11. 人はそれを運命と呼ぶ(かも知れない)
(父と兄、ベルトハルトの同席は正直遠慮したいよな)
やっと始まった案内に一息ついたが、後ろの3人が気になった。
兄やベルトハルトは危ない場所にあまり連れて行きたくない。父は存在自体が邪魔だし、邪魔な人物を消すために危ない場所に連れて行くなんてするような自分じゃない。
というか、この場所で父親が危害を受けることは面倒なので避けたいのだ。
「それにしてもなんで、案内人が変わったんでしょう?」
「・・・命が惜しいのでしょうね」
前を歩くのは先ほど牢に入っていたはずの隻腕の獣人だ。ベルトハルトに尋ねると若干呆れた声が返ってくる。
「まあ。そんなに危険なんですね。呪われては大変ですもの。護衛に任せて、お父様も商人やアロイスと待っててもよろしいのですよ」
「いや、流石にイリス1人を目の届かないところにやるのは危険だろう。思ったよりも普通の奴隷商だから大丈夫だとは思うが」
「・・・それにしても呪いねえ。お父様はどうお考えですか?」
「普通に考えたら魔力の暴走だろう。しかし・・・ここ数年オトマールの魔素自体減少傾向だ。その状態で他者に害をなせるほどの術者がいるとは考えにくい。リカントの魔素が枯渇しているとも聞いていないしな」
オトマールの魔素が少ない。これは10年前に起きたゲーテ・オトマール間の戦争が原因だ。途中からゲーテには魔物の国エトワールが加勢し、それを危惧したシャンティ王国やエルフの国なんかもオトマールに加勢する形で介入した。結果、ゲーテは味方の筈の魔物に暴虐を受け、オトマールの魔素は枯渇した。このままでは両国とも共倒れか他国の乗っ取りに合う可能性が高いと和解に至ったのだ。
しかし、10年経った今でもオトマールの魔素は少ない状態を維持している。原因の一つは人間の土地であるが故の魔素の発生量の少なさ。
そしてもう一つの原因は、7年前に生まれた自分の存在だ。
ミサルートで軽く触れられていた。イリスは存在するだけで膨大な量の魔素を吸収すると。勿論それはトラムメリーの領一つで収まるレベルの魔素量ではない。水道水のようなものだ。イリスが吸収した分だけ、トラムメリーの土地にも別の場所から魔素が流れ、そうしてオトマール全域の魔素が少なくなった。
なるほど確かに、その少ない魔素で魔法の暴走を起こすとなるとよほどの魔法使いだろう。
「でも、呪い・・・って言うからには何か原因があるんじゃないか?」
ふと、疑問に感じたようでアロイスが話に入ってきた。
(確かに、魔法使いが希少。獣人を傷つけた人間が云々だけで呪いって言うのは話が飛躍してるようだけど)
「おじさんは何かご存じ?」
ふと、同じ獣人なら何か知っているのではないかと前を歩く奴隷に声を掛ける。しかし改めて考えても、狐耳、老人、隻腕、奴隷と属性盛りすぎ感が否めない。その目がこちらに向き、ちらりと視線が合った。
「・・・知りません」
「えー」
間が気になる。何かを知っているようだけど、それを口に出さないのも不思議だ。誰かに口止めされているのか、奴隷がわざわざ隠すような理由があるのか。
そう考えているところで、空気が変わったことに気付いて黙った。暗いのは勿論のこと呻き声が聞こえる。
「奴隷はもしかして全部紹介された訳じゃなかったのかしら?」
「・・・もしあなたたちが紹介された奴隷が表の通路だけのものを言っているのであれば、違うんでしょう」
今案内されている通路にいる奴隷は決して多くない。しかし、どの奴隷も共通点がある。それはどの奴隷も生々しい傷があるという事。現在進行形で傷がついているか、傷がついた後の癒えていない傷があるかという事。
「懲罰房・・・」
ベルと何事かを話し込んでいたアロイスの呟きが聞こえた。なるほど確かに、今まで案内された奴隷は傷物も多かったが、それはもう出来上がった傷ばかりだった。
