120話:巨大生物
「そおれっ!」
「うひいいい!?」
ネイリーさんに手を握られたまま、俺の体が宙に浮く。
そのまま一気に、俺たちは傍に生えていた木のてっぺんに跳び上がった。
「どっこいしょー!」
ネイリーさんが片足で木の枝を蹴り、放物線を描くように前方へと跳ぶ。
彼女に引っ張られるかたちで、フェルルさんを背負った俺も空を進む。
時速5、60キロは出てるんじゃないかという速度で、めちゃくちゃ怖い。
「死ぬ! 死ぬってマジで!」
「大丈夫だって! いけるいける!」
「めっちゃ怖いんですって!」
「あっはっは!」
なぜか爆笑しているネイリーさんに引っ張られ、森の木々の上を飛び跳ねる。
ネイリーさんが木の枝を蹴る時には下から風が舞い上がり、俺たちの体を風が支えてくれた。
ネイリーさん、いつもこうして移動していたのか。
「おっ、あったあった!」
いつぞやの大きな池の前に、ふわりと舞い降りる。
数日前にティラノに敗れた巨大ワニの死骸が横たわっていて、ぶんぶんとハエが飛び回っていた。
「うわ、なにこれ。くっさ!」
ネイリーさんが鼻を摘まむ。
犬人の嗅覚ってすごかったりするのだろうか。
「そこの池にいたやつです。ティラノと戦って、食われちゃってました」
「へー。こんなにでっかいワニが住んでるんだ。どれどれ」
ネイリーさんが杖で地面を、コン、と突く。
土の地面を突いたというのに、まるで金属を金槌で叩いたような音が響き渡った。
ネイリーさんが、じっと池を見つめる。
「……おー。いるいる。うじゃうじゃいる」
「分かるんですか?」
「うん。音を広げて、池の中の様子を感じ取ったの。この池、かなり深いね」
潜水艦とか漁船のソナーのような魔法のようだ。
この人、本当に何でもできるな。
「まあ、そこそこ離れてるし大丈夫かな。コウジ君たち、水浴びしてきなよ」
「え? 何でですか?」
「ふたりとも、かなり臭いよ」
ネイリーさんが俺たちを見て苦笑する。
そういえば、恐竜のせいで洞穴に閉じ込められていたせいで、まったく体を洗えていなかったんだった。
トイレはフェルルさんが掘ってくれた穴の中で済ましたけれど、やっぱり臭いは気になった。
ずっとこもっていたせいで、鼻が慣れてしまって気にならなくなったけども。
お尻はポケットティッシュとウェットティッシュで拭いていたから、汚くはないぞ。
「う、すみません。でも、この池に入って、本当に大丈夫なんですか? ネイリーさんが魔法で水を出してくれればいいような」
「疲れるんだもん。チキさんみたいに温泉の精霊さんと相性抜群ならいいけど、私じゃそうはいかないの」
「へえ、チキちゃんは特別なんですね」
「どんな魔法使いにも、得意分野とそうじゃないのがあるからね。あ、でも、別に私が水の魔法が苦手ってわけじゃないよ? でも、しんどいの」
彼女がそう言うなら、そうなのだろう。
俺は背負っていたフェルルさんを地面に下ろし、上着を脱いで池に入った。
じゃぶじゃぶと手で体を洗うと、浸かっていた水が少し黒く濁った。
池の水はかなり冷たいが、文句を言うのはやめておこう。
「うわ。俺、汚かったんですね」
「そんだけ臭ってればねぇ……おっと」
ネイリーさんが、コン、ともう一度杖で地面を叩く。
数秒して、30メートルほど離れた場所の水面が、バシャン、と水しぶきを上げた。
「な、何ですか!?」
「ワニが近寄ろうとしてきたから、水の中で音を出して追い払ったの。パンツも脱いじゃいなよ。コウジ君のは見慣れてるし、私は気にしないから」
「天空島でチキちゃんとの行為を盗み見してたんですもんね……」
ズボンをパンツごと脱ぎ捨て、腰まで水に浸かって下半身を洗う。
