オーロラ、目に見えないものを観る
「オーロラが出た」誰かの低く大きな声が聞こえた。
夜十一時のことである。オーロラ観賞用のコテージの待合室でウトウトしていた僕は最初何を言われているのか分からなかった。他の観光客がもこもこした防寒着を慌てて羽織って出口から出て行ったところで、つられるようにして三脚とカメラを持って外に出た。
たちまちマイナス十七度の乾いた風が顔に吹き付ける。日本とは比べ物にならない、死を予感させる寒気が即座にまつ毛を凍らせた。僕は北緯六十度を超える極寒の地にいたことを思い出した。日付変更線を越えた日本からのロングトリップで溜まった疲労が僕の思考力を奪っているようだった。そう言えばもう三十時間以上起きている。
目線を空へと向ける。カナダの田舎、イエローナイフの街から更にバスで四十分も離れた郊外は灯一つなく、頭上には美しく輝く星空が広がっていた。僕はその中に写真で見たような煌々と輝く緑色のカーテンを探した、……が見つからない。「なんだ誤報か」とも思ったがどうやらそういうわけでもないらしく、ツアーガイドの男――熊みたいに胴の太い大男――がしきりに北の星空を指差していた。
そちらに目を凝らす。それでもやはり最初は何があるのかよく分からず僕は戸惑っていた。他の観光客も同じで口々に「どこ?」と視線を星空へ巡らせていた。
「ねえ、君、あそこら辺を撮ってみてよ」
ガイドの大男はそんな僕らの反応を見慣れているみたいで、カメラを持ったままの僕にそう指示した。僕は言われるがままに北の空に三脚に固定したカメラを向け、レリーズでシャッターを切った。シャッター時間は4秒、ISO感度3200、F値を最小の2.8。オーロラを撮るために事前に調べて随分前に設定していたからその動作は他の誰よりもスムーズにできた。
シャッターが切れる音がした後、現像処理がカメラのシステムの中で行われ、さらに4秒後に画像が小さな液晶ディスプレイに表示される。
「あっ、あった!」
僕が声をあげると他の観光客もわらわらとカメラのディスプレイを覗きに来た。そこには夜空にぼんやりと浮かび上がる緑の帯。何故か分からないままにもう一度シャッターを切って空を見上げる。目を凝らして今写真に写った緑を探す、が見つからない。
「写真には写りましたけど、目じゃ全然見えないですね」と僕はガイドの大男に言うと、
「オーロラはかなり微弱な色をしているからね。よく見てごらん。あそこ、さっきまでなかった白い靄みたいなものが伸びているのが見えない?」
「……ああ、ありますね。ミルキーウェイみたいな……光の集まりに見えます」
「そう、あれがオーロラだ。オーロラはカメラで長時間露光しないときちんとは見れないんだ。レベルファイブの最も強いオーロラになれば別だけど……まあ普通はああいう、淡い色が空で揺らめく姿しか肉眼では見れないんだ」
ふうん、成程、と思うと同時に、世に出回っているオーロラに関する情報の曖昧さに驚いた。
写真や映画、果てはアニメでもオーロラと言えば手元の写真に写っているようなはっきりした色を持っているもののように紹介されている。でも今見たように現実は違った。肉眼では空に浮かぶ淡い色の揺らめきにしか見えないのだ。目に上手く映らない揺らめきの正体はカメラで撮って初めて分かるようになる。確かに写真に映る光の帯は美しく幻想的だが、遠隔地に住み、映像の中でしかオーロラを観たことのない人には写真の中にしか現れないその正体はほとんど知れていないのだろうと思った。
現実のオーロラも、写真の中のオーロラも、どちらも曖昧なんだ。ゆらゆらと揺らめいて、本当の輪郭を上手く掴めない。
僕はシャッターを何度も切りながら星空に浮かぶ靄を見つめた。いつか訪れるかもしれない、オーロラの揺らめきが像を結ぶ瞬間を見逃さないように。
2016.11.18-19 in YellowKnife.