140話:プリシラちゃんのお願い
プリシラちゃんの病室に行くと、プリシラちゃんがベッドに座って険しい顔をしていた。
服は白い入院着で、彼女の頭の猫耳がぴょこんと立っている。
2人のナース服姿の妖精が、プリシラちゃんの腕や足を、よっこいせ、とゆっくり動かしていた。
「おっ、プリシラちゃん、体に戻ったんですね!」
「うむ……いや、これは困ったな」
俺が言うと、彼女は深くため息をついた。
「しばらく体を動かしていなかったせいか、手足を動かすだけでも一苦労じゃ……」
「あー。筋肉使ってなかったですもんね。しばらくはリハビリですね」
「うむ。いやはや、こうなることを失念しておった」
プリシラちゃんが、よっこいしょ、と立ち上がる。
足が完全に萎えてしまっているようで、ふらついた彼女をネイリーさんが慌てて支えた。
「わわっ! お師匠様、無理しないほうがいいですよ!」
「おお、すまん。だが、少しでも動いて体を使わねばなるまい?」
「そうですけど、ちょっとずつやらないとダメですよ。はい、杖」
壁に立てかけてあった彼女の杖を、ネイリーさんが差し出す。
プリシラちゃんはそれを受け取り、さて、と俺を見た。
「リリナの母親に会いに行こうか。まだ起きておるかの?」
彼女が聞くと、ゼェルさんが頷いた。
「皆さんが来るまで私と話していたので、起きているかと」
「そうか。案内してくれ」
「分かりました。ただ、彼女には病状のことは話していないので、その点はご注意を」
「うむ」
杖にもたれるようにしてよろよろと頼りない足取りの彼女を俺とネイリーさんで両脇から支えて、廊下に向かった。
2つ隣の病室に行くと、長い金髪の女性がベッドで身を起こしていた。
妖精ナースが1人いて、彼女の前でふよふよと飛びながら何やら話している。
窓から外を眺めていた彼女が俺たちに気付き、にこりと微笑んだ。
少しやつれているが、優しげな美しい顔立ちの人だ。
「こんばんは。リリナを連れ帰ってくれた方たちですか?」
「あ、はい、こんばんは。リリナちゃんのお母さんですね?」
「ええ。娘がご迷惑をおかけしてすみません。私、アレイナと申します」
ぺこりと頭を下げる彼女に、俺たちも頭を下げてそれぞれ自己紹介をした。
「アレイナさんは、入院して長いのですか?」
ノルンちゃんが聞くと、アレイナさんは「はい」と頷いた。
「もう2年になります。良くなったり悪くなったりの繰り返しで……早く元気になって退院しないととは思っているんですが。けほ、けほ」
「あ、横になっていていいのですよ。無理は禁物なのです」
「すみません。では、失礼して。けほ、けほ」
アレイナさんが苦しそうに咳をしながら、ベッドに横たわる。
口元に当てていた手には、少し血が付いていた。
妖精の看護師さんがタオルで彼女の手を拭く。
「ふーむ。コウジさん、奇跡の光を出すのですよ」
「あいよ」
俺は頭上を意識しながら、奇跡の光を出した。
眩しく輝く光の玉が俺の胸から飛び出し、天井付近で滞空する。
それを見て、ゼェルさんたちが驚いた顔になった。
「えっ!? い、今、奇跡の光と言いましたか!?」
ゼェルさんが俺と光の玉を交互に見やる。
「はい。これで少しは良くなるといいんですけど……アレイナさん、どうですかね?」
「え。ど、どうって……あ、少し呼吸が楽になった気がします」
胸に手を当ててスーハーしているアレイナさん。
俺が傍にいれば、少しは楽になるようだ。
「よかった。そしたら、今日は俺はここに泊まらせていただけると。光は出しっぱなしにしておきますから」
「ですね。それがいいのです。ゼェルさん、大丈夫でしょうか?」
俺とノルンちゃんが聞くと、ゼェルさんはすぐに頷いた。
「ぜひ、そうしてあげてください。すぐにベッドを用意しますね」
というわけで、俺はこの病院に泊まることになったのだった。
数十分後。
病室に追加でベッドが運び込まれ、今晩泊る宿について、ゼェルさんから話を聞いていた。
部屋にいた3人の妖精の看護師さんがぴゅーっと飛んで宿にまで行ってくれて、店じまいしていた宿の主人を叩き起こしてどうにか手配してくれた。
彼女たちは三つ子で、フレアさん、チレットさん、ヨルさんというらしい。
