47話:昨晩はお楽しみでしたね
ちゅんちゅんという鳥のさえずりに、俺は目を開いた。
ぼうっと天井を数秒眺め、視線を感じて左を見る。
「コウジ、おはよう」
俺と目が合い、にこっと、チキちゃんが可愛らしく微笑む。
俺の右腕に両腕を絡ませ、ぴったりとくっついていた。
二の腕までかかっているシーツの隙間から、真っ白な素肌が覗いている。
「お、おはよう」
「よく眠れた?」
「うん、夢も見ないくらいぐっすり眠れたよ」
「ん、よかった」
ちゅっ、とチキちゃんが俺の頬にキスをする。
そうだ、俺は昨日、25歳にしてようやく大人の階段を上ることに成功したのだ。
チキちゃんは数十人分のエルフの記憶を蓄積しているせいか、なんというか、かなりの手練れだった。
終始リードされっぱなしだったのだが、彼女の身体自体は生娘のそれだったので、いろいろがいろいろでいろいろと大変だったが問題なくことは済んだ。
チキちゃんが俺から離れ、ベッドを下りる。
一糸纏わぬその姿は、まだ成長過程ながらも恐ろしく魅力的だ。
白く美しい柔肌を隠そうともせず、とてとてと棚へと向かう。
「お茶淹れるね」
チキちゃんが棚から、陶器のコップとティーポット、茶筒を取り出した。
ティーポットに茶葉を入れ、指先から魔法で熱湯を注いでお茶を作る。
壁には暖炉があってヤカンが置かれているので、本来はそれでお湯を沸かすのだろう。
昨夜から暖炉には火が付いておらず、室内は少々肌寒い。
「はい、コウジ」
チキちゃんがコップにお茶を入れて持ってきてくれた。
「ありがと。いただきます」
「暖炉、つける?」
「そうだね……って、今何時?」
チキちゃんが壁に掛けられている時計に目を向ける。
壁掛け式の振り子時計が、ゆっくりと時を刻んでいた。
「朝の7時。お茶飲んだら、宿に戻らないと。朝ごはん食べられなくなっちゃう」
『虹の翼亭』の料理はどれもかなり美味しかったので、朝ごはんも期待できそうだ。
昨晩のこともあったせいか、お腹はペコペコだ。
「それとも、朝ごはんは諦めて、もう一回していく?」
少しだけ首を傾けて聞いてくるチキちゃん。
昨夜のことを思い出し、思わず唾を飲んでしまう。
「い、いや、とりあえず宿に戻らないと。みんな心配してると思うし」
「それは大丈夫。ノルン様とネイリーさんは知ってるから」
「え」
思わぬ発言に、俺は驚いてチキちゃんの顔をまじまじと見つめてしまう。
「知ってるって……俺とラブホテルに行くことを言ってきたってこと?」
「そうじゃなくて、2人から『コウジを捕まえて行って来い』って言われたの。『コウジが約束忘れてるみたい』って相談したら、身体で思い出させてあげればいいって言われて」
「そ、そうですか」
まさか、チキちゃんを煽ったのがノルンちゃんたちだとは思わなかった。
「身体で思い出させればいいのですよ!」と言っているノルンちゃんの顔が目に浮かぶ。
宿に戻ったら、思い切りからかわれてしまいそうだ。
「それで、もう一回する?」
チキちゃんがベッドに上がり、俺ににじり寄る。
やや頬が上気しており、瞳が潤んでいた。
「私は、したいな」
「い、いや、待ち合わせの時間もあるし、あんまりのんびりはできないんじゃないかなって」
「そっか。うん、そうだね」
チキちゃんはあっさり頷くと、ベッドを下りて床に脱ぎ捨てられている服を拾い始めた。
はい、と俺にも服を持ってきてくれる。
なんだか酷くもったいないことをした気もするが、俺の選択は正しいはずだ。
服を着て、忘れ物がないかチェックし、2人でドアへと向かう。
「コウジ」
「ん?」
ドアノブに手をかけたところで袖を引かれ、チキちゃんを見る。
「手、繋ぎたい」
「う、うん。分かった」
ぎゅっとチキちゃんの手を握り、俺はドアを開けた。
「あっ! コウジさん、チキさん、おはようございます!」
「2人とも、おはよー!」
俺とチキちゃんが虹の翼亭に戻ると、ノルンちゃんとネイリーさんがロビーのソファーに座って待っていた。
チキちゃんが2人に向けて、ぐっと親指を立てる。
2人は、おおっ、と嬉しそうに声を上げた。
