017‐020
017
しつこいようだけど、もう一度言っておく。
ミステリアスかっこいいオレの周りには事件がいっぱいだ。
……本当に、本当に、いっぱいだ。
「ぐゥ、うぅうう」
ラッキー探しを再開して間も無く、オレたちは病院の前で行き倒れたおっさんと出会った。
どういう状況だ、これ。
「おい、おっさん。しっかりしろ、大丈夫か?」
「一体、どうされたんですか!?」
肩に手を添えて起こしてやると、おっさんはぐったりしながらも病院がある方向に顔を向けた。
「ううう……すまないが、俺を病院まで……運んで……くれない、か……」
運んでくれないかって、もう病院は目と鼻の先じゃねーか。 と、言いたいところだけど、この様子はただ事じゃなさそうだ。
「……ミラン!」
「うん」
ミランは、オレの呼び掛けに一度だけ頷いて建物の中に駆けていった。
クリス先生に事情を説明してもらって、その間にオレがおっさんを運ぶって算段だ。
クリス先生は、一人でここの病院を切り盛りしてる医者だ。
内科の看板が出てるけど、子供からの人気が圧倒的で、ほぼ小児科みたいな事になってる。
おばさんにも人気があって、一部じゃマダムキラーなんて呼ばれてるらしい。
近くには国立病院もあるけど、俺たちも何かあったらクリス先生に診てもらってる。
それは国立病院が悪いとかどうとかっていう話じゃなく、単にクリス先生が好きとかどうとかっていう理由だ。少なくとも、オレたちは。
「おっさん、しっかりしろ。立てるか?」
「あ、ああ……大丈夫だ、すまない……」
意識もしっかりしてるし、支えれば問題なく立ててるけど……しきりに呻く様子は相当ヤバそうだ。
出会い頭、ちょっとだけうさんくさいとか思っちまってごめんな。
おっさんを担ぐようにして病院に入ると、クリス先生が迎えてくれた。
「……話は聞いてるよ。さあ、診察室へ」
クリス先生に促されてオレとおっさん、それからミラン、三人そろって診察室に入る。
おっさんを椅子に座らせると、直ぐに問診が始まった。
……あーあ、完全に出ていくタイミング見失っちまった。
仕方なくおっさんの後ろで診察が終わるのを大人しく待つ。
「……ひとつお聞きしたいのですが。あなた、最近野菜を食べたのはいつですか?」
「…………」
おっさんはいつまでたっても答えない。
答えられないくらい具合が悪いのかと思ったけど、そうじゃないらしい。
暫くして、おっさんはハッキリと首を横に振った。
「やはり……。恐らく、末期のベジタブル症候群で間違いないでしょう」
おっさんを一通り診たクリス先生が、重い口を開いた。
「ベジタブル…?」
「症候群…?」
初めて聞く病名に、オレもミランも首を傾げる。
当のおっさんはというと、どうやらこの病気を知っているみたいで、俯いたまま「はい」とだけ答えた。
「正式には野菜不足症候群。最近ではベジタブル症候群という呼び方の方が浸透しているかな。……簡単に言ってしまえば、野菜を食べないとかかってしまう病気なんだ。特に好き嫌いの多い子供に発症するようでね」
野菜……。
「それって、治るのか……?」
「もちろん。もともと、野菜を全く食べない子なんていないし、それに野菜嫌いは徐々に直る場合が多いからね。ここまで重くなるのは本当に稀なんだ」
「じゃ、じゃあ、おじさんは助かるんですよね!?」
「残念ながら」
「「…………!!!!」」
俯いたままのおっさんの代わりに、オレとミランが交互に質問を重ねる。
野菜嫌いなのはオレたちだって一緒だ、他人事とは思えない。
だから、オレたちにとってこの回答は心底ショックなものだった。
「ただ、ね。さっきも言った通りこの病気は治るんだよ。本人の努力次第でね」
「…………」
「……今、あなたは非常に深刻な状態と言えるでしょう。このままでは、命が危ない」
相変わらず無言を貫くおっさんの背中が、ますます小さくなっていくようだった。
「野菜を食べていただけますね? このままでは、もってせいぜい1時間でしょう。一刻を争います」
「いッ、1時間……!?」
ベジタブル症候群、とんでもねぇ病気だ……!!
