143話:夢見が丘
街のなかを馬車で進み、アレイナさんとリリナちゃんにいろいろな場所を案内してもらっていた。
様々な花を栽培している農園、子供たちが通う学校、個人が開いている美術館、複数の染色材の元になる土が採取される採掘場など。
なかでも、今いる夜になると虹色に輝くという、街はずれにあるこの湖は格別の美しさだ。
俺はベンチに腰掛けて、アレイナさんとプリシラちゃんと一緒に、水遊びをしているリリナちゃんたちを眺めながら雑談に興じているところだ。
ネイリーさんが魔法で水を噴き上げて霧のシャワーを作り出し、その中に出来た虹をリリナちゃんとノルンちゃんが追いかけ回している。
ちなみに、リリナちゃんは学校を1年前から休学中らしい。
学費の問題もあるけれど、アレイナさんの傍にいたいからというのが一番の理由だそうだ。
「こんなふうに出かけるのなんて、何年ぶりかしら。コウジさん、本当にありがとうございます」
遊ぶリリナちゃんを穏やかな表情で眺めながら、アレイナさんが微笑む。
「いえいえ、これくらい。体の調子はどうです?」
「すごく楽です。たぶん、走ったりしなければ、咳も出ないと思います」
「ふぅむ。この光はすさまじいな。どうにかして、魔法でも同じことができればいいのだが」
頭上で輝く光の玉を、プリシラちゃんが見上げる。
「回復魔法は存在しないって言ってましたけど、どうやっても無理なんですか?」
「今のところはな。傷口を活性化させて治癒力を高める方法を試したことがあるが、高確率でその部位が腐り落ちるのだ。稀に上手くいきはするがな」
プリシラちゃんが難しい顔で答えてくれる。
「傷ですらそんな具合だから、病気などとても無理だ。とはいえ、方法が確立されていないだけで、何か別角度からの方法で上手くやれる可能性は十分ある」
「なるほど。今後の魔法の発展に期待ってわけですね」
「うむ。魔法は不思議な力と思われがちだが、本質は機械技術や薬剤技術などとたいして変わらん。もしかしたら、どこかの誰かによって回復魔法が実用化されているかもしれんぞ」
そんな話をしていると、昼食の買い出しに行っていたチキちゃんとカルバンさんが戻って来た。
「コウジ、サンドイッチを買ってきたよ」
「ハーブティも買ってきたぞ。何種類かあるから、好きなのを選んでくれ」
「おっ、ありがと。皆、お昼にするよ!」
湖の浅瀬できゃあきゃあと遊んでいるノルンちゃんたちに声をかける。
水はとても透き通っていて、かなり奥まで行かないと深くならないらしい。
湖自体がかなり広く、俺たちの他にもピクニックに来ている家族やカップルがたくさんいた。
ノルンちゃんたちが、はーい、と湖から上がる。
「はあ。この湖、すっごく綺麗で気持ちがいいですね!」
「うんうん。精霊さんたちも元気いっぱいだし、いいところだね。リリナちゃん、こっちにおいで。それ、ピューピュー!」
ネイリーさんがリリナちゃんを抱っこして、魔法で風を起こして足の水を吹き飛ばす。
ほんと、ネイリーさんは魔法が上手だな。
「ピクニックシートを作りますね!」
ノルンちゃんはそう言うと、髪の毛をぶわっと伸ばして、あっという間に真四角の緑のシートを作り出した。
皆でその上に座り、サンドイッチを食べ始めた。
ノルンちゃんは髪の毛とシートとのつなぎ目は切断していないので、後で体に戻すのだろう。
俺たちがシートの上でもぞもぞ動いて、くすぐったくならないのだろうか。
「ほら、リリナ。いらっしゃい」
「うん!」
アレイナさんがリリナちゃんを呼び寄せ、膝の上に乗せる。
リリナちゃん、ずっとニコニコしていて、ご機嫌だ。
「食事の後はどうします? ここでもう少し遊んでいきますか?」
もぐもぐとノルンちゃんがサンドイッチを食べながら、俺に聞く。
「んー。アレイナさん、どうしましょうかね?」
「……ここから1時間くらい行ったところに、『夢見が丘』という場所があるんです」
「えっ!? お母さん、夢見が丘って、本当にあるの!?」
伏し目がちに話すアレイナさんに、リリナちゃんが、ぱっと表情を綻ばせた。
アレイナさんが、にこりと微笑む。
「うん。実は、ちゃんと存在するの」
「どうして今まで教えてくれなかったの? 今までずっと、おとぎ話って言ってたのに! 妖精の雫も、本当にあるんだよね!?」
勢い込んで言うリリナちゃんに、アレイナさんは少し悲しげな顔になった。
「……ううん。それは、絵本の中のお話だから。あそこはただの、景色が綺麗な丘よ」
「え……」
リリナちゃんの表情が一転して暗くなる。
アレイナさんは再び優しく微笑み、リリナちゃんの頭をゆっくりと撫でた。
「大丈夫。コウジさんたちが来てから、すごく元気になってきたし。妖精の雫がなくても、きっとすぐに病気は治るわ。心配しないで?」
「……うん」
涙ぐんでいるリリナちゃんを、アレイナさんがそっと抱き寄せる。
リリナちゃんは堪えきれなくなったのか、ぐすぐすと泣き始めてしまった。
「あそこは、私の夫との思い出の場所なんです。素晴らしい景色が見れる場所なので、ぜひ皆さんをそこに……げほっ! げほっ!」
そアレイナさんが急に口元を押さえ、激しく咳込んだ。
リリナちゃんがばっと顔を上げ、慌てて立ち上がってアレイナさんの背中を摩る。
プリシラちゃんが杖を掴んで、もごもごと何かを唱えた。
