141話:女神様の死生観
「アレイナについてじゃが、やれるだけのことはやるつもりじゃ。だが、病気をどうこうする魔法というものは、現時点では存在していない」
プリシラちゃんが言葉を続ける。
「ポーションを使って多少の延命はできるとは思う。だが、最悪の場合を想定しておこうと思っての」
「最悪の場合、ですか……」
「ふむふむ。ベルゼルさんにも治せるかは分からないですもんね」
俺に続いてノルンちゃんが言うと、プリシラちゃんがきょとんとした顔になった。
「ん? あの老人に、協力を頼んだのか?」
「はい。ベルゼルさんは大昔に、奇病の研究をしていたって話していたんです。なので、アレイナさんの病気も治せないかなって」
俺が言うと、彼女は「なるほど」と頷いた。
「それは心強いな。だが、治せると決まったわけではないのだな?」
「ええ。明日、こっちに来てアレイナさんを診てもらうことになってるんですよ」
「そうか。それで治せればいいが、ダメだった場合も想定しておこう。コウジ、お前はこれから、できる限りアレイナの傍にいて、いろんな話をしてくれ」
プリシラちゃんはそう言うと、俺に杖を差し出した。
「この杖をお前に預ける。アレイナがリリナをどれだけ大切に想っているか、杖にたくさん話を聞かせてほしいんじゃ」
「杖に、ですか?」
「うむ」
プリシラちゃんが頷く。
「この杖に使っている水晶は特別製でな。魔力増幅の作用もあるが、一種の記憶媒体の役割もしておる。私の大人の体の造形や知識、見たものすべてを水晶に記憶してあって、元の体に戻る時はそれを元にしている」
「へぇ。でも、杖にアレイナさんの話を記憶させて、どうするんですか?」
「もしもアレイナが死んでしまった場合、この水晶を核にして、アレイナそっくりのゴーレムを作ろうと思うんじゃ」
「ゴーレムって、土とかから作る動く人形……ですかね?」
「そうじゃ。リリナには母親以外に身寄りがない。彼女が死んでしまったら、ひとりぼっちじゃ。それは、あまりにも哀れだと思ってな」
プリシラちゃんが杖の水晶を撫でる。
「アレイナも、娘を残して死ぬのは辛かろう。だからせめて、彼女の想いをこの世に残せればと思うんじゃ」
「な、なるほど……」
「いい考えなのです。でも、事前にお二人に話しておく必要があると思うのですよ」
ノルンちゃんが口を挟む。
「リリナさんには伏せておくにしても、アレイナさんにはきちんと説明が必要かと。自分の命が残りわずかなのを知っているのといないのとでは、過ごし方が変わってくると思いますよ?」
「うむ……だが、そんなことを知っては、意気消沈してしまうのではと思ってな」
プリシラちゃんが悩ましげな顔になる。
「正直、私にもどうすればいいのか正解は分からん。せめて我らがやれるだけのことをやり終えるまでは、何も知らせないほうがいいかと思うんだが」
「うーん。私としては、それは賛成しかねるのですよ」
ノルンちゃんが困り顔で言う。
「大切なのは、自分の人生に納得がいくことだと思うのです。覚悟してからの死を迎える期間が長いほうが、やり残すことがないように行動できます。まだ体が動けるうちに、お知らせしたほうがいいのではないでしょうか?」
「むむ。女神様にそう言われては、反対するわけにはいかんのう」
「あ、いえ。あくまでも、これは私の個人的な意見なのです。コウジさんとカルバンさんは、どう思いますか?」
ノルンちゃんに話を振られ、俺とカルバンさんは顔を見合わせた。
「あー……その、もうアレイナさんが死んじゃうみたいな話になってるけどさ」
「ベルゼルさんに診てもらってからでも遅くはないんじゃないか? というより、俺らで勝手に決めるのはお門違いだろ」
カルバンさんの意見に、俺はうなづいた。
「ですよね。言いかたが悪くなっちゃうけど、勝手に準備を進めるのは独りよがりだと思うんだ。やるなら、最初から全部話したほうがいいよ」
「うっ、た、確かにそうなのです」
「うむ……私も先走ってしまったな」
やれやれ、とプリシラちゃんがため息をつく。
「ええ。それと、アレイナさんに話すにしても、リリナちゃんやゼェルさんに先に相談してからがいいかなと」
「だな。まあ、それもベルゼルさんに診てもらってからでもいいと思うぜ?」
というわけで話がまとまり、その場は解散となったのだった。
数分後。
俺はプリシラちゃんを病室に送ってから、アレイナさんの病室に戻って来た。
チキちゃんが水桶を膝に載せ、アレイナさんとリリナちゃんに魔法の水芸を見せている。
アレイナさんの枕元にオイルランプが1つ灯っているだけなので、少々薄暗い。
「ほんと、不思議ね。私、水の魔法を見るのは初めてよ」
「すごい……いくらでも出てくるんだ……」
