116話:初めての砂漠
朝食後、売店で焼きおにぎり弁当とイワナの干物を購入し、砂漠地帯へと出発した。
それぞれリュックやズダ袋を背負い、だだっ広い草原をてくてくと歩く。
「この辺、全然木が生えてないね」
「ですねぇ。でも、綺麗な草原で清々しいですね!」
ノルンちゃんは楽しそうにスキップしている。
空は真っ青に晴れ渡っていて、雲一つない快晴だ。
日差しも強くなく、実に過ごしやすい。
「ノルンさんは、栽培を司る女神様なんですよね?」
両手でリュックの肩掛け紐を掴んで歩くフェルルさんが、ノルンちゃんに聞く。
「はい、そうですよ」
「ということは、世界の植物の成長は、ノルン様のご加護ということなんでしょうか?」
「あ、いえいえ、そういうわけじゃないのです。身の回りの植物に関する事象を自在に操れるというだけで、世界全体に影響を与えるほどの力はないのですよ」
「そうなのですか。魔法使いみたいな感じなんですか?」
「んー、それに近いかもですね。私が力を行使できるのは、自分やごく近い周囲に限られるので」
「ノルンさん以外にも、栽培を司る女神様っているの?」
ネイリーさんが話に乗っかる。
「何々を司る神様」って国ごとにいろいろあるだろうけど、内容が被ってる神様もいそうだ。
「もちろんいます。私と同等の力しか持たない神もいますし、もっと高い地位で強力な奇跡を行使できる神もいるのですよ。正確な人数は、私も知りませんが」
「へえ。神様って、そんなにたくさんいるんだ。ちょっと意外」
「全宇宙を合わせれば、数えきれないほどの神がいます。私はその中でも、一番下の新米女神なのです」
「一番下なのに、あんなにいろんなことができるなんてすごいよ。しかも、不死身なんでしょ?」
「不死身というか、不滅の存在ですね。皆さんとは違って、肉体がなくても存在できるのですよ。私たちみたいな存在は、高位次元体と呼ぶと学校で習いました」
なかなか興味の引く内容だ。
フェルルさんとネイリーさんは「へー」だの「はー」だの相槌を打ちながら、さらにあれこれと聞き始めた。
神様の学校の話に興味をそそられたようで、授業のカリキュラムや学食の話を中心にノルンちゃんが語る。
そんな彼女たちの会話を聞きながらしばらく歩いていると、目の前に広がっていた草原途切れ、砂漠が現れた。
砂の丘があちこちにあって、ザ・砂漠、といった感じだ。
少し風が吹いているようで、砂埃が舞い上がっているのが確認できる。
「おお、砂漠だ」
「砂しかないのに、すごく綺麗だね!」
チキちゃんが瞳を輝かせる。
エルフは基本的に引きこもり生活だったらしいし、こういう景色は初めて見るはずだ。
旅であちこち行くたびにすべてが新鮮に感じられて、すごく楽しいだろうな。
「よし、ゴーグル付けようぜ」
「ですね。地図で確認しながら進みましょう」
カルバンさんからゴーグルを受け取り、装着する。
地図で現在地を確認してみると、今いる場所からそれほど遠くない場所にバグの印があった。
「よかった、結構近いですね」
「だな。でも、ここからじゃ何も見えねえぞ。バグが砂の中に埋まってんのか?」
カルバンさんが小首を傾げる。
彼の言うとおり、バグは砂の中にあるのかもしれない。
「はー。まさに、砂の海ですね! 実物はとても雄大で素晴らしいです!」
ノルンちゃんが楽しそうな声を上げる。
「コウジ、あそこに行ったら、砂の中に沈んじゃったりしないかな?」
ゴーグルを付けたチキちゃんが、そわそわした様子で俺の服を引っ張る。
「それは大丈夫だよ。ただ砂がたくさん積もってるだけだから」
「そっか。よかった」
地図を見ながらてくてく歩き、砂漠に踏み込む。
サクサクとした感覚が、とても楽しい。
「うわー、これ楽しいなぁ! 砂、さらっさらだ!」
「ですね! でも、靴に砂が入り放題なのですよ。いたた」
「チクチクする……」
スニーカーの俺はともかく、ノルンちゃんとチキちゃんはぺたんこ靴なので、あっという間に靴の中が砂だらけだ。
