35話:コーヒーを持って出かけよう
アパートに荷物を運び終えた俺たちは、改めて酒盛りを開始した。
部屋の廊下には、コーヒーが山積みになっている。
棚にあったものをすべて買い占めてきたので全部で100キロくらいはありそうだ。
カルバンさんは身の振り方が定まって気分がすっきりしたのか、それまで以上に上機嫌な様子だ。
「しかし、夕飯のすき焼きは絶品だったなぁ。あんなに美味い鍋料理は初めて食べたよ」
片膝を立ててチューハイを飲みながら、赤い顔をしたカルバンさんがしみじみ言う。
肉は多めに800グラムほど買ってきたのだが、その8割近くがチキちゃんとカルバンさんの胃に収まった。
「まあ、使った肉は最高級品でしたし、何より料理人の腕が抜群でしたからね」
「本当? 私、上手にできた?」
「もちろん! 俺が今まで食べたなかで、間違いなく一番美味しいすき焼きだったよ!」
俺が褒めると、チキちゃんが、にへら、といった感じで顔を綻ばせた。
完全に酔っぱらっている様子だ。
真っ白な肌がアルコールのせいで紅潮しており、ちょっと色っぽい。
「ヒック! コウジさん、せっかくなので、旅人の宿の料理人さんにすき焼きの割り下のレシピを教えるですよ! きっと、大人気料理になります! ヒック!」
真っ赤な顔をしたノルンちゃんが、しゃっくりを繰り返しながら提案する。
先ほどから、控えめに見ても200ミリリットルは飲んでいる気がする。
首から耳まで真っ赤だけど、急性アルコール中毒になるギリギリでアルコール成分を分解しているのだろうか。
「そうだね、作り方は買った本に……あ、そういえば」
「ん、どうした?」
カルバンさんが小首を傾げる。
「あの旅人の宿って、食事の時にものすごい量の料理が並んでたじゃないですか。海の幸から山の幸まで種類豊富だし、とんでもない量が必要だと思うんですけど、どうやって宿まで運んできてるのかなって」
「どうやってって、グランドホーク便だよ。それ以外じゃ間に合わないだろ」
「グランドホーク便? 何ですそれ?」
「ん? 知らないのか?」
「初めて聞きました。チキちゃんは?」
俺の問いかけに、チキちゃんが首を振る。
「私も知らない。里の人たち、遠出してもルールンの港町までだったみたいだから」
「あれま。エルフは引きこもりだと聞いてたが、本当なんだな……えっとだな、グランドホーク便ってのは、その名のとおりグランドホークに荷物入りのでっかいコンテナを運ばせる輸送手段なんだよ」
「グランドホーク……それって、どんな生き物なんですか?」
「四つ足の巨大な鳥だ。ほら、たまに空を飛んでるだろ」
「いや、俺は一度も……あ、もしかして」
俺はふと思い立ち、部屋の隅に置かれている理想郷へと向かった。
青白く輝くドーム状のそれを覗き込み、お目当てのものを探す。
すると、雲の合間を飛んでいる白い鳥のような生き物を見つけた。
カルバンさんも隣に来て、理想郷をのぞき込む。
これについては、こちらの世界に来た時にノルンちゃんからカルバンさんに説明済みだ。
「カルバンさん、そこに飛んでる鳥がそうですかね? あ、理想郷に手を触れないようにしてくださいね。吸い込まれちゃうかもしれないんで」
「おう、分かってる。……って、ずいぶんちっちゃいな。これじゃ分からないな」
「ノルンちゃん、これってズーム機能とかないの?」
「そういったものは何もないのですよ。あと、そこに映る映像は、私たちが理想郷から出た時付近の時間を、帰還地点を中心にして数時間繰り返し再生しているだけです」
「あ、そうなんだ。だからこの中に戻った時、ほとんど時間が進んでなかったのか」
「おっ、これ、天空都市カゾだろ」
