についている小学生などが歩いている。みな脇目もふらずまっすぐに自分の目的地へ向かっている。

 おれも足早に歩いていた。帰るついでにおばさんに頼まれた買い出しを済ませなければ。

 スーパーカクエツへの道を歩いていると遠目に二人の人影が立っているのが見えた。

 二人ともすらりと背が高い。

 近づくとおれのよく知ってるAKO47の少女が白人男性と話していた。

 たしか「はな」と呼ばれていた金髪ハーフの女の子だ。

 いや、よく見ると男性のほうが一方的に話しかけている?

 ストーカー? もしかしたら言い寄られてるのかも。

 アイドルだし、あの容姿だから考えられないことじゃない。

 おれはショルダーバッグを肩にかけ直すと二人に近づき声をかけた。

「よっ」

 二人は同時に振り返った。はなちゃんの方はおれの顔を見るとぱっと顔を明るくした。よく見るとちょっと涙目になっている。

 その一瞬後には、なんとはなちゃんはおれの後ろに駆け込んできた。おれの背中ごしにこわごわと白人男性のほうをうかがっている。なんだかからまれている女性をおれが割り込んできて救ったという感じの図になってしまった。

 その白人男性はちょっと鼻白んだようすで一瞬おれをにらんだ。やるか、こいつ。おれより頭一つ分背が高い。正直けんかになったら勝てる気がしない。

 白人男性はおれを試すような目つきでちょっと見ていたが、やおら話しかけてきた。

「Execuse me. I lost the way and I was asking this lady that how I can reach Akihabara.......」

 ちょっと待て。

 早口でなにを言ってるのかほとんど聞き取れない。

 ほとんど聞き取れないが今「AKIHABARA」って言わなかったか。

 おれ外人と話したことなんてないが、仮にも受験生。英語の構文や単語は山ほどこの灰色の脳細胞に詰め込んである。

 おれはとりあえず言ってみた。

「アキハバラ? ユー ワントゥー ゴートゥー アキハバラ?」

 白人がにっこりした。笑顔になるといいやつっぽい。

「Yeeees! Oh, It's my luck I met you. Nobody wan'na talk to me......」

 そいつは安心したのか早口でまくしたてた。ほとんどなにを言ってるのかわからない。

「I came to Japan all the way to visit Akihabara. The center of Japanimation. "Dragon ball Z", "Naruto",.......」

 『ドラゴンボール』? 『ナルト』? 海外のアニメファンか。

「ユー ライク 『ナルト』」

「Oh yeeees!」

 その白人はガッツポーズをするといきなり両手を胸の前に組み合わせて数々の印を結んで見せた。おれも真似をする。ま、これくらいは日本男児の基礎教養だ。

「Achooooh! Ninja, Ninja.......」

 日本が激しく誤解されているが、まあ国際親善のためならいいだろう。おれも手裏剣の投げ真似をやってみせた。彼は大喜びだ。

 その後、彼の持っている地図を指差しながら、おれは道順を教えてあげた。

「ゴー ディスウェイ、アンド ディスウェイ、アンド ディスウェイ・・・・・・」

 その白人は何度もうなずくと、最後にがっしりとおれの右手をつかんで握手してから去っていった。

「Thanks! Thank you so much......」

 おれは彼の姿が視界から消えるまで手をあげていた。彼がなんども振り返り、手をちぎれるほど振り続けたからだった。


 ふと振り返るとはなちゃんがいた。

 はなちゃんは両手を胸の前で組み、上から目線でおれを見ていた。

 いや上から目線なのは、彼女がおれより背が高いから当然のことなので、そこに見下すという意味はない。

 はなちゃんのほおがほんのり薄いピンク色に染まってる。

 正しくはなちゃんは「ソンケー」のまなざしでおれを見ていた。

「すごーい! 南部くんって英語できるんだ!」

 いや、そんなきらきらした目で見られると照れるんですけど。

「すごーい! すごーい! わたしなんか英語で話しかけられた瞬間、身体の自由が奪われたようになったもの。誰か! 助けて、って声をあげたくても声もでなくなったし・・・・・・」