その途端、周囲の温度がわずかに下がったように感じた。
「げほっ! げほっ!」
「お母さん! ゆっくり息をして!」
「げほっ! ……はぁ、はぁ」
アレイナさんは10秒以上も激しく咳込み、どうにかして呼吸を整えた。
サンドイッチを持ったまま口を押えていた手には、べっとりと血が付いている。
「……すみません」
苦しさに顔をしかめ、消え入りそうな声でアレイナさんが謝る。
「謝ることなんてないですよ。手、拭きましょう」
俺はバッグからタオルを取り出し、アレイナさんの手を拭いた。
元々枯れ枝のように細いとは思っていたが、直接触れてみると、まさに骨と皮だけという感触だ。
「チキちゃん、水を少し出して」
「うん」
チキちゃんにタオルを少し湿らせてもらい、綺麗に手の血を拭き取った。
「ふむ。湿気があると、咳が出やすくなるのかもしれんな。少し楽になったかの?」
「は、はい。あの、魔法で何かを?」
「空気中の水気を、ちょいと払ったのだ。この場所は、アレイナにはあまりよくないかもしれんな」
「……すみません。ありがとうございます」
アレイナさんが暗い顔で礼を言う。
リリナちゃんの前で血を吐いてしまったのが、つらいんだろうな……。
「じゃあ、食事はその夢見が丘ってところに向かいながら食べることにしましょうか」
俺の提案に皆が頷き、片づけを始めた。
その後、アレイナさんに口を水でゆすいでもらってから馬車に乗ったのだが、食欲がないとのことで彼女はサンドイッチをほんの2口しか食べなかった。
約1時間後。
フェアリーパークシティを出て東に1時間ほど進み、俺たちは一本の大木がそびえる小さな丘にやって来ていた。
大木はかなりの老齢のようで、幹の直径は大人が3人手を繋いだほどもあり、地面に無数の根が這っている。
「なるほど。この場所が、絵本のモデルですか」
俺は馬車を降りて、巨木の根元に立った。
頭上に大きく広げた枝葉のよって日差しが遮られており、木の下はひんやりと涼しく感じた。
丘からは、フェアリーパークシティが少しだけ見える。
途中に通って来た森があるせいで、背丈の高い建物の屋根がちらほらと見えるだけだ。
皆も馬車を降り、木の下にやって来た。
「へえ、すごく立派な……ん?」
「おや?」
ネイリーさんとプリシラちゃんが、怪訝な顔になる。
チキちゃんも、きょろきょろと周囲を見渡していた。
「3人とも、どうしたの?」
「ここ、精霊さんがいないね」
「うむ。珍しい場所じゃの」
いぶかしげに周囲を見るネイリーさんとプリシラちゃん。
「……何かここ、寒いよ」
チキちゃんが両手で自身の腕を抱き、ぶるっと身を震わせる。
確かに涼しいけど、震えるほどかな?
「まあ、ひんやりしてるよね。でも、寒いってほどでもなくない?」
「寒いもん」
「なら、こっちにおいで」
俺がチキちゃんを呼び寄せて、後ろからその体を抱くと、すぐに彼女は「あったかい」と笑顔になった。
チキちゃん、けっこう寒がりだったんだな。
「あっ! チキさんだけずるいのですよ! 私も!」
「はいはい」
無理矢理腕の中に入り込んで来たノルンちゃんに、チキちゃんが少し迷惑そうな顔になる。
「ここで昔、夫と将来のことを語り合ったんです。リリナが産まれたら、何をしようって話ばかりでしたけど」
アレイナさんが地面から覗いている根の上に腰掛け、懐かしそうに言う。
根はちょうど2人座れるくらいの大きさだ。
上手い具合にたわんだ根が背もたれのようにもなっており、一見すると根っこのベンチのようだ。
リリナちゃんがアレイナさんの隣に座ろうとすると、アレイナさんが「ダーメ」、と止めた。
「そこは、お父さんの指定席なの。リリナはこっちね」
「えー? 私もお父さんが座った場所に座りたいよ!」
「ふふ。じゃあ、リリナが大人になったら、ね」
「ええー!? 今でもいいじゃん!」
「ダメダメ。我慢して」
「けちー!」
むくれるリリナちゃんに、皆が笑う。
アレイナさんにとって、ここは特別な場所なんだろう。
旦那さんと、いったい何を語り合ったのだろうか。
リリナちゃんは「お父さんはいない」って言っていたから、彼女が物心つく前に亡くなってしまったんだろうな。
「しかし、絵本になるくらい有名な場所なんだろ? 場所も皆、知っててもよさそうなもんだが」
「私、街の人全員に聞いたけど、知らないって言われたよ。皆で私に隠してたの?」
そう言うカルバンさんとリリナちゃんに、アレイナさんは苦笑した。
「夢見が丘っていう呼び名は、私と夫で付けたものですから。ここは、狩りをしていた夫が偶然見つけて、連れて来てくれたんです」
アレイナさんが懐かしそうに目を細め、景色を見やる。
「それに、リリナの絵本は夫が描いてくれた一点物なので、知ってるのは私たち以外はいないんです」
「なるほどな。絵の上手な旦那さんなんだな。すげえじゃんか」
合点がいき、カルバンさんが感心した顔になる。
「ありがとうございます。リリナに残せるものを作りたいって言って、描いてくれたんです」
「いい話だ……」
「これぞ親の愛情ってやつですね! 素晴らしいです!」
少しじんと来てしまった俺に、ノルンちゃんが笑顔で言う。
そうして俺たちはしばらくそこで過ごし、街へと帰った。
プリシラちゃんとネイリーさんは精霊さんがいないことに納得がいかないのか、終始怪訝な顔をしていた。