89話:本物の中のレプリカ
「ええと……これが入口かな?」
飛空艇の側面に付いている出入口と思わしき扉に、俺は手をかけた。
レバーのような取っ手を思いきり引っ張ると、ギィィ、と黒板をひっかくような不快な音を立ててゆっくりと開いた。
「うひっ!? 嫌な音なのです……」
「み、耳が痛い……」
ノルンちゃんとチキちゃんが、両耳を手で塞いで身を縮こませる。
「大昔に作られたものだし、あちこち錆びついたり歪んじゃったりしてるのかもね。開いただけ、すごいと思うけど」
「おっ、灯りが点いてるぞ。あれはガス灯……じゃないみたいだな」
カルバンさんが通路を覗き込む。
飛空艇の奥へと続く通路の天井には、所々に裸電球が光っていた。
電球のフィラメントとか配線、よく数千年も持ちこたえてたな。
「白熱電球みたいですね。電気で光る照明器具ですよ」
「へえ、ずいぶんと明るいんだな。で、入ってみるか?」
カルバンさんが俺に振り向く。
「んー、どうしましょ。ネイリーさんが来てくれれば……あ、来ましたよ!」
俺が街の方を見ると、ネイリーさんが帽子を押さえながら、屋根の上を飛び跳ねてこちらへ向かって来ていた。
ものの数秒で、俺たちの前に降り立った。
周囲の見物人から、大きなどよめきが起こる。
「お待たせ! 飛空艇の中、もう入った?」
「いえ、どうしようって話してたところです。入っちゃってもいいんですかね?」
「うん、大丈夫だよ。ただ、中の機械はいじらないでって、発電機に入ってる精霊さんが言ってたよ」
「わかりました。皆、機械には触らないようにね。入ってみよう」
俺を先頭に、皆でぞろぞろと飛空艇の中に入る。
見物していた人たちも、俺たちの後に続いて飛空艇内に入って来ているようだ。
「けほっ、けほっ。なんだか埃っぽいね」
歩くたびに舞い上がる細かい埃に、チキちゃんが咳込む。
「うん。これは掃除しないとだね……」
「コウジさん、『調理室』がありますよ!」
ノルンちゃんが通路脇の扉に付けられたネームプレートを見て言う。
扉には、大きな金属製のハンドルが付いていた。
「ほんとだ。開けてみたら?」
「はい! むっ、ハンドルが回らないのですよ……んぎぎぎ!」
ノルンちゃんが両手でハンドルを掴み、力いっぱい回す。
ギギギ、という金属が擦れる音を響かせてハンドルは回り、扉が開いた。
「おっ、開いた開いた」
「ここも埃っぽい……」
ぞろぞろと、皆で調理室へと入る。
中はきちんと片付けられていて、大きな寸胴鍋や金属製のお皿が棚にしまわれていた。
ノルンちゃんが缶詰が大量に置かれている棚を見つけて駆け寄る。
「コウジさん、缶詰が置いてありますよ!」
「そうだね。でも食べちゃダメだからね」
「さすがに大昔の缶詰を食べる勇気はないのですよ」
ノルンちゃんは缶詰をひとつ手に取ると、逆さにして、底を見た。
「ええと、『賞味期限:S1701.10.3』って書いてありますね。Sというのは、シリウス歴のことでしょうか?」
「あ、なるほど。賞味期限を見て、船が使われてた年代を探ろうとしたのか」
「ノルン様、かしこい」
俺とチキちゃんに褒められて、ノルンちゃんは「ふふん」と得意げだ。
「ふふふ。女神の頭脳をもってすれば、これくらい余裕なのですよ。ネイリーさん、シリウス歴って何年まであるか知っていますか?」
ノルンちゃんがネイリーさんを見る。
「んー、どうだったかな……確か、3300年くらいまでだったと思う。そのあと、今使われてるプロキオン歴になったよ」
「なるほど。今はプロキオン歴何年でしたっけ?」
「282年だね」
「ということは、逆算すると、この缶詰は約1900年前のものかもしれないわけですね」
ノルンちゃんがふむふむと頷く。
確か、天空島でコールドスリープしていたベルゼルさんは、2000年くらい前の世界で生きていたと言っていた。
缶詰が使われずに飛空艇の中に置きっぱなしにされていたということは、おそらくその年代付近で事件か何かがあって、街が地の底に埋まってしまったのだろう。
空を飛べる飛空艇なのに逃げ遅れ……あ。
「ノルンちゃん、この飛空艇って博物館の中にあったんだし、その缶詰の日付を見ても意味がないかも。缶詰自体がレプリカだったりするんじゃない?」