 いや、襲われたんじゃないんだから。

「それなのに南部くんはあんなにぺらぺらできちゃうなんてすごい!」

 いや、かなり怪しい英語だった。東南アジアのみやげ物売りくらい怪しげな英語だった。

 ミスター、チープね。ベリーチープ……

「しかも最後はあの男とがっしり握手までして。なんだか首脳会談で条約締結って感じだった」

「はは」おれは力なく笑った。

「本当にありがとう」

「なんでもないよ。こんなことくらい」

「そんなことない。お願い。なにかお礼させて」

「いや。いいよ」

「そう言わずにお願いー」金色のポニーテールが揺れる。

 なんだこの展開。

 おれが、さえない受験生のおれが、金髪碧眼のグラマラス女子高生にお願いされている。

 はなちゃんは上から顔を近づけた。その距離、十センチ。口の横の小さなほくろがとてもセクシー。

「ちょっとちょっと」

 おれは両手で自分をかばった。これ以上近づかれると理性がやばい。

 なんだこの親密度は。きみは男性に対する警戒心というものがないのか。

 しかし彼女はきちんとした応対を期待している。そのまま突き放したら嫌な思いをさせるかもしれない。

 この息苦しさから抜け出て、なおかつ彼女を傷つけない方法はないものか。

 苦しまぎれにおれは言った。

「あの、おれ、おばさんに頼まれて買い物行くから・・・・・・あ、そうだ。じゃ、買い物に付き合ってよ。荷物も多いし」

「そんなことでいいの。わかった」

「用事とかないの?」

「ううん。わたしも買い物へ行くところだったから」

「じゃあ行こ」

 おれたちはスーパーカクエツへ入った。はなちゃんがさっとカートを2台とってきてかごを乗せる。

 おれが先にたって品物をどんどんかごに入れはじめた。毎日必要な牛乳や肉などは決まったものを買ってゆく。あとは今日の夕飯だ。おれはあたりを見回した。

「なに探してるの?」

「今日の夕飯のおかずはなにがいいかな、と思って」

「え、南部くんが決めるの?」

「わりとおばさんから任されててさ、材料の値段みあいでおれが決めていいって」

「南部くん。料理も上手だしね」

「実家でもおれが作ることが多かったんだぜ」

「えーなんで?」

「家が店をやってたから、忙しくてさ。あと……」

「あとなに?」

「おばあちゃんが寝たきりだったんだ。勉強の合間に交代で看病したり、食事を食べさせたりしていた。だから家事全般できる」

「いーな。わたしは家事苦手だから。特に料理はだめ。もっぱら食べるほうね」

「あ、それちょっととって」おれは棚にならんでいるたくあんを指さした。「その黄色いやつじゃなくて白いやつ。そうそうそれ」

「黄色いのは安売りシールがついてるわよ」

「見ればわかる。古そうだ。白いほうが絶対おいしい」

「へー、見ただけでわかるんだ」

「たくあんは古いやつを一度買ってこりたからね。なんにもないときは炊きたての白いごはんとたくあんだけで十分だ」

 ごくっ。

 おれのわきではっきり聞こえるくらい大きな音がした。

 あれっ、確かに今聞こえたよね。

 なまつばを飲み込む音だ。

 おれがはなちゃんの方を見るとはなちゃんはさっと顔をそらせた。真っ白な肌にさすようにしてかすかに耳が赤くなってる。

 こんなキャラだったんだ。黙って立ってると「近寄りがたい」オーラを発散させているが、普通に食欲のある女の子。

 照れてる彼女をじろじろ見るのは悪いと思っておれはわざと食べ物の話を進めた。

「米は炊きたてはどんなのでもおいしいけど、やっぱり新潟のが旨いね」

「あ、青沼産? わたしもファン」

「新潟はなんで米が旨いか知ってる?」

「え、知らない」

「夏、太平洋から吹いてきた風が日本を縦断している山脈にぶつかって登ってゆくとだんだん水分を落として冷えてゆく。標高が上がるにつれて気温は下がる。ところが山のてっぺんを越えて反対側へ降りるとき、同じ高度を降りてももっと暑くなるんだ。これをフェーン現象っていう。田んぼには水に浸かった稲が生えてる。ここへ乾いて暑い空気が降りてゆくと水の中の栄養がぎゅーっと濃縮されて稲のうまみが増すんだ。暑い夏ほど果物が甘いのと同じ原理だな」

「すごーい! 里巳くんってなんでも知ってるのね」

「いや、なんでもってわけじゃないけど知ってることだけなら」

 おれは調子に乗ってたずねた。

「きみはあっちではどんなものを食べてたの?」

「え、「あっち」って?」

「ええと、ヨーロッパの方」

「わたし、生まれてから日本を出たことない」

「あ」そうか。だから英語もできなかった。

「お父さんはオーストリア人だけど日本でお母さんと結婚して、わたしは一度も日本を出たことがない」

 はなちゃんはうつむいた。

「だからわたしハーフだけど日本語しかできないし、英語全然ダメだし、食事も日本食でないと受け付けないし……」

「え、洋食だめなの?」

「日本で「洋食」っていってるハヤシライスとか日本のカレーとかはわりと大丈夫なんだけど、お父さんが好きな黒パンとか本場のインドカレーとかタイ料理のパクチーとかだめ。匂いでうっと胸が苦しくなって……その国の人には悪いなあとは思うんだけど。でも日本のクサヤの干物とか納豆とかは大好き! あの臭さがたまらない」