鞭打ちから始まり、ペンチのようなものを持った奴隷にしか見えない少年が同じ奴隷の女の歯を抜く場面。蛋白質が焼ける嫌な臭いのする牢では怒鳴り声を上げる男を数人がかりで抑えて焼き鏝を押し付けている場面。骨と皮しかない老人が、鎖の長さから絶対に届かない場所にある水に向けて必死に手を伸ばす場面。
ここが奴隷を扱う場所である以上、傷を与える場面があって然るべきなのだ。
「旦那様、旦那様。助けてください旦那様。このままでは私の両足が砕かれてしまいます」
一つの牢を通った時に父が重い溜息を吐いた。罰を待つ女奴隷が悲壮な顔で父に手を伸ばしている。しかし父はその女奴隷には目を向けない。「イリス。ここは気分が悪い。出ないか」と声を掛けてくる。気付けばアロイスの顔色もあまり良くない。
少しだけ迷った。しかし、ここまで来て引き返すのも意味がない。
「出来れば件の獣人を見たいのですが・・・ええと、まだ着きませんか?」
「いえ・・・そこの、扉の中です」
案内人の言葉に驚く。それは先ほどの商人に煙に巻かれたせいで、ここまでの道程に知らずハードルを上げてしまったこともある。しかし目的地の近さだけが問題ではない。
拍子抜けしてしまったのだ。今回、自分の魔法は何一つ影響を受けてなかったから。けれどもこの扉の先にいる獣人が原因の可能性は未だに否定できない。
「どうせここまで来たのです。お父様。件の獣人を見てみたいです」
「イリス・・・あまり困らせないでほしい」
悲しげに眉尻を下げる父親の言葉は聞こえた。しかし幸か不幸か、女奴隷が叫ぶように父に懇願し始めており聞き取りにくい。
(今・・・ええと、イリスが望むならしょうがないなぁパパいう事聞いちゃうって言ったっぽい)
心の中で結論を出し、父親には笑顔を向ける。
「ありがとうございますお父様!」
「え?いや・・・」
「ささ、お父様の気が変わらないうちに早く扉を開けてください」
案内人を急かすと、彼は逡巡したように一瞬固まった。けれど一瞬だ。
「ヴォルフ、開けるぞ」
言うが早いか真新しい木の扉を開ける。瞬間、嫌な臭いが鼻を突いた。
それは獣の匂い。生臭い吐き気を催す血の匂い。失禁したのか排泄物が垂れ流しになっている匂い。全てが混ざって異臭と言っていい。
その嫌な臭いの中心にそれがいた。
「・・・・・・」
父が止めるより先に、部屋の中に足を踏み入れる。そのままゆっくりと、近づいた。
近くに行けば行くほどに強くなる匂い。正直言うと、きつい。獣人が嘔吐しただろう黄色い液体を見てしまって吐き気が増す。けれどぐっと飲み込んだ。
「・・・ねえ、」
たった数歩なのに、その距離がとても遠く感じた。間近に見た獣人。それは・・・狼だった。銀色の毛並みが全身を覆っている。一般的な耳や尻尾だけ獣化したものじゃなく、全体的な獣の血が濃いのだろう。その色はこの異臭の中でも神々しく見えた。しかし、首の周りにある大量の血痕は黒く変色しており、その色を穢しているようにも見える。
固く閉じられた瞼は窪んでおり、その目がそのまま開かないんじゃないかと心臓が冷えた。
呼びかけに答えない獣人に焦燥感は高まる。
この気持ちはなんだろう。
庇護欲のような、それでもなんとなく違う気持ち。
「ねえ、起きて」
そっとその銀色の毛に触れた。
瞬間、確かに、魔法の風は止んだ。同時に膝がかくんと、折れたように体勢が崩れる。
(・・・これは・・・なんというか・・・・・・思った以上に・・・)
気付けばあれだけ騒がしかった女奴隷の声は止んでいる。魔法の風も吹かない。なるほど、と心の中で納得した。
やっと見つけた。
昨日の声の主。自分の魔力を吸い取った原因。
ようやく開かれたその金色の瞳と目が合った瞬間。すとんと、心が落ちた。




