第三話
三、
私の背の君は織田家の嫡男、信長さま。
織田家と実家の斎藤家の一時だけの同盟を結ぶためだけの政略結婚ではありましたが、私たちはすぐに仲良くなりました。いえ、違うかも。信長さまは一つのことをするにも我が道をいく人だったのでそれがわかるまで時間がかかりましたから。
私は実家しか武家をしりませんでしたが、この織田家も勢いというものがありました。また土田御膳さまの御実家が京の都近くの土地出身というせいかどことなく雅な気風と義父上の荒っぽい気性がないまぜになって独特の家風がありました。
当の信長さまは全く身なりをかまわぬお人でした。ちゃんとしたお着物も持っておられるのに下民が着るような粗末な織りの一重を着て荒縄を帯にするという具合です。刀だけは名のあるものを帯びておられましたが、荒縄にそのままねじこむので今にも落としてしまいそうですし、見ていて本当に危なっかしく思えてなりませんでした。
朝日がのぼると同時に起きて井戸水をくんで浴び顔をあらい、それから馬をひかせて二,三名の家来を連れて出て行かれます。
ご自分の行き先は決して私にはおっしゃいませんでした。家来にもあらかじめどこへ行くともいいませんでした。すべてのことを自分で考えて自分だけで行動なさっていたようです。
早く帰ってくるときはこちらで私と一緒に食事をしたりしました。遅い時は二,三日は帰ってきませんでした。館の皆は慣れているようで「信長さま、ご不在」 とも誰も言いませんでした。
私は信長さまがいないときは、信長さまの着物を仕立てたりしました。私たちの部屋つきの女中は何人もいましたが、信長さまが在室の時は私以外は誰も入れませんでした。イネでさえも「さっさと出ていけ」と一言で追い出します。
イネは信長さまには決して逆らいませんでしたが私と二人だけになると「信長さまって冗談一つ言わない怖いお人でございますね、だけど姫さまはどういうわけか気に入られて、まあようございました」 といつも言いました。
そう、どういうわけか私は信長さまには気に入られたようです。信長さまは機嫌がよいと私をそばに置いて自分は寝っ転がって領地の地図を広げて土地の説明をしました。私に墨をすらせて自分は寝たまま筆をとっていろいろと書き足していくのです。
彼は峠の様子や沢、谷の様子を本当に熟知していました。
「こちらは雨がふると崖が崩れる、崩れないようにこの際きちんと整地もしようかと思う。そしてそこから四里ほどいくと川だ。この川が問題だ。川向こうが見通せる場がないのだ」
1人でつぶやくように言われます。
私はもはやこの方がうつけ、とは全く思いませんでした。朝早く領地へは遊びにいくのではなく、見周りに言っているのだとわかってきたのです。領地の境にはどこでも斥候がいるはずですが、彼は人任せにしないのです。
信長さまはかようにご不在のことが多かったのですが、義父上の信秀さまがいろいろと気づかいをしてくださいました。ですがご生母の土田御前はどういうわけかそうではありませんでした。婚礼の時の最初の印象が冷たかったのでそう感じたのかもしれません。ですが信長さまの性格を思えば無理もないということもありました。
土田御前。この方は信秀さまのご正妻で信長さまを長男として弟や妹を何人もお産みになっておられました。ちょうど私たちの婚礼の時は女の子をお産みなったところでまだ産褥期だったのです。
婚礼後、佳き日を決めて正式に土田御前のお部屋にあいさつに伺った時、脇にいた女中が小さな赤ちゃんを抱っこしていました。見るなり私ははしたなく声をあげてしまいました。
