32話:やよい亭
カルバンさんの服を一式そろえ終え、俺たちはレストラン街へとやってきた。
ノルンちゃんとカルバンさんの希望を叶えるべく、定食屋へと向かう。
店に着くと、食品サンプル入りのガラスケースにカルバンさんが目を留めた。
「おお、出来上がった料理を見本として並べてるのか。これは分かりやすくていいな」
「カルバン、それは本物じゃないよ。偽物だよ」
「えっ、偽物? これがか!?」
チキちゃんに指摘され、カルバンさんが目を丸くする。
最近の食品サンプルは本物と見間違うくらい精巧にできているので、驚くのも無理はない。
「うん。私も最初見た時は驚いたけど、本物じゃないんだって」
「そうなのか……言われてみれば、斜めに飾ってあるのに料理が崩れてねえな。なるほど、作り物か」
「コウジ、このお店にするの?」
「うん。お米が美味しいし、からあげ定食もトンカツ定食もあるから、ここがいいかなって」
チキちゃんの腕の中からノルンちゃんが店の看板を見上げ、おお、と声を上げる。
「やよい亭ですか! コウジさんが学生時代に足しげく通っているのを、天界から見ていたですよ! チキン南蛮定食がお好きなんですよね?」
「そうそう。ここのチキン南蛮が本当に美味しくて……しかし、本当に俺のことをずっと監視してたんだね。プライバシーも何もあったものじゃないね」
「それがお仕事でしたので。あ、でも、コウジさんが夜の内職をしていらっしゃる時は、ちゃんと目を瞑っていたですよ!」
「そ、そう」
「コウジ、内職してたんだ。夜まで働いてたなんて偉いね。働き者だね」
「はは。さあ、行こうか」
純粋な眼差しを向けてくるチキちゃんから目をそらしつつ、店内へと入る。
やよい亭は席に行く前にタッチパネルで食券を買う方式だ。
皆でパネルを覗き込み、メニューを選ぶ。
「ノルンちゃんは唐揚げがいいんだっけ?」
「はい! 単品でいいので、鶏のから揚げをお願いいたします!」
「それなら、私が唐揚げ定食にするよ。ノルン様、一緒に食べよ」
「了解しましたっ!」
「それじゃ、2人は唐揚げ定食ね。足りなかったらもっと頼んでもいいからね」
パネルを操作して、唐揚げ定食を選ぶ。
ノルンちゃんの身体の大きさからいって、1個食べれば余裕で満足できるだろう。
次に、トンカツ定食を表示させた。
「カルバンさんはトンカツ定食でいいですか?」
「お、美味そうだな。トンカツってのは、何の肉だ?」
「豚です。豚に卵とパン粉を付けて、油で揚げた料理ですね」
「おう、それでいいぞ。豚肉は大好きだからな!」
「それじゃ、トンカツ定食、と。俺はいつもどおりチキン南蛮定食にしよう」
食券を買い、空いている席へと向かう。
平日ということもあって、席の埋まり具合は半分にも満たない程度だ。
俺の隣にチキちゃん、正面にカルバンさんだ。
4人掛けのテーブル席に座ると、すぐに店員さんが水を持ってきてくれた。
「あっちの世界には、トンカツみたいな料理はないんですか?」
俺の質問に、カルバンさんが水を飲みながら頷く。
「俺は見たことがないな。揚げ物っていったら、肉に小麦粉を付けて揚げ焼きにするのが一般的だな」
「揚げ焼きですか。どっぷり油に漬けて揚げるってのは、やらないんですかね?」
「どうだろ。俺はあんまり料理はしないからなぁ」
「コウジ、あっちの世界だと、揚げ物料理は揚げ焼きが普通だよ。油は作るのが大変だから、あんまり沢山は使わないの」
横からチキちゃんが補足してくれる。
エルフの里では菜種油を作っていたと言っていたが、製作工程を聞いた時は手順がいくつもあったし、製造に手間がかかりすぎて一度にたくさん使えるほど作れないというのなら納得だ。
もっと機械が用いられている世界なら、こうはならなかったのかもしれない。
パン粉を付けて揚げるといった調理法も、一般的ではないのかもしれない。
「そうなんだ。じゃあ、こっちの唐揚げとかトンカツをあっちで作ったら、評判になるかもしれないね。お店開いたら儲かったりして」
