41話:天空都市カゾ
「わわっ!? 雲が近づいてくるよ!?」
チキちゃんが俺の腕にしがみつきながら、怯えた声を上げる。
ゆっくりと昇っていくリフトの先には、真っ白な雲が浮かんでいた。
他のお客さんたちも、おおー、と歓声を上げて迫ってくる雲を見上げている。
「チキちゃん、ちゃんと目を開けてないともったいないよ。雲の中に入れるなんて、なかなか経験できないよ?」
「で、でも、怖くて……」
本当に高いところが苦手なのか、チキちゃんは怯えっぱなしだ。
よしよしとチキちゃんの頭を撫でていると、反対側の腕にノルンちゃんが抱き着いてきた。
「コウジさん、私も怖いですー!」
「いや、そんなニコニコしながら言われても……おお!」
白い塊が眼前まで迫り、俺たちはリフトごと雲の中に吸い込まれた。
あちこちから、わいわいと楽しそうな声が響く。
雲の中では何も見えなくなるのかと思っていたのだが、視界は2~3メートル程度はあるようだ。
「皆さま、大変お疲れ様でした。間もなく、浮遊島に到着いたします。お降りの際はお足元にご注意のうえ、ゆっくりとお進みください」
お姉さんが言い終わると同時にリフトは雲を抜け、まるで絵葉書のような美しい光景が目の前に現れた。
なだらかに広がる、緑の平原。
その中を弧を描くように延びる、石畳の長い街道。
遠くに見える、屋根がオレンジ色に統一された家々が並ぶ美しい街並み。
その先にそびえる、西洋風の石造りの巨大な城。
青々とした木々の生い茂る山からは川が延び、島の端から滝となって地上へと流れ落ちている。
これほど美しい風景は、今まで見たことがない。
「す、すげえ……」
「綺麗……」
「綺麗ですねぇ……」
俺とチキちゃんとノルンちゃんは、3人そろってその光景に見とれてしまった。
絶景とは、まさにこのことをいうのだろう。
地球では絶対に目にすることのできない、素晴らしい景観だ。
「な? すごいだろ?」
隣にやってきたカルバンさんが、どうだ、と言わんばかりに笑ってみせる。
「まだ驚くのは早いぞ。ここの反対側にある、天空島っていうのはこんなもんじゃない。ここは本当に現実世界なのかって思うくらいのものが見れる」
「マジですか。それは楽しみですね」
今見ている光景ですら、生きててよかったと思えるくらいの絶景だ。
それを上回る景色とは、いったいどんなものなのだろうか。
まったく想像もつかないが、ものすごく楽しみだ。
「コウジさん、行きましょう!」
ノルンちゃんがわくわくした様子で、俺の手を取る。
「うん、行こうか!」
「ま、待って! あわわ……」
ぷるぷるしているチキちゃんを連れて、皆でリフトを降りる。
リフト乗り場は10メートルほどの高台になっていて、手すりを掴みながら階段を降りた。
降りてすぐ、また土産物屋と飲食店が4店舗ほど設置されていた。
『天空サブレ』、という旗が軒先に立てられている。
土産物といえばサブレ、というのはこの世界でも同じのようだ。
「何か、やたらと土産物屋さんとか飲食店がありますね」
「街の出入り口だからな。まあ、土産物に関しては地上にあるものとあんまり変わらないけどな」
「そうなんですか……あ、でも、『当店舗限定! 天空ハチミツクリームチーズサンド』とか書いてありますよ。天空ハチミツってのがあるんですか?」
飲食店ののぼりにでかでかと、コミカルなミツバチのイラストが描かれている。
まさに観光地のお店、といった感じだ。
「いや、ただ頭に『天空』って付いてるだけだよ。普通のハチミツ入りクリームサンドだ。でも、なかなか美味いぞ」
「食べたいのです!」
「私も食べたい」
「カルバンさん、お願いします!」
「よしよし、皆で食うか」
カルバンさんを先頭に店に入り、ハチミツクリームチーズサンドを注文してもらう。
1つ小銅貨7枚(700円)と、今まで目にしてきた食べ物の値段を考えればかなりの高額商品だ。
