146話:望む未来のための犠牲
「い、いてて……あれ?」
ぼうっとしていた頭が覚醒し、俺は振り返った。
そこには、冷めた目でアレイナさんを見つめるプリシラちゃん。
それに、悲しそうな顔をしているネイリーさんがいた。
「コウジ君、大丈夫? 立てる?」
ネイリーさんが俺に歩み寄り、手を差し出す。
「あ、はい……あの、この状況は?」
「うん……」
俺の手を引っ張って立ち上がらせたネイリーさんから、暗い声が漏れる。
「『夢見が丘』か。上手い名を付けたものだ」
プリシラちゃんがため息交じりに言う。
アレイナさんは座ったまま、プリシラちゃんを見つめたままだ。
「精霊のことが気になってな。診療所で別れてから、ネイリーに調べてもらっていたんじゃ。ここらの精霊に、聞き込みをしてもらってな」
「アレイナさん」
ネイリーさんがアレイナさんに話しかける。
「この木を使うことが絶対にダメなことだとは思わないけどさ。コウジ君を巻き込むのは、違うんじゃない?」
「……分かっています。でも、私はまだ死ぬわけにはいかないから」
アレイナさんが視線を落とす。
「だからって、信じてくれて……助けようとしてくれる人を犠牲にしてもいいの? そんなの、罠に嵌めたも同然じゃん」
「え。あの、どういうことなんですか?」
俺が聞くと、ネイリーさんがため息をついた。
「この木はね。大切な人を、その身を生贄にして生きながらえさせることができるの」
「……え!?」
驚く俺に、ネイリーさんが続ける。
「大切に想っている者同士が木に触れると、弱っている方の糧となるの」
「糧って……じゃあ、アレイナさんは俺を?」
「うん……」
「どうして、こんなことをしたのだ」
プリシラちゃんの静かな、それでいて怒気を含んだ声が響く。
「ベルゼルさんの話は聞いただろうが。こんなことをしなくても――」
「信じられるわけがないじゃないですか」
アレイナさんがプリシラちゃんの言葉をさえぎる。
「体を凍らせて半年間も眠るだなんて。どう考えても死んでしまいますよ。私がこれ以上苦しまないように、死なせるつもりなんでしょう?」
「アレイナさん! それは違います!」
俺は大声でアレイナさんに叫ぶ。
「ベルゼルさんの技術も、コールドスリープの話も本当です! 信じてください!」
「……コウジさん。嘘はやめてください。私は、あの子を残して死ぬわけにはいかないんです」
「だから、本当なんだって!」
必死に訴える俺に、アレイナさんが顔をしかめる。
どうにも、信用できない様子だ。
そんな俺たちに、プリシラちゃんが「はあ」、と深いため息をついた。
「……どちらにせよ、お前の目論見は失敗だ。街に帰ろう」
「……ええ」
アレイナさんが立ち上がり、馬車へと向かう。
「えっと……私たちも一緒に帰るね?」
おずおずと言うネイリーさんに、俺はやるせない思いのまま頷いた。
ガタガタと揺れる馬車の荷台で、俺はアレイナさんと向かい合うかたちで座っていた。
アレイナさんは膝を抱え、ぼうっと外の景色を眺めている。
「……あの」
俺が声をかけると、アレイナさんは目だけを動かして俺を見た。
すべてを諦めたような顔つきで、その表情は幽鬼のようだ。
「アレイナさんの病気は、絶対に治ります。だから、信じてください」
「……私のこと、責めないんですか?」
消え入るような声で、アレイナさんが言う。
「あなたを罠に嵌めて、犠牲にしようとしたのに。貶すなり殴るなり、すればいいじゃないですか」
「何言ってるんですか。そんなことしませんよ」
俺は無理矢理作った笑顔を、アレイナさんに向ける。
「全部、リリナちゃんのためだったんですから。そりゃあ、ちょっとショックでしたけど、怒る気にはなれないです」
「……お人よしなのね」
「はは、そうですね。だから、全部許しますし、このことは誰にも言いません。俺はお人よしなんで」
俺が笑うと、アレイナさんは少しだけ頬を綻ばせた。
自嘲しているような、そんな笑顔だ。
「……私ね、あの人に約束したの」
「えと……旦那さん、ですか」
「うん」
アレイナさんが、膝に目を落とす。
「あの子を身籠ってる時にね、今と同じ病気になっちゃって。数カ月であっという間に悪くなって、血を吐くようになったわ」
俺は黙って、続きを待つ。
たっぷり10秒ほど置いて、彼女は口を開いた。
「ゼェル先生にも、どうにもできないみたいで。このまま赤ちゃんを産めないで死ぬんだなって絶望してた。そんな時、あの人が私をあそこに連れて行ったの」
「……旦那さんが、アレイナさんの糧になったんですか?」
「そう。あの人は狩人だって話したでしょう?」
「はい」
「狩りの途中にね、あの木の下で休んでたら、つがいのリスが来たんですって」
旦那さんから聞いたその時の様子を、アレイナさんが語る。
片方のリスは獣か何かに襲われた様子で、背中の肉が剥き出しになって死にかけていた。
もう一匹のリスが引きずるようにして怪我したリスを、木の根の上まで引っ張り上げた。
何とも珍しい光景に彼が息を殺して眺めていると、突如として木が光り出したのだという。
そしてすぐ、元気だったほうのリスが光の粒になって消えて、死にかけていたリスは傷が治って元気になっていたらしい。
「それから夫は何度もあの場所に行って、同じように自らを犠牲にして片割れを救う動物たちを見たらしいの。だから……」
「……自分たちでもそれができるんじゃ、と?」
「そう」
アレイナさんが薄く微笑む。
「とは言っても、とても信じられなかったし、たとえそれができても、あの人を犠牲に生きながらえるなんて嫌だった。でも、あの人は、『それで僕たちの子供が生まれてこれるなら』って」
そう言うと、アレイナさんは両手で顔を覆った。
「私、まだ死ぬわけにはいかないの。リリナが幸せになるのを見届けるって、約束したんだからっ。それなのに、どうしてまたっ……!」
アレイナさんが肩を震わせてすすり泣く。
「コウジ君」
不意にかけられた声に、御者台に目を向ける。
すると、こちらを振り返っているネイリーさんが、背後の丘を指差していた。
見ると、先ほどまで俺たちがいた丘の巨木が、ぼうっと光り輝いていた。
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