147話:ノルンちゃんの気遣い
翌朝。
俺たちは食堂で朝食を食べていた。
アレイナさんは普段通りで、元気にしゃべるリリナちゃんに笑顔で接している。
昨夜は診療所に帰ってくると、アレイナさんは何も言わずに寝てしまった。
チキちゃんは爆睡しており、昨夜のことを知っているのは俺たち4人だけだ。
「おっはよーございまーす!」
ノルンちゃんが100点満点の笑顔で、食堂に入って来た。
カルバンさんとネイリーさんも一緒だ。
「おっ! 美味しそうなものを食べてますねぇ!」
ノルンちゃんが俺の隣に座り、これでもかと料理に顔を近づける。
診療所の食事はゼェルさんのお手製で、今朝の料理は卵入りのお粥、卵と野菜の炒め物、皮ごと食べられる緑色のブドウだ。
ノーラさんたち看護師さんと、交代で作っているらしい。
「ノルンちゃん、ブドウなら食べてもいいよ」
「いひひ! ありがとうございます!」
俺が言うが早いか、ノルンちゃんはブドウを1つ摘まんで口に放り込む。
「コウジ、ベルゼルさんが、もうすぐ迎えを寄こすって言ってたぜ」
カルバンさんが空いているイスにどかりと座って言う。
「んで、明日の朝にはアレイナさんは機械に入ってもらうってさ」
「そうですか。修理、順調なんですね」
「ああ。なんでも、睡眠期間の設定装置が故障してるだけらしいぜ。他は、どこも壊れてないんだとさ」
「それはよかった」
「お母さん、よかったね!」
リリナちゃんが嬉しそうな顔を、アレイナさんに向ける。
「半年したら、病気が全部治るんだよ!」
「ふふ、そうね。でも、凍らされて眠るなんて、ちょっと不安だわ」
「大丈夫だよ! お母さんを診てくれた時の杖、すごかったじゃない! あんなことができるんだもん。病気だって、簡単に治してくれるよ!」
「……そうね」
アレイナさんは一瞬表情を曇らせたが、すぐに笑顔に戻った。
やっぱり、信用してくれてないみたいだ。
天空島に行くことを拒否しないのは、リリナちゃんの前だからだろう。
「天空島に行ったら、明日まで観光をするといいのです。とても綺麗なところですから、きっと気に入っていただけると思いますよ」
ノルンちゃんがにこりとアレイナさんに微笑む。
プリシラちゃんとネイリーさんは、昨晩のこともあって表情が少し暗い。
俺たちを信用できなくて夢見が丘の木を使おうとしたことが、ショックだったんだろうな。
「っと。ちょっくらトイレ行ってくるわ。コウジ、一緒にどうだ?」
「いや、俺はいいですよ」
「んなこと言うなって。付き合えよ。ここのトイレ、何だか薄暗くて気味悪くてさ」
なぜか強引に誘って来るカルバンさん。
これは、何か話があるのかな?
「子供みたいなこと言って……ノルンちゃん、ごはん、食べちゃダメだからね?」
「し、失礼な! そこまで意地汚くないのですよ!」
「いや、さっきめちゃくちゃ食べたそうにしてたじゃん」
俺は席を立つと、カルバンさんとトイレに向かった。
トイレに着いた俺たちは、2人並んで小便器の前に立った。
カルバンさんの言うとおり、ここのトイレは少々薄暗く、夜はかなり不気味だ。
石造りの小便器は長方形の大きなもので、1人ずつ個別の造りではない。
便器の底には水が流れていて、外にまで続いているようだ。
「で、何の話ですか?」
もぞもぞとズボンに手をかけながら、カルバンさんに聞く。
「ああ。昨日の夜のことさ、女神さん、全部知ってるぜ」
「え!?」
驚く俺に、カルバンさんが、「はあ」とため息をつく。
「女神さんさ、ずっとお前らのこと見張ってたんだよ。『アレイナさんの魂に良くない揺らぎが見える』とか言ってさ」
ノルンちゃんは俺には内緒で、夜の間中、診療所の外で俺たちを見張っていたらしい。
昨晩、夢見が丘に出かけた時もあとをつけていて、何かあったらすぐに飛び出すつもりだったそうだ。
プリシラちゃんたちが対処してくれたので事なきを得たが、あの場でノルンちゃんが出てこなかったのは、アレイナさんの気持ちを考えてのことだろう。
ノルンちゃんは普段はおちゃらけているけれど、肝心なところでは本当にしっかり者だ。
