長女、語る
ありがとう、ご婦人。あなたが私を買い取ってくれたのね。
こんな老朽化した船なんて、すぐに解体されるものだと思っていたから、内装だけでも、お屋敷として使ってもらえると聞いたときは、本当に嬉しかった。
かつては豪華客船なんて言われていたけれど、今の時代、もっとすごい船がいっぱいありまものね。
え? あなたは『頼もしいお婆ちゃん』じゃないか、ですって?
確かに、そう呼ばれてもいたけれど、私なんて本当はドジばっかりだったのよ。
ただ、先に沈んでしまった妹たちの分まで頑張ろうって、必死になってただけ。
……そうね、時間はたっぷりあるし、あなたさえ良ければ、このオリンピックお婆ちゃんの昔話でも聞いてもらおうかしら
私たちが建造され始めたのは、今から30年近く前のこと。イギリスのホワイト・スター・ライン社が、三隻の豪華客船を建造する計画を立ち上げたことが始まりだったわ。
社長も社員も、世界で最も豪華な船を作るんだってやる気に燃えていたみたい。
そんな熱気は、建造中の私たちのもとにも伝わってきてね。よくすぐ下の妹と、海に出たら頑張ろうって話したものよ。
そう、その妹の名前がタイタニック。まさかあんなことになるなんて、あのときは夢にも思わなかったわ。
そして1911年、一足先に完成した私が、初航海に出ることになったの。船長は、エドワード・ジョン・スミス。彼はこの時60歳を過ぎていたけれど、経験豊富で、もっとも安全な船長と評判だったわ。
スミス船長が私を始めて見た時の、驚いた顔が忘れられない。そして彼は溜息をつきながらこう言ったの。
「なんて大きい船だ」
彼以外にも、見る人はみんな同じようなことを思ったみたい。こんなに大きい船が沈むはずは無いって。
私にとってはプレッシャーよね。まだ海に出る前から、そんな不沈伝説が囁かれ始めたんですもの。
6月14日、スミス船長の指揮のもと、私はついに出航したわ。この時の目的地はニューヨーク。約一週間かけて、大西洋を横断する計画よ。
航海は順調に進んで、予定通りの6月21日に、私はニューヨークにたどり着いた。そこまでは良かったの。
でもここで、はやくもドジをしてしまった。私のスクリューから発生した大きな水流が、近くにあったダグボートを吹き飛ばしてしまったの。
大きな事故では無いにしろ、事故は事故。初めての航海でこんなことになってしまうなんて、あの時の私は、穴があったら入りたい気分だったわ。
思えばこの時、私も船長も、もっときちんと事故の原因を分析していれば良かった。今ならばはっきりとわかるわ。原因は私の巨体のせい。そして船長がその大きさに慣れていなかったせいだって。
それからたったの三ヶ月後、私たちは本格的な事故を起こしてしまった。イギリス海軍の巡洋艦と衝突してしまったの。
あれは1911年9月20日、いつものようにニューヨークへ向けて出発した私が、ソレント海峡にさしかかったときだった。
近くを航行していた巡洋艦が、急に吸い寄せられるかのように私の方へ向かってきたの。
船長は回避しようとしたけれど間に合わなかった。
巡洋艦は私の右舷に直撃、私も向こうの船も大きな損害を受けたわ。
事故の原因? ええ、それを聞いたとき、私は本当に嫌になったわ。
……私の巨大なスクリューに、巡洋艦が吸い込まれたせいなんですって。
あんなに期待されていたのに、蓋を開けてみればこの体たらく、ドックで修理を受けながら、私はずっと落ち込んでいた。
そんなとき、妹のタイタニックは、いつも私を励ましてくれていたわ。
「もうすぐ私も初航海だから、二人で頑張って、みんなの信頼を取り戻そう!」
そんな明るい声を、今でも思い出すわ。
1912年4月10日、妹の初航海の日。妹タイタニックはニューヨークへ向けて出航したわ。
船長はエドワード・ジョン・スミス。そう、これまで私を担当していた船長だった。
「オリンピックの度重なる事故により失った信頼を、このタイタニックで取り戻す」
そう決意して、彼は妹の舵を取ったのでしょう。
……タイタニックのことは、あなたもよく知っているわよね。
あまり思い出したくは無いけれど、あの日のことは、永遠に忘れることはないでしょうね。