店員さんの手で四角いサンドイッチ用のパンが2つに切られ、間に手際よく薄黄色のクリームが塗られて挟まれた。
皆で出来立てのクリームサンドを手に、店を出る。
「むぐむぐ……うん、美味しいですね!」
ほんのり甘いクリームチーズの味に、思わず頬が緩む。
ありきたりの味といえばそうなのだが、目の前に広がる絶景のおかげでかなり美味しく感じられた。
ノルンちゃんとチキちゃんも、美味しそうにもぐもぐと口を動かしている。
「んじゃ、これ食ったら街へ行こうぜ。商売の準備をしないとな」
「そうですね。どこかで出店を出す感じですか?」
「ああ。どこか適当な場所を借りて、そこでコーヒーの試飲をやろうと思う。観光地だし、試飲させてから売れば買う奴も多いだろうと思ってな」
「なるほど、それはいい戦略ですね」
チキちゃんがクリームサンドを食べながら、俺の袖をくいっと引っ張る、
「コウジ、鉱石とかの換金もしないとだよ」
「あ、そうだった。じゃあ、換金してから宿をとって、その後に出店を出す場所を借りに行こうか」
「やることいっぱいですね!」
あれこれ話しながらクリームサンドを食べ終え、街へと続く街道に出るための入場ゲートへと向かう。
俺たちと同じような目的の人がかなりいるようで、たくさんの馬車が停まっているのが見える。
「天空都市カゾへようこそ! 何名様ですか?」
簡単な木の柵でできた入場ゲートに行くと、『受付係』と名札の付いた翼人のお兄さんが出迎えてくれた。
従業員さんは10人以上おり、びしっとした制服姿の人も何人かいた。
制服姿の人は胸元に『検査官』と名札が付いていて、入島者のバッグやズダ袋の中身を丁寧にチェックしていた。
持ち込み品に関しては、かなり気を使っているようだ。
「4名です。あと、馬車も連れて入りたいです。中で商売をしたいのですが」
「かしこまりました。では、積み荷を拝見させていただきます。馬車はいったんお預かりしますね」
お兄さんが手綱を取り、検査官のお姉さんに引き渡す。
入島税は1人あたり大銀貨1枚(5000円)と、これまた高額だった。
馬車に至っては1日あたりに大銀貨1枚かかるとのことで、滞在すればするほどお金がかかってしまうとのことだ。
「こちら、入島に際してお配りしているパンフレットです。注意事項も記載されておりますので、お待ちの間にご説明させていただきますね」
空に浮かぶ島が表紙に描かれた小冊子を、人数分もらった。
開いてみると、カラーで印刷された街の地図が載っていた。
書写魔法、というもので印刷されたものだろう。
「お客様は商売をするとのことですので、大切な注意事項がいくつかございます。まず、関税についてですが――」
あれこれと、お兄さんが説明してくれる。
商品を持ち込む場合、先にこの場で値段を決めなくてはならず、すべて専用の帳面チェックする義務が発生する。
出島する際には売ることのできた品物の分量に応じて、税を払う必要があるらしい。
ずいぶんと手間のかかる作業にも思えるが、売れなかったら無税で持ち帰ることができるのなら商売をしてみようという人も増えるだろう。
「商売に関して法を犯すと、当都市では重罪となります。最悪極刑となりますので、くれぐれもご注意ください」
「うわ、極刑だって。カルバンさん、気を付けましょうね」
物騒な説明に、俺は顔をしかめる。
「まあ、普通に商売してる限り大丈夫だよ。きちんとルールに従って商売すればいいだけだ」
「ですね……それにしても、違反したら極刑もあり得るってのはすごいな……」
「すみません、そこの人間族のかた。ちょっとこちらへ来ていただけますか?」
そうして説明を受けていると、検察官のお姉さんが俺たちに声をかけてきた。
背中には翼がある翼人だ。
いかにも『生真面目な役人』といった雰囲気で、視線は鋭く表情も冷たい印象を受ける。
何だろう、と皆でそちらへ向かう。