「だからさ、後で女神さんには、コウジから事情を話したほうがいいぜ」
「そっか。ありがとうございます。助かりました」
「いいってことよ」
がはは、とカルバンさんが笑う。
本当に、彼はいい人だな。
「魂の揺らぎかぁ。そういえば、イーギリでミントさんのお別れ会の時にも、『魂が安らいで見える』って言ってましたね」
「ああ。女神さんには、嘘はつけないってこったな」
「……てことは、前にカゾでエステルさんに賄賂を渡したことも、実はバレてるんですかね?」
以前、コーヒーを数袋エステルさんに渡し、入島の順番を繰り上げてもらったことを思い出す。
あの後はノルンちゃんは特に何も言ってなかったのだけど、まさかわざととぼけてたんじゃないだろうな……。
「え。お前、まだ女神さんに言ってなかったのか?」
「言うタイミングを逃しちゃって、結局言わずじまいなんです……」
「そ、そうか。でも、さすがに魂を見ただけじゃ思考は読めないんじゃないか? もしそうなら、あの時即バレしてただろ」
「あ、それもそうですね。おでこにキスされないと、バレることは……あ、ダメだ。たぶんバレてる」
ノルンちゃんとの度重なる夜の情事を思い出し、俺は頭を抱えた。
「ははは。イチャイチャしてる時にさんざんチュッチュしてるんだから、頭の中覗かれててもおかしくないな」
「うう、後で謝っておきます……」
その後、食堂に戻った俺はノルンちゃんをこっそり呼び出して、昨晩の件を話したうえで天空島での一件を謝罪した。
ところが、ノルンちゃんは賄賂のことをまったく知らなかったらしく、少し困った顔で正直に話したことを褒めてくれた後、普通にお叱りを受けてしまった。
チュッチュした時に頭の中を覗いていなかったのかと聞いたのだけれど、「許可もなく、そんなデリカシーのないことしないですよ!」と怒られてしまった。
数時間後。
迎えに来たベラドンナさんのグランドホークで、俺たちはカゾに向かっていた。
リリナちゃんは初めての空の旅に大興奮で、景色を見ながら大騒ぎだ。
「お母さん、ほらあれ! すっごく大きな街があるよ! 煙がモクモクしてる!」
眼下に見えるイーギリの街並みを指差し、リリナちゃんがはしゃぐ。
グランドホークは時々斜めに傾いて飛んでくれて、景色を楽しませてくれている。
さすがはベラドンナさん、気が利くな。
「ええ。すごいわね」
「お母さんが元気になったら、あの街にも遊びに行こうね!」
「そう……けほっ、けほっ」
「お母さんっ!」
アレイナさんが咳込む。
コンテナ内には外の冷たい風がモロに入って来るので、呼吸が苦しそうだ。
アレイナさんは厚着をしていて、口元までマフラーを巻いているのだけど、それでもやっぱりつらそうだな。
全員が座席に座っていて安全バーが下りていて動けないので、背中を摩ってあげることもできない。
リリナちゃんは心配そうに、隣のアレイナさんを見上げている。
「アレイナさん、大丈夫ですか? もう少しの辛抱ですよ」
「けほっ、けほっ……はあ、はあ」
アレイナさんは俺に答えず、胸に手を当てて息を整えている。
その表情が悲壮なものに見えるのだけど、もう自分の命を諦めてしまっているのだろうか。
「アレイナさん。大丈夫なのですよ」
離れた席に座っているノルンちゃんが、アレイナさんに明るい笑顔を向ける。
「あちらに着けば、その理由が分かります。どうか、安心してくださいませ」
「……ええ」
暗い表情のまま、アレイナさんが頷く。
「お母さん、どうしたの? 何か心配ごと?」
「ううん。何でもないわ」
アレイナさんが、リリナちゃんに笑顔を向ける。
そうしてグランドホークは空を進み、天空島が見えてきた。
その美しい景観に、リリナちゃんが「わあ!」と声を上げる。
「すごい! 空に街が浮かんでる! おっきなお城もあるよ!」
「あのお城の中に、ベルゼルさんの研究所があるんだ。ホテルもあるから、お母さんが元気になるまで、リリナちゃんはそこに泊まるんだよ」
「そうなんだ!」
「もうすぐ、着陸態勢に入ります! かなり揺れますから、しっかり掴まっていてくださいね!」
頭上から響くベラドンナさんの声に、皆が「はーい」と答えた。