「チキさん、やりましたか!」
「うん。やった」
どこで覚えたのか、チキちゃんが立てた親指を人差し指と中指の間に挟む。
「やめなさい」
俺がその手を掴んで無理やりこじ開けていると、ネイリーさんが、ふふん、と胸を張った。
「ほら、言ったとおりだったでしょ? あんなかわいい子に迫られて落ちない男なんて、いるはずないって」
「はあ、ついにコウジさんも大人の階段を上ってしまったのですね……私の一歩先を行ってしまわれたのですね」
ノルンちゃんは少し顔を赤くして、頬に手を添えてうねうねしている。
ロビーにはチェックアウトのお客さんたちが何組かいて、俺たちのやりとりは丸聞こえだ。
何人かは顔を赤くしていたりクスクス笑っていたりで、かなり恥ずかしい。
「あのさ、あんまりそういうことを大きな声で言うのはどうかと思うんだけど……そういえば、カルバンさんは?」
「おトイレです。すぐに戻ってくるかと」
「お、2人とも帰って来たのか。……その様子なら、大丈夫だったみたいだな」
トイレから戻ってきたカルバンさんが、ほっとした様子で笑顔を見せた。
「嬢ちゃん、よかったな」
「うん、ありがとう」
「コウジ、浮気すんなよ。嬢ちゃんのこと、大事にするんだぞ」
「は、はい」
諭すようなその口調に、俺は即座に頷く。
絶対に彼にもからかわれると思っていたので、こんなふうに言われるとはかなり意外だ。
「旅仲間の色恋沙汰は何かと面倒だからな。浮気したのがばれた翌朝、そいつの胸にナイフが突き立ってたなんて話もあるくらいだ。肝に銘じておけ」
「うげ……気を付けます」
「ノルン様とだったら別にいいけど、他の人は絶対にダメだからね」
「え、いや、チキちゃんなに言ってんの」
「わわっ!? コウジさん、チキさんからOKが出ましたよ!? 私に手を出してもいいらしいですよ!?」
「でも、その時は私も一緒にしてね」
「い、一緒ですって! 私、初体験がさんぴ」
「もうその話やめてお願いだから」
その後、ノルンちゃんとネイリーさんに適度にいじられながら、俺たちは朝食を済ませたのだった。
食事を終えてロビーに戻ると、ベラドンナさんとエステルさんが待っていた。
「おはようございます。本日はよろしくお願いします」
ベラドンナさんが、静かに挨拶して頭を下げる。
昨晩とは違い、キリっとした表情だ。
「おはようございます。ちょっと待っててください、支払いを済ませちゃうんで」
受付で昨日分の代金を支払い、連泊する旨を伝えて部屋の掃除をお願いした。
手持ちに大金貨が4枚(20万円)あるので、昨日の代金を払ってもあと1日だったら泊まることができる。
宝石や鉱石の売却金も入るので、しばらくはこの宿に連泊しても大丈夫だろう。
コーヒーを街で売るのは、もう少し後になりそうだが。
「コウジさん、今夜もローストビーフを付けてくださいませ!」
「はいよ。人数分付けとくね。ネイリーさんはどうします?」
「食べるよ! 2人前お願い!」
ぶい、と手を突き出すネイリーさん。
彼女もなかなかに懐事情は暖かそうだ。
「コウジ、他にも何か別注料理はないの?」
「えっと……天空地鶏の炭火焼きっていうのと、天空こけももゼリーっていうのがあるみたい」
「美味しそう。両方食べてみたいな」
「うん。じゃあ両方頼もうか」
「おいおい、あんまり多すぎると食いきれねえぞ。半々にして、皆で少しずつ分けようぜ」
「あ、それもそうですね。そうしますか」
俺たちがそんなやりとりをしていると、きゅるる、と誰かのお腹の虫の音が聞こえた。
音の方に顔を向けると、ベラドンナさんがお腹を押さえて顔を赤くしていた。
「す、すみません……」
「ベラちゃん、朝ごはん食べてきた?」
エステルさんが小声でベラドンナさんに話しかける。
「うん、コーヒー飲んできたよ。すごく美味しかった」
「え、それだけ?」
「う、うん」
「それ、食べたって言わないでしょ……食費は削るなって前から言ってるじゃない。そのうち倒れるよ?」
「だ、だって……」
しゅんとした様子でうつむくベラドンナさん。
どうやら、自分の生活費を犠牲にしてまで都市の財政のために腐心しているようだ。