診療所で働く看護師は合計4人で、ノーラさんは彼女たちの姉とのことだ。
今は部屋にはアレイナさんと俺たちだけで、ゼェルさんたちは他の入院患者さんたちのところに行っている。
診療所には俺、チキちゃん、プリシラちゃんが泊ることになっている。
チキちゃんは「どうしても」と言ったので、俺と一緒に泊まることになったのだ。
「それじゃ、皆、また明日ね」
「はい。チキさん、コウジさんをよろしくなのですよ。変なことしちゃダメですよ?」
「そこまで考えなしじゃないもん」
にこやかに下世話なことを言い放つノルンちゃんにチキちゃんが頬を膨らませ、皆の笑い声が響く。
「コウジ、馬車に忘れ物をしてしまった。おぶってくれんか?」
皆がひとしきり笑ったところで、それまで何やら考え込んでいたプリシラちゃんが声をかけてきた。
「ん? それなら俺がやるよ。ほら、おぶされ」
しゃがんで背を向けるカルバンさんに、プリシラちゃんが「いやいや」と苦笑した。
「お前さんにおぶられたら、変な気を起こしてしまいそうじゃ。コウジにしておく」
「そ、そうか」
「お師匠様、私が肩を貸しますよ」
申し出るネイリーさんに、プリシラちゃんは少し顔をしかめた。
「コウジに来てもらわないと二度手間じゃろうが。私もコウジも、ここに泊まるのだからな」
「あ、そっか」
「まったく。ほれ、おぶってくれ」
「了解です。チキちゃん、ちょっと待っててね」
「うん」
よっこいしょ、とプリシラちゃんをおぶって、チキちゃんとアレイナさんを残して病室を出る。
すると、出た扉のすぐ脇にリリナちゃんが壁にもたれて立っていた。
傍で飛んでいるノーラさんが、心配そうな目を向けている。
「……お母さん、治りそう?」
扉が閉まってすぐ、すがるような表情で目尻に涙を浮かべ、俺たちを見上げて小声で聞いて来るリリナちゃん。
俺たちがアレイナさんと話している時には部屋に入ってこなかったのだけど、泣くのを堪えられないと思ったからだろうか。
「えっと……」
「とりあえず、外に出ようか」
下手なことは言えないと俺が口ごもっていると、プリシラちゃんが小声で言った。
皆で口を閉ざし、ぞろぞろと廊下を進む。
診療所を出たところで、プリシラちゃんは俺の背から下りた。
「ねえ、お母さんは治るの?」
リリナちゃんがすぐに、プリシラちゃんに問いかける。
「いいかい、よくお聞き」
プリシラちゃんは真剣な顔になると、腰をかがめてリリナちゃんと視線を合わせた。
「私もできる限りのことはしてみるが、どうなるかは分からない。だから、その時になって後悔しないよう、お母さんとできるだけ一緒にいなさい」
「……治らない、の?」
リリナちゃんの目から涙が零れる。
「それはまだ分からん。だが、最善を尽くすことは約束しよう」
しゃくりあげて泣き始めてしまったリリナちゃんの頭を、プリシラちゃんが優しく撫でる。
そして、ネイリーさんに目を向けた。
「ネイリー。私の部屋にある蔵書から、これを探して持ってきてくれ」
プリシラちゃんが懐からメモ紙を取り出し、ネイリーさんに手渡す。
「え。もしかして、今からですか?」
「うむ。お前1人なら、魔法で跳躍すれば、朝までには戻ってこられるだろう?」
「まあ、そうですけど……お師匠様の部屋、ぐっちゃぐちゃだからなぁ。すぐに見つかるかな……」
ネイリーさんは言うが早いか、ばひゅん、と大ジャンプして飛んで行ってしまった。
グランドホークよりも速そうだ。
プリシラちゃんはそれを見送り、リリナちゃんに視線を戻した。
「お嬢ちゃん。お母さんのことは好きかの?」
彼女の問いかけに、しゃくりあげながらリリナちゃんが頷く。
「そうか。なら、今日みたいに勝手に出歩いて、心配をかけさせてはいけないな。これからはずっと、お母さんの傍にいなさい」
「……う、ん」
肩を震わせながらも、どうにか頷くリリナちゃん。
俺は何も言えず、黙って2人のやり取りを見守るだけだ。
「さあ、お行き。ちゃんと顔を洗うんじゃぞ」
リリナちゃんはまた頷き、とぼとぼと診療所に戻って行った。
プリシラちゃんが、俺たちを見る。
「皆に頼みがある。聞いてくれるか?」
いつになく真剣な彼女に、俺たちは一斉に頷いた。