もうやけくそだ。
「んあ……あれ?」
すると、気絶していたフェルルさんが目を覚ました。
「おっ。起きた? 私のこと、分かる?」
ネイリーさんが振り返り、フェルルさんに手を振る。
しかし、フェルルさんの視線は俺に向かっていた。
「コウジさあああん! よろしくお願いしまーす!」
「うおお!?」
目をハートマークにし鼻血を出しながら俺目掛けて飛び掛かるフェルルさん。
「ダメだこりゃ」
ネイリーさんがすかさず、杖でその頭を小突いた。
フェルルさんが再び、白目を剥いて昏倒する。
「こ、怖えぇ……性獣状態ですよ」
「だねぇ。もう仕方ないから、このままフェルルさんも洗っちゃおうか。コウジ君、手伝って」
「あ、はい」
スカートを太ももあたりまで捲って縛ったネイリーさんと2人で、フェルルさんの腕と足を持って池に入れる。
服を着たままのフェルルさんを、わっしわっしと雑に服ごと洗った。
この間、俺は全裸である。
何とかフェルルさんを洗い終え、俺たちは池から上がった。
「あー。足の毛が泥だらけだよ」
「ネイリーさんの足、もこもこですもんね」
「うん。こういうところに入ると、すぐこうなっちゃうんだよね。コウジ君、両手両足広げて。魔法で乾かしてあげるから」
「お願いします」
ネイリーさんの正面で、俺は全裸で手足を広げた。
傍から見たら、女性に裸を見せつける変質者だ。
何か俺、ネイリーさんの前だと恥という感覚が麻痺している気がする。
「強い風がいくから、足踏ん張ってね」
「おっけーです!」
ネイリーさんが杖を振ると、ビュウ、と強い風が吹いた。
体に付いていた水があっという間に吹き飛ぶ。
「はーい、後ろ向いてー」
「へーい」
ケツを見せつける変質者体勢になり、背中側の水も吹き飛ばしてもらう。
「はい、おしまい。次はフェルルさんね。後ろから抱きかかえて、こっち向いて。コウジ君は裸のままでいいから」
「うっす」
フェルルさんを後ろから抱えて立つ。
せっかく乾いた体が、びしょびしょのフェルルさんによって俺まで濡れる。
これ、順番間違えてるんじゃないだろうか。
「えんりこげれげれらんぱっぱ!」
懐かしい呪文を唱え、ネイリーさんが目の前に火の玉を作った。
続けて魔法で風を起こし、火の玉で温められた風がこちらに吹いてくる。
大型のドライヤーに当たっているような気分だ。
「おお、どんどん乾いていく……そういえば、えんりこなんたらって呪文、唱えたり唱えなかったりしてますけど、どうしてですか?」
「あれは掛け声だからね。気分によって、言ったり言わなかったりなだけだよ」
「え? ってことは、雷の呪文とか使ってた時のもそうなんですか?」
「そそ。でも、ちゃんと効果もあるんだよ? それっぽいことを言うと、集中力が高まって威力が増すの。精霊さんとの調和が強くなる感じで」
「へー。そういう理由だったんですか」
そのままフェルルさんの前側を乾かし、今度は背中側を乾かす。
俺は全裸のままでフェルルさんを前から抱き締めているような恰好なので、完全に変態のそれだ。
チキちゃんには見せられないな、これ。
「はい、おしまい。コウジ君も服着ていいよ」
「了解っす」
フェルルさんを横たわらせ、俺はそそくさと服を着た。
「さてと。それじゃあ、行こっか」
「行くって、どこにですか?」
「あっちの山の向こう側」
ネイリーさんが、遠目に見える山を指差す。
山の頂には雪が被っていて、かなり標高が高そうだ。
「あの山のこっち側は見える範囲では調べたんだけど、ノルンさんたちはいなかったからさ。あっち側にはいるかなって」
「なるほど……ん?」
何やら視線を感じ、森へと目を向ける。
木々の間から、いつぞやのティラノサウルスがこちらをガン見していた。