けど、おっさんはここまで説明を受けてなお首を振る。
「先生、俺には……無理です……。野菜は……絶対に……食べたく、ありません……」
おっさんはか細い声で、だけどキッパリと、言いやがった。
「明日が無くても、いいんですか?」
この質問にはさすがのおっさんも動揺したみてぇだ。
「し、死にたく……ないです……っ」
「じゃあどうして今まで野菜を避けてきたのです! あなたも、この病気の恐ろしさは知っていたでしょう!?」
……クリス先生の怒ったところ、初めて見た。
いつもはにこにこしてて、例えるなら、天使みたいな、そんな先生だから。
「……ち、違うんです先生。野菜を全く食べなかった訳じゃないんですよ。ケチャップにはトマトが入ってましたし、フライドポテトにはじゃがいもが使われていました。昨夜食べたハンバーグなんて、なんと挽き肉の中に玉ねぎが入っていたんですよ。ああ! それにスイカは私の大好物です。ねえ先生、スイカも野菜に分類されてますよね?」
今まで静かだったおっさんが、ぽつりぽつりと喋りだして、最後には縋るようにクリス先生に泣きついた。
ああ……、バカだ。
このおっさん、バカだ。
だけど、この言い訳はオレとミランがいつもオロンに使ってる手だから、ますます他人事ではなくなった。
もちろんオロンには通じないし、サーベントじぃちゃんには毎回怒られるけど、その度に野菜は野菜だって言い張ってきたのはオレたちだ。
「おいおっさん!いい加減にしろ!もう時間がねぇんだぞっ」
「……お願いです。野菜を食べて下さい」
自分に言ってるようで、少しだけ胸が痛い。
観念したのか、嫌だ食べたくないとうわ言のように呟いていたおっさんがようやく顔を上げる。
「大丈夫ですよ、あなたはきっと治ります。……食べてくれますね?」
クリス先生がいつもの優しい笑顔で問いかけるもんだから、おっさんはとうとう声をあげて泣きだしてしまった。
やがて、クリス先生の指示を受けた看護婦さんに連れられておっさんが診察室を出て行く。
「…………」
なんとなく、後味が悪い。
無言で診察室を出ていこうとするオレたちを、クリス先生が肩を掴んで止めた。
「アーセル、ミラン、ちょっと待って。君たちも、顔色が悪いようだよ。これはベジタブル症候群の初期症状かもしれない」
「………!!」
まさに、絶句だった。
隣のミランを見てみると、ひきつり気味の表情は、確かにクリス先生の言う通りだ。
ミランも同じことを思ったようで、オレたちは心配そうにお互いの顔を見つめあう。
「大丈夫。君たちはまだ初期症状だ、今からだって十分間に合うよ」
「「ほ、本当ですかっ!?」」
「もちろんだとも。……野菜、食べていくかい?」
「「はい! 食べさせてください!!」」
018
「ああ! ああ! うまい、うまい……!」
――ガツガツ、ガツガツ。
看護師のお姉さんに案内された“野菜補給室”の名がついた一室で、オレとミランは妙な光景を目にしていた。
「やあ、君たちも来たのか! 見てくれよ、もうこの通りだ。野菜って素晴らしいな!」
……見てくれも何も、オレたちはずっと見ていた。
弱々しく半べそをかいて項垂れていたこのおっさんが、一口、また一口と野菜を食べるごとにみるみる元気を取り戻していくその様を。
「……アーセル、野菜ってすごいんだね……」
「……だな。嘘みてぇ」
いやいや、そんな、まさか。
そんな思いを捨てきれずにいたけど、目の前で起こっている出来事は夢なんかじゃない。
オレたちが唖然としている今もなお、おっさんはバクバクと野菜を食い続けている。
信じざるを得なかった。
「さ、二人も残さず食べましょうね」
看護師さんに促されおっさんの隣に座ると、直ぐに大皿いっぱいに盛られたサラダが運ばれてきた。
もちろん中身はピッチピチの生野菜だ。
「はっはっは! どうした、食べないのか?」
なかなか手が進まないオレたちに、おっさんは野菜の追加を頼みながら笑いかける。
「聞いたぞ。君たちも予備軍だそうだな。大丈夫、食えば治る! 俺が保証するぞ!」
くそ……。
ついさっき食えと熱く語ってしまった手前、なんとしても弱音は吐けねぇ。吐きたくねぇ。
「……や、すげー新鮮な野菜だなと思って。食うのが楽しみだぜ。な、なぁミラン!」
「う、うん!」
「はっはっは! 嬉しいことを言ってくれるじゃないか。そうかそうか、良かった良かった!」
「……なんでおっさんが喜ぶんだよ」
「なにを言っとる、一野菜ファンとして当然じゃないか! はっはっはっは!」
なぁにが“一野菜ファン”だよ。さっきまで半べそかいてたくせに。
ともかく、オレもミランも野菜なんて大嫌いだ。
……けど、弟のミランがフォーク持って覚悟決めてんだ、兄貴のオレが食わないわけにはいかない。
オレも、一世一代の覚悟を決めてフォークを握り締めた。
019
「うまい! うまい! うまいっ!」
「う゛、うまい! う、まい! ……うまい!」
「うまい! ……うまい!」
野菜補給室は、更に妙な事になっていた。
想像を超える早さでサラダを食べ進めるおっさん。
そしてそれになんとかついてくオレとミラン。
おっさんがあまりにもうまそうに食ってるから、もしかしたらもしかするんじゃないかって錯覚がしちまったけど、皿に乗っているのは普通に普通の、オレたちがよく知る野菜だ。もしかするはずもなく、まずかった。
もうだいぶ食い続けてるってのに、皿の中身はなかなか減ってくれない。
それどころか、増えているような気さえ……。
……ん?
