81話:講義は真面目に聞きましょう
採掘場を出た俺とノルンちゃんは、マイアコットさんの家へと向けて歩いていた。
街はしんと静まり返っており、通りを歩いているのは俺たちだけだ。
「いいお天気ですね! お星さまがいっぱいなのですよ!」
ノルンちゃんが左右の手足を同時に動かしながら、カチコチに強張った声で言う。
「う、うん。そうだね」
「あっ、コウジさん! あそこに変わったお店がありますよ! ちょっと覗いてみませんか!?」
ノルンちゃんがまるで棒読みといったふうに言いながら、路地の奥にある店を指差す。
店の入り口にはぼんやりとガス灯が灯っているのだが、囲っているガラスがピンク色だ。
「え、ええと……あのさ、ノルンちゃん?」
「は、はひっ!」
ノルンちゃんが上ずった声を上げる。
「たぶんチキちゃんたちに煽られたんだとは思うんだけど、あそこ、ラブホテルだよね?」
「う……はい」
ノルンちゃんが顔を真っ赤にして、上目遣いで俺を見る。
涙目になっているし、なんだか可哀そうになってきた。
「その、本当にいいの? 俺、ノルンちゃんに救済してもらってるだけのただの人間だし、俺なんかとくっついて、ソフィア様に怒られたりしない?」
「は、はい。女神と被救済者が男女の仲になるという事例も、過去にいくつもあったと聞いておりますので。恋愛は認められているのですよ」
「そうなんだ。ということは、理想郷の修復が終わった後も、ずっと俺と一緒にいてくれるの?」
「あ、いえ、救済措置が完了した後は、私は別の方の下にお仕事で出向かないといけなくなるとは思うので、いつも一緒にというわけにはいかなくなるかと――」
「大丈夫ですよー」
「「うひゃあっ!?」」
突如として頭上から声が響き、俺とノルンちゃんが驚いて跳ね上がる。
上を見上げると、いつの間にか虹色の渦が現れており、その中から顔を出したソフィア様がニコニコ顔で俺たちを見下ろしていた。
「そそそ、ソフィア様! ご無沙汰しております!!」
ノルンちゃんが焦り顔で、ぺこぺこと頭を下げる。
「はい、おひさしぶりです」
ソフィア様がノルンちゃんににっこりと微笑む。
「ノルンさん。あなたの使命はなんですか?」
「えっ? ええと……コウジさんを永遠に幸せにして差し上げることです」
「はい、正解です。すべてにおいて優先されることはその一点のみですので、コウジさんがお望みとあらば、ノルンさんも理想郷の一部として扱われることになるのはご存知ですよね?」
「えっ!? そうなのですか!?」
ノルンちゃんが驚いた顔でソフィア様を見る。
ご存知なかったらしい。
ノルンちゃんの返事に、ソフィア様が少し不満げな顔になった。
「『そうなのですか?』ではないですよ。研修中の講義で説明があったでしょう?」
ソフィア様がそう言うと、俺たちの前に突如としてホログラム映像のようなものが現れた。
その中には、広々とした石造りの講堂で席に着く大勢の男女が映し出されている。
講堂の中央にはえらく美人な銀髪ボブカットの女性がいて、皆に何やら話して聞かせていた。
講義をしている女性の傍には巨大なホログラム映像のようなものが浮かんでおり、男性と女性が熱いまなざしを向け合いながら抱き合っている様子が映し出されている。
「あっ、ノルンちゃんがいる」
映像がズームし、ノルンちゃんが映し出された。
隣に座る青髪セミロングの可愛らしい女性と、顔を赤くして何やらきゃいきゃいと盛り上がっている様子だ。
「これは……私が研修生時代の映像でしょうか?」
ノルンちゃんが聞くと、ソフィア様は「はい」と頷いた。
「救済における過去の事例を紹介していた際のものです。この時に、『被救済者と救済担当官の恋愛について』も説明しているのですが……ノルンさん、あなた、おしゃべりに夢中で講義をよく聞いていなかったようですね」
はあ、とソフィア様がため息をつく。
「う……も、申し訳ございません。講義内容が刺激的すぎて、ミーミルちゃんと盛り上がってしまったのです……」
しゅんとした様子でうなだれるノルンちゃん。
一緒に話している青髪の女性は、ミーミルというらしい。
ノルンちゃんに負けず劣らず、ものすごく可愛い。
「まったくもう。講義はきちんと聞いておかないとダメですよ。後ほど、ミーミルさんも一緒に、この講義の補修を受けてもらいますからね」
「は、はい。申し訳ございません」
「あの、ソフィア様、質問よろしいでしょうか?」
俺が言うと、ソフィア様はにっこりと微笑んだ。
「はい、コウジさん。何でもどうぞ」
「ノルンちゃんが理想郷の一部として扱われるってさっき言ってましたけど、ノルンちゃんは女神様じゃなくなるってことですか?」
「いえ、役職は救済担当官のままで、地位も女神のままで据え置きですよ。未来永劫、コウジさん専属の女神になるだけです。他の人の救済には関わることはなくなります」
「そうなんですか。ということは、今のまま、ずっと一緒にいてくれるってことなんですね?」
「はい。好きなだけいちゃいちゃしてくださいね」
「は、はい。わかりました」
「では、理想郷の修復が完了後、そのあたりも含めて私のほうでもろもろ調整いたしますので」
ソフィア様はそう言うと、ノルンちゃんに目を向けた。
「ノルンさん。そういうことですので、コウジさんの奥さんになることはまったく問題ありません。精神的にも肉体的にも、コウジさんに寄り添ってくださいね」
「はい! かしこまりましたっ!」
びしっとノルンちゃんが姿勢を正して返事をする。
こんなに優しくて頼りになる女神様とずっと一緒にいられるなんて、幸せどころの話じゃない。
なんか俺、恵まれすぎて怖いんだけども。
「あ、そうそう。お望みとあらば、誰の邪魔も入らない専用空間をご用意しますけど、どうします? 現実世界とは隔絶した、何百時間でも何千時間でもいられる空間です。ことが済んだ後は、明日の朝のこの場所に転送いたしますが」
「え、ええ……ノルンちゃん、どうしよう?」
「うー……」
ノルンちゃんが顔を真っ赤にして唸る。
そりゃあ、赤くもなるよね……。
「できれば、私が作ったこの理想郷がいいのです……」
「なるほど。時間軸はいじらなくても大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫なのです」
「コウジさんはいかがですか?」
「あ、はい。ノルンちゃんの気持ち優先で……」
俺が答えると、ソフィア様は優しく微笑んだ。
なんとなく、嬉しそうだ。
ソフィア様、空間転移どころか、時間軸までいじれるとは思わなかった。
というか、俺たちはいったい何の報告をさせられているのだろうか。
「かしこまりました。では、邪魔者はそろそろ退散しますね。それでは!」
ソフィア様が言うと、彼女が顔を出していた虹色の渦が光り輝きだした。
ぽうっとひときわ強く輝き、ぱっと渦が消え去る。
俺とノルンちゃんの目が合う。
なんとも微妙な空気が流れてしまう。
「え、えっと……行こっか?」
「は、はい」
ノルンちゃんを促し、俺たちはピンク色のガス灯が光る店へと向かうのだった。