プロローグ
プロローグ
しゃんしゃんしゃん、ねこにゃんにゃんにゃん
うしろの正面だーあれ
あつい湯にとっぷ漬けしぼれ
しぼりゃやわらかなめしーがわ
おとがよくひびくぅ
べべんべべべん、べべんべん
はーあきっちょむさーんきっちょむさーん
霧の中に三味線の音が響いていた。
真っ白の霧のことで、音の来る方向も歌う人数もはっきりしない。
霧の中は暑くもなく寒くもなく、そこがどこかもわからない。
ただその世界を隠していた。
突然稲光が霧を貫き、三拍おいて雷鳴が轟いた。雷に打たれ、立木が真っ二つに裂けて倒れた。しばらくくすぶっていた木は突然ぱっと燃え上がった。
炎といぶされる木のしぼりだす煙に照らされ、霧をついて人影が浮かび上がった。
いや、人ではない。人の形をした妖だ。
すっとのびた両手・両足が長すぎる。
白い腹と胸をのぞいた全身に短い茶色の毛がびっしりと生えている。
整った顔立ちの中、目だけが大きい。瞳孔は縦に細くなっている。
その妖は全身に傷を負っていた。引っ掻き傷ではない、噛み傷だ。無数の歯型から血が滴り落ち毛皮を赤く染めている。
その妖は目的地に辿り着いたようだった。目の前に小さな鳥居が立っている。
首につけた鈴を引きちぎると、その鳥居めがけて放った。両手で印を結び、口の中でなにか唱える。
おんりきりきりおんりきりきり
大猫霊よ、猫剣士たちのもとへわれをつかわせたまへ!
エロ イム エサ イム
後ろから三味線の音が近づいた。
妖は一心に呪文を唱え続ける。ひたいから血の混じった汗がひとすじ、流れて目に入った。
「喝!」
妖は呪文を唱え終わり、一声を放った。鳥居の中央に黒い渦が巻き、禍々しい妖気が吹き付けてくる。妖はごくりとつばを呑んだ。
後ろからはさらに三味線の音が追い立てるように近づいてくる。
空中からなにかが飛来するごくわずかな気配を感じ、その妖は黒い渦に飛び込んだ。
たった今まで妖のいた場所に黒い槍が何本も突き立った。
一瞬遅れて水中の魚のように黒い影が霧の空間をぬってあらわれる。
真っ黒のやせた長身のその姿は狗の頭を備えていた。
狗は妖の消えた鳥居の中央を見つめていた。