6話:奇跡の光
「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
「ん……」
身体を揺すられる感触に、目を開く。
目の前に、ものすごい美人さんの顔があった。
さっき言葉を交わした、人魚のお姉さんだ。
「よかった……死んじゃったのかと思いましたよ」
「あ、あれ、巨大カマドウマは?」
ぐりっと頭を動かして、周囲に目を向ける。
どうやら、俺は人魚さんに膝枕(?)をしてもらっているようだ。
鱗の上に頭を乗せられているのだが、硬いという感触はなく、むしろ柔らかくて心地よい。
「カマドウマ? あ、虫のことですか? それなら、穴の奥に戻って行きましたよ」
人魚さんが指差す方へ目を向ける。
先ほど俺が入った横穴があった。
「そ、そっか。マジでショック死するかと思った…って、あれ?」
ほっとしている俺を見下ろす、美人な人魚さん。
俺と目が合っているように見える。
「目、見えてます?」
「はい。見えてます」
「見えるようになったんですか」
「はい、急に見えるようになって……それで、叫び声がした方に急いでいったら、あなたが倒れていたので、ここまで引きずってきたんです」
にっこりと微笑む人魚さん。
実にかわいらしい、というか、芸術品のように美しい。
見惚れるような造形美とはこのことか。
いつまでも膝枕をしてもらっているのも悪いので、よっこらしょと起き上がってあぐらをかく。
「すみません、助けてもらっちゃって。今更ですけど、俺、ミト・コウジって言います」
「ミト・コウジさんですね。私は、カーナと申します」
カーナさんが、ぺこりと頭を下げる。
何とも物腰が丁寧な人だ。
「ミト・コウジさん、大変申し訳ないのですが、一つお願いが……」
「あ、コウジって呼んでください。そっちが下の名前なんで」
「分かりました。そういえば、人間のかたって名前と苗字があるんでしたね」
「ええ、人魚さんたちには苗字は無いんですか?」
「私たちにはないですね。住んでいる街の名前を、苗字代わりに使うかたもおられますが」
当たり前だが、人間とその他種族とでは、色々と文化が違うようだ。
この事態を解決できたら、あれこれ聞いてみるのも面白そうだ。
「なるほど。えっと、すみません、話の腰を折っちゃって。それで、お願いって?」
「はい、コウジさんの持っている奇跡の光に、他の人たちも当たらせて欲しいんです」
「奇跡の光? え、これが?」
胸の真ん前に浮かんでいる、光の玉を指差す。
「これ、ただの照明じゃないんですか?」
「い、いえ、そういったものではないかと……古くから伝わる言い伝えがありまして、『奇跡の光を持つ者、傷と病を緩やかに癒し、邪悪をわずかに払いのける力を有す』というものなのですが。ご存知ありませんか?」
「いや、初耳です。それに、これはさっき初めて出せるようになったもので、使い勝手も全然分からないんですよ」
「そ、そうだったんですか」
「というか、その言い伝え、何だか微妙ですね。『緩やかに癒す』と『邪悪をわずかに払いのける』ですか」
もっとこう、『人々を瞬く間に癒し、すべての邪悪を払いのける』くらいはあってもいいじゃないかと思ってしまう。
なんというか、中途半端だ。
「いえいえ、そんなことないですよ! 邪悪を払うなんていう魔法は存在しませんし、光の傍にいるだけで傷や病が癒えるなんて素晴らしい力じゃないですか!」
「うーん、そう言われると、確かに便利なような気も……あ、てことは、この光に当たれば、他の皆さんも目が見えるようになるってことですか」
「おそらくは。なので、お願いできればと」
「分かりました。じゃあ、ちょっと皆さんのところを回ってきますね」
善は急げと、近場の人魚さんの下へと走る。
俺を囲むように集まってもらい、とりあえず自己紹介。
それが終わると、カーナさんの目が見えるようになったことと、奇跡の光で皆さんの目を治す旨の説明。
そのほか、クジラの中での生活についてやら、港町の特産品についてやらの世間話を数分。
そうしているうちに皆の目が見えるようになるので、次の人魚さんの下へと移動、をひたすら繰り返した。
「へえ、魚って生で齧ったほうが美味しいんですか」
「それはそうよ。捕まえたての子持ちの魚を、生きたままお腹からがぶり。これより美味しい食べ方なんて存在しないわ」
5歳くらいの2人の娘を膝に乗せたマダム(見た目はどう見ても20歳くらい)が、魚を齧る仕草をする。
この人を含めた俺を囲んでいる10人が、目が見えていない最後のグループだ。
他の人たちは全員、無事に視力を回復した。
「それって、人魚さんたち以外でも美味しく感じますかね?」
「あー、それはどうかしら。前に街に寄った猫人さんに勧めた時は、『美味いのは知ってるけど口の周りがギトギトになるからヤダ』なんて言われたわね」
人魚さんたちといろいろ話していて分かったのだが、この世界には様々な種族が存在するらしい。
