4話:理想郷へ!
「ふひゅう……もう入らないのですよ……」
両手と口の周りを生クリームまみれにして、大の字に寝転んだノルンちゃんが至福の表情で言う。
彼女は焼きそばを2本とキャベツを1欠片食べた後、早々にショートケーキにかぶりついた。
あまりの美味しさに感動したのか、「美味しいですね! 美味しいですね!」と涙を流しながらケーキを頬張る姿が印象的だった。
「おー、結構食べたねぇ。明らかに腹部の体積より多く入ってるんじゃないかそれ」
「お腹がはち切れる寸前まで食べたですよ……しばらく動けないのです……」
ケーキは先端部分が弧を描いて削られており、8分の1ほどは減っているだろうか。
よくそんなに入ったな、と感心してしまった。
「そっかそっか。じゃあ、作業はまた明日にしよう。今日はもう風呂に入って寝ようかね」
俺が言うと、ノルンちゃんは慌てた様子で起き上がった。
「あ! いえいえ、大丈夫です! 動けるのですよ!」
「いや、無理しなくていいよ。明日は日曜日で仕事も休みだし、のんびりやればいいからさ」
「いえいえ、大丈夫です! コウジさん、私を理想郷の前まで運んでくださいまし!」
そこまで言うなら仕方がないと、俺は彼女を手に乗せて、ドーム状の物体の前まで運んだ。
相変わらず、その中にはファンタジーな世界が広がっている。
「ではでは、始めますね! コウジさん、靴をこちらに持ってきて、そこに座って見ていてください!」
「靴? 何に使うの?」
「まあまあ、ここは黙って従うですよ!」
「りょーかい」
言われたとおり、玄関から靴を持ってきて傍らに置き、その場に腰を下ろしてあぐらをかく。
何をするのかとみていると、ノルンちゃんはくるくると踊りながら、歌のようなものを口ずさみ始めた。
「やあやあ、友よ、何処へ行く。歩みの先に、何がある?」
「やあやあ、友よ、こっちにおいで。みんな集めて、一緒くた」
「ここが私の、理想郷。奇跡のために、みんなでうたおう」
「世界の夢は、いつまでも。永久の願いを、あなたとともに!」
歌が終わると同時に、ドームがぼんやりと発光し始めた。
ドームの中は時間が加速しているのか、雲がすさまじい速さで動き始め、季節が目まぐるしく変わっていく。
やがて目で追うことすらできないほどの物凄いスピードにまで加速し、何が起こっているのかまったく見えなくなった。
「魔法はほどほど、機械は限定、神話風味でお魚たくさん! あっ、あんまり言わないほうが良いんでした! うっかり言っちゃってごめんなさいです!」
ノルンちゃんがくるくると踊りながら、そんなことをのたまう。
「ちょ、ちょ、ちょっと! 何がどうなってんのこれ!? どうなるの!?」
「こうなります! よいっしょー!」
彼女がそう言って両手を上に伸ばすと、ドームが激しく発光した。
その光で部屋が満たされ、あまりのまぶしさに目を閉じる。
「――コウジさん、コウジさん、目を開けてくださいませ!」
その声に、ゆっくりと目を開く。
「……え」
飛び込んできた光景に、俺は目を見開いた。
石造りの、古代建築を思わせるような2階建ての家々。
その先に覗く、広大な青い海。
抜けるような美しい青空。
頬を撫でる、柔らかな優しい風。
ひゅいひゅいと遠くから聞こえてくる、海鳥の鳴き声。
いつの間にやら俺は、おしゃれな海辺の街にいた。
道の真ん中で、あぐらをかいている状態だ。
「どうです? すごいでしょう?」
その声に、上を見上げる。
長い緑髪の女の子が、背後から覗き込むようにして俺を見下ろしていた。
「え、もしかして、ノルンちゃん?」
「はい、ノルンちゃんなのです」
人間サイズのノルンちゃんが、にっこりと俺に微笑む。
「ど、どうして大きくなってるの? ていうか、ここはどこ?」
「こっちの世界では、私も人と同じ大きさになれるのですよ。そして、ここはコウジさんのための理想郷なのです!」