ぴゅーっと噴水のように指先から飛び出す温泉水に、2人は目を丸くしている。
「ちょっと酸っぱいけど、飲めるんですよ。これ、温泉水なんです。リリナちゃん、飲んでみる?」
「うん!」
あー、と開いたリリナちゃんの口に、チキちゃんが温泉水を注ぎ込む。
だが、量が多すぎたのか、「がふっ!?」と妙な声を漏らしてリリナちゃんが温泉水を噴き出した。
「げほっ! げほっ! 多すぎだよ!」
「あっ、ごめん!」
「あらあら。ふふ」
楽しそうな3人に俺は歩み寄り、チキちゃんの隣に腰を下ろした。
アレイナさんが棚に置いてあった布巾で、リリナちゃんの口を拭いている。
「コウジ、おかえり」
「ただいま。魔法を見せてたんだね」
「うん。喜んでもらえるかなって思って。プリシラちゃんの探し物は見つかった?」
「ん? あ、ああ。見つかったよ」
俺は答えながら、奇跡の光を頭上に出した。
眩い光が部屋を照らし、皆が目を細める。
「むう。これだと、寝るのには眩しすぎるよなぁ」
「目にハンカチを巻いて寝ればいいんじゃない?」
こうやって、とチキちゃんがハンカチを自分の目に当て、頭の後ろで縛る。
少し背徳的な気持ちが一瞬過ったのは内緒だ。
「うん、そうしよっか。リリナちゃんも、ここで寝るのかな?」
おー、と光を眺めていたリリナちゃんが、俺に微笑み「うん」と頷く。
診療所の外で見た暗い表情は影も形もない。
きっと、アレイナさんの前だから無理して元気に振る舞ってるんだろうな。
「それじゃ、寝るとしますか」
「リリナ、ランプを消してくれる?」
「はーい」
リリナちゃんがランプのつまみを捻り、火を消した。
とはいえ、奇跡の光のせいで、部屋はかなり明るい。
それぞれハンカチやタオルを目に当て、「おやすみなさい」、とベッドに横になった。
「……コウジ、起きてる?」
しばらくして、チキちゃんが小声で話しかけてきた。
「うん。眠れないの?」
「ううん。そうじゃなくて、相談したいことがあって」
「何さ、改まって。何でも言ってよ」
「その……アレイナさんの病気、ソフィア様にお願いして治してもらえないかな?」
少し言いよどんでから、チキちゃんが話す。
「ソフィア様だったら、きっと治せると思うの。どうかな?」
「あー……確かにそれはそうだけど……うーん」
「ダメなの?」
「今回の件って、バグとは関係ないからさ。理想郷を後からいじることになると思うんだよ」
基本的に、完成したこの理想郷は後からいじることはできないとノルンちゃんから聞いている。
ソフィア様にお願いするとなると、その根底を覆すことになるんじゃないかと俺は考えていた。
「今まで、こっちの世界でソフィア様が直接手助けしてくれたことってないよね? まあ、馬車を貰ったりはしたけど、クソ上司の罰のついでみたいだったしさ」
「うん。でも、コウジからお願いしたら、助けてくれるんじゃない?」
「どうかなぁ。というか、たぶんこの会話も聞かれてるだろうし、可能ならもうやってくれてると思うんだよね」
「そ、そっか」
「それとね、ノルンちゃんもそうなんだけど、俺たちと神様たちだと、死生観がだいぶ違うみたいに思うんだ」
以前、蒸気都市イーギリで、ミントさんの死に立ち会った際のことを思い起こす。
ノルンちゃんはミントさんが自ら永遠の眠りにつくとなった時、まったく悲しそうな様子がなかった。
『生の在り方というものは、個々人によって違うものです。自分の人生にどれだけ納得がいったか、どれだけ思い残すことなく終わりを迎えられるかというのが、肝要なのだと思うのですよ』
という、彼女の言葉を思い出す。
ノルンちゃんにとって、死は悲しいものではないのだろう。
死とは人生の終着点というだけで、悲しいものではない。
それが彼女の意見だと俺は思っている。
まあ、俺が死にそうな目に遭った時に必死に助けてくれるのは、本来あるべき理想郷での俺の人生には、そんなことはあってはならないからだろう。
でなければ、無限に転生できる俺を、そこまでして守る必要はないはずだ。
「だから、今回の件については、ソフィア様にお願いするのは違うんじゃないかなって、何となく思えてさ」
「……うん。納得して自分の人生を終えることが幸せなことって、ノルン様は言ってたね」
「うん。でも、もし俺たちの力じゃどうにもならなくて、アレイナさんが死ぬことに納得できないようなら、ノルンちゃんに相談してみるよ。どうにかしてくれないかって」
「……たぶん、無理な気がしてきた。ノルン様を困らせちゃいそう」
「その時は、素直にノルンちゃんに叱られるよ」
「うん……その時は、私も一緒に叱られるから」
しゅんとした声で言うチキちゃん。
その頭をよしよしと撫でると、チキちゃんは俺の腕にぎゅっとしがみついた。