「積み荷の中に見慣れない物があるのですが、これはどういったものでしょうか? 袋も何やらよく分からない素材に見えるのですが」
お姉さんがコーヒー粉末の袋を1つ、俺たちに差し出す。
そういえば、コーヒーはこの世界には存在していない(たぶん)ものだったのだ。
袋も光沢を放つコーティングがされているし、目について当然だ。
「あ、それはコーヒーという粉末飲料です。西の国から運んできました」
俺が説明するとお姉さんは怪訝そうに顔をしかめた。
「コーヒー? 聞いたことがない飲料ですね。この袋は?」
「それも、私の国で作られた新素材です」
「国名は?」
「日本という国から来ました」
「そのような国名、聞いたことがありませんが……少し、調べさせていただきます。1つ開けますね」
お姉さんはポケットからナイフを取り出すと、袋の口を切った。
何やら尋問されているような気分で、ドキドキしてしまう。
「知識の精霊よ、このものの理を我に示せ」
お姉さんがコーヒーに手をかざしてつぶやくと、その手がぼんやりと光輝いた。
数秒光を当て続け、ふむ、と頷く。
「緑茶と同じ類の反応が見られますね……まあ、この程度なら大丈夫でしょう。念のため、この場で1杯作っていただけますでしょうか?」
「あ、はい。分かりました。チキちゃん、お願い」
「うん」
チキちゃんが馬車に走り、紙コップを手に戻ってきた。
お姉さんからコーヒー袋を受け取り、目分量でコップに移す。
「精霊さん、熱湯をお願い」
指先から熱湯を出し、コップに注いだ。
温泉水のコーヒーになってしまうが、キャンプ中に飲んだ感想としてはそれなりに美味しかったので大丈夫だろう。
「はい、どうぞ」
「どうも」
お姉さんがコップを受け取り、香りを嗅ぐ。
「……いい香りですね」
「熱いから、気を付けてね」
「はい」
ふうふうと冷ましながら、お姉さんが口をつける。
すると、その目が少し見開かれた。
「……代表のかたはどなたですか?」
お姉さんの言葉に、皆が俺を見る。
どうやら、俺が代表のようだ。
「あ、はい。俺です」
「ちょっとこちらへ」
お姉さんに腕を掴まれ、馬車の陰に連れていかれた。
腰をかがめ、内緒話をするように顔を近づける。
「すみません、あのコーヒー、少し譲ってくれませんか?」
「え?」
「順番を繰り上げて、すぐに街に入れてあげます。今の順番だと、あと半日は待つことになりますよ?」
どうやら、先に入れてやるから賄賂をよこせと言っているようだ。
「……それって、違法じゃないんですか?」
俺が言うと、お姉さんは少し困ったように笑った。
ずっと無表情だったせいで分からなかったが、笑うとけっこうかわいい人だ。
「お兄さん、袖の下って知ってます? もっと要領よく生きないと、人生損しちゃいますよ?」
先ほどまでの厳格な検査官といった立ち振る舞いから、急に小悪魔のようなことを言い始めたお姉さん。
「大丈夫です。『珍しい品物のため、サンプルとして徴収』という扱いにします。ほんの2、3袋、譲ってくれれば大丈夫ですので」
2、3袋のどこが「ほんの」なのかは分からないが、逆らってもいいことはなさそうなので従っておくことにした。
もし不都合が起きればお姉さんも逮捕されることになるはずなので、俺が口外しなければばれやしないだろう。
「分かりました。サンプルですね。そういうことでしたら、どうぞ持って行ってください」
荷台から500グラムのコーヒーを5袋取って、お姉さんに手渡す。
言われたよりも多めに渡したのは、その方が心証がいいだろうと思ったからだ。
お姉さんはにっこりと微笑み、屈めていた姿勢を直して元の無表情に戻った。
「では、こちらはサンプルとしてお預かりいたします。食品という性質上、お返しすることは難しくなりますので、ご理解ください」
少しだけ大きな声で言い、傍にある詰め所へとコーヒーを置きに入って行った。