カルバンさんとフェルルさんは、厚手のブーツで大丈夫みたいだ。
俺たちも、砂地用に靴を用意すればよかった。
「足の毛と尻尾に砂がくっついちゃうなぁ。生え際に入ると洗うの大変なんだよね、これ」
「ネイリーさん、素足ですもんね」
「うう、肉球の脇がこそばゆい!」
わいわい騒ぎながら砂漠を進む。
砂はサラサラで踏み心地はいいけれど、足を取られて歩くのがかなり大変だ。
次第に皆が息を切らせ始め、はあはあと息切れし始めた。
「コウジ、疲れた……」
「うん、これは疲れるね……バグまでもう少しだけど、一休みしよっか」
「ついでにお昼休憩にしませんか? そろそろ、お昼ご飯の時間ですし」
フェルルさんが空を見上げる。
太陽は空のてっぺんで、時間は正午くらいだろう。
「そうしましょっか。ノルンちゃん、ビニールシート出して」
「了解であります」
ノルンちゃんがリュックを下ろし、中からビニールシートを取り出した。
俺とふたりでそれを広げた時、急に強い風が吹いて、ビニールシートが吹き飛ばされてしまった。
「あっ! し、しまった!」
「あわわ、拾って来るので、コウジさんたちは待っていて――」
「コウジ!」
チキちゃんの叫びに、俺とノルンちゃんは振り返った。
「あれ! 砂嵐だよ!」
チキちゃんの指差す先には、巨大な砂埃の壁。
いつの間に現れたのか、遥か地平線まで続いていて、まるで砂嵐の津波だ。
高さ100メートルはあろうかという黄土色の砂埃の壁はかなりの速度のようで、みるみるうちに迫って来る。
「ノルンちゃん、シェルター作って!」
「あいあいさー!」
ノルンちゃんは両手を蔓に変異させ、俺たちを覆うように骨組みを作った。
続いて髪が一斉に伸びて、骨組みをすっぽり覆い隠した。
ノルンちゃんのシェルターが出来上がると同時に、バババ、と砂粒が髪の毛のシートに当たる音が響き出した。
「いたた! すごい砂嵐なのですよ! 髪の毛越しでも、蔓にビシバシ当たって痛いのです!」
「あ、危なかったですね。ノルンさんのシェルターがなかったら、きっと息もできないですよ」
フェルルさんがほっとしたように言い、「ん?」、と俺たちを見た。
「あ、あの、何かシェルター内も、砂埃が舞っていませんか?」
フェルルさんの言うとおり、シェルター内の視界が悪い。
「ほんとだ。何か霞んでますね」
「ノルン様、シートに隙間があったりしないかな?」
「いえ、完全に覆っているので、そんなことはないかと」
チキちゃんの問いかけに、ノルンちゃんがシェルターの壁を見渡す。
そうしている間にも、どんどん目の前が霞んできて、視界が悪くなっていく。
「ちょ、ちょっと! どんどん見えなくなってきてるよ!? なにこれ!?」
「こいつは砂埃じゃねえぞ! どうなってんだ!?」
ネイリーさんとカルバンさんがゴーグルを擦る。
俺も試したけれど、ゴーグルが曇っているわけではないようだ。
「い、いったいどうなって――」
そう口にした瞬間、完全に俺の視界は真っ白になってしまった。
「あわわ、何も見えません!」
フェルルさんの声が、すぐ傍から響く。
どういうわけか、彼女以外の声がプツリと途絶えてしまった。
「皆、もっと固まって! 何かヤバそうだ!」
すぐ隣のチキちゃんがいた場所に、手を伸ばす。
でも、どういうわけかその手は空を切ってしまった。
すると、伸ばした手とは反対側から、俺の腕を誰かが掴んだ。
「コウジさん!」
「フェルルさんですか!? 何か見えます!?」
「何も見えません!」
フェルルさんが声を上げた時、うっすらと視界が戻り始めた。
怯えた顔の彼女を見てほっとしかけたが、その背後に見え始めた景色に、俺はぎょっとした。
「えっ」
「あ、あれ?」
どういうわけか、俺とフェルルさんはふたりきりで、うっそうとした密林の中にいた。
ギィギィという鳥だか獣だかの鳴き声があちこちから聞こえ、先ほどまであった砂漠は完全に消え失せている。
「……どこだここ?」
「ど、どこでしょう?」
あまりにも突然の出来事に、俺たちは呆然と立ち尽くしてしまった。