「まあ、おかわいらしい、女の子ですね」
とたんに土田御前の表情に動きがでて彼女の方から声がかかりました。
「帰蝶どのは赤子はお好きなのかえ?」
「ええ、もちろん」
「抱いてみたいかえ?」
「はい、およろしればぜひ」
私は抱っこさせてもらえました。
私は小さな子供は大好きなんですよ、特に赤ちゃん。
なんという小さな手でしょう、なんという小さな口なんでしょう。
赤子と目があって私はうれしくなって笑いかけました。
まわりには次男の信勝さまはじめ信長さまの弟や妹がそろっていました。みんな土田御前によく似ていて鼻筋がすっと通ったお美しい子ばかりでした。
こうして座が一気になごみ、小さな弟君たちが女中が持ってきてくれたお菓子を取りだして食べ始めました。さすがに系譜がしっかりした尾張の織田家の人間でみんな幼くともきちんと正座してお行儀よく両手をつかって食べています。新参者の私が気になるらしく、じっと見つめつつ食べています。菓子を手にもったまま、にこにこ私に笑いかけている子もいました。ただ私は長兄の嫁ということで立場が上、だから彼らがまだ幼いといえどもあちらの方から声がかかることはありませんでした。
これは斎藤家でも一緒だったので、私たちは黙って、だけど終始なごやかな雰囲気でお茶の時間を伴にしました。
土田御前は赤子を大切そうに抱っこする私をじっとみておいででした。
「あのう、この子のお名は」
「おいち、と申す」
そうです。この時の赤子が信長さまの妹、美女と名高いお市の方です。でも当時は本当にまだ生まれたばかりの赤ちゃんでした。
私は実家の母上が持たしてくれた心づくしの土田御前への織りの布をいくつも渡しました。
「よいお品じゃの、かたじけのう、ありがたくいただきましょう」
このときおいち様がおぎゃあと泣かれました。
むつきでも濡れたのであろう、と御前が申されると女中がおいちさまを受け取り別室へ連れて行きました。
「そなた信長とは仲良くなったようじゃの、そのうちそなたも子を産むであろうな。だが私はあの子にはいつも手を焼く。ちゃんとしたお時儀ができない、行儀が悪い、ごはんは下人のようにお腹のすいたときにかっこむ、食べ物の好き嫌いをいう、そしていつも家にいない、いつも人とあわせることをしない、それで自分勝手なことばかりしよる、挨拶すら満足にできないくせに母たる私をバカにする」
信長さまについての批判というか罵倒に近い言葉が延々と続きます。
これを生みの母親の口から嫁になった私の耳に直に入るようにいうのです。信長さまの下の弟や妹もこの部屋にいるというのに。どう答えていいかわからず私は頭を下げました。
一通り言い終えると、土田御前は自分の一番近くに座っている次男の信勝さまのほうを見やっていいました。
「こっちの信勝の方が家来の信頼も厚いぞよ、のう、信勝」
信勝さまは婚礼の場にも隣席されていましたから私も知っています。きちんと束髪にしきちんとした服装をされてきちんと正座なされています。どこかの名のある公家のお殿様ってそういう雰囲気ではないでしょうか、そう思いました。
信勝さまは土田御前に話をふられて、また私の方を見やって困った顔をされました。
私は信長さまと土田御前とは仲良くないんだと思いました。でもそんなことってあるのでしょうか、一番最初に産んだ子供を疎ましく思って、次に産んだ子の方が可愛らしく思う? そんなことってあるのでしょうか?
