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01.日常



 赤い。

 赤い飛沫が闇夜の虚空に描かれた。

 舞い散る飛沫。

 風に舞う花弁のように儚い、刹那の光景。

 振り抜いたナイフは赤く濡れ、淡い月光に照れされて妖しく輝いていた。

 ナイフから赤い雫が零れる。



「ーーーーぁ、ぅ、……あ」



 誰かの声に次いで何かが倒れる音。

 男だ。

 男が力無く倒れていた。

 うつ伏せで倒れているので正確に判別は出来ないがスーツを着たサラリーマンという服装の恰幅の良い中年男だ。

 じわり、と。

 何かが男の下から溢れてきた。

 血。

 血液だ。

 赤い血液が流れ出し、小さな血溜まりを作っている。

 僅かに鉄のような匂いがする。

 男は喋らない。

 否。

 喋れない。



「…………ふふ」



 男を見下ろす影。

 頭の両サイドで結われた黒髪が揺れる。

 身に纏う学校指定のセーラー服は所々が乱れていた。

 未だに幼さを色濃く残す少女。

 その少女の右手にはナイフが握られていた。

 ぽたり。

 ぽたり、と。

 少女が持つナイフから赤い雫が零れ落ちる。



「くふふっ」



 倒れた男。

 溢れる血溜まり。

 少女は小さく、それでも愉しげに笑っていた。



 少女の遥か頭上。

 深く暗い空の中、まるで血に濡れたかのように紅い月が浮かんでいた。





◇ ◆ ◇ ◆





 本日の学習課程の終了を告げるベルの音が響く。

 明日の予定と決まりきった挨拶を終えた教師がその場を離れて扉から出て行った。

 授業という苦行から解放された生徒達によって教室、いや正確に云えば学園内の至る所で喧騒が流れる。

 部活へと急ぐ者。

 友人と雑談に興じる者。

 下校後の予定を話し合う者。


 多種多様。


 皆が皆、授業中の気怠げな態度とは対極の活き活きとした様子だ。

 暖簾に腕押し状態の生徒達相手に熱心に教壇に立つ教師には頭の下がる想いだ。


 ……まあ、気怠げな態度を取る生徒達には僕自身も含まれ、実際に頭を下げる気など毛頭無いが。


 ふと黒板の上に設置された時計を見上げれば長針は真上十六時を指すところだった。

 未だ時間に余裕はあるが速めに行動するのは悪いことではないだろう。

 さて、行くか。

 そう思って椅子から立ち上がろうとした僕の肩に、そっと何かが触れた。

 右肩の感触に視線を向ければ、それは手だった。

 ほっそりとした白い手が僕の右肩に添えられていた。



「よ、若人よ!今日も怠惰な時間を過ごした感想は如何かな?」



 楽しげに弾んだ声。

 何よりその明るい笑顔を浮かべた少女の顔は、無垢というよりも無邪気に輝いていた。

 本人の話に拠れば地毛である茶色の髪は後ろで一つに束ねられたポニーテール。

 僕が通う学園の女子用制服、白いカッターシャツに赤いネクタイ、チェック柄の赤いスカートに身を包んだ同級生クラスメート

 一ツ橋(ひとつばし)たばねはにっこりと笑った。



「いや、若人って……」



 同級生だろ?



「ねぇねぇ、そんなことよりさ、この後暇?暇だったら大黒屋の巨大ジャンボ極甘ビターパフェ風大福食べに行こうよっ」



 いや自分で話し振ったのに『そんなことより』って。

 いや。

 いやいや、それより巨大ジャンボ極甘ビターパフェ風大福ってなんだ。

 『巨大』と『ジャンボ』。

 もうこの時点で意味が重なってるし。

 『極甘』と『ビター』。

 これに関しては正反対だ。

 なんだ?