「えっ?」
ノルンちゃんが、手にしている缶詰に目を向ける。
重さを確認するように上げ下げし、はあ、とため息をついた。
「……空っぽのようです」
「だよねぇ」
「うう、ようやく知的なところを皆さんに見せられたと思ったのに……逆に間抜けなところを見られてしまいました」
「いやいや、目の付け所はよかったと思うよ。なるほど! って思ったもん」
「ノルン様、どんまい」
「ありがとうございます……レプリカなのに賞味期限が印字されているなんて、無駄にリアル志向なのですよ。はあ」
ノルンちゃんを慰めて、再び調理室の散策をする。
リルちゃんとポンスケ君も、興味津々といった様子であれこれ見て回っている。
「これ、使えたりしないのかな……家に持って帰れないかなぁ」
隅に置かれている巨大なオーブンを前にして、リルちゃんが物欲しそうに言う。
見た感じ、日本でも目にする業務用オーブンに形状が似ている。
ご丁寧にネームプレートが貼り付けられていて、「精霊式パン焼きオーブン」と書かれていた。
小さな文字で、使い方の説明も記されているようだ。
「こんな大きな機械を持って帰って、何を焼くっていうんだよ」
ポンスケ君が「精霊フライヤー」と書かれているコンビニにある業務用フライヤーのような機械を見ながら、リルちゃんに言う。
「これだけ大きければ、パンが一度にたくさん焼けるじゃない。家で使ってるかまど、ちょっと作りが小さくて、焼くのが大変なんだもん。ポンスケが見てるのはなに?」
「フライヤー。精霊の力で揚げ物を作るって書いてある」
「精霊の力? どういう仕組みなの?」
「わかんないよ。説明書きにも、『精霊の力を抽出して油を高温にします』としか書いてないし」
ふたりはそんなやり取りをしながらも、楽しそうに調理室の中を見て回っている。
仲のいい姉弟で微笑ましい。
一緒に飛空艇に入った街の人たちは他の部屋にも勝手に進んでいるようで、あちこちから「へー」だの「おー」だの声が聞こえてきた。
飛空艇は博物館に展示されていたけど、船内は一般には公開されていなかったのかもしれないな。
「すみません、ちょっと通して……あ、いたいた」
そうしていると、人ごみをかき分けてマイアコットさんが調理場に入ってきた。
放送局から直行してきたのだろう。
「よかった。先に飛んで行かれちゃったらどうしようかと思ったよ」
あはは、とマイアコットさんが笑う。
「いえ、飛ぶどころか、何がどこにあるのかもわからない状態ですよ。マイアコットさんは、この飛空艇に入ったことはあるんですか?」
「うん。五年くらい前に発掘された時に、1度だけ。お父さんと一緒に中をちょっと見学して、それでおしまいだったね」
「そうなんですか。発掘された時、何か珍しいものはありました?」
「ううん。何もなかったよ。これ自体が見学用に使われてたみたいでさ。中にあるものは、缶詰のレプリカとか、飛行服の見本とかだけだったね」
「見学用なのに、空を飛べるんだね」
チキちゃんが話に加わる。
「ねー。私もびっくりしたよ。本物を展示してたんだね」
「コウジ君、マイアコットさん」
俺たちが話していると、調理場の入口付近にいたネイリーさんが声をかけてきた。
「精霊さんが、『操舵室に来い』って言ってるよ」
「あ、了解です。案内お願いできます?」
「うん。付いてきてね」
ネイリーさんに連れられて、俺たちは調理場を後にした。
俺たちが操舵室の前にやって来ると、そこは街の人たちで大賑わいとなっていた。
「うわ、大混雑だ」
人でごった返している操舵室内を見て、ネイリーさんが困った顔になる。
何やら、中でわいわいと騒いでいる様子だ。
「かわいい」とか「どうなってんだこれ」といった声が聞こえてくる。
「なにを騒いでるんですかね?」
俺は背伸びして室内に目を向ける。
室内の中央部に、人が集まっている様子だ。
「えとね、あそこに『案内役』っていうのがいるらしいんだけど……」
「案内役?」
俺がそう言った時、突如として目の前の景色がブレた。
そして、シュン、という音とともに、目の前に黒い三つ編みのゴスロリ姿の少女が現れた。