何とも不器用というか、間違った方向に真面目というか。
とはいえ、そういう人は、俺は嫌いじゃない。
「ベラドンナさん、何かご馳走しますよ。食べてから行きましょう」
「えっ!? い、いえ、大丈夫です! それに、遅くなっちゃいますし」
「ふむ。ここまでは、馬車か何かで来たんですか?」
「いえ、飛んできました。我々には翼があるので」
そう言って、背中に付いた純白の羽根を見やる。
「そうでしたか。なら、天空島までは俺たちの馬車に乗って行きましょう。道すがら何か買って、食べながら行けばいいですよ」
「そ、そんな、そこまでしていただかなくても」
「いいんですって。ほら、行きましょう」
申し訳なさそうにしているベラドンナさんを連れて、宿の外へ出る。
裏手に停めてあった馬車に乗り込み、街中を進む。
朝の9時過ぎということもあって、通りにはすでにたくさんの人が行き来していて、活気があった。
お店もたくさん開いていて、早くも呼び込み合戦が始まっているようだ。
「コウジさん、天空フレンチトーストってのぼりが立ってますよ!」
御者台で俺の隣に座るノルンちゃんが、前方を指さす。
「お、いいねぇ。俺も食べようかな」
「コウジ、私も」
「俺も食うぞ」
後ろの客室から、チキちゃんとカルバンさんが顔を覗かせる。
「ねえねえ、私にもご馳走してくれるのかな?」
ネイリーさんが「にしし」と笑いながらそんなことを言う。
「ええ、もちろんです。それじゃ、全部で7つですね」
「え、あの、私は大丈夫ですから」
エステルさんがびっくりした顔で言う。
「まあまあ。あんまりお腹空いてなかったら、おやつにでも取っておいてください」
店の前に馬車を止め、フレンチトーストを注文する。
すでに作り置きがあったらしく、すぐに買うことができた。
皆でもぐもぐと食べながら、再び馬車を走らせる。
「ベラドンナさん、街はけっこうにぎわってるみたいですけど、前はもっとすごかったんですか?」
「むぐむぐ……はい。天空島が積乱雲に覆われる前は、これの倍は賑わっていました」
ベラドンナさんが頬を緩ませてフレンチトーストを頬張りながら答える。
「倍ですか……そりゃあ、大打撃どころの話じゃないですね」
「そうなんです。天空島目当てで長期滞在していく観光客もたくさんいたので、カゾの財政は天空島の収益に大きく依存していたんです。それがここにきて、空振と積乱雲とで、もう滅茶苦茶です……」
「なるほどねぇ。これは、何としても解決しないとだ」
「そういえば、私たちがカゾに来てからは、1度も空振というのに見舞われていないですね?」
早くもフレンチトーストを完食したノルンちゃんが言う。
「毎日起こる、といったほど頻発しているわけではないので。それに、ここ数週間は発生していません」
「そうなんですか。前はすごかったんですか?」
「それはもう。積乱雲が天空島を覆う前後なんて、一日に2度、3度起こるなんてザラでした。最近は落ち着いていますね」
そうして街をしばらく進んで行くと、それまで山が邪魔で見えなかった向こう側の空が見えるようになった。
大きな白い雲が覗き、時折ピカピカと光っているのが見てとれる。
どうやら、あれが例の積乱雲のようだ。
「お、あれかな?」
「ピカピカしてますねぇ」
俺とノルンちゃんの声に、皆が客室から顔を覗かせてその景色を見やる。
「こりゃあ、でっかい積乱雲だな。島は完全に閉じ込められちまってるってことか」
カルバンさんが、酷く残念そうに言う。
彼は天空島の美しさを力説していたので、その景観を見れないのが残念で仕方がないのだろう。
「コウジ、あれどうするの?」
「うーん……まあ、もっと近くで見てみようよ。それから考えよう」
「適当だね」
チキちゃんが少し呆れたように言う。
「大丈夫だって。きっと何とかなるよ。ね、ノルンちゃん?」
「はい、私が何とかしてみせるのですよ。コウジさんのためならえんやこーら、なのです!」
そんなこんなでわいわいやりながら、俺たちは積乱雲へのんびりと向かっていくのだった。




