93話:めりこむのは勘弁
飛空艇がゆっくりと、イーギリの街の上を飛行する。
俺には床越しに街の様子がよく見えていて、意識すると見たい場所をズームできた。
街中に行き交う人々がこちらを見上げて、口を半開きにして眺めているのがよく見える。
「うーん。こうして上から見ると、私たちの街ってずいぶんごちゃごちゃしてるよね」
マイアコットさんが窓から眼下の街並みに目を向けて言う。
「建物が密集しすぎてるのがいけないのかなぁ。なんか暗い感じに見えるし」
「それもありますけど、建物がどれもサビだらけなのも、そう見える要因の1つだと思うのですよ」
ノルンちゃんがマイアコットさんの隣で街を見下ろしながら言う。
「お手入れは大切なのですよ。どんなに整った街並みでも、建物が煤けていてはみすぼらしく見えてしまうのです」
「そうだねぇ。雨が多いから、どうしても錆びちゃうんだよね」
ズバズバ言うノルンちゃん。
少し失礼な言い方のような気もするけど、マイアコットさんは気にしていないようだ。
「うちの屋根もそうだけど、木製だと腐っちゃうしさ。かといって鉄にすると錆びちゃうし、修理は大変になるし。どうしたもんかな」
「ペンキを塗ったりはしないのですか? いくつか、塗られている建物もあるようですが」
ノルンちゃんの言うとおり、街の建物の中には濃い赤色や青色の屋根を持つものも見える。
それらの建物は、どれも大きくてお金持ち風の家のようだ。
「お金に余裕がある家は塗ってるけど、手間がかかるから費用がかさむんだよね。しょっちゅう雨が降るから、塗ってる最中に降ったら流れちゃうし。雨が少ない季節に一気にやってるんだけど、業者もそんなにたくさんいるわけじゃないしさ」
「なるほど……むむ、晴れの日が少ないのはつらいですね」
「そうなんだよ。あと、最近はずっと雷雲があったせいで山の石炭が掘れなかったから、街の予算がカツカツなんだよね。炭鉱で働いてる人たちも、お給料が軒並み下がっちゃってるしさ」
マイアコットさんが困り顔で言う。
「でもまあ、ノルンさんたちのおかげで雷雲はなくなったし、採掘が再開すればなんとかなるかな。地下から出てきた採掘機も使えれば、今までとは段違いの効率で石炭が掘れると思うし」
「天気のことなら、私が精霊さんにお願いしてあげようか?」
別の窓から街を眺めているネイリーさんが、話に加わる。
「えっ、お願いって、天気を操れるの?」
「うん。風の精霊さんと水の精霊さんにお願いして、雨雲を移動してもらえばいいからさ。事情を話せば、わかってもらえると思うよ」
「わあ、それぜひお願い! できれば、雨の降る時期とそうじゃない時期を、きっちり分けてもらえないかな?」
マイアコットさんが期待に満ちた眼差しをネイリーさんに向ける。
「んー。風の精霊さんは世界中を旅して回ってるから、それは難しいかな。長くても数日しか同じ場所にはいないからさ」
「そっかぁ……でも、ネイリーさんがいてくれる間は、ずっと晴れにできるんだよね?」
「できるよ。今、お願いしてみよっか」
「うん、お願い!」
ネイリーさんが空を見上げる。
精霊さんと対話をしているようだ。
「チキちゃん、精霊さんは見える?」
ノルンちゃんの隣にいるチキちゃんに聞くと、彼女は空を見上げて頷いた。
街の真上には分厚い雲が覆っていて、青空はまったく見えていない。
完璧な曇り空だ。
「うん。風の精霊さんと水の精霊さんがたくさんいるよ」
「いいなぁ。俺にも見えたらいいのに」
「コウジにも魔力があったらよかったのにね。生まれ変わる時は、エルフにしてもらったら?」
「あ、それいいね! 魔法が使えるようになるかもしれないし!」
俺たちが話していると、すっと、空から光の筋が飛空艇の真ん前に現れた。
それは徐々に大きくなって、やがて飛空艇を飲み込んで、街全体を明るく照らし始めた。
空を見上げると、それまであった分厚い雲の中心にぽっかりと穴が開き、それが少しずつ広がっていた。
「おーっ! 青空だ!」
マイアコットさんが嬉しそうな声を上げる。
「精霊さんにお願いして、他所に行ってもらえることになったよ。二、三日の間は晴れになるから」
ネイリーさんがにっこりと微笑む。
さすが天才魔術師、仕事が早い。
「ほんと、助かるよ。でも、何でこの街はいつもいつも雨ばっかりなんだろ? 精霊さんたちに聞いてみてくれない?」
「うん、ちょっと待ってね」
ネイリーさんが再び空を見上げる。
「……水の精霊さんたち、この街の上は居心地がいいんだってさ。海から山を越えてこの街の上まで上がって来て、あっちこっちに行く前に一休みするのにちょうどいいんだって」
「そ、そう。休憩場所だったんだ……」
マイアコットさんが苦笑する。
中学生の頃に授業で習った話だと、季節風とか海水温といったことが関係していたはずだ。
この世界においては、そういった自然現象が精霊さんの動きに置き換わっているということなのだろう。
「なあ、ミントさんよ」
それまで黙って景色を眺めていたカルバンさんが、ミントさんに声をかけた。
「あんたは、この街にずっといるつもりなのか?」
「はい。それがパートナーとの約束ですので」
「そうか……てことは、俺らの旅にこの飛空艇を使わせてもらうってのは難しいか」
「旅、ですか?」
「ああ。俺たちさ、ちょいと理由があって、この世界のバグ取りってのをやってるんだよ。女神さん、説明してやってくれや」
「あ、はい! 了解であります!」
ノルンちゃんがミントさんに向き直り、いつものようにこの世界の生い立ちと旅の目的について説明する。