父上も母上も私の一番上の兄が後継ぎだといってとても可愛がっています。私もかわいがってもらえましたが、男と女の扱いはまた別です。兄は別格でした。だから会ったばかりの土田御前がかようなことを堂々というのが信じられませんでした。
後で居室に戻ってイネにその話をしたところ、イネはすでに織田家の女中からいろいろと話を聞いていたらしく「家臣にも信長さまよりも信勝さまのほうが織田家の後継ぎにふさわしかろうというもの、少なからず」 と申します。
信長さまは家臣のものをあまり構わず、気性荒くすぐどなるし、やさしいねぎらいの言葉もかけず一人で何やら思い付いて勝手に行動する、そう見られていました。一方次男の信勝さまはいつもきちんとしていて、いつでも信秀さまか土田御前のそばにいました。
自然家臣の家柄の力関係などを熟知してくるし、家臣どもも信勝さまが信秀さまの後継者にふさわしかろうと言うのも増えるのが当然かもしれません。
でも私はそういう織田家に驚きました。
ご嫡男にはそれなりの扱いが必要です。先に生まれたものはその権利があるのです。私は長兄をみていますから、土田御前の態度こそおかしいと思いました。大事な婚礼の席でも公然と嫡男を攻撃する態度を許す義父の信秀さまの態度にも。
私は織田家の総領息子に嫁いだつもりなので、もし信勝さまが信長さまを差し置いて織田家の後を継げば実家の父上だって黙ってはいないでしょう。信勝さまは身なりもよく、また顔かたちもうるわしい方でこちらへの礼儀もきちんとわきまえた方でしたけど、私はもちろん信長さまが一番だと思っていました。
あの方は見た目はお悪いし家臣への言葉使いも乱暴。だけど、すごく頭はよいし、なぜ皆気づかないのだろう、わからないのだろうかと思いました。
その日の夕方、めずらしく信長さまが部屋にいたので私はお茶の時間に土田御前の居室でおいち様を抱っこさせてもらった話をしました。
信長さまは私がおいち様の話をすると顔がなごみました。
「あの赤子はかわいかっただろう、母上は今までの子の中でこのコが一番みめうるわしと断言されたそうだが」
「おいち様は確かにとてもかわいらしい赤ちゃんでした。でも一緒だったみなさんもおいち様同様、お美しくかわいらしい弟御、妹御でございました」
信長さまは私の髪を撫でました。そう、信長さまはいつでも私の髪を撫でました。私の髪は量が多くてなんというか撫で心地がとてもいいそうです。
「うん、帰蝶は頭がいいのう、誰も不快にならぬよう気をつかってものをいう」
「気をつかってなぞいませんよ、本当にそう思いました」
「うむ」
信長さまは上機嫌でした。
そこへ外の回廊からこちらの部屋へ向かう足音がしました。とたんに信長さまは不快な顔をして私から離れました。不思議に思うとまもなく、女中から「土田御前さまからのご返礼でございます、お目通りを」 と言ってきました。
土田御前は信長さまの弟の信勝さまとご一緒でした。私が頭を下げるとすそをさばいて敷物に座られました。信勝さまはその後ろに控えて座られました。あちらの女中が三盆の上に巻物を置いてそれを私の方にそっと置かれました。
がたん、と音がしました。
信長さまが部屋を出られたのです。
ご生母が来られたというのに、顔も見たくないというのでしょうか。
土田御前は信長さまが最初からいなかったようにふるまわれました。ですので私もそのようにふるまいました。
ご嫡男の信長さまとこんなに仲がお悪いとは。
この件に関しまして、私も何も言いませんでした。ええ、一言も。
私が声高に言い立てることもありませんし、第一私は斎藤の父上の命令で嫁いだ信長さまの妻ですから。
そう、私は一言もしゃべりませんでした。
女がいったん他家に嫁いでそこの嫁になったからにはその家の一員になりまする。嫁いだ信長さまとご生母の土田御前が不仲というのは意外でしたが、それは私の関知するところではなく、また介入することではありません。ですが私は心を痛めておりました。
そう、ある時こういうときもありました。
当時の信長さまは身なりは一切構わぬお人でしたので、着物は着たきり、刀剣はさすがによいものをもっているのに帯がない、これでは配下の目の前で刀剣を落としてしまうという失態もありえます。
信長さまに意見することはできないので、私は考えたあげく、しっかりした荒縄に最初から刀剣を通しやすいように裏布をあてがって糸でかがって補強することを思いつきました。