 極甘なのに苦味ビターって。

 もうこの時点で意味が、というかどんな味か解らないのに最大の疑問は最後の単語。

 『パフェ風大福』てなんだ。

 一般的なパフェがクリームとアイスを主に果物で彩りグラスに盛られたモノ。

 対して大福は小豆で出来た餡を餅で包んだ和菓子だ。

 形状的に違いが有りすぎる。

 しかもパフェ風大福と謳っているということは最終的な形状は大福へと集約するということか。

 想像すら出来ない。

 若干どんなモノか心引かれる部分があるがーーーー。



「……悪いな、これから予定があるんだ。また今度誘ってくれよ」


「えぇーまたー?先週もそう言って断られたのに」



 二度も振られたー、と大袈裟に叫ぶ一ツ橋。

 あぁ、そう言えば先週も誘われたな。

 もっともその時は激辛ピリ辛苺タルトだったが。

 きっと一ツ橋は甘いモノ《スイーツ》が好きな一般的な女子校生なのだろうが、その味覚感覚は一般的な人類とは逸脱しているのだろう。


 容姿端麗。

 成績優秀。

 人望多厚。

 僕が在籍するこの二年三組において風紀委員に属する一ツ橋の唯一の残念な個性ウィークポイントだ。



「………もしかしてデート?え、なに、円堂えんどうくんってもしかしてリア充?」



 円堂、とは僕のこと。


 円堂えんどうシロト。それが僕の名前だ。



「特定の彼女はいないよ。残念なことに、ね」


「じゃあ不特定多数のカノジョさん達はいるってこと?」



 不純だー、と顔を顰める一ツ橋さん。

 待て。

 何でそんな奇特な結論になるんだ。

 今年度からクラスメートになり早二ヶ月近く。

 それほど長い付き合いとは到底断言出来ないが、それでも雑談程度は交わす仲なのに、一体彼女は僕のことをどういう風に見ているのだろうか。

 不特定多数の女性を侍らすような軽挙な男だと?


 自慢ではないが友人と呼べる人すら限られているのに。


 ………いや本当に自慢することではない。



「まぁ冗談はさておき、さ。バイトでもしているのかなーって束さんは思ってみたりなかったり」


「……いや、どっち?」


「う゛、……邪推しました」



 因みにだが。

 僕が通う私立天零学園高等部では生徒になる就労、つまりアルバイトは禁止されている。

 但し、家庭の事情など諸事情によってアルバイトを希望する生徒には学園側の許可さえ降りれば特例措置で認可されるらしい。

 例えば母子家庭。

 或いは父子家庭。

 何らかの怪我や病気により両親が働けないなど、家庭によって理由は様々だろう。

 妙に言葉の端々がはっきりとしない一ツ橋さんの態度もその辺を配慮してなのだろう。



「生憎だけど金銭に困ってはいないからね」


「何か嫌みっぽーい」


「ぅう」



 御指摘の通りだ。

 これでは嫌みと取られても仕方ない発言だった。

 ………恥ずかしい。



「と、とにかくさっ」



 誤魔化すように少し大きな声で言う。

 勿論誤魔化せるなど露ほどにも思っていないが。



「ちょっと知人に呼び出されてさ、これからそいつらに会いに行くところなんだ」


「ーーーえ。円堂くん友達いたの?」



 ぐっ。

 言葉の矢が僕に突き刺さる。

 瞳を広げ、口許には右手が添えられ。

 一ツ橋束は本当に驚いたかのように茫然としていた。


 そんなに驚くとは一体僕をなんだと思っているのだ、彼女は。


 僕にだって友人、そう友人くらい……。

 …………。

 ……。

 ……十人、いや流石にそれは見栄を張り過ぎか。

 いやでも七人、いや六人くらいは……、そ、そう。

 少なくとも片手の指の本数くらいはいる、はず…………だったらいいな。

 じゃあ誰?

 と、質問されたら即答出来ないが。


 ……なんか落ち込んできた。


 いいじゃないか別に。

 人間の価値は友人の数で決まるわけじゃないのだから。



「ぁ、あ、ごめんね、そのなんというか、変なこと訊いちゃって……」



 慌てたように取り繕う一ツ橋さんの優しさが、逆にツラい。



「………き、気にしないで。うん、そう僕は友達は少ないかもしれないけど。五、いや少なくとも四人はいるからね」



 僕の言葉に一ツ橋さんはキョトンとした表情でーーーー。



「ぇ、友達は数えるものじゃないよ?」



 ポッキリ、と。

 僕の中で何かが折れた音がした。








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