ミントさんは驚くでもなく、黙ってそれを聞いていた。
「――というわけでして、この世界のあちこちに存在しているバグを探しているのですよ」
「そうなのですか。この飛空艇があれば、移動が楽になるというわけですね」
「はい。ただ、別に急ぐ旅ではないので、無理にとは言わないのです。ね、コウジさん?」
ノルンちゃんが俺ににこりと微笑む。
「うん。別に百年かかろうが二百年かかろうが構わないよ。毎日楽しいし、旅すること自体が目的みたいになっちゃってるからさ」
「そうでしたか。マイアコット様が了承していただけるのなら、飛空艇は使っていただいても私は構いませんが」
「それはありがたいんですけど、故障とか事故とかあっても俺たちじゃどうしようもないからなぁ」
人工知能であるミントさんが一緒に来てくれるのなら、飛空艇が故障してしまっても何とかなるだろう。
でも、俺たちだけで運用した場合、故障したらその時点で飛空艇はオシャカになる可能性がかなり高い。
おそらく世界に1機だけ現存しているこの貴重な夢の乗り物を、そんな理由で壊してしまうのはもったいなさすぎる。
将来この街にまた立ち寄った時のために、大切にとっておきたいのだ。
「何かあって壊れちゃったらもったいなさすぎるし、飛空艇はこの街で使ってください。俺たちは馬車でのんびり旅を続けますから」
「かしこまりました。コウジ様たちは、次の目的地は決まっているのですか?」
「次にどこに行くっていうのは決まってませんけど、地図に印がある最寄りの場所に行く感じですかね。カルバンさん、地図を出してもらえます?」
「おうよ」
カルバンさんが旅人の地図を取り出し、広げる。
ノルンちゃんやマイアコットさんたちも集まって来て、皆で地図を覗き込んだ。
カルバンさんが地図に触れて、縮尺を広げる。
「この、赤い丸が付いてるところがバグの場所なんです。行った場所しかマッピングされないんで、ほとんど真っ白ですけどね」
「なるほど。これは変わった地図装置ですね」
ミントさんは地図をじっと見つめ、足元を見た。
どうやら、床越しにイーギリの街全体を眺めているようだ。
ミントさんは数秒そうしてから、再び地図に目を戻した。
「ここから見える街の大きさと、地図に表示されている街の大きさから距離を算出したところ、この最寄りの印まででしたら、街から転送装置でお送りすることができますよ」
「え、転送装置?」
驚く俺に、ミントさんが頷く。
「はい。転送高度を指定すれば、その空間に人でも物でも瞬時に転送することができます。装置が無事ならば、ですが」
「わわっ、コウジさん、一気にSFになりましたよ! すごいですね!」
ノルンちゃんがうきうきした表情ではしゃぐ。
スチームパンクから近未来的な乗り物や人工知能ときて、ついには空間転送というSF的なものまで登場するとは。
俺の願望から作られた世界とはいえ、なんというかいろいろとぶっ飛んでるな。
「な、なんかすごい話してるね……魔法でも、別の場所に一瞬で移動するようなものはないのにさ」
ネイリーさんは驚き半分、感心半分といった様子だ。
ワープ魔法は存在していないらしい。
「ねえねえ! それって、この場所までは転送できるのかな!?」
マイアコットさんが地図に触れ、天空都市カゾを表示させる。
「はい。可能です」
「やった! これでその装置が無事なら、カゾへの石炭の輸送費がタダになるよ! 簡単に遊びにも行けるし!」
マイアコットさん、かなり嬉しそうだ。
確かに、ここからカゾまで石炭を運ぶとなると、かなりの手間だ。
飛空艇でも運べそうだけど、転送装置で一瞬で運べるというのはかなり魅力的だ。
「ただし、注意点として、必ず転送場所は地面や建物よりも高い場所を指定しなければなりません。地面や建物がある場所に転送すると、転送したものがそこにあるものにめり込んで融合してしまいますので」
「コウジさん! ハエのホラー映画と同じですね! テレポーテーション装置でハエと人間が混ざっちゃって、キモキモな怪物になるやつですよ!」
ノルンちゃんが再びうきうきした顔で言う。
いやそれ、うきうきするポイントじゃないと思うんだけどな……。
「お、おい、それ大丈夫なのか? ハエと混ざって化け物になるなんて、危なっかしくて使えたもんじゃねえぞ」
カルバンさんが顔をしかめる。
「いえ、虫や砂埃といった質量が小さいものでしたら、転送時に除去されるので融合はいたしません。あまりにも質量が大きいものが転送先にある場合、除去しきれずにめり込んでしまうんです」
「そ、そうか。そりゃよかった」
「なので、転送先の正確な高度と、そこに何もないという確かな情報が必須条件となります」
「それなら大丈夫です。おもいっきり高いところに転送していただければ、落下しながら私が皆さんを蔓で絡めとりますので!」
ノルンちゃんが指を立て、しゅるしゅると蔓に変異させる。
周りにいるギャラリーたちはそれを見て「うわ!?」と驚いていたが、ミントさんは全く動じていない。
遺物採掘場でノルンちゃんが大立ち回りをしていたのを見ていたのかもしれないな。
「ま、まあ、ともかく転送装置が無事だったらって話だよね」
俺が言うと、マイアコットさんがコクコクと頷いた。
「だね! ミントさん、その装置の場所教えて! すぐに掘り返さなきゃ!」
「承知しました。では、飛空艇をどこかの空き地に着陸させてください。転送装置がある地点へご案内いたします」
ミントさんの言葉に俺は頷き、手頃な空き地を探して街を見渡した。
 