簡単そうに見えたのですがこれが結構難しく私はイネとあれでもない、これでもないと工夫をしました。大体荒縄をいじっているうちに縄がほぐれて細切れに飛び散ってしまいます。これが袖の中に少しでも入るとそれだけでもう痒くなってきます。イネが顔をしかめました。
「姫さま、かゆうございますね」
「そうね、でも裏からこうして布をあてがって糸を外にだしたらくるっと巻いてまた裏布に通したら、どうかしら」
「姫さまったら、まあ。さようでございますね、ではとことんやってみましょう。私がそこを押さえてますから」
このやりかただと何とか荒縄から刀剣がずり落ちそうになることもなく、なんとか保つことができたのです。縄の細かくほぐれたものが部屋中にちらばりいつのまにか足の指の間まで入り込んで痒くなってしまいました。
なんとか出来上がったものをお見せすると、信長さまは「なんだ、これは?」 と大笑いしながらも帯刀に使ってくださいました。
あの時の信長さまの笑顔は忘れられないです。正式の妻であった私だけが知りうる信長さまの表情です。ああ、あの頃は本当に楽しゅうございましたよ。
数回にすぎませんが私にめずらしい百合や桔梗の花を生けのままくださったこともございます。お花の切りかたをご存じなく、夜の遅い時間にご帰宅あそばしてふところからしおれた花束をもってくださったこともありました。
「うーん、持って帰ったのはいいが、しおれているから捨てるか」
「いえ、うれしゅうございます。水をやるときっと生き返りますから」
「そうか、生き返るのか」
「ええ、私がしますから」
「帰蝶はほんによきおなごじゃの」
こういって信長さまがごろりと横になり、手を上にあげてうーんと背伸びなさいました。ああ、ほんについ昨日も会ったような感じがいたします。
私はそうやって時折りみせてくださる信長さまのお優しい心遣いが大好きでございました。
特筆すべきことは信長さまの守役であった平手政秀の存在です。この人の織田家の次席家老という立場でもちろんその存在は大きなものでした。
幼いころから信長さまを織田家の嫡男として養育しそれはご生母の土田御前でさえも口出しできないほど厳しい躾をされていたと聞きました。しかしながらこれは結婚当時の野放図な生活態度とはまたかけ離れた話でございます。
実は信長さまの不仲の原因はこの平手のやり用にあり、という風聞もありました。下の立場である女中どもの話ですが、上のものとして耳を傾けることはないと思いつつも、それも道理と伺えることもあるのは悲しきことでございました。
一番最初の嫡男として信長さまがお生まれになった時、義父上の信秀さまはとても喜び天下を采配できる武将にさせると公言され、平手にその養育をまかせるとおおせられたそうです。それで土田御前の手元から引き離し乳児の時から平手のもとで大きくなられたとも聞きました。
私も女だからわかりますが、これは最初の赤ちゃんだったら自分の手元に置いて育てたかったでしょう、土田御前はそれが許されなかったようです。
こういうことがあり次男の信勝さまは最初から母たる自分の手元で自らお育てになったそうで、信勝さまひいきになるのも無理はないのかもしれません。
でも斎藤家もそうでした。斎藤家も長兄が生まれると父が信頼する武将の家に一時養育をまかせたそうで当時はどこでもそんなだったはずです。でもだからといって私の実家の母上は長兄を疎んじたりなんか一切しませんでした。それどころか大事な嫡男だからといって自分は下座に下がってまだ幼い兄に向かって頭を下げるような人でしたから。
私はそんな母上を見てますから、土田御前が配下の前で嫡男と疎んじる発言をすることは信じられないことでございます。
信長さまが土田御前を恨みに思うのも無理はありません。
この平手は義父の信秀さまのその父上の代から仕える古い家柄で当然その信頼も厚かったのです。武功も多くあり信長さまの初陣も成功裡に終わるように介添え役として大役を果たしたとも。その上茶道や和歌にも通じる趣味人でもある養育係としては適任といえる人物でした。当時でもう五十はすぎていたでしょう。私から見たら人の良いおじいさんのようでした。
婚姻の時の信長さまご不在の件で土田御前は家臣を責めましたがその時に一番に土下座して謝罪したのがこの人でした。
