121話:ウサンチュミント
「うわ、ほんとだ。巨人だね」
「木の半分くらいの背丈がありそうですね」
こちらに背を向けて、のっしのっしと歩く巨人。
毛皮のような服を着ていて、手には丸太を握っていた。
身長は7メートル以上はありそうだ。
ネイリーさんは左手の人差し指と親指で輪っかを作り、それを覗いている。
「んん?」
「どうしたんです?」
「これ、見てみてよ」
ネイリーさんが俺の前に、輪っかを作っている手を伸ばした。
それを覗き込むと、まるで望遠鏡で見ているように巨人が大きく見えた。
「うお、こりゃすご……ウサンチュ?」
「うん。ウサンチュみたい」
巨人のお尻にはもこもこの白い毛玉が付いていて、頭にはウサギの耳が付いている。
すると、巨人ウサンチュの体が少し斜め方向を向いた。
かわいらしい顔と大きな胸の、女性のようだ。
「フェルルさんが言ってた、ご先祖様ですかね? 昔はすごく体が大きかったって言ってましたし」
「かもしれないね……というと、私たちは過去に来てるってことなのかな?」
「恐竜がいるんですし、そうじゃないかと」
薄々思っていたけれど、俺たちはタイムスリップしているのかもしれない。
ノルンちゃんは理想郷の現代にも恐竜がいるって言っていたけれど、砂漠の砂嵐に巻かれた直後に景色が変わったことからも、そうとしか思えない。
俺自身、タイムリープものの映画や小説が好きだし、そういった要素が理想郷に取り込まれているのかもしれないな。
「あの巨人、言葉は通じますかね?」
「どうかなぁ。服は着てるし、いきなり襲われるってことはないと思うけど。それよりも、ノルンさんたちを探したいよね」
「確かに。でも、どうやって探しましょうかね?」
「んー。目印でも上げてみよっか」
ネイリーさんはそう言うと、杖を頭上に掲げた。
「光よ、目いっぱい自己主張しちゃって!」
彼女の掛け声とともに、杖から光の玉が空に打ち上がった。
それは50メートルほど上がり、猛烈な光を周囲に発し始めた。
「おお。これなら、ノルンちゃんたちも気付くかも。俺も同じように、奇跡の光を出せばよかったなぁ」
「コウジ君の光って、遠くにも飛ばせるの?」
「どうだろ。やってみますかね」
頭上で輝く光の玉目掛けて、俺は奇跡の光を出した。
俺の胸元から飛び出た光の玉が、ネイリーさんの出した光の玉の傍にまで上がる。
ネイリーさんのそれほどではないが、キラキラと輝く光の玉はけっこう目立ちそうだ。
「あ、できた。射程距離、けっこう長そうですね」
「便利だねぇ……あ。巨人がこっちに気付いたみたい」
ネイリーさんが指で輪っかを作り、巨人を見る。
「うう、頭が痛い……」
俺たちがそんなことをしていると、フェルルさんがもぞもぞと起き出した。
両手で頭を押さえて呻いている。
そして、こちらに振り向いた。
「っ……はあはあはあ!」
「ああもう、またかこんちくしょう!」
フェルルさんが俺を見るなり、鼻息を荒くして目をハートマークにした。
また襲われてはたまらんと、俺は走ってフェルルさんから離れる。
頭上の光の玉も、それに合わせて頭上を動き始めた。
「ああっ!? コウジさん、待って! ちょっと交わるだけだから!」
「自分で言ってておかしいって気付かないんですか!?」
フェルルさんが猛ダッシュで俺に迫る。
俺はネイリーさんがまたどうにかしてくれることを期待しているのだけれど、彼女は指の輪っかに目を当てて巨人を見ている。
「ネイリーさん! 助けてくださいよ! うわっ!?」
「はあはあはあ!」
あっという間にフェルルさんに捕まり、地面に押し倒された。
フェルルさんは片手で俺の両手を頭の上で押さえつけ、もう片方の手で俺の服を捲り上げる。
「いっひひひ! いただきますねぇ!」
「性獣かあんたは! ネイリーさんってば!」
「ちょっと待って。何か、あの巨人の傍に誰かいるみたいなの……おおっ!?」
「待ってる間に食われちゃうでしょおおお!?」
「くぅおらああああ!」
その時、雄叫びとともに、真横から無数の蔓が延びてきてフェルルさんを絡めとった。
ぎゅるる、と音を立ててフェルルさんは簀巻きにされ、どすん、と地面に転がった。
「私のコウジさんに何をしているのですか!」
「ノルンちゃん!」
