139話:患者の容体
ノーラさんに先導され、俺たちは診療所にやって来た。
白い三角屋根の2階建てで、少し大きめの一軒家といった外観だ。
馬車を降り、入口に向かう。
「ゼェル先生! プリシラさんとリリナちゃんを連れてきました!」
ノーラさんが玄関扉を叩きながら叫ぶ。
すぐに鍵の開く音が響き、扉が開いた。
白衣姿の長い金髪の若々しい男が怪訝そうな顔を覗かせた。
耳が尖っており、どうやらエルフのようだ。
ノーラさんの後ろに立つプリシラちゃんを見て、彼がぎょっとする。
「な……今、フレアさんたちが清拭を済ませたって……」
「それが、ここにいる彼女は精神体とのことで……私もよく分からないんですよ」
「精神体?」
意味が分からない、といった顔のゼェルさん。
どうやら、彼がお医者さんのようだ。
「コウジ、せいしきって何?」
「俺も分からないや……」
「体を拭くことですよ。看護用語なのです」
こそこそと話す俺とチキちゃんに、ノルンちゃんが説明してくれる。
さすが女神様、博識だ。
そんな俺たちをよそに、プリシラちゃんはゼェルさんににこりと微笑んだ。
「いやはや、私の体が長いこと世話になったのう。部屋はどこかな?」
「に、二階の一番奥の部屋です」
「うむ。では、行くとするか」
とてとてと中に入って行くプリシラちゃん。
奥から数人の看護帽に白衣姿の妖精が飛んできて、彼女たちと一言二言話して連れられて行った。
唖然とした顔でそれを見送るゼェルさんに、俺は歩み寄る。
「夜分にいきなりすみません。彼女、魔法で体と精神が分離してて、こんなことになってるらしくて」
「そ、そうですか。そんな魔法があるなんて、聞いたこともないのですが……えっと、皆さんはお連れの方ですか?」
「はい。俺、コウジっていいます」
俺はぺこりと頭を下げ、チキちゃんやノルンちゃんたちを紹介した。
どうもどうも、と皆でペコペコとお辞儀の応酬をする。
ネイリーさんは顔見知りのようで、おひさしぶり、と笑顔だ。
ゼェルさんが、リリナちゃんに目を向けた。
リリナちゃんは暗い顔で、うつむいている。
「リリナさん、こんな時間までどこに行っていたんですか。門限はとっくに過ぎていますよ?」
「……ごめんなさい」
「先生……」
ノーラさんがゼェルさんに声をかける。
彼はノーラさんの顔を見て、何かを察した様子で眉根を寄せた。
すぐに優しげな表情に戻り、リリナちゃんの頭をよしよしと撫でた。
「さあ、お腹が空いたでしょう? 夕食にしましょうね。ノーラさん、彼女を食堂に」
「はい。リリナちゃん、行こ!」
ノーラさんがリリナちゃんをうながし、診療所に入って行く。
ゼェルさんはそれを見送り、俺たちを見た。
「リリナさんがお世話になりました。すみませんが、中でお話を伺っても?」
俺たちは頷き、診療所へと入った。
案内された一室で、俺たちはイスに腰掛けて、ことのいきさつをゼェルさんに話した。
彼は沈痛な面持ちで唸り、ため息をついた。
「そうですか。私たちの落ち度ですね。ご迷惑をおかけしました」
「いえ……それで、リリナちゃんのお母さんって、そんなに悪いんですか?」
俺の質問に、彼は「はい」と頷く。
「どうやら心臓と肺の病気のようなのですが、原因が分からなくて。以前から不穏ではあったのですが、ここ最近で急激に悪化してしまったようなんです」
「ゼェルさん、妖精の雫って、存在はしないんでしょうか?」
ノルンちゃんが彼に問いかける。
「私の知る限りでは、ありませんね。何しろ、絵本に出てくる代物ですし」
「むう。では、他の手段でいくしかないですね」
「ん? ノルンちゃん、何かいい案があるの?」
俺が聞くと、ノルンちゃんはこくこくと頷いた。
「ベルゼルさんに相談するのですよ。彼の知識と科学力なら、どうにかできるかもと思いまして」
「あっ、そうか!」
「あはは。またお別れしてすぐ再会だねぇ」
ネイリーさんがケラケラと笑う。
どこか、ほっとしたような表情だ。
ゼェルさんは何のことだろうと、小首を傾げている。
ベルゼルさんは天空島で奇病の研究を長らく行っていたと話していたし、医療知識はかなりのものだろう。
ひょっとしたら、彼ならリリナちゃんのお母さんを助けてくれるかもしれない。
「カルバンさん、再会のベルを」
「はいよ」
カルバンさんが荷物からベルを取り出し、チリン、と鳴らす。
するとすぐに、応答があった。
『どうした? フェアリーパークシティに着いたのか?』
「ベルゼルさん、こんばんは。街には、ついさっき着いたところです。あの、相談があるんですが……」
かくかくしかじかと、俺が状況を説明する。
「――というわけでして」
『いや、そんな情報だけでは、何の病気なのか分からんぞ』
「私から説明します」
ゼェルさんがそう言い、簡単な自己紹介をしてリリナちゃんのお母さんの容態を説明した。
その話のなかでようやく知ったのだが、リリナちゃんのお母さんはラトリアという名らしい。
心臓に強い痛みが時折起こり、呼吸するたびにゼコゼコと不穏な音がするそうだ。
最近では喀血もあるようで、咳をするたびに血が混じった痰が出るらしい。
『ふむ。直に診てみないことには分からんが、心臓の血管に問題があるかもしれんな。肺病に付随するものかもしれん』
「なるほど。ベルゼルさんに、彼女を診ていただくことは可能でしょうか?」
『ちょっと待っててくれ』
ベルゼルさんがそう言った後、チリン、とあちら側でベルの音がした。
すぐにベラドンナさんの声が響き、グランドホークがどうの、といったやり取りがされた。
『明日の夕方くらいに、そちらに私が直接伺おう。治療できるかどうかは、診察次第だな』
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
『うむ。じゃあな』
カルバンさんが再びベルを鳴らし、通話が終わった。
それと同時に、部屋のドアが、コンコン、とノックされた。
どうぞ、とゼェルさんが声をかけると、2人の女の妖精が顔を覗かせた。
どうやら、2人がかりでドアを開けたようだ。
「先生。プリシラさんが……ええと」
「片っぽが消えちゃって、眠っていたほうが目を覚ましました。まだ寝ぼけている感じで、ふらふらしてます」
「そうですか。一度、診察してみたほうがいいですね」
ゼェルさんが俺たちに顔を向ける。
「プリシラさんの部屋に行きましょう」
彼の言葉に、俺たちはイスから立ち上がった。