「そうそう。旨いよね。熱々の白いごはんにふりかけとか……」

「生卵と醤油かけてぐるぐる混ぜたり……」

「ママカリとか。あのサッパの酢漬け」

「サイコー!」はなちゃんは子供のように顔を輝かせた。いまにもスキップしかねない様子だ。

 黙って立ってると冷たい感じなのに。

 スーツ着せたらいかにも「仕事のできるビジネスウーマン」っていう感じなのに。

「日本のカレーライスが大丈夫ならこんど一緒にらっきょう漬けてみよか」

「え、らっきょう? どこにでも売ってるのに」

「いや。自分で漬けたのは旨いぜ。おれ、ばあちゃん直伝の漬け方しってるから」

「へえ。どうするの?」

「大体毎年六月ごろにらっきょうが八百屋に出てくるから箱買いするんだ。十キロか二十キロ」

「ふーん」

「それで全部皮をむく。これが大変なんだ。人海戦術でやる」

「たまねぎみたいなものね」

「それから酢と水を半々にして煮立て、冷えたらどろを洗って乾かしたらっきょうと砂糖と唐辛子を入れて封をする。半年あとからたべられる」

「おいしそう」

「旨いよ」

 おれのお腹からきゅるっと音がした。

 思わずほほえんだはなちゃんのお腹からもきゅるっと音がした。

 おれたちは顔を見合わせてにっこりした。お互い様だからもうはなちゃんは恥ずかしがっていない。

「おいしいものの話してたらすっげえ腹へってきたね」

「わたしも」

 カートを押しながらはなちゃんが聞いた。

「今晩のおかずはなににする?」

「きみはなにが食べたい?」

 このやりとり、な、なんだか夫婦か同棲しているカップルの買い物風景みたいだな。

「なあ猫崎」

「はなでいいよ」

 いや、いくらなんでも名前で呼び捨てなんて他人になんて思われるか。

「ええと。猫崎の名前は「はな」でいいの」

「本名を聞いてるの?」

「おう」

「あまり言いたくない」そっぽを向いてしまった。

「え? なんか気に障った?」

「障った」

「ご、ごめん」

 女の子の扱いってむずかしい。受験勉強よりもはるかに。

「いい」

「いや、おれのことは「南部くん」ってちゃんと呼んでもらってるのに「きみ」とか言ってるのが気になって・・・・・・

「そう」金髪グラマラスは少し考えてからおれに向き直った。「決して笑わないって約束してくれる?」

「は? 笑う? 他人の名前を? まさか」

 金髪少女はしばらくためらってから大きく息を吸うと言った。

「わたしの本名は・・・・・・「猫崎ズーダーマン花子」よ」

「く」衝撃だった。

「ず、ズーダーマン花子」

「笑わないで。そこで笑われるとわたしは傷つくよ。激しく」

「う、ぷ、くっ」

「わたしの父は日本びいきでね。でもわかるでしょ。外人の日本文化理解の感覚ってなんかずれてる」

 笑いを抑えたおれはやっとの思いで答えた。

「ああ、わかる」

 さっきの道を尋ねた白人もそんな感じだった。

「わたしの知り合いにやっぱりハーフがいてね。父親がアメリカ人、母親が日本人なの」

「それで?」

「父の姓がキング。ほらスティーブン・キングとかのキング」

「うん。別に変わった名前とは思わない。アメリカでは普通の姓だろう」

「でも彼が生まれたとき、そのアメリカ人の父は息子に「太郎」と名づけたの」

「はあ」

「キング太郎よ」

「はっ!」

「父親にしてみれば普通の・・・・・・日本的な・・・・・・男らしい・・・・・・立派な名前と思ったんでしょうね」

「うむ」

「そこが・・・・・・外人の感覚よ。子供の迷惑顧みず」

「・・・・・・」

「おそらく彼の少年時代が想像つくわ。「金太郎」というあだ名で呼ばれ、暗い少年時代を送ったのよ」

「見てきたように話すな」

「わたしがそうだったから」

「花子・・・・・・こんな名前をいまどきの日本で本当につける親がどこにいるの! お母さん! なぜ必死に反対してくれなかったの!」

 はなちゃんこと花子は胸の前に構えたこぶしを強く握り締めた。

「ズーダーマンはまだ諦めがつく。代々の姓だから。変えようがないよね」

「しかし花子・・・・・・わたしを最初に見た人はたいてい「は、ハロー」とか言うの」

 まあそうだろうな。見かけは外人モデルみたいだからな。

「でもそんなに悪くないとおもうよ。そのズンダバ・・・・・・」

「けんかを売ってるの?」

「いえ」

「「はなこちゃん」もいいと思うけど」

「やめてやめてやめて!」

「そんなにコンプレックスなんだ」

「こどものころ、母が私を「花子」と呼ぶと、まわりにいる人々がきょろきょろとあたりを見回すの。わたしのことだと誰も思わないのね」

 ま、そうだよな。「シェリル」とか「グレートヒェン」とか言う名前がよほど合ってる外見だからな。

「わたしが芸能界に誘われてその気になったのは「素敵な芸名がもらえるよ」という一言だった」

「なる・・・・・・」

「でもいまのままでは当分だめなよう」


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