30話:貯金
「はっ!?」
唐突に目覚めたような感覚に、妙な声を上げて身を起こす。
この、転移した直後の、途切れた意識が急に復活するような感覚はなんとかならないものだろうか。
数秒して、ちゃぶ台の上とその周囲に光の粒子が現れた。
その中から滲み出すようにして、ノルンちゃん、チキちゃん、そしてカルバンさんが姿を現した。
部屋の隅っこにも光の粒子が現れ、中から俺たちのリュックが現れた。
「……あれ? ここどこだ?」
カルバンさんがきょろきょろと、辺りを見渡す。
どういうわけか、カルバンさんまで転移してきてしまったようだ。
相変わらず、転移の条件がさっぱり分からない。
「あら、カルバンさんも転移してしまったのですね。日本へようこそなのです!」
「日本? ……って、女神さん、なんか小さくないか!?」
ミニチュアサイズのノルンちゃんを見て、カルバンさんが目を丸くしている。
とりあえず、いつもどおりに説明をするか。
「――というわけなんです。巻き込んじゃってすみません」
一通りの説明を終え、カルバンさんに頭を下げる。
カルバンさんは一応は納得してくれたようだが、表情は困惑顔だ。
「俺たちのいた世界が、コウジたちが作った理想郷ねぇ……」
俺の部屋を見渡すカルバンさん。
せっかく来たのだから俺があちこち連れて行ってあげたいところだが、今日は火曜日なので出社日だ。
時計を見ると、そろそろ出勤しないとまずい時間になっていた。
「それじゃ、俺は会社に行ってくるわ。ノルンちゃん、チキちゃん、カルバンさんをお願いね」
「かしこまりました! お出かけはしてもいいでしょうか?」
期待を込めた目で俺を見るノルンちゃん。
相変わらず、家でじっとしているつもりはないようだ。
「別にいいけど、服装がちょっと心配だな……」
カルバンさんは『ファンタジー世界の旅人』といった服装で、背中にはマント、腰には長剣が挿してある。
剣とマントは置いて行ってもらうにしても、少々目立ってしまいそうだ。
「では、また服屋さんに行って洋服を調達するのですよ。お金を少々いただければなのですが」
「うん、いいよ。これ使っていいから、3人で遊んでおいで。チキちゃん、お金の管理はお願いね」
ポケットから財布を取り出し、3万円をチキちゃんに手渡す。
「コウジ、この間もお金たくさん使っちゃったけど大丈夫? 貯金あるの?」
お札を手に、チキちゃんが心配そうな顔を俺に向ける。
本当、気遣いができていい娘だな。
「このくらいなら大丈夫だよ。貯金も少しはあるし、一応働いてるからね。それに、後で金貨を換金しに行けばお金は――」
そう言った時、ちゃぶ台に置かれた俺のスマホから着信音が響いた。
画面を見てみる、
会社の隣の席の同僚からのようだ。
「ちょっとごめんね。もしもし――」
「……おい、何だあれは? 何の道具だ?」
スマホを耳に当てる俺を見て、カルバンさんがノルンちゃんに質問する。
「あれはスマートフォンといって、遠くの人とも会話ができる道具なのですよ」
「そうなのか。変わった見た目の魔法具だな」
「いえ、あれは魔法具では――」
「え、マジで!?」
突然俺が上げた大声に、3人が驚いた顔になった。
「うん、うん……分かった。とりあえず、そっち行くわ。また後でな」
通話を切り、スマホを置く。
「どうしたのですか? 何か問題発生ですか?」
小首を傾げて聞いてくるノルンちゃん。
俺は深々とため息をついて肩を落とした。
「会社が潰れたらしい」
「「え!?」」
ノルンちゃんとチキちゃんが、ぎょっとした顔になった。
「つ、潰れたって、いきなり倒産したのですか!?」
「うん、会社の入口のドアに張り紙がしてあるんだってさ。とりあえず俺も行ってみる」
「コウジ、私も一緒に行く」
チキちゃんが俺の袖を引っ張る。
「いや、いつ帰ってこれるかも分からないし、俺一人で行ってくるよ。皆は出かけてていいからさ」
「コウジがそんな大変なことになってるのに、遊びになんて行けないよ」
チキちゃんが切なげな目で俺を見てくる。
心底心配してくれているのがよく分かる。
「会社って、勤め先のことか? 潰れちまったなら、路頭に迷うってことじゃねえか。大丈夫なのか?」
心配そうに言うカルバンさんに、俺は軽く頷いた。