「うん。きっと珍しいから、評判になりそう。すぐに真似されちゃいそうだけど」
チキちゃんがそう言うと、その腕の中でノルンちゃんが「あっ!」と声を上げた。
「コウジさん、唐揚げ粉を忘れずに買っていくですよ! サラダ油と、捨てる時用の固めるやつも!」
「そうだね、買って行こうか」
そんな話をしていると、唐揚げ定食、トンカツ定食、チキン南蛮定食がやってきた。
カルバンさんも箸は使ったことがないとのことなので、店員さんにフォークを持ってきてもらった。
皆で「いただきます」と手を合わせた。
「カルバンさん、トンカツにはその茶色いタレをかけて食べてください。あと、そこの黄色いのはカラシなので、つけるかどうかはお好みで」
「カラシ? 唐辛子のことか?」
「いえ、カラシナのほうですね。ツンときますよ」
「ああ、漬物で使われてるアレか。何度か食ったことがあるぞ」
カルバンさんがトンカツにソースをかけ、フォークで刺して口に運ぶ。
サクッと衣のいい音が響く。
カルバンさんは2、3度咀嚼して、うっ、と呻いた。
ばっと、俺に顔を向ける。
「何だこれ!? めちゃくちゃ美味いぞ!?」
「それはよかった。キャベツやごはんと一緒に食べると、もっと美味しいですよ」
「そうなのか! どれ……もぐもぐ」
カルバンさんはよほど気に入ったのか、頬をパンパンにしてトンカツ定食をかっ喰らい始めた。
肉、キャベツ、ごはん、肉、キャベツ、ごはん、とリズミカルに口に運んでいく。
見ているほうも気持ちのいい食べっぷりだ。
チキちゃんもリズミカルに、唐揚げ、キャベツ、ごはんを口に運んでいる。
カルバンさんに負けず劣らず、頬っぺたはパンパンだ。
ノルンちゃんにおいては、両手で唐揚げに掴まりながらかぶりついている。
俺も一度でいいから、あんなふうに巨大な食べ物にかぶりついてみたいものだ。
「この茶色いタレが美味いなぁ! こんな味は初めてだ!」
「それは中濃ソースっていうタレですね。これもあっちに持って行ったら売れそうですかね?」
俺の質問に、カルバンさんはトンカツを頬張りながらこくこくと頷く。
「売れる売れる。こういう、毎日の生活で使うようなものなら大人気になると思うぞ。まあ、そういう物を売るとなると、どこかに店を構えて店舗経営したほうがいいだろうな」
「なるほど。ソースとコーヒーか……」
「作り方が分かれば、安定的に生産して売るってのもできるんだけどな。コウジは作り方は分かるか?」
「ちょっと待ってください。今調べてみます」
スマートフォンを取り出し、検索をかける。
その姿に、カルバンさんがきょとんとした顔になった。
「おい、何やってるんだ? それは遠くの人と会話をする道具だろ?」
「そうですけど、いろいろ調べものもできるんですよ。ほら」
『ソースの作り方』とタイトル表記されたスマホ画面をカルバンさんに見せる。
「こうやって指で操作すると、画像が動きます。やってみます?」
「お、おう……うわ、何だこれ。何がどうなってるんだ?」
スマホ画面をぬるぬると操作しながら、カルバンさんが驚きの声を上げる。
「これ、本当に魔法じゃないのか?」
「魔法じゃなくて機械ですよ。全部機械仕掛けです」
「そうなのか……ううむ、世の中広いな。こんなものが存在するとはな……」
カルバンさんは唸りながらソース作りのページを一通り閲覧し、俺にスマホを返してきた。
「材料的にはあっちでも作れそうだが、全部そろえるのが少しばかり大変そうだな。一発で上手に作れるとも思えないし、しばらく練習期間が必要だろうな」
「お、そうですか。チャレンジしてみます?」
「するする。仕入れのたびにコウジの世話になるのも大変だしな。コウジたちはこれからも旅を続けるんだろ?」
「はい。一カ所に留まるようなことは、しばらくないかと」
「なら、連絡も取りにくくなるだろうし、自分で何とかできることは何とかしないとな」