彼女がドヤ顔で、その豊かな胸を張る。
俺は唖然としながらも、もう一度周囲へと目を向けた。
とても美しい街並みだが、辺りに人はいないようだ。
そうしていると、ノルンちゃんは俺の手を握った。
ぐいっと引っ張られ、立ち上がる。
「さあ! コウジさん、行きましょう!」
元気よく走り出した彼女に手を引かれ、俺も走り出す。
「え、行くってどこへ!?」
「世界を見て回るのです! 初回はあまり時間がないので、さわり程度ですけどね!」
「すみませーん、誰かいませんかー?」
「どなたかいらっしゃいませんかー!?」
街の大通りを並んで歩きながら、人を求めて大声で呼びかける。
だが、響くのは俺たち2人の声ばかり。
やれやれと俺は足を止めると、近くにあった池の横に腰を下ろした。
「誰もいないねぇ。無人の街なんじゃない?」
ぱしゃぱしゃと池の水に手を入れながら、中を覗く。
水は美しく透き通っており、深さは数十メートルはありそうだ。
中には水没した建物らしき影が見え、悠々と泳ぐ魚群が見て取れた。
「い、いえ、そんなことは……おかしいですね、ここは賑やかな港町のはずなんですが……」
ノルンちゃんは困惑した様子で、きょろきょろと辺りを見渡している。
「もしかして、出てくる場所を間違えたとか?」
「いえいえ! 私に限ってそんな凡ミス、絶対にしないのですよ!」
「でも、人っ子一人いないじゃん。誰か住んでたような形跡はあったけどさ」
民家や商店のような場所にも入ってみたのだが、人間どころか動物すらおらず、どこももぬけの殻だった。
何件かの民家には、腐ってカビの生えた魚料理が放置されていた。
これではまるで、ゴーストタウンだ。
「う、うーん。おかしいですね……ここにはたくさんのにん――」
彼女がそう言いかけた時。
あれだけ照っていた日差しが、突如として遮られた。
2人同時に、空を見上げる。
「うお、なんだありゃ」
「……えっ」
とんでもなく巨大なクジラが、空に浮かんでいた。
ざっとみて、全長400~500メートルはあるだろうか。
胸ビレと尾ビレをゆっくりと動かしながら、悠々と空を泳いでいる。
「えっ? えっ? 私、あんなもの作った覚えないですよ!?」
「おー、すっげえ……なんて幻想的な光景なんだ!」
その力強くも美しいフォルムに圧倒され、俺は感嘆の声を漏らした。
今まで生きてきた中で、今が一番感動しているといっても過言ではない。
「すごい! すごいよノルンちゃん! こんなの見せてくれるなんて、ノルンちゃんマジ女神だよ!」
「い、いえ! 私は本当にあんなの作ってないのですよ!」
「またまた、あれだろ? ワクワクとドキドキのための秘密ってやつでしょ? もう目の前にあるんだし、そんな嘘つかなくてもいいって」
「で、ですから――」
『グオオオオンッ!』
「ひゃあっ!?」
「うおっ!?」
その時、突如として、空飛ぶ巨大クジラが吠えた。
びりびりと大気を震わせるほどの、重低音のすさまじい大音量だ。
数秒ほどその声は響き続け、やがてぴたりと止んだ。
俺たちは思わず、互いに顔を見合わせる。
「す、すごい声だっ……おおおおっ!?」
「きゃあああ!? コウジさんっ!?」
突如として猛烈な風が吹き荒れ、俺の身体がふわっと浮き上がった。
ノルンちゃんが慌てて、俺の腕を掴む。
彼女の足がコンマ数秒で植物の根に変異して、石の舗装を突き破って地中にそれを張り巡らせた。
「うおおお!? ノルンちゃんすごいな!? その足どうなってんの!?」
「んぎぎぎ! あ、汗で手が滑っ!?」
すぽん、と手が外れ、俺の身体は空へと吸い上げられた。
俺の名を叫ぶノルンちゃんが、ものの数秒で米粒大の大きさになる。
あれよあれよという間に俺は上空数百メートルへと到達し、目の前には巨大クジラの顔。
ぐわっと、クジラの口が大きく開く。
「え、マジで?」
言い終わると同時に、ばくん、と俺はクジラに食べられてしまった。