45話:天空島の異変
「げほっ、げほっ! お、おい、いきなり来て没収ってなんだよ!?」
カルバンさんが咳き込みながら、顔を赤くしてまくし立てる。
チキちゃんがささっと寄ってきて、置いてあったナプキンで飛び散った野菜を片付け始めた。
いい子過ぎる。
「こちとら、そこの検査官のチェックを通ってるんだぞ! そんな横暴が許されてたまるか!」
「申し訳ございません。それはこちらの不手際です。なので、特例として救済案を用意いたしました」
「救済案だ?」
「はい。本来であれば依存性薬物の持ち込みは極刑に値するのですが、それを回避できる案を用意いたしました」
極刑、つまりは死刑ということだ。
いくらなんでも滅茶苦茶だ、と思いながら、はっとしてノルンちゃんを見る。
ノルンちゃんは真顔でベラドンナさんを見つめていた。
いつものほわほわ感はゼロで、完全に神罰の執行者な雰囲気になっている。
これは下手をすると、ノルンちゃんの逆鱗に触れたベラドンナさんが極刑になる恐れがある。
カルバンさんもブチギレ気味だし、俺が話したほうがよさそうだ。
「てめえ、いい加減にしろよ。こっちは検査を通ってるうえに、サンプル品ってことでそっちの姉ちゃんに――」
「まあまあ、カルバンさん、ちょっと落ち着いて。ベラドンナさん、その救済案って何ですか?」
「はい、彼女から聞いたところ、そのコーヒーは日本という国から仕入れてきたものだと聞きました。しかし、そのような国を私たちは一度も聞いたことがありません。そこで私たちに、日本の場所と販売業者を教えていただきたいのです」
「販売業者を? 何でです?」
「ええと……その……調査のためにもう少しコーヒーを手に入れたくて……」
「……それっておかしくないですか? 今、コーヒーは軽度の依存性がどうのって言ってましたよね? 俺たちのを没収したうえに、さらに手に入れたいって変ですよね?」
「は、はい……それは……」
「ベラちゃん、正直に話したほうがいいって。これじゃ、どう考えても私たち、ただの悪人だよ」
黙って話を聞いていた検査官さんが、ベラドンナさんに言う。
「で、でも……」
「正直に話してお願いしようよ。私もお給料はもう少し我慢するから。ね?」
検査官のお姉さんがそう言った途端、突如としてベラドンナさんの涙腺が崩壊した。
「う、うぅぅっ!」
「えっ!? ちょ、いきなり何で泣き出してるんですかっ!?」
「ずびばぜんっ! ごべんなざいっ! だずげでぐだざいぃぃぃ!!」
うあああ! と両手で顔を覆って号泣するベラドンナさん。
先ほどまでのキリっとした雰囲気はどこへやら。
見ず知らずの他人の前でいきなり号泣するヤバイ人に変貌している。
手の隙間からは、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちている。
「おがねがないんでずっ! もう無理なんでずううう!!」
「お、お金? ちょ、ちょっと! 他にお客さんも来てますから、泣き止んでください!」
ちょうど食堂に入ってきた別のお客さんたちが、俺たちの前で号泣するベラドンナさんを見てぎょっとしている。
お金が、お金が、と泣きながら連呼しているその様に、ひそひそ話を始めている。
これではまるで、俺が借金取りか何かのようだ。
「とりあえず俺たちの部屋に行きましょう! 話はそこで聞きますから!」
「お金がないんでずううう! だずげでぐだざいぃぃぃ!!」
「分かったから泣き止めこのアホ!! ノルンちゃん手伝って!」
「は、はい! 店員さん、食事は後で来ますから取っておいてくださいね!」
ノルンちゃんがしゅるしゅると蔓を延ばし、ベラドンナさんを簀巻きのようにして持ち上げる。
俺たちは逃げるようにして、食堂を後にした。
「……で、いったい何がどうしたっていうんですか? お金がないって、なんの話なんです?」
ベラドンナさんはベッドに座り、えぐえぐと泣きべそをかいている。
検査官さんが隣に座り、よしよしと頭を撫でていた。
「ぐすっ……この都市はもう、もう……ううっ……」
「ベラちゃん、私が話そうか?」
「うう、お願い……エステル、ごめんね……」
ベラドンナさんに代わり、検査官さん――エステル――が口を開く。
「この都市では建物の老朽化が深刻でして、その補修費用に莫大な費用がかかっているんです。あと、石炭と食料品と建築資材の輸入費も輸送費と相まって大変なことになっていて、もうどうにもならない状況でして」
「補修費用? この街の建物、そんなにボロボロなんですか?」
「はい。外観には気を使っているので綺麗に見えますが、築50年を超えている木造建築ばかりなんです」
それに、とエステルさんが続ける。
「最近は空振が頻発していて、古い建物は急いで修繕しないと倒壊事故が起きかねないんです。なので、どうしても補修費用が必要で」