「そこまで深刻な話でもないですよ。確か、失業手当っていうお給料の代わりみたいなお金が国から半年間は貰えるはずですし、会社は他にもあるから再就職すればいいだけですし」
「そうなのか。まあ、それならいいんだが……さすがに失業者にタカった金で遊びに行くってのは気が引けるな。コウジが帰ってくるまで、ここで大人しくしてるよ」
カルバンさんの言葉に、ノルンちゃんとチキちゃんも頷く。
「分かりました。チキちゃん、家のことは任せてもいいかな?」
「うん、大丈夫。コウジ、気を付けて行ってきてね。早まっちゃダメだよ」
「いや、理想郷への永住が決まってるんだから、そこまで深刻になるわけないでしょ」
「あ、そっか。そうだね」
俺の言い分に、チキちゃんがほっとしたように表情を緩めた。
理想郷を修復したら俺は現在の身体を手放すことになるらしいので、今の財産やら何やらにはあまり執着がない。
眠ればあちらに転移もできるわけだし、こちらで無一文になったとしても、あちらの世界から食べ物やら何やらは調達できるのだ。
「それじゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
「気を付けて行ってきてくださいませ!」
「ちゃんと雇い主見つけて、どういうわけか聞いてくるんだぞ」
とりあえず背広に着替え、俺はアパートを後にした。
「ただいまー」
「コウジ、おかえり!」
「おかえりなさいませ!」
数時間後。
俺がアパートへ帰ってくると、ノルンちゃんを肩に載せたチキちゃんが抱き着いてきた。
座ってテレビを見ていたカルバンさんが俺に振り返り、笑顔を向ける。
「お、早かったじゃないか。どうだった?」
「何か、破産管財人とかいう人がいて、その人に言われるがまま書類にサインして解散になりました。今月分の給料と退職金は出るらしいです」
「おお、それはよかったな。雇い主とは会ったのか?」
「体調不良とかで、会社に来てなかったです。皆呆れて何も言わなかったですね。本人がいないんじゃ、言ってもどうにもならないですし」
「何かひでえ会社だな……しかし、お前らもずいぶんと諦めがいいんだな」
「特に会社に愛着があるわけでもなかったですしね」
同僚たちは皆がやれやれといった様子で、互いに軽く別れの言葉を交わして帰っていった。
何というか、人と人とのつながりが薄弱な会社だったのだなと痛感した。
会って数日しか経っていないノルンちゃんやチキちゃんとのほうが、よっぽど縁が深くなっている。
とはいえ、給与も残業代もボーナスもちゃんと出てはいたので、お金の面ではそこまで悪い会社ではなかった気もする。
そういえば、クソ上司だけは顔色が青を通り越して白くなってたな。
倒産理由もよく分からなかったし、いったい何がどうなったのだろうか。
まあ、今さらどうでもいいけど。
「さて、俺もしばらく暇になっちゃいましたし、どこか遊びに行きますか? お金のことは心配しなくても大丈夫ですよ」
「コウジさん、貯金はいくらくらいあるのですか?」
チキちゃんの肩の上から、ノルンちゃんが質問する。
「貯金? 確か400万円ちょっとはあったと思うよ」
俺が答えると、ノルンちゃんとチキちゃんが驚いた顔になった。
「結構持ってますね! それならしばらくは大丈夫ですね!」
「コウジ、お金持ちだね」
「それ、元の世界のお金に換算するといくらくらいなんだ?」
円で言われてもピンとこないのか、カルバンさんが聞いてくる。
「大金貨80枚分くらいですかね」
「80枚!? お前、若いのにずいぶん持ってるんだな!?」
「新車が欲しくて貯めてたんですよね。理想郷に移住することが決まってるし、今さら買う必要もなくなっちゃいましたけど」
さて、と俺は背広を脱いだ。
「ショッピングモールでも行くか。コーヒーとか、あっちの世界で売れそうなものを仕入れないと」
「なに、コーヒー買えるのか!?」
カルバンさんが瞳を輝かせる。
「ええ、買えますよ。たくさん買って、あっちで転売しましょう」
「コウジ、ショッピングモールに金貨が売れる場所あるかな?」
チキちゃんが溶けた金貨の入った布袋を差し出す。
「ショッピングモールにはなかったかな……行く道すがらあったはずだから、寄っていこうか」
「お出かけですね! カルバンさん、異世界観光なのですよ!」
「おお、楽しみだ!」
そんなこんなで、俺たちはアパートを出るのだった。




