表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
標なき英雄  作者: 厳萬飯
1/3

1. 撃たれた学生

今となっては昔の話である。


人類は、楽園から追放されて以降、踏んだり蹴ったりらしい。

神は死んだ、と断言した何某がいたらしい。

昔は良かった、と何度も呟く老人はいつ、どこにでもいたらしい。

安全面を度外視した技術競争がなされた結果、事故が絶えなかったらしい。

世界中の人々が困窮に喘いだ時代があったらしい。

3秒経つ間に国民の1人が疾病や飢餓で亡くなる国があったらしい。

遺伝子革新以前の食品衛生法統制下において、生活習慣病なるものが流行った時代があったらしい。

世界のどこかで、争いのない日はなかったらしい。

一つで世界を滅ぼせる爆弾が作られたことがあったらしい。

ついぞ一世紀前まで核エネルギーで電力を賄っていたらしい。

オゾンホールなるものがあって誰でも宇宙に行けたらしい。


今となっては昔の話。

この国の誰もが歴史の教科書で必ず習う過去の教訓だ。


「人類の歴史の大半は欲と争いの連鎖だ。二度とこのような愚行を犯してはならない、我らは楽園に帰ろうとしているのだ。」


カツカツと一定のリズムで黒板を白線が走り、もはや何を表したいのか読み解けない謎の図に、さらに謎の矢印と白丸が追加される。

仰々しい講釈をする若い講師、この男は、チョークの扱いに定評がある、らしい。

噂話でしかないが、この難解極まりない板書を揶揄していたのならば、ひどい話だ。

そう、ひどい話、とても退屈な講義だ。

教則を著しく脱線した講義内容は少数の熱心な受講生から人気があるようだが、多数派の学生からの評価は、噂話ではあるが、いまいちであるらしい。


なぜ。

なぜ僕が、このつまらない講義を選択し聴講するに至ったのか。

僕は、単位がどうしてもほしい、それこそ喉から手が出る程。

ぶっちゃけギリギリだ。

この歴史の講義は退屈だ。

退屈だが、ただ出席するだけで、大講堂の最後尾に座っているだけで単位をとれるのだ。


午後の木漏れ日が大講堂のステンドグラスを淡く染める。

この講義を受けて、わかったことがいくつかある。

先ず、退屈であること。

講師の話がつまらないし、板書が解読できない。

そもそも大講堂が広すぎる。

講師の声はよく通るので聞き取れるのだが、後列に座ると板書が読みにくい。

次に学生の着席位置の違いだ。

大講堂を見渡す。

大講堂は概ね小中学校のプール程度の広さがある。

前方から黒板と教壇、前列付近は上級生数十人程度が座り、中間を空席とし、後列に何人か見覚えのある同級生数人、最後列は僕一人だけだ。

この席順、誰も示し合わせてはいない。

この席順、暗黙の了解か、偶然の席順か。


話を講師の評価に戻す。

この講師の講義内容は酷評であるのだが、講師自身の評価は高いらしい。

特に上級生から恐れられているのだとか。

噂でしかないが。


講師を観察する。

どこにでもいそうな、特徴のない顔立ちに見える。

寝癖がひどい、ぬれたカラスみたいだ。

髭がうっすら生えてみえる。

体格は普通か、少し筋肉質に見える。

皺の入ったスーツに捻れたネクタイ。

左腕にスポーツタイプの腕時計。

底のすり減った革靴。


一見して身だしなみがよろしくない気がする。

この男が何をもって人から恐れられているのだろうか。


ステンドグラスから日差しが差し込む。

心地いい、昼食後の体が脱力する。

ま、早く惰眠を貪りたいし、どうでもいいか。


午前中に蓄積した疲労感と退屈な講釈が日差しに溶け込んで心地いい、これは眠い、眠いぞ。

もう舟を漕がずにいられない。

大学生の生活の大半はバイトと遊行の連鎖だ。二度とこのような苦行を犯してなるものか、我は惰眠を貪ろうとしているのだ。

僕は机上に組んだ腕を枕にしようと頭を垂れる。


一瞬だ。

視界が白に染まったかと思うと、気が付いたら僕は床に仰向けに倒れていた。

何が起こった、何故か額が痛い。

まさか、舟を漕ぎすぎて後方に倒れ込んだのだろうか。

大講堂が静かすぎる、心なしか僕に視線が集まっている。

講義中に大失態をしてしまった、そんな羞恥に駆られて慌てて身を起こす。

ふと、肩に白い破片が積っているのが見えた。

ふけか、ほこりか。

いや違う、まさかこれは―――。


鐘が鳴る。


「では次回まで各々、今回の講義内容をまとめてくること」


講師がチョークの粉を払う。

尻餅をついたまま肩に積った白い粉と見比べる。

そして自分が座っていた最後列から教壇までの位置を目測で測る。

いや、まさか届く筈がない。


講師が大講堂を出てもなお辺りを沈黙が支配している。なんだ、いつもなら我先にと昼食の調達に走る連中がどうしてこうも大人しいのか。こうも静かだと未だに注目されている様な気になってしまう。

ふと、近くに座っていた女の子と目があった。

頭に血がのぼった。とにかくこの場にいることが恥かしく思えてしまい、乱暴に立ち上がろうとした。


今度はうつ伏せだ。前のめりに倒れた。

膝から崩れ落ちたようだ。

訳がわからない。

何が何やら、どうして周りがこんなに騒がしいのか、何故僕はノックアウトされたボクサーみたいに立ち上がれないのか。


「おい、また撃たれたぞ」

「チョークの扱いが上手すぎるにも程があるぞ」


なんだ、周りは何を言っている。

まさか、“チョークの扱いに定評がある”ってそういう意味なのか?

そんなアホな、聞いてないぞ。

というよりも、まさか、本当にあの教師はチョークを投げたと言うのか。

ふざけている。今時そんな天然記念物がいてたまるか。

それよりも、先ず、人としてありえないだろ。


そもそも教壇から僕の位置まで、普通に届く訳がないだろ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