4. ゴロゴロ肉という響きだけで飯テロだと思う
リカントはトラムメリー家が持つ領地の中でも最悪の治安だとハーディさん、父の秘書に教えてもらった。辺境伯領との境も近く、移民も多く、トラブルも絶えない。ハーディさんは口を濁していたが、売春とか奴隷売買もあるのだろう。アロイスルートで多少触れられていた地区だと気付くのに時間はかからなかった。
(治安めっちゃ悪そう。お父様容赦ねー)
ハーディさんは私とアロイスのリカント行きに否定的だ。こんな子ども二人に、自分の領地の恥部を見せるなんて云々をお父様に意見していた。結局は、父の説得に折れていたけれど。まあ、父の立場からすると、仕方ないことなのかもしれない。
我儘な娘には現実を突きつけて婚約に前向きになってもらう。
優秀な息子には現在の領地の問題に向き合ってもらう。
(・・・アロイスには完全にとばっちりだな。めんご)
心の中で平謝りをした。
午後はハーディさんのお話の後に少しだけ魔法の勉強をした。勉強しながら口寂しくなりあれだけお菓子を食べていたのに、やはりお菓子だけでは腹は膨れない。
仮にも貴族なので、出されるものは全て美味しいが・・・それでもコックさんには本当に感心する。
具だくさん、特に大きめの肉がゴロゴロ入った夕食のビーフシチューに、私は心を奪われていた。
「リカントに行くのですね」
夕食の時間、珍しく母に喋りかけられている。普段は何事にも無関心な人なのに。
「感染症にはくれぐれもお気をつけて。手洗い、うがいを怠らないように。
護衛の数は限られているとの事ですから自分でも注意するのですよ」
若干顔が厳しいのは気のせいではないだろう。確かに貴族が、それも子供連れで行くような所じゃない。
「お心遣い感謝します。私の我儘にお父様達を煩わせてしまって申し訳ありません」
口だけでぺらぺらと取り繕いながらスプーンはビーフシチューの方へ。
(うまい。これはよいゴロゴロ肉だ)
「・・・貧民街ではこのような食事は無く、具のないスープばかりと聞きます。それがどういう事なのか。今回は護衛の立場上そんな所にまでは行かないのでしょう?
まあ多少の教育は必要な事ですわね」
意外と、母は今回のリカント行きに賛成していた。そして地味に詳しい。しかも鋭い。
私の心がゴロゴロ肉の方に行ってるのに気付いているようだ。
「・・・イリスは怖くないの?」
アロイスが不安そうに私に聞いて来た。
「こわい・・・ええ、確かに怖いですね。
こんな温室育ちの子供が治安の悪い地区に行くのですよ?怖くもあり、不安もあります。護衛が居るとの事ですから、最低限の安全は守ってくれるでしょうが、それも絶対では・・・すみません、失言でしたわ」
別に護衛の能力に不安を持ってる訳ではない。
ただ、海外旅行で治安の悪い地域に行く事を想像すれば、この不安も仕方ない事だろう。
「イリスさんは随分とおしゃべりなのね」
困惑した様な声に我に帰る。どうやら饒舌過ぎたらしい。7歳児がこんな返しをしたら戸惑うに決まってる。
まあ、父親との話し合いでだいぶ口が回る様になったと言うか、させられたのだから今更取り繕っても仕方ないのだろうけど。
「失礼な事を言ってしまいました。反省します」
(このゴロゴロ肉ふわとろだよぉ・・・らめぇ・・・)
食後にそういえばと、魔法の練習について考える。
火や雷、土などの自然魔法は場所次第では大惨事になるだろうが入浴中の水魔法の練習なら許されるだろうか。
逡巡して、答えはノーだ。
メイドさん達に体を洗って貰っている立場の自分がどうやって練習するのか。というわけで、今日も自室で魔法の練習開始。
メモ帳は天井近くまで浮かす事が出来たが枕は半分程度の高さだ。重さも関係しているのかも知れない。
試しに手帳を掴んで飛べと念じてみれば、成功。数センチ体も浮く事ができた。すぐに落ちてしまったけれどこれは大きい。ジャンプの方が飛翔力がある事は言われなくても気付いている。泣ける。
うなだれているとノックの音が聞こえた。
「イリス」
「あ、お兄さま?」
「ちょっと話がしたい。いい?」
逡巡して「どうぞ」と声を返す。ややあって入って来たアロイスだが、その顔は暗かった。
「どうしました?こんな時間に」
「イリス・・・」
何かを言おうとして、そのまま押し黙る兄。ひとまず立ち話もなんだと思い、椅子を促すとすんなり座ってはくれたが・・・一向に話し始めない。
そのまま数分。
(・・・眠い)
どうやら魔法の練習は思ったより疲れるようだ。昨日も熟睡したが、今日もそろそろ夢の世界が手招きしている。
流石にこんな真剣な表情の兄の話を半分寝ながら聞くのも悪いし、そろそろ自分から声を掛けようかと思い始めた頃にやっと、アロイスが口を開いた。
「ごめん。・・・俺がこんな、頼りなくて」
「え?」
「俺が、妹を守らないといけないのに・・・なのに、父さんや母さんに押されて・・・」
(・・・え、泣いてる?)