洞穴の上でネイリーさんが退治してくれたやつよりも、二回りほど大きい。
「げえっ!? ネイリーさん、ティラノ! ティラノがいます!」
「おっ、身が締まってて美味しそう!」
ネイリーさんはそう言うなり、杖を振りかざした。
ゴウッ、とすさまじい突風がティラノサウルスに向かって吹き、そいつの動きが一瞬鈍る。
しかしすぐに、恐ろしい咆哮と共に突進を再開した。
「ありゃ、ダメかぁ! あっはっは!」
ネイリーさんは笑いながらふわりと浮き上がって、俺とフェルルさんの間に跳んできた。
フェルルさんの襟首を片手で掴む。
「殺しちゃうのはかわいそうだし、逃げよっか。コウジ君、荷物を持って私に掴まって」
「はい!」
俺は大慌てでリュックを拾い、抱き着くようにしてネイリーさんにしがみついた。
ネイリーさんが、とん、と地面を蹴る。
俺たちの体は一気に飛び上がり、近場の木のてっぺんに一瞬で到達した。
「ばいばーい!」
地上で吠えているティラノサウルスにネイリーさんは別れを告げ、枝を蹴って再び跳んだ。
「あはは! ティラノだっけ? おっかなかったね!」
「いや、笑いごとじゃないですって……ていうか、ネイリーさん、さっきからずいぶんと機嫌がいいですよね?」
見知らぬ土地に飛ばされたうえに仲間ともはぐれているというのに、ネイリーさんはやたらと上機嫌だということに今さらながらに気付いた。
俺たちと合流できたから、というにしても、ちょっとテンションが高すぎな気がする。
「うん! 何だかすごく調子がいいの。風の精霊さんとこんなに調和がとれるのはひさしぶりでさ」
ぴょーんぴょーん、と木の上を山に向かって跳び進みながら、ネイリーさんが微笑む。
「へえ。どうしてですかね?」
「この土地、私にすごく合ってるみたいでさ。こんなに調子がいいの、お師匠様と一緒にいた時以来だよ」
「そうなんですか。頼もしい限りです」
そうして上機嫌なネイリーさんにしがみついたまま、どんどん山へと向かって突き進む。
あっという間に山が近づき、山頂へと向かって木の上を跳んでいく。
トリケラトプスやらステゴサウルスなどの恐竜たちが歩いている姿をいくつも見つけ、名も知らぬ肉食恐竜たちが縄張り争いで戦っていたりもした。
ネイリーさんと合流できていなかったらと思うと、本当に恐ろしい。
「何だか、寒くなってきましたね」
「山頂が近いからね」
山を登るにつれて、どんどん気温が下がってきた。
森林限界に達したようで、木々がなくなり高原のような場所に出た。
今まで見えなかった、山の向こうの景色が俺たちの目に飛び込んでくる。
うっそうとした深い森と、その先には青い海が広がっていた。
山の谷間から川が延びていて、海に繋がっている。
「ちょっと休憩しよっか」
ネイリーさんは少し疲れたのか、額に汗を浮かべて荒い息を吐いている。
調子がいいといっても、無制限に魔法が使えるわけではないみたいだ。
ネイリーさんがフェルルさんを地面に横たえ、はあ、と息をつく。
「こっちにも、でっかい恐竜がいるね」
遠目に見える川岸に複数の蠢く巨大生物をネイリーさんが見つけた。
「恐竜だらけですね。でも、ここなら急に襲われる心配もないし、しばらくはここを拠点にして……んん?」
川岸の巨大生物を見ていた俺は、それに違和感を覚えて目を凝らした。
「どしたの?」
「……あれって、恐竜じゃなくて巨人じゃないですか?」
「巨人?」
ネイリーさんが、俺と同じように目を凝らす。
そこには、二本足で歩く人型の巨大生物がいた。
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