びゅんっ、と音を立てて、目の前に着地するノルンちゃん。
女神様の登場に、俺は歓喜して彼女に飛びついた。
「コウジさん、ご無事でよかったのです!」
ノルンちゃんは俺を抱き留め、よしよしと頭を撫でてくれた。
「本当に申し訳ございませんでした……私にも、何が何やらで」
「あー、びっくりした。ノルンさん、ものすごい勢いで伸びてくるんだもん」
ネイリーさんが、ノルンちゃんの下半身を見る。
ノルンちゃんは腰から下が太い蔓になっていて、それはあの巨人の場所からここまで伸びていた。
途中途中に体を支える枝が地面に突き刺さっているようだ。
10キロメートル以上はありそうだけど、こんな移動方法もあるのか。
「ちょっとお待ちくださいね……うひっ!?」
ノルンちゃんの肌に、ぞわぞわっと鳥肌が立つ。
「だ、誰かが私の足にしがみついているのですよ!」
「うん。チキさんが引っ付いてるみたい。こっちまで運んであげたら?」
「そうします……うう、こそばゆいのです」
俺は彼女に抱き着いたまま、巨人のいる方へと目を向けた。
蔓がノルンちゃんの下半身にスルスルと引っ込んでいき、その先っぽがこちらに近づいてくる。
しばらくそれを見ていると、先っぽにしがみついているチキちゃんが俺たちの下へとやってきた。
「コウジ!」
蔓が俺たちの傍にまで縮むと、チキちゃんはすぐさま飛び降りて俺に抱き着いた。
「うえええん!」
チキちゃんが泣きじゃくりながら俺にしがみつく。
俺はノルンちゃんから離れ、先ほど彼女がしてくれたように、よしよしとチキちゃんを抱き締めて頭を撫でた。
「チキちゃん、無事だったんだね。よかった」
「もう、コウジに会えないんじゃないかってっ! 恐竜に食べられちゃったらどうしようって!」
チキちゃんがしゃくりあげながら話す。
実際、何度も恐竜に食われかけていたけれど、どうにか無事に再会できてよかった。
まあ、たとえ恐竜に食われたとしても、俺はこの理想郷で転生できるのだ。
死ぬほど痛い思いをして食われるのは勘弁だけど。
「ノルンちゃん、カルバンさんも一緒だったりする?」
チキちゃんの頭を撫でながら、ノルンちゃんを見る。
「はい。モーラさんと一緒にいますよ」
「モーラさん?」
「あそこにいる、ウサンチュさんなのです。先ほどお会いして、話していたところなのですよ」
ノルンちゃんが、例の巨人を指差す。
巨人はこちらを見ながら、棒立ちしていた。
「ああ。やっぱりあれ、ウサンチュなんだ」
「ですね。そして、私たちは太古の理想郷にタイムスリップしてしまったのですよ。巨大ウサンチュたちは、ウサンチュの原種のようですね」
「タイムスリップってのは確定なの? 別の世界というか、別の理想郷に飛ばされちゃったとかじゃなくて?」
「はい。ソフィア様がそうおっしゃっていました」
「えっ。まさか、ソフィア様が俺たちを過去に飛ばしたの?」
「それが……」
ノルンちゃんが、今までのいきさつを説明してくれる。
過去に飛ばされた直後、ノルンちゃん、チキちゃん、カルバンさんは一緒に森の中にいた。
何だここはと困惑していると、大量のラプトルの群れに襲われた。
そいつらはノルンちゃんが難なく撃退したのだけれど、俺たちの姿が見えずかなり焦ったらしい。
付近を探し回ったけれど見つからず、これはまずい、とノルンちゃんが半泣きになっていると、ソフィア様が例の虹色の渦から顔を出した。
ノルンちゃんは大慌てでソフィア様に事情を話すと現在の状況を説明してくれて、「本当に危ない時は助けるから頑張って探してみて」と言って消えてしまったそうな。
「というわけでして。どうして過去に来てしまったのかもお尋ねしたのですが、「半分はバグのせい」とおっしゃっていました。
「半分? どういうことだろ?」
「それが、教えてくださらなくて……ただ、ソフィア様は『人との縁とは素晴らしいものですね!』とおっしゃっていたのですよ」
「むう、さっぱり分からないね……」
ともあれ、ソフィア様がそう言っていたのなら、きっとこのバグはそれほど悪いものではないのだろう。
現状、バグが何なのかさっぱり分からないので、これからまた手探りで探すことになりそうだ。
バグをどうにかすれば、元の時代に戻れるのだろうか?