ドームの中に空に浮かぶ島をカルバンさんが見つけ、指をさした。
俺はとっさに顔を反らし、ずりずりと後ずさりする。
「コウジ、何やってんだ?」
「いや、せっかくこれからそこに向かうっていうのに、極小版とはいえ先に見ちゃったら感動が薄れちゃうかなって思って」
「ああ、なるほど。確かにそれもそうだ。予備知識なしで行ったほうが、絶対に感動するよな。俺ももう見るのはやめておこう」
せっかくノルンちゃんが俺のために作ってくれた理想郷なので、ネタバレ的な行動は極力避けたい。
蒸気都市イーギリの話をカルバンさんから聞いた時のノルンちゃんの反応からして、彼女は理想郷内に何があるのかは大体知っている様子だ。
それでもあえて予備知識を授けないのは、それらを俺が目にした時の感動を削がないようにと思ってのことなのだろう。
2人してちゃぶ台に戻り、腰を下ろす。
「まあ、あれがグランドホークか分からないが、そういう輸送手段があるんだよ。コンテナを魔法で凍らせて長距離輸送することもある」
「なるほど。ということは、グランドホークに乗ってあちこち移動するのも可能なんですね?」
「できるにはできるが、かなり金がかかるぞ。専用の訓練を積んだ魔法使いに同伴してもらわないと、移動中に息ができなくなったり凍え死んだりするらしいからな」
「えっ、そうなんですか。かなり高いところを飛ぶってことですかね?」
窒息死するということは、高度8000メートル以上を飛行するということだ。
登山の漫画で見た知識だが、登山の際に急激に高度を上げると高山病になり、脳が低酸素状態になってとても危険らしい。
ゆっくり慣らしていったとしても、8000メートル以上では酸素ボンベなしでは低酸素脳症になってしまうとのことだ。
「ああ。昼間でも星が見えるくらい、高いところにまで上がるらしいぞ」
「そんなにですか。普通に低空を飛んで行ったりはできないんですか?」
「できるにはできるが、グランドホークは長時間飛行は苦手なんだ。力はあるんだが、羽ばたきながら連続で飛ぶのは数時間が限界らしい。それに、あんまり速くは飛べないしな」
「数時間ですか。でも、それなら何でそんなに高いところを飛ぶんですか?」
「グランドホークってのは、空の上にある魔力気流ってのに乗ることができるんだ。そこまで一気に飛んで行って、あとは魔力気流の中を目的地に向かって飛ぶらしい。飛ぶってよりも、泳ぐって感覚らしいが」
「なるほど……」
原理はよく分からないが、そういうことらしい。
気流が存在する高度にまで一気に上昇する関係上、生身の人間が乗ると高山病やらなにやらで危険なのだろう。
そういった高高度に行っても無事でいられるように、魔法使いを雇う必要があるのだろう。
「コウジさん」
ノルンちゃんに声を掛けられてそちらを見ると、チキちゃんがちゃぶ台に突っ伏して眠っていた。
「ありゃ、寝ちゃったのか」
「はい。お布団に運んであげるですよ」
「うん。それじゃ、片付けして寝ようか。カルバンさん、空き缶は流しで中身を洗って、まとめてビニール袋に入れちゃってください」
「おうよ」
「コウジさん、持っていく荷物もまとめないとですよ」
「そうだね、ぱぱっとやっちゃおうか」
眠りに付けば、再び理想郷で目を覚ますことになる。
また世界のバグを1つ解決しなければ戻ってこれないと思うので、買ってきた荷物はきっちりまとめておかないとな。
いつ次のバグに遭遇できるかは分からないので、忘れ物がないように気を付けなければ。
「うわっ!?」
「な、なんだ!? どうなってんだ!?」
騒がしい声に、ゆっくりと目を開ける。
目の前に、心配そうに俺を覗き込む討伐団の皆の姿があった。