「空振? 何ですかそれ?」
「地震の空版です。突然大気が大きく振動して、島全体がビリビリ震えるくらいのものが月に何度も起こっているんです」
「なるほど、それはおっかないですね……建築材って、山の傍にある森の木を使っちゃダメなんですか?」
「あれは景観保全の観点からいって、切るわけにはいかないんです。カゾは観光事業で成り立っているので」
「ふむ。枝打ちしてるのも、景色を良くするためですか」
「はい。森も川も、すべて何かしら人の手を入れて美しい景観を維持しています」
「うう、すべてにお金がかかるんです……人件費もすごいことになってるんです……」
ずずっ、とベラドンナさんが鼻をすする。
少し落ち着きを取り戻したのか、今度は彼女が話すようだ。
「補修費も大変なんですが、ガス灯に使ってる石炭の燃料費が、輸送費と相まってとんでもないことになってるんです……でも、ガス灯に照らされた夜景も好評だし、5年前に代表だった人が税金を使って大量に設置してしまって後に引けなくて……」
「なるほど……でも、それは仕方がないんじゃないですか? ガス灯のおかげで集客力も上がってるんでしょうし、必要経費なのでは」
「はい……確かに観光客から入る収益は増えたんですけど、最近ちょっと問題が起こってしまって……天空島が、もう半年も積乱雲に覆われて使えなくなってしまってるんです。そのせいで、収支計画が狂ってしまいました……」
ベラドンナさんは再び両手で顔を覆った。
「月一の定例議会のたびに、議員たちが私を責めるんです! どうするんだって言われてもどうしようもないのに! 私のせいでああなったんじゃないのに! うああぁぁぁ!!」
号泣するベラドンナさん。
なんかこう、大人びた見た目と性格とのギャップが激しい人だ。
普段はきっと、しゃんとしているのだろうけども。
エステルさんが、ベラドンナさんの背中をよしよしと撫でる。
「積乱雲って、島が雲の中に閉じ込められちゃってるってことですか?」
エステルさんが頷き、ベラドンナさんの代わりに答える。
「はい。天空島は観光地の目玉なので、天空島に渡れないというだけで観光客が激減しています。渡島税や古城の入場料金も大事な資金源になっていたので、それがピタリとなくなってしまって……」
それを聞き、カルバンさんが怪訝そうな顔になる。
「積乱雲って、島をそんなものが覆うなんて聞いたことがねえぞ。中はえらいことになってるんじゃねえか?」
「確かに、こんなことは前代未聞です。中の様子は、見当もつきません」
「誰か取り残されたりしてないの?」
チキちゃんが心配そうにエステルさんに聞く。
「それは大丈夫です。空振が多発していた折に、いったん職員を全員本島に連れ戻した日があったのですが、ちょうどその次の日から積乱雲が天空島を覆ったので」
「次の日から? まるで、人がいなくなったのを狙ったかのようですね」
俺の感想に、エステルさんが頷く。
「はい。まるで人為的な何かが働いたかのようにも思えますよね……ベラちゃん、しっかりして。あなたがちゃんとしなくてどうするの」
「うう……ごべんねぇ、ちゃんとお給料出せなくてごべんねぇ……」
「それはいいから、ほら、ちゃんと皆さんに説明しないと」
「うん……」
ベラドンナさんが泣きべそのまま、顔を上げる。
「建物の補修費用ががっつり必要なところに、天空島が使えないっていう不幸が重なって……もう、都市の財政は火の車を通り越して火だるま状態なんです……」
「なるほど、それで、俺たちのコーヒーに目を付けたってわけですか」
「はい……あんな美味しくていい香りのする飲み物なら、絶対に評判になると思って……」
どうやらエステルさんがベラドンナさんにコーヒーを飲ませたようだ。
やり取りから見るに、2人は友人か親戚といった間柄なのだろう。
ベラドンナさんが、縋るような目で俺を見る。
「お願いします。なんでもするので助けてください。コーヒーの仕入れ先を私たちにも教えてください……」
「ふむ……」
ちらりとノルンちゃんを見る。
ノルンちゃんはすでに無表情モードではなくなっており、俺と目が合うとにっこりと微笑んだ。
どうやら、血の雨は見ずに済むようだ。
「ノルンちゃん、これはバグの香りがすると思うんだ」
「はい、私もそう思います。地図上のバグの位置はどうでしょうか?」
「さっきカルバンさんと見たんだけど、ちょうど天空島の位置に印があったよ。積乱雲の原因はバグで間違いないんじゃないかな」
「そうでしたか。では、彼女たちをお助けするのとバグ取りの一石二鳥ですね!」
ぽんぽんとやり取りをする俺たちを、ベラドンナさんとエステルさんがきょとんとした顔で見る。
とりあえず、俺たちの素性を含め、彼女たちに説明することにした。