「連絡取りにくいもなにも、一度別れたら連絡取れなくないですか?」
俺が聞くと、カルバンさんが不思議そうにスマホに目を向けた。
「それを使えばいいじゃないか。離れた相手とも話ができるんだろ?」
「あ、いや、これは『基地局』っていう施設がないと使えないんですよ。あっちの世界じゃ使えないんです」
「ふむ、使うのに制約がある道具ってわけか。ならまあ、これを使えばいい」
そう言って、カルバンさんは着替えた服が入った紙袋を漁った。
中から、銀色のハンドベルを2つ取り出した。
「何です、これ?」
「『再会のベル』だ。ベル同士が対になってて、片割れを持つ人間と話ができる。スマートフォンだっけ? それと同じような使い方ができる道具だ」
「えっ!? そんな道具があるんですか!? どれだけ離れてても大丈夫なんですか!?」
驚く俺に、カルバンさんが少し得意気に頷く。
こっちの世界に来てからカルバンさんは驚きっぱなしだったが、今度は逆に俺が驚かされる側になってしまった。
「おうよ。魔力干渉とかでもない限りはな。ほら、こっちを持ってみろ」
カルバンさんからベルを1つ受け取った。
片手で持てるサイズの、小さなものだ。
カルバンさんが持っているベルをチリンと鳴らすと、俺の持つベルが同時にチリンと美しい音を響かせた。
どういう仕組みになっているのか、さっぱり分からない。
「おお、2つとも鳴った」
『おお、2つとも鳴った』
俺が言うと同時に、カルバンさんの持つベルから俺の声が響いた。
まるっきり、電話と同じだ。
しかし、魔法の道具がこちらの世界でも使えるとは。
魔法具をこっちに輸入したら、いろいろとすごいことになりそうだ。
「うわ、これすごいですね!」
俺の驚く声が、カルバンさんのベルからも同時に響く。
「これ、使うのをやめる時はどうすればいいんです?」
「もう一度鳴らせばいい。どっちかが鳴らせば、それで止まる」
カルバンさんがチリンとベルを鳴らす。
「これで止まった。簡単だろ?」
そう言うカルバンさんの声は、俺の持つベルからは響いてこない。
何とも簡単で便利な道具だ。
「むむ、まさか魔法の道具までこちらに持ち込めるとは思っていなかったのです」
唐揚げにかぶりつきながら俺たちのやりとりを見ていたノルンちゃんが、眉根を寄せる。
「コウジさん、それらの道具は、あまりこちらの世界では使わないようにしていただきたいです。何かの拍子で出回ってしまったら、いろいろと騒ぎになると思うので。私が上司から怒られてしまいます」
「うん、分かった。気を付けるよ。ノルンちゃんの上司って、どんな人なの?」
「すごいかたですよ。体中に目が付いてるんじゃないかっていうくらい、常にすべての事象を把握しているような方です。私とは神力の次元が違うのですよ」
「そ、そりゃすごいね。そんな神様もいるのか……」
「コウジ、米がなくなった。追加注文していいか?」
「あ、ここは白米は食べ放題なんですよ。そこの丸い入れ物から好きなだけ取ってください」
「マジで!? よし、さっそく……って、お、おい!?」
カルバンさんが立つよりも早く、チキちゃんが席を立ち炊飯器に向かう。
「早い者勝ちだから」
お茶碗に山のように白米を盛るチキちゃん。
やはりこの娘は大食いだ。
次にあちらの世界に行くときは、食料を多めに持って行かねば。
「ぜ、全部取るなよ!? 俺の分も残しておけよ!?」
「さすがにそこまでは食べないから大丈夫」
「カルバンさん、俺のチキン南蛮も1切れ食べてみます?」
「いいのか!? くれくれ!」
「コウジさん、私も食べたいのです!!」
その後、カルバンさんが白米のお代わりに行っている隙に、ノルンちゃんがトンカツを1切れスティールして一悶着あったりしたが、追加でもう1つトンカツを注文して事なきを得た。
ノルンちゃんは「やよい亭って、食うか食われるかの殺伐とした場所じゃないんですか?」と間違った知識を持っているようだった。




