人間 門川春生の苦悩
明けましておめでとうございます。
人には「歴史」があるものだ。
40年ならば40年分。その日まで生き残って、「なにか」をやってき身に付けてきたはずだ。
生き残る為の術、自分の場所を獲得するための闘いを。
だから、私は彼らにきけばいい。
「あなたは何をしてきた。何ができる」と。
「わたしはこれこれのことをし、こんなことができます」
そう答える者は簡単だ。
ならばその最初の手段を与えて、後は見守ればよい。
今までやってきたこと、出来たことであれば、よほどの環境変化がない限り、ある程度は「うまく」やるだろうから。
「解りません。いままでただ無為に過ごしてきましたので」
そう答える者にも、対応する術はある。
更に問うてみれば良い。昨日何をしてきたか。一昨日は何をしていたか。その前は?
今日、今、生きながらえてこの場にいる以上、その人間は何かを飲み食いし、何かを成したことによりその糧と、それを他に奪われず摂取できる場を得ていたということなのだから。
そうやって質問していくうちに、その者の道が、術が、見えてくる。
あとはその術を与えてやればよい。
そして、見守っていく。
そうして。
「わたしは何もしてこなかったし、これからも何もしたくない」
そう答える者には。
○●○●○
彼のことを、「歴史」はどう描くのだろうか。
人々が語り継ぐ言の葉から、「同時代人」が書いたという一方通行の書や、かろうじて、運よく生き残ったひとかけらの碑文から、推測して。
人類が血と汗と涙を流し、多大な犠牲を払って得た民主主義に敵対した独裁者であった。
かつての専制主義を、恐怖政治を21世紀に蘇らせた大悪人であると、言う者がいるかもしれない。
きりきりと眉間にしわを寄せ、拳を振り上げながら、唾を吐き捨てるようにして。
いや救世主であった。彼は膠着し閉塞感漂う我が国を救ったのだと、言う者も、いるかもしれない。
彼が持った力は、本来一人の人間が持つ「べき」ものではなかったし、とった手段は決して褒められたものでは、「正しい」ものではなかったにしても、それでも。
彼のお陰で我々の国は生きながらえることができたのだと、涙を流し感謝する者がいるかもしれない。
そんなものを彼が望んでいなかったとしても。
そして、ごく一部は。
彼を神と、もしくは神が地上に使わした使者であると、言うかもしれない。
どんな毒でも武器でも殺せないその身体と、彼のふるう「力」を目の当たりにして。
恐れとともに、ほんの小さな囁き声で。
でもきっとどれも正解で、どれも間違っていて、結論なんてずうっと出ないまんまだろう。
なにせ、ある日ぽろっと現われて、この東の果てにある国を統治した門川春生と言う男は。
結局自分の行動やその理由について、なぁ~んにも残さなかったのだから。
あの東の都にある、古めかしいコンクリートの要塞の。
赤い毛氈敷きの大会議場で。
我らが選良たちに終わりを告げるまで。
それを仕事の一部としていた、学者先生だったってのにさ。
○●○●○
「う~んとねぇ、ここはボクがつくった『箱庭』なんだ。君たちの惑星、地球と、同じ環境、同じ時代、同じ状態に設定してある。そしてもちろん、温暖化や人口爆発なんかの問題も、ちゃぁ~んとつめこんどいたよ」
いや~久々に熱くなって、ボクがんばっちゃった。
語尾に☆などの、メールで時折みかける記号がついていそうな少年の口調に、門川春生は自分のなかで、何かが切れる音を聞いた。
自分は、比較的温厚な人間だと思っていた。
幸いにして、子供のころから好きで続けてきたことを仕事にできて、仕事で対するのはその好きな動物と彼らが生きる「自然」なのだから、ストレスなど感じようもない。
本と、自分で美味しく淹れた珈琲と、サンドイッチなどの、読書の合間に空腹を満たせる軽い食べ物。
それだけあれば満足で、声を荒げることも、怒りのあまり何か誰かに殴ったことなど、いままでの人生で一度もなかった門川が、無意識に拳を握りしめた時。
あ、そうそう大事なコト忘れてた(^O^)/
と、ぽんと手を打つ動作とともに少年の口からこぼれた言葉に、自分にはあるとは思わなかった逃走、迷走本能が、狂ったように警鐘をならし始めた。
いますぐ、ここから離れろ。逃げろ、と。
「ここで失敗すると、君たちのリアルワールド、地球も壊れちゃうからさ、気~をつけてねぇ~」
彼の本能の叫びもむなしく、最後に語尾に☆どころかハートまでつけそうな口調で、つまりはあくまで軽~く言いたいことだけ言うと。
自称神様の少年は、ウィンクをひとつすると、消えてしまった。
今まで知っていたと思っていた物理法則をまるで無視して現れ、消えた少年がいた場所をしばらく茫然と見つめ。自分のすぐそばを飛び過ぎていった、鮮やかな瑠璃葵が描く軌跡をいつもの習慣で眺めたあと。
門川春生39歳。
今日彼は、穏やかにこれからも続くと信じて疑いもしなかった「日常」が、ガラガラと崩壊する音も聴くことになった。