ポロポロと12歳伸び代抜群の男の子が泣いてるのを見て眠気が覚めた。
慰めたい気持ちが生まれるが、今の兄にそれをしてしまうと逆効果な気が・・・
「お兄さま・・・私・・・」
「ごめん。ごめんな、イリス。俺、本当はリカントに行くのも・・・」
(あー・・・怖いんだ。まーしょーがないわな)
そこに考えが至り「お兄さま」と、ややはっきりと声を掛けた。
「私、リカントに行くのすごく怖いんです」
「・・・さっきの食事の時もそう言ってたけど・・・正直そんな風に見えないよ?」
(失礼な。こちとらか弱い乙女なんだぞう)
「本当に怖いんです。それに私は・・・」
どう言って取り繕うか。・・・意外に兄は繊細そうだし、ここは逆に兄としてのプライドを意識してもらおう。
思いついたら早いもので口がぺらぺらと回り始める。
「本当はもっとお兄さまに甘えたいんです。
なのにお父様やお母様の目があって、それが出来ないのが悲しいんです」
「え・・・」
驚いている兄に、まあそうだろうなと考える。何せこちとら赤ん坊の時から意識はあった。
5歳差の妹に、執拗に構いたがる兄に対してあしらうように扱った事も少なからずある。別に嫌ってる訳じゃないのだが、あんまりにもちょっかいをかけられると鬱陶しいことこの上ない。最近は多少成長したのか、トイレに行きたい時に進行方向を塞ぐなんてイラッとすることもなくなって来たが。
「俺、イリスに嫌われてると思ってた・・・」
「え・・・」
呟いた兄の言葉にこちらこそ絶句する。
ということは、何か。この幼気な少年は自分を嫌ってる妹に対してこんな責任を感じて、守りたいなんて思っていたのか。12歳の子供が。
(・・・やだ。ちょっときゅんと来た。可愛すぎ)
「イリス俺と遊んでてもあんまり笑ってないし。喋ってても興味無さそうだし・・・」
(えーと・・・なんかごめん)
言い訳させて貰えるなら、兄との触れ合い中ずっと、もっとイケメンとイチャイチャする夢が見たいのにと思っていたからしょうがない。
けれど一気に好感度の上がった兄との会話なら、別だ。
「・・・確かに。お兄様とのお遊戯は楽しくなかったし会話もあまり興味をそそられませんでした」
「え」
「けれどそれは好き嫌いと関係ありません」
きっぱりと言って、兄をじっと見つめる。
私とお揃いの、黒い髪に色素の薄い瞳。大人になったらイケメンにはなるが、今の状態でも充分可愛らしい。黒猫みたいで。週一動物園に通っていたほどのアニマル好きとしては、やや毛深さが足りないもののグッとするポイントは掴んでいる。
「まず見た目が好きです」
「」
「次に・・・そうですね。年並以上に頭がいい所も素敵です」
「そ、そう・・・?」
「それから、私の兄である事」
「え?」
「見た目も中身も良い優秀な兄を、充分に自慢できます」
「・・・ほ、他には?」
「・・・・・・ありませんね」
答えると兄の目が死んでいる。けれどこればかりはしょうがないだろう。
「他にも理由があるのかも知れませんが、残念ながら言語化出来ません。
けれど、言葉に出来なくたって・・・私はお兄さまの事が好きです。大好きです。それではいけないのでしょうか」
(まあ、甘えたいってのは多少大げさというか話は盛ったけれと)
それでもほどほどにだったら構いたいし構われたいのは本心だ。
「お兄さまこそ、私の事をどうお思いですか?」
「イリスの事は・・・結婚したいくらい好きだ」
返事の捻れ具合に最終的にはドン引きだったけど。