うつむいた時だった。大量の野菜を挟んだトングが、ものすごいスピードでオレの前を横切る。
そして、その野菜はオレの皿に山を作った。
「って、おっさんんんんん!!!!」
「はっは! バレたか?」
「バレたわ!!!!」
おっさんはまたもや野菜の追加を頼みながら、同じ要領でミランの皿にもせっせと野菜を運んでいる。
「おい、ミラン。お前良く見てみろ、野菜継ぎ足されてるぞ」
おっさんが大胆に山を築いても、オレが声をかけても、全く反応がない。
よく見ると、野菜を食っちゃいるが追い詰められるあまり目を回している。
マズイ。コイツ限界だ。
「……うっぷ……」
野菜が詰まった腹をさする。
あれから、どれくらいの時間が経っただろうか。――まあ、ぶっちゃけ30分ぐらいだ――隙あらば野菜を盛ってくるおっさんとの攻防に制し、数多の野菜を平らげ……激戦の末、オレたちはついにやり遂げた。
大皿には葉っぱ一枚だって残っちゃいねぇ。
「うんうん、よくやった! よくやったなお前たち!」
「……うん。顔色もだいぶいいね。これでもうベジタブル症候群の心配はないだろう。二人とも、よく頑張ったね。」
いつの間にかクリス先生が来ていて、キレイになった皿を覗いている。
「おっさん……!」
「クリス先生……!」
オレたち4人は涙ながらに抱き合った。
依然、野菜補給室は妙なことになっていた。
020
ミステリアスかっこいいオレの周りには事件がいっぱいだ。
……そうだ、いっぱいだ。
いっぱいなんだけどさ! なんだよ、どうなってんだよ今日! なんか、やべーだろっ。
とはいえ、困ってる人がいんのを見て見ぬ振りなんてできねーし……。
「ここからだと結構遠いし、最近森の動物たちが凶暴化していて危ないと聞くよ。本当にいいのかい?」
「はい、大丈夫です! 他に協力できることはありませんか? 僕たちに出来ることならなんでもやります!」
オレを押しのけて前に出たミランが即答する。
いやいや、困ってる人がいたらそりゃ役に立ちたいとは思うけど、でも何でもやりますってのはちょっと言い過ぎじゃねー? あ、つーか蝶探しの事忘れてんじゃねーだろうな。
ミランにこっそり耳打ちするけど、聞いちゃいない。
「それなら甘えてしまおうかな」
「えっ?えっ?」
「はいっ!僕たちに任せてくださいっ」
おいおい、マジか。
もともとミランは超がつく程のお人好しだ。
それにくわえ、クリス先生が今回の診察料はいらないなんていうもんだから、手が付けられなくなっている。
「アーセル、割れ物なんだから慎重にだよ!」
「……ったく」
オレたちはクリス先生の言われるまま、雑用をこなしていた。
段ボールを抱えて病室を通りかかると、窓際を向いたままの小柄な女の子が咳き込んでいる。
オレンジ色の髪を背中まで伸ばした、儚げな後ろ姿が印象的だった。
事の発端は……そう、あの子だ。
野菜補給室から出たオレたちがここを通ると、あの子がすげー苦しんでて、看護師さんが背中を擦っていた。
あまりにも辛そうだから、大丈夫なのかって聞くと、クリス先生は困ったように苦笑いをして。
「材料が足りなくて、あの子に適合するクスリが作れないんだ」
薬の材料は、町外れの森に咲く珍しい花で、だけど先生たちが病院を空けると困る人がたくさんいるから取りに行けない……という事らしい。
「ミラン、その花オレたちで持ってこれねーかな?」
「うん……。先生、その花って森のどの辺にあるんですか?」
そう言うと、クリス先生は驚いて……まあ、あとは見ての通りだ。
よく知ってる場所だけど、念のためクリス先生お手製の簡易地図をポケットに突っ込んである。
薬草、万能花の特徴も教えてもらった。
「よし、これで全部だよな」
「うん!」
最後の書類を事務室に届けて、外に出る。
勝手に引き受けちまうミランも悪いけど、クリス先生もクリス先生だ。
ニコニコ笑いながらとんでもない量の雑用を押し付けてくるんだもんなァ。
恨めしそうに視線を送っても、ニッコリと笑顔を返されてしまうと何も言えない。
「いいかい? 危ないと思ったら直ぐに引き返すんだよ。約束できるね」
クリス先生は、まるで小さな子供をあやすみたいにオレとミランの頭をポンポンと叩く。
「だーいじょうぶだって! 直ぐ帰ってくるから、先生は安心して待ってていーぜ」
「行ってきます!」
先生に見送られて、オレのたちは病院を出発した。