人間、人魚のほかに、猫人、犬人、翼人、竜人(トカゲとかリザードマンと呼ぶと嫌な顔をするから注意しろと言われた)、鳥人、ラミア、エルフ、ドワーフ、フェアリーなどなど、かなりの種族がいるとのこと。
別種族同士で結婚する者たちも稀にいるらしく、子供も作ることが可能らしい。
産まれた子供の種族は両親のどちらかのものがランダムで生まれるというのだから、何ともフリーダムな世界だ。
彼らの街には人魚しかいないが、もっと大きな街に行けば複数の種族が一緒に生活しているとのことだ。
といっても、人魚は下半身が魚という都合上、ほぼ水辺の街にしか住んでいないらしいが。
ちなみに、人魚はある程度まで成長すると老化が止まり、寿命が近づくと一気に老化してミイラのようになって死ぬらしい。
「まあ、確かに魚の血と脂で大変なことになりそうですしね。皆さんは汚れるのは嫌じゃないんですか?」
俺が聞くと、マダムの隣に座っていた旦那さん(こちらも見た目は20歳くらい)が口を開いた。
「そりゃあ、俺たちは海の中でも食べられるからさ。その辺は別に気にならないわけよ。汚れは全部流れちゃうからね」
「み、水の中で食べるんですか。食べにくくないですか?」
「そんなことはないよ。塩気も頬エラで自由に調整できるし、どんな魚でも美味く食える。生もの食べるなら海中に限るよ」
「どんな身体の仕組みなんだか、さっぱり分からないっすね……」
そんな話をしているうちに、ぽつぽつと視力が戻ったと言う人が現れ始めた。
視力が戻るだけでなく、体調まで回復しているようだ。
全員の視力が戻った後も、念のためさらに数分雑談を続け、万全を期した。
「よし、これで全員視力は戻りましたね」
「コウジさん、本当にありがとうございます。なんてお礼を言ったらいいか」
ずりずり、とカーナさんが尾っぽを器用に動かしながら、俺の傍に移動してきた。
人魚は陸地では飛び跳ねて移動するのかと思っていたのだが、尾っぽをうねらせて歩くようだ。
ゆっくり進むのなら別にそこまでおかしくないが、いわゆる全力ダッシュをする際はちょっとホラーな動きになるような気がする。
「いやいや、別にこれくらいどうってことないですよ。俺の力なのかどうかも怪しいですし」
「しかし、これからどうやって脱出するかね?」
先ほど話していた旦那さんが言うと、皆が一様に唸った。
奥は胃袋、手前は巨大カマドウマ。
胃袋はどうにもならないが、巨大カマドウマならば俺の持っている『奇跡の光』で退けることができるかもしれない。
巨大カマドウマが邪悪な生き物であればの話だが。
「もしこの光で虫を追い払えたら、何とかクジラの口まで戻ってみますか?」
「でも、これだけの人数がいては、全員一度に戻るのは……」
カーナさんの言葉に、それもそうだと考えを改める。
数百人の行列では、後方まで光が届くはずもない。
途中で虫に襲われて死傷者続出、なんてことになったら洒落にならない。
脱出するならば、全員一緒に確実な方法でなくてはダメなのだ。
「ううむ、クジラのお腹から脱出か……」
何かいい方法は無いものかと、周囲を見渡す。
ピンク色の肉壁と、吸い込まれた魚の死骸や骨。
流木や建物の残骸も、そこかしこに落ちている。
――確か何かのアニメのお話で、クジラの腹から脱出する話があったよな。あれってたしか、クジラの腹の中でたき火をしてたような。
ふと子供の頃に見たアニメ映画の話を思い出した。
クジラに飲み込まれた主人公が、脱出のためにクジラの腹の中でたき火をし、それによってクジラがくしゃみをして外に飛び出す、といった内容だった気がする。
くしゃみで外に飛び出した場合、ここにいる全員が地面か海面に叩きつけられることなるだろうが、さすがにクジラがくしゃみをするといった展開にはならないだろう。
たき火の熱で、上手くいけばクジラを退治できるかもしれない。
「よし、焚火だ。焚火をしよう」
「えっ、焚火ですか?」
困惑顔のカーナさんに、俺は頷く。
「ええ、ここで盛大に焚火をして、クジラ……グリードテラスを内側から燻して退治してやろうと思って」
「なるほど……ですが、どうやって火を起こすんですか?」
「……」
もっともな指摘を受け、俺は黙りこくった。
ライターなどそう都合よく持っているわけもなく、火おこしに使えそうなものなど何もない。
見たところ、周囲にもそういった類のものは無さそうだ。
ポケットをまさぐってみる。
出てきたものは、スマートフォンとミントガムが5枚ほど。
ガムはともかく、スマートフォンの照明機能をすっかり失念していた。
失念していたおかげで、奇跡の光とやらを使うことができたのだけれど。
「……あ、いけるじゃん。いけるいける」
「え?」
「たぶん、これで火が起こせるかなって」
俺はスマートフォンを取り出すと、裏のカバーを外してバッテリーを取り出した。