4月15日の未明、私の通信士が遭難信号を受信したの。信号は、その時私がいた海域から、500海里(約960km)も離れた場所からのもので、信号を出した船は、氷山に衝突して今にも沈みつつあるということだった
発信した船の名は、そう、タイタニック。
まさか、初航海でそんなことが! 私は夢中になって妹の元へと急いだわ。けれど、500海里なんて距離、とてもすぐに駆けつけられるはずもない……。
私がたどり着いた時、すでにあの子の船体は真っ二つになって、海底へと沈んでしまっていたの。
あの、史上最悪と呼ばれた事故について、これ以上多くは語りたくないわ。どうしても、悲しくなってしまいますもの。
このとき、一番不憫に感じたのは、もう一人の妹のブリタニックね。まだあの子は完成してもいなかったのに、私の事故やタイタニックの沈没のおかげで、その評判は地に落ちてしまった……。
でも幸か不幸か、客船の評判なんて関係のない世の中になった。あなたも覚えているでしょう。世界大戦が始まったの。
1915年の9月、私は軍の輸送船として徴用されたわ。簡易的だけど武装を取り付けられて、地中海で部隊を輸送する任務に就くことになったの。
本当は客船のままの方が良かったけれど、こんな私でも人々の役に立つのならと、頑張って任務をこなしたわ。
だけれど同じ年の12月に、完成したばかりの妹ブリタニックも軍に徴用されてしまった。
あのときは、流石に悲しい気分になったわ。あの子は私やタイタニックと同じ、豪華客船として建造された。そしてお客さんに最高の旅をしてもらうために生まれたはずなのに……。
「でも病院船だよ、お姉ちゃん。人を救ける、素敵な仕事だと思わない?」
あの子はそう言って、無邪気に笑っていたかしら。
私たちが同じ海域で任務に就くことになったことだけは、本当に運が良かったと思う。
私は輸送船として、妹は病院船として、一年の間、お互い励まし合いながら、地中海を駆け回っていたわ。
妹はよく言っていた。戦争が終わったら、お姉ちゃんたちみたいに、いっぱいのお客さんを運ぶんだ、って。
でも、それは果たせぬ夢に終わってしまった……。
1916年11月12日、あの子はドイツ軍の仕掛けた機雷に接触して、あっさりと沈没してしまったの。
まだ海に出て一年も経っていないというのに、まだ本来の仕事を一度もしていないというのに!
二人の妹を失った私は、もう抜け殻みたいなものだった。命じられるまま、ただ軍の輸送船として仕事をするだけの。
それから二年後、ついに私の番がやってきた。ドイツ軍の潜水艦が、私にめがけて魚雷攻撃を仕掛けてきたの。
最初の攻撃は回避したものの、相手は戦うために生まれてきた潜水艦、私は本来ならただの客船、このまま撃沈されるのは時間の問題だと覚悟したわ。
だけど、このとき私に乗っていた、バートラム・ヘイズという船長が不思議な人でね、まったく負けず嫌いというか、諦めることを知らない人だった。
「この巨体をぶつけてやれ!!」
信じられる? ヘイズ船長は、敵の潜水艦に向かって、体当たりでの反撃を敢行したのよ。
相手もそんな行動は予想外だったのでしょうね。体当たりは見事成功、相手を撃沈する事に成功したの。
「It‘s Reliable!」
彼がそう叫ぶ声を聞いた時、もし私が人間だったなら、きっと涙を流していたでしょうね。
客船としては失敗ばかり、妹たちにも先立たれ、もはや輸送船として機械的に働くことしかできない私に、船長は Reliable(頼もしい奴) と言ってくれたのですから。
その時から、私は目が覚めたような心地がした。頼もしいと言ってくれる人がいるのに、それを無視していつまでも腐っているようじゃダメだって。
そしてもしも叶うのならば、また豪華客船として人々の笑顔を運びたい、そう願っていた。
嬉しい事に、神様はその願いを叶えてくれた……。
あれから20年近くになるのね。
こんなに長い間、客船として働けるなんて思いもよらなかった。
タイタニックやブリタニックも、頑張ったねお姉ちゃんって、褒めてくれていると思うわ。
あら、ごめんなさいね。一方的に長々と話し過ぎちゃったみたい。
ご婦人、今度はあなたの話を聞かせて。もちろんいつでもいいわ。時間はたっぷりあるんだもの。
これからの私は、あなたの屋敷。かつての豪華客船の中で、ゆっくりくつろいでくださいね。
おやすみ、ご婦人。また明日。