後で知ったのですが、斎藤家と織田家の同盟を結びこの婚姻を成功させるべき起案し奔走したのが平手であったと。この織田家と斎藤家との縁結びにあたりこの平手は私の姿を先に遠くで見ていたようです。髪が多く豊かで長い、とてもおかわいらしい姫君である、と織田家に対してよい印象を伝えてくれていたようです。また信長さまにもそう伝えてくれていたのでしょう。
結果、敵地から同盟かつ休戦の証として私は織田家に嫁ぎました。同盟とはいってもいつまでもつかどうかという感情は双方ともにあったともいえるでしょう。敵地にも等しい家に嫁いだものの、私が思いがけなく信長さまと仲良くまた織田家の人々ともうまくつきあえたのも平手の心遣いが非常に大きかったといえます。
私とともに織田家に入ったイネもまた斎藤の母上の命をうけて私が織田家に受け入れられるように、また決して粗末な扱いを受けることのないように心を砕いてくれていました。織田家の古参の女中頭はじめ土田御前付きの女中全員に、帰蝶からの挨拶と称しての折々の巻物、菓子を与えていたようです。
ああ、私の母上さま、織田家に嫁いだその時から義母になる土田御前によく使えるように言い含めた私の母上。当時のご心情はいかばかりか。
母上の心づくし、イネの対人関係のうまさもあって私は織田家の家中にあっても女中の態度は変わらず不快な目にはあったことはありませんでした。この婚姻を決めた義父の織田信秀さまや重臣平手の威光もあり家来でも不遜な態度をとるものはいませんでした。総じて私は恵まれていたといえましょう。
平手は信長さまが私を気に入ってくださったことにとても喜んだようです。ある時信長さまご不在の時にこうも言ってくれました。
「恐れながら帰蝶さま、この平手の眼には狂いはありませんでした。この婚姻は大成功です。信長さまも落ち付かれそのうち子供ができますれば、織田家総領としての必ずや采配をふるってくれますぞ」
私から平手にものを言うことはあまりなかったのですが、この発言が出た時とてもうれしくて思わず歯をみせて笑ってしまいました。
「おお、帰蝶さまのおかわいらしいこと、そりゃあ信長さまはほっておけないでしょう」
するとイネが引き継いでこういいました。
「織田家と斎藤家、この上なく強い結びつきがあればこの乱世も乗り切り、隣国のみならず関東を手中にし京の都も視野に入ろう」
そうです、織田家と斎藤家の目指すものは一つでした。当時から私どもは天下をねらっていたのです。
私がそうやって織田家に嫁いで一年ほどたったころでしょうか。土田御前の元には時折、お部屋お見舞いに伺っていましたが、一年もたつと「吉法師の御子はまだかえ」 というご質問をいただくようになってきました。
私はそれが苦痛でした。
「まだです」 と返答するたびに土田御前は嫌味を言われるのです。
「そうかえ、それはそれは。後継ぎができねば、仕方あるまい、そなたには実家に帰ってもらおう」
土田御前は私と信長さまと仲が良いのが憎らしいのです。
ご次男の信勝さまに織田家を後に継がせたいのです。それもご自分の実家のお身内から嫁をとって。
私はそれがわかるのでくやしい思いでいっぱいでした。ですが義理の母上に対して怒るわけにもいきません。私は一言もそれについては弁解もせず、一切しゃべりませんでした。
結婚してしばらくすると女の月厄がなくなってくる。それはお腹にヤヤコが宿った印。それが半年ぐらいたってくるとお腹がだんだんふくらんでくる、それはお腹にヤヤコができていて大きくなってきているからだ、私はそう聞かされていました。
お腹にヤヤコができて十ヶ月目にお腹が痛くなって、下から赤ちゃんが出てくる……斎藤の母上にあらましをさらりと教えられただけです。
……赤ちゃんが生まれてくるときはすごくお腹が痛むが決して「痛い」 とか申してはなりませぬ、泣いたりわめいたりしてはなりませぬ。そなたは織田家の総領の妻だから、下のものになる産婆や女中に泣き顔を見せるな、婚姻前からそう教えられていました。
それを我慢すればかわいい赤ちゃんがそなたも産める、それが男の子であれば織田家の後継ぎじゃ。その時にそなたも正真正銘、立派な織田家の一員となる、そう教えてもくれました。
当時は私も生娘でその意味は理解できてませんでした。
