145話:夢の続きを願う場所
その日の夜。
病室で眠っていると、体を揺すられた。
「んあ……アレイナさん?」
「しっ」
アレイナさんが自身の唇に人差し指を当てる。
俺は寝ぼけ眼ながら、俺の腕を抱いているチキちゃんの手をそっと放させて身を起こした。
奇跡の光はカーテン越しに出していて、部屋をぼんやりと照らしている。
「アレイナさん、どうしました?」
「少し、お話をさせていただきたくて」
アレイナさんが廊下を指差す。
俺は頷き、そっとベッドから下りた。
部屋から出て、扉を閉める。
「ごめんなさい。コウジさんに、話しておきたいことがあって。お願いできますか?」
「ええ、いいですよ。何でも聞きますから」
アレイナさんがにこりと微笑む。
今はガリガリで髪も艶がないけれど、本来はかなりの美人なんだろうな。
「ありがとうございます。その、コールドスリープでしたっけ。あれが、すごく不安で」
「ああ。それはそうですよね。怖くて当然ですよ」
「はい……身体を凍らせて眠るなんて、本当に大丈夫かなって。そのまま死んでしまうんじゃないかと」
「アレイナさん、大丈夫です」
彼女を安心させたくて、努めて柔らかい口調で言う。
「ベルゼルさんなんて、2000年以上眠っていたんですよ? アレイナさんはたった半年だし、眠っている間はベルゼルさんが装置を見てくれますから」
「……はい。そうですよね」
アレイナさんが微笑む。
まだ、表情が不安げだ。
「外、行きませんか?」
「いいですけど、体調は?」
「コウジさんのおかげで、すごく調子がいいんです」
アレイナさんが俺の手を取り、廊下を進む。
夜の診療所はしんと静まり返っていて、ちょっと不気味だ。
入院している人も何人かいるのだけれど、仕事中の事故の骨折や虫垂炎の術後の人たちとのことだ。
病気で入院しているのは、アレイナさんだけだ。
診療所の外に出ると、アレイナさんは、ぐっと背伸びをした。
「んー! やっぱり外は気持ちがいいですね。けほ、けほ」
「あっ、大丈夫ですか!? 無理はしないで」
「すみません、大きく息を吸いすぎてしまって」
アレイナさんは、けふけふ、と軽く咳込んだが、すぐに収まった。
とりあえずは、大丈夫なようだ。
「あの、馬車を出していただけませんか?」
「へ? どうして?」
「コウジさんに、あの丘の夜の景色を見てもらいたいんです」
「あの丘って……夢見が丘、ですか?」
「はい」
にこりと微笑むアレイナさん。
「あそこは夜になると、この世のものとは思えないくらい綺麗なんです。どうか、一緒に行ってください」
「気持ちは嬉しいんですけど、さすがにあんなに遠くまでは……」
「お願いします」
アレイナさんが一転して、真剣な表情になる。
「昨日。コウジさんは、私のために本気でベルゼルさんに怒ってくれましたよね」
「は、はい」
「見ず知らずの私なんかのために、どうしてここまでしてくれるのですか?」
「それは……アレイナさんとリリナちゃんが、あまりにも不憫すぎて」
俺は照れ臭く思いながら、彼女を見る。
「リリナちゃんと話してて思ったんです。アレイナさんのことが本当に大好きなんだなって。病気を治すために、たった1人で街の外まで出ていって。すごく思いつめてました」
「……」
「それに、アレイナさんも、本当は痛くて苦しくてたまらなかったんでしょ? それなのに、リリナちゃんのために、ずっと我慢して元気を見せていたんですよね?」
「……ええ。私にとって、あの子は宝物です。先に死んでしまうなんて耐えられなかったけど、せめて元気な姿を覚えていてほしくて」
やはり、昨日ベルゼルさんが言っていたとおり、本当なら息をするだけで相当の苦痛があったようだ。
それにもかかわらず、ずっと平気な素振りをしていたなんて、想像を絶するほどに大変なことだっただろう。
我が子の、リリナちゃんのためを思えばこそ、耐えられたんだろうな。
「俺、そんなアレイナさんたちを見てたら、何でもしてあげたいって思って。ふたりには、ずっと笑顔のまま一緒にいてほしいって思ったんです」
アレイナさんが、とても嬉しそうに微笑む。
「コウジさんは、本当に優しい人なんですね」
「い、いや、そんなことは」
「コウジさんに会えて、本当に良かったです。こんな素敵な人に巡り合わせてくれた神様に、感謝しないとですね」
「はは。これも運命ってやつですかね。いい方向に転がってよかった」
くすくすと、2人して笑う。
そういえば、彼女にはノルンちゃんが女神様だってことは話してなかったな。
神様だと知ったら、「それなら何とかしてくれ」って思われそうだし、伝えるのは病気が治ってからにしたほうがいいだろう。
ソフィア様の件もあるし、今回ばかりはまだ内緒にしておいたほうがいいな。
「コウジさんには、ぜひあの景色を見てもらいたいんです。夫の想いが詰まったあの場所で、話を聞いてほしいなって」
アレイナさんはそう言うと、俺の手を両手で握った。
「どうか、お願いします。私たちのために、こんなに必死になってくれたコウジさんに、あの景色を見てほしいんです」