「あ、皆さん。おはようございます」
「いや、おはようって……いきなり消えたと思ったらまた突然現れて、何がどうなってんだ?」
トカゲ顔のおじさんがそう言った時、再び周囲で驚いた声が響いた。
ノルンちゃんたちも近くに出現したようだ。
「ええと、ちょっと理由があってですね……まあ、気にしないでください。はは」
「気にするなって言っても……それに、一緒に袋がたくさん出てきたぞ。これは何だ?」
そう言って、俺の傍に山積みになっているビニール袋に目を向ける。
中身はコーヒーやソースなど、現世で仕入れてきた物だ。
「ああ、それはコーヒーとか調味料ですよ。町で売ろうと思いまして」
それを言った途端、皆の目の色が変わった。
討伐団の皆にはコーヒーは大好評だったし、それが山ほどあると聞いたら欲しくもなるだろうな。
「ね、ねえねえ。私、ストーンドラゴンの分け前はいらないから、コーヒーを少し分けてもらえないかしら?」
脇にいた猫人のお姉さんが、おずおずといった感じで申し出た。
同じように、半数くらいの人が自分も欲しいと手を上げる。
「カルバンさん、どうします?」
少し離れたところであくびをかいているカルバンさんに、話を振る。
ノルンちゃんとチキちゃんも目を覚まし、立ち上がって服に付いたホコリを払っていた。
「おう、構わないぞ。コウジの好きにしてくれ」
「それじゃ、1人1袋、500グラムでいいですかね。あと、代金はいらないですよ。タダでプレゼントしますから」
「えっ、いいの!?」
「はい、今回は特別で」
「わあ、ありがとう! あなた、本当に気前がいいのね!」
猫人のお姉さんが、嬉しそうに微笑む。
考えてみれば、元手はストーンドラゴンから出た金貨を質屋に売ったお金なのだ。
それを分配前に勝手に持ち出してすべて売り払ってしまったので、これくらいプレゼントしてもいいだろう。
討伐団の皆に500グラムずつ配っても、50キロくらいは残りそうだ。
少々買いすぎた気がしないでもない。
「コウジさん、手伝いますよ!」
「私も手伝う」
ノルンちゃんたちと手分けをし、手を挙げた人たちに1袋ずつ粉末コーヒーを配る。
配っていてふと気づき、「あっ」と思わず声を漏らした。
「やべ、こんな大荷物、どうやって運ぶんだよ……」
荷物はキャンプ道具やソースなども合わせると、おそらく全部で80キロ近い重量があるだろう。
そのほか、ストーンドラゴンの残骸(希少鉱石らしい)や、大量の溶けた宝石と硬貨も持ち帰らないといけないのだ。
とてもではないが、運べる量ではない。
「兄ちゃん、それなら里の荷車を使ってくれ。必要なだけやるから、持って行っていいぞ」
俺たちのやり取りを見ていたドワーフのロコモコさんが、崩れかかった小屋の傍を指さす。
鉱石の運搬に使っていたであろう荷車が、何台も置かれていた。
「えっ、いいんですか?」
「おうよ。こちとら復興資金までもらっちまってるからな。これくらいお安い御用さ」
「ありがとうございます! 助かります!」
「コウジさん、よかったですね!」
ノルンちゃんがニコニコしながら、俺の隣にやってきた。
なんだか、すごく嬉しそうだ。
人が助け合ったり、善意を施したりする姿を見るのが好きなんだろうな、きっと。
「うん、これで何とか運べるね」
「ではでは、ぱぱっと仕分けをしちゃいましょう! 宿に戻ったら宴会なんですから、手際よくやるですよ!」
ノルンちゃんの言葉に、討伐隊の面々からも嬉しそうな声が上がる。
手持ちに現金はほとんどないけど、旅の仲間にカルバンさんという知識も懐も頼もしい仲間ができた。
ここは彼に一肌脱いでもらうとしよう。