「むむう! むむうううう!」
そんな話をしていると、簀巻きにされているフェルルさんのうめき声が聞こえてきた。
見てみると、地面に転がされている彼女が目を血走らせて、俺にしがみついて泣いているチキちゃんを睨みつけている。
獲物を横取りするな、というような目だ。
口元まで蔓に巻かれているからうめき声で済んでいるけど、口がきけたらいったい何を言うのだろうか。
「こ、怖ええ。完全に狩猟者の目だ」
「フェルルさんは、どうしてしまったのですか? 正気を失っているようですが」
「彼女、発情期に入っちゃったみたいでさ。俺を見ると理性が飛んじゃうみたいで、襲い掛かってくるんだよ」
「え!? コ、コウジさん、フェルルさんにいただかれてしまったのですか!?」
「コウジ、説明して」
それまで泣いていたチキちゃんがぴたりと泣き止み、底冷えする声色を俺に向ける。
目のハイライトが消えていて怖い。
「い、いや、ネイリーさんに助けてもらったから、未遂だよ」
「本当に? 嘘ついてない?」
「ついてないって。そんなことしても、ノルンちゃんにはバレちゃうし。無駄な嘘なんてつかないよ」
「どうして、ノルン様にはバレるの?」
「私は、人の心の中を見ることができるのですよ。ちゅーすれば、全部丸わかりなのです」
えへん、とノルンちゃんが胸を張る。
「そうそう。全部丸わかり……」
俺はそこまで言いかけて、以前、天空島でエステルさんにコーヒーを賄賂として渡したことを思い出した。
ノルンちゃんとは夜の営みの際に、そりゃあもうちゅっちゅしてしまっているので、このことも知られている可能性が高い。
あのこと、ノルンちゃんに謝るのをすっかり忘れてたな……。
「どうしたの?」
チキちゃんが小首を傾げる。
「い、いや。ノルンちゃん、ウサンチュミントって作れないかな? 種に、発情を抑える作用があるらしいんだけど」
「この理想郷にある植物でしたら、何でも作れるのですよ。種ならすぐに出せますので、少々お待ちを」
ノルンちゃんが「んー」と唸りながら、何やら考えるそぶりをする。
「あ、これですね。今作りますので」
ノルンちゃんが手のひらを広げ、「ほっ」、と声を上げた。
それと同時に、手のひらが少し盛り上がり、ゴマと同じくらいの大きさの黒い種が数個出てきた。
さっき唸ってたの、頭の中で種の情報を探していたのだろうか。
「それを、フェルルさんに飲ませてあげてくれる?」
「ラジャーなのです」
ノルンちゃんがフェルルさんの傍に駆け寄り、口に巻き付いている蔓を外した。
「コウジさんは私のなんだからあああ! 私がつがいになるんだからあああ!」
フェルルさんがチキちゃんを睨みつけたまま、憤怒の形相で叫ぶ。
あまりの勢いに、ノルンちゃんが、びくっ、と肩を跳ねさせた。
「うひっ!? お、落ち着いてください! これを飲むのですよ!」
ノルンちゃんがフェルルさんの顔を押さえ、種を口に放り込む。
しかし、フェルルさんは叫ぶばかりで、一向に種を飲み込む気配がない。
このままだと、種を吐き出してしまいそうだ。
すると、チキちゃんがフェルルさんに歩み寄った。
「私のコウジさんに手を――」
「うるさい」
チキちゃんがフェルルさんの鼻を摘まみ、魔法で口の中に水を流し込んだ。
すぐさまもう片方の手でフェルルさんの顎を押さえて、口を閉じさせる。
フェルルさんは急に口の中に水を入れられ、口を閉じられたまま「ごぼっ!?」と嫌な音を立ててむせた。
「ごぼっ! げほっ、げほっ!」
フェルルさんが目を白黒させて咳込む。
どうやら、種は飲み込んでくれたようだ。
「ちょ、ちょっとチキちゃん! そんなことしちゃダメだって!」
「コウジを襲おうとした罰だから」
「つ、つがっ、げほっ! つがいにっ! げっほ!」
激しくむせながらも、フェルルさんはうねうねと体をよじらせて、俺に近寄ろうとしている。
チキちゃんはフェルルさんの顔を押さえつけたままだ。
ノルンちゃんがその手を、そっと放させる。
「とりあえず、ウサンチュミントが効くまで待ちましょう。チキさんも、落ち着かないとダメなのですよ」
チキちゃんが、はっとした顔になった後、しゅんとなった。
「……ごめんなさい」
「チキさん、本当にコウジさんが好きなんですねぇ」
「……うん」
「ねえ、カルバンさんがこっちに手を振ってるよ」
それまで完全に蚊帳の外だったネイリーさんが、巨人の方を見たまま俺たちに言う。
ごめん、カルバンさん、完全に忘れてたよ……。