「……分かりました。でも、2人でっていうのはちょっと危ないですよね。ノルンちゃんたちも誘って――」
「この辺りは危険な獣はいませんから、大丈夫ですよ」
俺の言葉をさえぎって、アレイナさんが言う。
「私も、若い頃は夜に1人で遊びに行ってましたから。狩りに出ていた夫と、あそこで待ち合わせしたりして」
「そ、そうなんですね。じゃあ、遅くならないうちに帰って来るってことなら」
そう言うと、アレイナさんはとても嬉しそうに頷いた。
馬車に乗り、アレイナさんと御者台に並んで夢見が丘を目指す。
夜の道中は真っ暗かと思いきや、 街なかにあったのと同じ花があちこちに咲いていて、夜の草原をぼんやりと照らしていた。
「へえ。あの光る花、街の外にも咲いてるんですね」
「ええ。この街周辺にしか咲かない、特別な花なんです」
「他の街に売り出したりはしてないんですか?」
「あの花は、他の場所だと花を咲かせないんです。不思議ですよね」
ふーん、と花を眺めながら道を進む。
光っているのは花びらなのだけれど、いったいどういう原理なんだろうか。
昼間に光を吸収して暗がりで光る、テレビのリモコンのボタンなんかに使われている蓄光性の塗料みたいな成分があるのかもしれないな。
「でも、夢見が丘はもっとすごいんですよ」
「そんなにですか。あの花、あそこに咲いてましたっけ? 見当たらなかったような
「ふふ。行ってからのお楽しみです」
森に入り、夢見が丘を目指す。
森の中にも花が咲いていて、何とも幻想的な光景だ。
綺麗ですね、などと話しながら森を抜けると、夢見が丘が見えた。
「ん? 真っ暗じゃないですか」
さぞかし美しい光景が広がっているのだろうと思っていたら、小高い丘は真っ暗だ。
夜の闇のなか、月の光を背景に件の大木のシルエットが見える。
「今は、ね。きっと、びっくりしますよ」
「ほほう」
俺はわくわくしながら馬車を進め、丘に上がった。
2人で馬車を降り、大木へと歩み寄る。
すると、アレイナさんが、昼間に座った木の根っこのところに歩み寄ってこちらを振り向いた。
「コウジさん。私のこと、大切に想ってくれていますか?」
「え? え、ええ、もちろんです。その、リリナちゃんのお母さんとして」
俺が戸惑いながら答えると、アレイナさんはきょとんとした顔になった。
そしてすぐに、くすくすと笑い出す。
「ふふ、ごめんなさい。愛の告白じゃないですから」
「あ、で、ですよね。すみません」
アホな勘違いに赤面しながら謝る。
急に「大切に想ってくれていますか」などと言われて、びっくりしたな。
「いえいえ。でも、今だけは、私の夫になったつもりでお話を聞いてくれませんか?」
「夫に?」
「はい。コウジさんと話していると、すごく暖かくて。さあ、ここに座って」
アレイナさんが、昼間に座ったのと同じように、木の根に腰掛ける。
「えっと……いいんですか? そこって、旦那さんの指定席なんじゃ」
「今は、コウジさんが私の夫です。さあ」
うながされるまま、俺はアレイナさんの隣に腰掛けた。
膝に置いた俺の右手を、彼女が上からそっと握る。
ひんやりとしたその手の感触に、俺は驚いて彼女を見た。
「あ、ごめんなさい。嫌でしたか?」
「そ、そんなことは」
「ふふ、よかった」
アレイナさんが微笑み、街に目を向ける。
闇の中、微かに建物の屋根が見えている。
「もしも、私の夫だったらって思いながら、聞いてくださいね。夫になりきるつもりで、お願いしたいです」
「はい」
アレイナさんが、リリナちゃんのことを話す。
今まで、リリナちゃんとどんな生活をしてきたのか。
どれだけいい子に育ってくれて、これからの成長が楽しみなのか。
これからもあの子とずっと一緒にいたい、そのためなら、自分はなんだってできる。
そんな話を、本当の旦那さんにするように語った。
俺は時々相槌を打ちながら、彼女の話を聞く。
「私、あの子が大人になってお嫁さんに行く姿を、この目で見たいの。あなたも、そう思うでしょう?」
「うん。思うよ。あの子の花嫁姿を、この目で見たい」
俺は景色を眺めながら、心を込めて彼女に答えた。
きっと、アレイナさんは、こんな話を旦那さんとしたかったのだろう。
彼女が満足するならばと、俺は会ったこともない旦那さんの気持ちを考えながら、その役になりきることにした。
そう思えば思うほど、俺は彼女の夫になりきって、夫そのものだという気持ちが大きくなる。
「あなたも、あの子のためなら、何でもできる?」
「もちろんさ。何でもできるよ」
俺が言うと、座っている木の根がぼんやりと輝き出した。
視線は遠くの景色だけれど、背後の大木も光っているのが感覚的に分かる。
アレイナさんを愛おしく思う気持ちが、心の奥底から溢れてきた。
「……私のこと、今も愛してくれている?」
アレイナさんが切なげな眼差しで、俺の目を見る。
俺は彼女を見て、にこりと微笑んだ。
「当然だ。心から君を愛して――」
「やめておけ」
俺が答えようとした瞬間、涼やかな声とともに猛烈な風が吹き、俺は前方に吹っ飛ばされた。