ですがイネが事あるごとに、私の懐妊も期待しての上でしたが、もしヤヤコがお腹にできたらという話を何度も繰り返していうので、私も心待ちにしておりました。
ですが何月目でも月厄はきちんと二十八日目にやってきます。
厠に行って月のものがきたとわかる都度、ヤヤコはまだだとわかります。それを私は毎月のようにイネに告げないといけません。そのたびにイネががっかりするので私も月厄がくるのが苦痛になってきました。
イネは悪気はないとはいえ、「斎藤家やお母上のご実家にも石女うまずめはいませぬよって、姫様だっていずれはきっと」「織田家の土地にも子授けの地蔵がどこそこにあるから一度お参りにいきませんか」 というたびに私は胸をえぐられるような感覚がいたしました。
本当に私のお腹に信長さまのヤヤコができねば、私は織田家に嫁いだ意味がなくなるでしょう。そしてそれを喜ぶ土田御前に私は美濃の斎藤家に戻されるでしょう。それを考えるとぞっとしました。
そうです、私は信長さまを愛しています。
政略結婚とはいえ、私は深く深く信長さまを愛しています。
信長さまもまた私を好いてくださっている、私はそう堅く信じていました。でももしヤヤコができないままとあれば、私はどうなるのであろうか、信長さまは私をお嫌いになるかも、そう考えただけで私は泣きそうになるのです。
ある時のことです、厠にいってまたもや私は自分のものから月厄がでたのがわかりました。イネが厠で控えていますから私の様子がわかったのでしょう。
先月もそうでしたが、イネはがっかりした様子で厠から出てきた私にこう申しました。
「姫さま、今月もダメでしたか」
私はその言葉を聞いて思わず激高しました。
「イネ、控えよ、私はもう毎月毎月、そなたのその言葉を聞くのは飽き飽きじゃ、そなたのその表情にも飽き飽きじゃ、そなたはもう一人で美濃に帰るがよい、もうそなたの付き添いは私はいらぬ」
イネに怒鳴るのは私は初めてでした。イネははっとした顔で厠の下座でかしこまり頭を上げずに縮こまりました。私は怒鳴っている間に涙が出てきました。涙声で私は怒りました。
イネもまた涙声で私に謝りました。
「姫さま、申し訳ありませぬ、どうかお静まりを、姫さま、私を美濃に返さないでください、どうかお許しくださいませ、姫さま」
その時です。
「どうしたんだ、騒々しい」
廊下からなんと信長さまが出てきました。
「帰蝶が怒るのは初めてみたぞ、どうしたんだ」
私は息をのみました。まさかすぐそばにいらっしゃるとは思わなかったのです。泣き顔を見られたくなくて私はすぐ頭を下げましたが、信長さまは私に近寄って顔をのぞきこみました。
「泣いてるじゃないか、何があった」
女中が数人こちらに近寄ってくる気配がしました。
信長さまは私の手をひいて部屋に連れていきました。イネにはいつものように「入ってくるな」 と言い捨てていきました。
信長さまと私は二人きりになったとき、理由を問われて私はありのままを話しました。泣かないようにしたかったのですが、無理でした。
「私はヤヤコが欲しいですが、でもまだできないのです。斎藤の実家も私が赤ちゃんを産むのを待っているのに、どうしたことかと思っているのです。私がヤヤコを産めないので信長さまにも織田家の皆さまにも申し訳なく思う。でも、どうしたらよいかわからぬのです」
「なんだ、そんなことか」
「重大なことかと思いまする」
私は涙目で信長さまを見上げました。
信長さまの目は優しかったです。私の髪を手ですきながらこう申されました。
「おおかた母上が何か言ってくるのだろう。しかしヤヤコか、こればかりは私にもどうにもならぬが」
「いいえ、いいえ、私が悪いのです。申し訳ありませぬ、信長さま」
「そなたが悪いわけではないのに、何を謝るのだ」
「いいえいいえ、でも私を斎藤の家に戻さないでください。私はヤヤコができなくとも信長さまと一緒にいたいのです」
「帰蝶」
信長さまの私の髪をすく手が止まり、私をやさしく抱いてくれました。
「まだきて数年じゃないか、もしそなたとの間にヤヤコができなくとも、私はそなたを美濃の斎藤家には返さないぞ」
「本当ですか、私をおそばにずっと置いていただけるのですか」
「約束するぞ、帰蝶。だから泣くな」
私を抱きしめながら信長さまは何事かを考えておられるようでした。
数日後それはびっくりするようなことになりました。