続いて、ミントガムを1枚取り出す。
欲しいのは、ガムを包んでいる銀紙だ。
「ガム食べます?」
「ガム……ですか? 初めて見る食べ物ですね……」
カーナさんがガムを受け取り、口に入れた。
数回咀嚼し、「う」と顔をしかめた。
「あ、それは飲み込まずに、噛んで味を楽しむものなんです」
「そ、そうですか……何だか変な味がします」
「ダメだったら吐き出しちゃっていいんで」
「もうちょっと頑張ってみます……」
何とも微妙な顔をしているカーナさんを横目に、俺は銀紙を細長い板状に畳む。
真ん中部分を少しちぎり、凹形にした。
これで準備完了だ。
「それで火が起こせるのですか?」
もぐもぐ、とガムを噛みながらカーナさんが言う。
ミントのいい香りが吐息に混ざっていて、なんかエロい。
「おそらくは。まあ、見ててください」
俺はTシャツを脱いでその場に置き、先ほど作った銀紙の筒をコの字に曲げた。
「え、ど、どうして脱ぐんですか?」
「燃やす物が必要でして。これくらいしか手元になくて」
銀紙の両端をバッテリー端子の両端に押し当てる。
すると、ものの数秒で銀紙の中心から煙が出て、火がついた。
カーナさんが、「わあ」と瞳を輝かせる。
「すごいですね! そんな道具があるんですか!」
「いやあ、上手くいって良かった。みなさん、燃えるものをありったけ、ここに集めてください」
「「「あいよー」」」
俺の号令で、人魚さんたちが木材を拾いに散らばっていく。
Tシャツに火を移し、そこに近場にあった魚の骨やら木の切れ端やらをくべた。
皆も持ち寄った木材をそこに投げ込み、どんどん火の勢いが増していく。
やがて、4、5メートルほどにまで炎が大きくなった。
魚肉の焼ける、香ばしくも食欲を誘う匂いが漂い始める。
暖かいねぇ、などと言いながらカーナさんと並んでそれを見ていると、急に地面が振動し始めた。
同時に、グリードテラスのくぐもった悲鳴のような声が響く。
「おお、効いてる効いてる! 内側から焼かれるのは苦しかろう! ふはは!」
「やりましたね! このまま退治できるかも!」
体内を焼かれ、グリードテラスは苦しんでいるようだ。
ぐらぐらと、地震のように足元が激しく振動している。
これならいける、と皆で和んでいると、黒い煙が天井に溜まっていき、少しずつ下に降りて来た。
周囲の温度も、まるでサウナにいるように暑くなってきた。
「あ、あの、コウジ様。私たち、このままだと蒸し焼きに……」
「よし、今日のところはこれくらいで許してやるか! カーナさん、水持ってきて!」
「ここに水があるように思えます!?」
カーナさんのツッコミが入った瞬間、グリードテラスがひと際大きな悲鳴を上げた。
がくん、と地面が大きく傾いて、俺たちの身体が宙に浮く。
グリードテラスが、かなりの速度で降下しているようだ。
「しめた! このまま地上に落ちれば、口から出ていけるかもですよ!」
俺は地面から1メートルほど浮き上がった状態で、同じように隣に浮かぶカーナさんに笑顔を向けた。
カーナさんが、ぱちんと手を合わせて微笑む。
「そうですね! 海に潜ってくれれば火も消えますし、泳いで脱出できますね!」
「そうそう! 海水が入ってくれば……え、それだと俺死ぬんじゃ――」
そう言った瞬間、グリードテラスが再び悲鳴を上げた。
ぐぐっと落下速度が緩やかになり、俺たちは地面に押し付けられた。
今度は先ほどとは逆方向に、急激に地面が傾き始める。
どういうわけか、上昇しようとしているようだ。
尾の方に流れていた煙が、一気に反対方向へと流れだした。
熱いやら煙たいやら地面に押し付けられるやらで、もうめちゃくちゃだ。
「ちょ、何で上がるんだよ! げほっ! げほっ!」
「けほっ、けほっ、あ、あっちは胃袋ですよ! 何かに掴まって!」
慌てて手近なでっぱりに掴まり、滑り落ちないようにと必死で身体を支える。
着地の衝撃で散らばった燃え盛る木材が、ころころと俺の方へと転がってきた。
「あちちちち!」
グリードテラスが大きな悲鳴を上げ、地面が激しく振動した。
「ああっ!? コウジ様ぁ!」
「カーナさんっ!」
俺はとっさに片手を延ばし、滑り落ちそうになったカーナさんの手を掴んだ。
その拍子に、でっぱりを掴んでいた手がずるっと滑った。
まるで滑り台のように、俺たちの身体が滑り落ちる。
その先には、グリードテラスの胃袋へとつながる穴。
周囲でも、数十人の人魚たちが悲鳴を上げながらその穴へと向かって滑り落ちていく。
「ひいいいい!? ノルンちゃん助けてえええ!!」
思わず叫んだ瞬間、俺の周囲の地面を突き破って、数十本の茶色い木の根が飛び出してきた。
木の根は檻のようになって俺を捕らえ、そのまま中空に突き上げた。
さらに、ひと際大きく地面が切り裂かれ、中から何かが飛び出してきた。
それと同時に、グリードテラスのすさまじい絶叫が響き渡る。
がくんと、地面の角度が反対方向に傾いた。