03.お茶会(1)
『入口』が背後で閉じられれば、そこは一切の光のない闇が広がっていた。
光源はない。
それでも勝手知ったる自宅、ではなく勝手知ったる他人の店。
見えなくても手に取るように解る、馴染みの階段を下っていく。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
数えて十三段の階段を下り降りれば、扉。
勿論何も見えない。
それでも人感センサーで検知された扉は音もなく横へとスライドして開いた。
淡い光が差し込む。
薄暗い橙色の照明に照らされた室内は広い。
真上に位置する喫茶店『迷宮』の倍程度の長大な室内はモノが乱雑に配置されていた。
赤と黒に彩られた市松模様の床。
見上げるほどに高い本棚が幾つもある。
床には無数の動物を模したぬいぐるみが散乱している。
中央には円卓が陣取り、七脚の椅子が添えられていた。
「…………遅いです」
抑揚の乏しい平坦な声。
「おやおやー?」
大仰に驚き笑う声。
それは等しく二人の少女によって紡がれた言葉だった。
「ーーーーチェシャ猫、ヤマネ」
僕の言葉に二人の少女は片方はニヤニヤと笑みを浮かべ、片方は無表情ながらどこかムッと顔を顰めた。
「おやおや色男だねーキミは。良かったねーネズミ、愛しのセンパイが来てくれたよ」
ニヤニヤ。
ニヤニヤと笑みを深める少女。
烏の濡れ羽色、とでも比喩すればいいのか艶やかな漆黒の髪は長い。
腰元まで伸ばされた黒髪。
黒を基調に白のレースで施されたフリル。
メイド服とは一線を期すゴスロリ衣装を身に纏った少女、【チェシャ猫】は酷く愉快そうにもう一人の少女を見た。
「……戯言は結構です。猫は猫らしくニャーとだけ鳴いていればいいのに」
「にゃーぁ」
ニヤニヤ、クスクスと笑うチェシャ猫。
肩までのセミロングの髪は白く。
気怠げに、どこか眠そうに開かれた瞳は赤い。
先天性色素欠乏症。
俗に言うアルビノの少女、【 眠りネズミ】は冷たく呟いた。
「………死ねばいいのに」
「おやおやー、怒った?怒っちゃった?ごめんねー悪気はないんだよ」
ニヤニヤと笑みを浮かべ茶化すチェシャ猫。
無表情でそれを受け流す眠りネズミ。
いつもの風景だ。
「相変わらずだなお前らは」
僕の呟いた言葉に、チェシャ猫が嬉々として答えた。
「ふふっ。勿論さ、私と 眠りネズミは大の仲良しさんだからね」
「……頭、腐ってるんじゃないですか?」
あぁ、この二人はまったく………。
「おいチェシャ、その辺にしとけ。大丈夫かヤマネ?」
眠りネズミ は消え入りそうな声で「……はい」と呟き、小さく頷いた。
無意識の内に僕の手が、その色素の抜けた白髪へと伸びていた。
「………ぁ」
クシャリ、と。
眠りネズミ の髪を撫でれば、上質の絹を想わせる手触り。
サラサラと髪が揺れる。
「……まったく、キミは。女の子の髪を気安く触るのはどうかと思うけどね」
チェシャ猫の呆れたような声。
その顔は苦笑いを浮かべている。
チェシャ猫にしては珍しい反応だ。
「ん、あぁ嫌だったか?」
僕の言葉に、 眠りネズミ はふるふると首を横に振った。
「………ぃえ、その、……き、気持ちいい、です」
気のせいだろうか?
眠りネズミ の顔が若干赤いようなきがするのは。
一通り撫で終え満足した僕はスッとヤマネの髪から手を引く。
どこか名残惜しそうな呟きが 眠りネズミから漏れた。
ぐるりっと部屋中を見回す。
「……ん?そういえば『シンデレラ』は?」
僕を此処へと呼び出した張本人たる彼女の姿がないことに気付いた。
「さてね?生憎まだのようだよ」
辞典のように分厚い本を数冊積み上げ即興の椅子とし、その上に座って紅茶の注がれたティーカップを手に持ったチェシャ猫がニヤニヤと笑い応えた。
ふぅ、ん?
珍しいな、遅刻か?
几帳面な彼女にしては意外だ。
少なくても僕が此処に出入りするようになって一年経つが、今迄に彼女が遅れてくることなんてなかったはずだ。
制服の胸ポケットから懐中時計を取り出して見れば、時刻は十七時五十九分。
待ち合わせ時刻まで残り一分だ。
「ーーーーおや?噂をすれば何とやら、だね」
チェシャ猫の言葉に背後、出入り口の扉へと振り返れば今まさに一人の少女が這入ってくるところだった。
軽くウェーブの掛かった緩い巻き髪は赤み掛かった茶髪は、少女が動く度にふわふわと揺れる。
切れ長大きい瞳。
均等の取れた身体付き。
「ーーーー遅くなってしまいましたね」
少女は落ち着いた声色で言い、ふっとその視線を僕へと向けた。
視線が交差する。
でも、と。
少女が呟く。
「遅刻はしなかったでしょう?」
少女。
【 灰かぶり】はそう言って、にっこりと微笑んだ。
懐中時計の針は丁度十八時を差したところだった。