05.殺人姫(1)
喫茶店『不思議の国』を出て自宅へと向かう帰り道。
あの後、本当に僕と帰ろうとするチェシャ猫をなんとか宥めて帰し、一人歩く。
夜の帳が降り闇に染まった空の下。
片側二車線の車道が通る両脇のl大通り《メインストリート》の歩道には多くの人々が溢れていた。
学校帰りの学生。
これから飲み屋へと向かう会社員。
買い物袋を持つ女性。
皆が皆、この付近で多発する連続通り魔事件のことなど忘れているかのように。
きっと心の底では自分は無関係だと根拠のない自信があるのだろう。
襲われるのは自分ではない、誰か。
殺されるのは自分ではない、誰か。
そう思っているのだろう。
「……ホント、羨ましいぐらい『普通』だな」
僕の呟きは雑踏に消えた。
建ち並ぶ店々から漏れる照明。
眩い光を放つネオンライト。
行き交う人々の波。
何となく。
不愉快だった。
僕は人混みを避けるように路地へと入った。
細く狭い、どことなく汚い路地を奥へ奥へと進む。
背後から差し込む光源が次第に薄れ、行き着いた場所にはもう薄暗い光しかなかった。
息が荒い。
心臓は早鐘のように脈打っていた。
理由は解っている。
恐い。
恐いのだ。
普通の人が。
僕自身が異端で異常だと自覚しているからこそ、何時かその異常性を見破られ糾弾されるのではないか。
それが無性に怖かった。
「…………詩鳴」
呟く言葉に、返事があるはずがない。
だって彼女はーーーー。
「ーーーーおにーさん、どうしたのこんな所で?」
声。
それは少女の声だった。
急いで前方へと視線を向ければ、そこには一人の少女の姿。
どこかの学校の制服であろう紺色のセーラー服に朱色のリボン帯、膝上の短いスカートからは白い生足が覗いている。
頭の両脇をリボンで結ばれたツインテールが特徴的な少女だった。
年齢は僕より若干下というところか。
「おにーさん、ひょっとして迷子?」
純真無垢そのままに不思議そうに訊いてくる少女に、僕はなんと応えればいいのだろう。
「……いや、迷子じゃないから。これから帰るとこだよ、それよりキミは?」
「アタシ?アタシはねー、なんていうか散歩中?」
いや僕に訊かれても。
知っているわけないじゃないか。
「あー…、取り敢えず此処は暗いし物騒だから、散歩なら人も多いこの先の方がいいんじゃない?」
「あ、アタシのこと心配してくれるの?おにーさん優しいーね!」
…………。
微妙に会話が噛み合ってない気がする。
「……いや、だからさこの辺に少女趣味の変出者が出ないとも限らないしここは一度ーーー」
「そんな優しいおにーさんにアタシからプレゼントふぉーゆーでーす!」
訊けよ!
いや本当に少しでいいから人の話し訊こうよ。
逆に悪意が感じられないからこそ質が悪い。
ゴソゴソと肩に掛かった学校指定のバッグの中を漁る少女。
ここは大人しくプレゼントとやらを貰い、適当に立ち去るのが無難か……。
頭の中で思考しているとーーーー。
「ーーーー死んじゃえ」
そんな言葉と共に聞こえた風切り音に、僕は無意識ながら無様に転んでしまった。
何かが。
僕の頭上を。
通過した。
「………ありゃ?」
少女の間の抜けた声に、僕はやっと状況を理解した。
淡い月光に照らされて妖しく輝く銀色。
伸ばされ右手に握られたのは間違いようもなくナイフだった。
刃渡りは大凡二十センチ。
厚みを持った刃は片刃で反りがあり、俗に言うアーミーナイフと謂われるものだった。
そのナイフを握り振るったのは先程のツインテールの少女。
「可笑しいなぁ。ちゃんと首の頸動脈を狙ったのにー、うぅーおにーさん逃げないでよー」
振り上げられたナイフの刃。
まさか……、冗談だろ?
こんなまだ幼さの残る少女が、今まさに世間を騒がしている、
「ーーーー殺人、鬼……?」
僕の呟いた言葉に反応した少女の表情が、曇った。
「違うよ、おにーさん。アタシは殺人鬼じゃない」
まるで心外だというように眉を顰める少女。
「これでもアタシは花も恥じらう中学生だからね、殺人鬼なんて呼び方可愛くないよっ」
言って少女は僕の方へとナイフの切っ先を向ける。
「ーーーー殺人姫。アタシのことはそー呼んでよ、おにーさん?」
殺人鬼改めて。
殺人姫はにっこりと、まるで年相応の少女のように笑った。
キリが良いので分割させて頂きました。